そこで「広辞苑」
い‐じ【意地】‥ヂ
1.こころ。気だて。心根。「―が悪い」
2.自分の思うことを通そうとする心。「―を張る」「―を通す」
3.物欲。食欲。「―がきたない」
4.連歌論で、作句上の心のはたらき。連理秘抄「骨こつのある人は、―によりて句がらの面白き也」
このことば、現在では「意地悪」「意地汚い」「意地っ張り」「片意地を張る」「意地を通す」など「心の偏り」を示してあまりいい意味では使われない。昔は「意地がいい」という使われ方もしたようであるが………。
似たような言葉に「意気地」がある。
「人生劇場」といううたにこんなセリフがあった。
人生劇場 - 村田英雄
作詩:佐藤惣之助 作曲:古賀政男
やると思えば どこまでやるさ
それが男の 意気地じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ
なまじとめるな 夜の雨
あんな女に 未練はないが
なぜか涙が 流れてならぬ
男ごころは 男でなけりゃ
解るものかと あきらめた
時世時節(ときよじせつ)は 変ろとままよ
吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように
義理と人情の この世界
この「意気地」はほとんど「意地」と同じ意味である。もっとも正式の唄のセリフは「意気地」ではなく「魂」であったかもしれない。
「広辞苑」には
いき‐じ【意気地】‥ヂ
事を貫徹しようとする気力。他にはりあって、自分の思うことを立て通そうとする気性。いじ。いくじ。いきはり。
ところが、この漢字を「いくじ」と読むと「意気地なし」という使われ方をする。これは「意気地」がたりないことをいう。
私はこの「意地」という言葉が嫌いではない。
「意地でもやり通す」「(おとこの)意地にかけても」断固としてやり抜くという気迫が感じられる。
ただ、この言葉が「男」と結びついてしまうところが問題であると書こうとしたら, 「女の意地」という唄を思い出した。西田佐知子の唄だったと思う。
女の意地(昭和40年)
作詞:鈴木道明
作曲:鈴木道明
こんなに別れが苦しいものなら
二度と恋などしたくはないわ
忘れられないあのひとだけど
別れにゃならない女の意地なの
二度と逢うまい別れた人に
逢えば未練の泪をさそう
夜風つめたくまぶたにしみて
女心ははかなく哀しい
想い出すまい別れた人を
女心は頼りないのよ
涙こらえて夜空を仰げば
またたく星がにじんでこぼれた
そういえば「意固地(依怙地)」という言葉もあった。これも同じような意味だった。
いこ‐じ【意固地・依怙地】‥ヂ
かたくなに意地を張ること。えこじ。「年を取って―になる」「―な態度」
「いじ」「いきじ」「いくじ」「いこじ」みな同じ意味なのに、違うのはなぜだろうか?