その前にこんな立て札がありました。
これをよく見ると、この中に「世界平和」というのや「飢餓に苦しむ人のために」とか「貧困がなくなるように」とかいう祈りはないのですね。
みんな自分や自分の家族のために祈っていて、世界や社会のためあるいは他人のために祈るということがないのです。
ここがキリスト教と大きく違うところだと思いました。
カトリック教会のミサの「共同祈願」では、「世界平和のために」とか「アフリカの飢餓で苦しむ人びとのために」とか「病気で苦しむ人たちのために」「ミャンマーや中国で災害にあって苦しんでいる人のために」という祈りがかならず唱えられます。
もちろん、ミサに参加する人は自分や自分の家族のためにこころのなかで祈っているのですが、それは共同祈願としてはめったに唱えられません。