そういういよさんの習性を利用して、ときどき「ちょっといじわるな実験」をします。
いよさんの大好物は「すあま」です。あの外側がピンク色で内側がしろいかまぼこ状のちょっと甘いおもちのようなお菓子です。3つ入りの「すあま」をいよさんの目の前においておいて、
「これはひとつはいよさん、一つはきよこさん(妻)、あとのひとつはわたしのものだけど、あとで3人揃ってからお茶を入れて食べようね。それまではおあづけですからね。」
というといよさんは
「わたしゃイヌかね。おあづけくらいはできますよーだ」というのですが、5分くらいたっていくと、一つ減っているのです。
「あ、いよさん、一つ食べちゃったね」
「だって私の好物なんですもの。あまりにおいしそうだから、我慢できずに食べちゃった」
「まあ、ひとつはいよさんものだからいいとして、あとの二つは私たちのものだから食べないでいてね」
といって、また10分後に来ると、3つともキレイになくなっています。
「あ、いよさんぜんぶ食べちゃったんだ。これは清子さんと私の分だと言ったのに」
「え、だれが食べたんでしょう。私は食べないよ」
「そうかい、じゃあだれが食べたんでしょうかね? きっと頭の白い大きなネズミが来て食べたんでしょうね」
とこんなやりとりがいつも決まって繰り返されます。あめ玉とかおせんべいならば、包んでいた袋が近くのゴミ箱から出てきて、それをとりだして
「これはだれが食べたんですか?」
というといよさんは自分が食べたことを認めて
「あ〜、私が食べたんだ」
とあたまをかかえこんでしまうのですが、「すあま」だとそういう証拠を突きつけるわけにはいかないので、それ以上追求しないことにしています。
いよさんは別に嘘を付いたり、しらばっくれたりしているのではなく、自分が食べたということをすぐに忘れてしまうのです。なにせ「物忘れ名人」なのですから。いよさんの大好物を目の前においておくほうが悪いのです。
もしそれ以上追求すると、例のセリフがくりかえされてしまいます。
「こんなに頭が悪くなってしまって、こんなじゃ生きていてもしょうがない。死にたいよ」
というセリフです。
いよさんにそういうセリフを言われる前に、
「すあまおいしかったでしょう。死んじゃったらこんなにおいしいものを食べられなくなってしまうんだから。生きている間においしいものをせいぜい食べなくちゃね。また買ってくるから楽しみにしていてね」
と先にいうことにしています。
「そうだね。死んじゃったらすあまをたべられなくなっちまうもんね。ありがとう。また買ってきてね」
とまあ、こんなやりとりがほとんど毎日のようにつづけられます。いよさんを試すちょっといじわるな「実験」をしていることにはなりますが、これもいよさんの脳の記憶領域を活性化させようとする刺激なのですね。