2008年11月11日

経世家林子平の「寛政の奇人」的生き方


林子平1 林子平は江戸中期の経世家。上州の高山彦久郎、下野の蒲生君平とともに「寛政の3奇人」のひとりである。
 林子平(1738〜1793)は仙台の出身。日本全国を歩き、外敵の侵入の恐ろしさを警告して「海国兵談」と「三国通覧図説」を著した。この書は世界的視野にたって、「藩」という発想ではなく、日本という国の防衛を説いたところに彼の思想のスケールの大きさが伺われる。
 しかし、これらの書は出版するところが見つからず、自ら版木をつくって自費出版したが、幕府の禁に触れ版木を没収された。さらに仙台に蟄居を命ぜられ、そこで没す。

 親も無し 妻無し子無し版木無し 
     金も無けれど死にたくも無し



林子平2 このような歌を残し、と嘆き、自ら六無斎(ろくむさい)と号した。
 宮城県塩釜市の名前の由来である鹽竈神社に日時計がある。これは長崎の出島にある日時計をもとにして林子平が作ったものだそうだ。何故長崎の出島の日時計のレプリカが仙台にあるのか? その辺りに林子平が奇人たる所以があるかもしれない。

 平賀源内、渡辺崋山、高野長英らに共通するすさまじいまでの生き方である。かれらがあと100年後に生まれたならば………。


 
 

posted by mrgoodnews at 23:32| Comment(0) | 人、生き方、思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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