イエズス会の宣教師としては、ザビエルに始まり、ルイス・アルメイダ、ルイス・フロイス、ワリニヤーノ、オルガンティノ、さらにシドッティなどである。
日本人宣教師としても、イルマン・ロレンソ了斎、4人の天正遣欧使節、ペトロ岐部、マンショ小西、金鍔次兵衛、コンスタンティノ・ドラードなどである。
さらにキリシタン大名や武将たちの生き方も興味深い。高山右近、内藤如安、大村純忠、大友宗麟、小西行長、志賀親次それに黒田如水などである。天草四郎も加えておきたい。
この時代のキリシタンの女性たちも魅力的である。細川ガラシア、そして清原マリアなどである。
まだまだたくさんいるだろう。これらの人たちの生き方を訪ねるのもとても興味深い。このブログでもすでに何人かは紹介している。これからも少しずつ紹介していきたいと思う。
ところで、最近「風渡る」(葉室麟著 講談社 2008年刊)を読んだ。
この本の帯にでている紹介は以下のようである。
黒田官兵衛とジョアンを通して見る変革の時。時勢を見抜く目を持った軍師・黒田官兵衛と、折々に官兵衛にかかわりながらキリシタンとして誠実に生きたジョアンの交流を、さわやかに描く著者渾身の歴史長篇。
居場所を求めて駆け抜けた二人。秀吉の懐刀・黒田官兵衛と、日本人修道士・ジョアン。二人は、未曾有の変革の時を、時代の風を受けて生き抜いた。高校時代、吉川英治の『黒田如水』を読んで、歴史小説への目が開かれた。―満を持して放つ書下ろし歴史長編・葉室流黒田官兵衛。
つまり、黒田如水こと官兵衛と修道士ジョアンを描いた小説である。
そういえばこのジョアンという人物、現在朝日新聞連載中の「徒然王子」にも登場していた。あの人物と同一かどうかはもう一度読み直さねばわからないのだが…。
この小説「風渡る」にも「徒然王子」にも前記の興味深いキリシタンたちが多数登場してくる。
ロレンソ了斎やルイス・アルメイダ、トルレス、カブラル、ルイス・フロイス、それにオルガンティノ、ワリニヤーノなどの宣教師たち、それに高山右近、小西隆佐、小西行長、大友宗麟などである。いずれもとても個性的で興味深い人物像として描かれている。
黒田如水については改めて紹介する必要がありそうであるが、ここではイルマン・ロレンソ了斎について紹介してみたい。こんなエピソードが書かれていた。
ジョアンが初めてロレンソと会ったとき、ジョアンはこれほど惨めな姿形の修道士はいないだろうと思った。
小柄で貧弱な体つき、片方の目は失明しており、もう片方も視力が弱り、ただぼんやりとかすんで見えるだけだった。39歳だが渋紙のように日に焼け、顔のしわも老人のように深かった。
ロレンソは肥前生まれで了西という名だった。キリシタンになる前は琵琶法師で、各地を放浪し、旅の途中で嘲笑され、石を投げられることも珍しくはなかった。
ロレンソはみじめな外見とは裏腹な強靱な説教者だった。
永禄6年に三好氏の家老で今日の実権を握っていた松永弾正久秀が家臣の結城山城守らに宣教師を論破させようとしたことがある。
このとき久秀の命により、結城山城守。清原枝賢、高山飛騨守の3人がヴィレラを奈良に呼び出して論争を持ちかけた。3人の中でも公家の清原枝賢は、戦国時代第一の学者といわれた清原宣賢の孫で神道家吉田兼倶の弟であった。キリシタンにとってはもっとも手強い論争相手だった。3人は「話を聞きたい」とヴィレラを奈良に呼び出そうとしていた。しかし、応じてやってきたのは一人で杖にすがったロレンソだった。ロレンソは3日間ぶっ続けでキリシタンの教えを説いた。
討議を重ねるに連れ枝賢たちは論破され、キリシタンに好意を持つようになった。枝賢たちは40日後にヴィレラから洗礼をうけ、ともに京に戻った。
京の人びとは、枝賢たちがキリシタンを論破して戻った、と思ったところ逆に入信したと聞いて声もなかった。
この3人のうち、高山飛騨守は高山右近の父となる人物であり、また清原枝賢の娘は細川ガラシアに影響を与える小侍従清原マリアいとである。
イルマン・ロレンソがどのような論法でこの3人の論争に挑んだのか興味が尽きないところだがそれにしてもこのロレンソという人物のただならぬ弁舌に感服するのである。
高山右近をはじめおおくのキリシタン武将を導いたのはまさにロレンソではなかったのかとさえ思うのである。
風渡るって面白そうな本ですね
キリシタンとか登場するストーリーには
魅力を感じます
キリシタン武将とかいいですね
どんな話なのか気になるので読んでみます