
私が小西行長に興味を持ったのは、かれがキリシタンであること、そして秀吉の朝鮮侵略に対して彼のとった生き方、さらに関ヶ原後に投降しさらし首になったことなど、じつにおもしろいキリシタンらしい生き方をした人物だと思ったからである。
この本のあとがきに書かれていることを読んで私はこの著者と小西行長についての想いを共有できると思ってこの本を借りた。
この著者はほとんど名前も知られていない歴史小説を書く人で、もと自衛隊員であるらしい。そしてこの本を出版した島影社が長野県諏訪市にある出版社であることも気に入った。
この本が県立図書館にあったところも嬉しい。
この本のあとがきにはこう書かれている。
徳富蘇峰の「近世日本国民史」を読んでいて、秀吉の朝鮮役にいたったときに見出したのが、小西行長が秀吉の朝鮮出兵を骨抜きにするため狂奔している姿である。秀吉をはじめ明や朝鮮などあらゆるものを欺くようなその行為は不可解で後世の歴史家をして言葉を失わせる。
あらゆる人びとが戦乱の狂気の中に巻き込まれていくなかで、我が身に代えて朝鮮の人びとを守ろうとした一人の日本の武将が確かにいたのである。私はそれを確かめえた思いで、筆を置くことにした。
この本のなかにこういうところがある。
彼は、ただ朝鮮が再び受ける危難を回避させるとともに、このむなしい侵略を一刻も早く終わらせるために、族滅の危険を冒してまで朝鮮に(講和の)書状を送ったのである。
行長の過去を見れば、幼いときから京都の教会で宣教師から受けたキリスト教の理念による薫陶を考えざるをえない。いのちの尊厳の認識と目先の利害を超えての人間愛である。
行長をして、秀吉に対する欺瞞をおそれず、講和の道を探るため手段を選ばず狂奔させたのは行きがかりとか貿易の利の追求もあっただろうが、その根底には平和を求める固い信念があったというべきで、この時代の範疇を超えた人間性を見るのである。
私は以前、朝鮮の役の時に「この戦いは義にあらず」としてむしろ朝鮮側に立って日本軍と戦った日本の武将が少なからずいたことを紹介した。この話はこの本にも少し紹介されている。
また、この和平の使節として明に赴いたキリシタン武将の内藤如安についても書いた。
さらに、天正の楠正成といわれたキリシタン武将志賀親次が朝鮮に出兵しながら戦わなかったことも紹介した。
小西行長を見るときにも、これらのキリシタン武将が選択した生き方と共通するものを感じるのである。
さらにこの本には、私の母方の青地家家系図にあった宮木豊盛という武将が、やはり朝鮮との講和のために働いたということも紹介されていた。
私のような小西行長ファンは結構いるようで小西行長顕彰会なるサイトもあった。これによると小西行長ファンのことを「コニシタン」というそうである。