「いったいこれはなにか」と思って説明を読み出した。
そこにはこんな説明があった。
ジョン・ケージの楽曲「4分33秒」の砂時計です。
彼は20世紀を代表する音楽家であり、芸術家の一人。
その彼が1952年のある日、ウッドストックで新曲を発表するコンサートを開きました。演奏はピアニストのデビッド・チュードア。
ケージの新しい曲を楽しみに待つ聴衆で満席のホール。
照明が落ちて、舞台にピアニストが登場。
奏者はピアノの前に座ると、開いていた蓋を閉じ(コンサートのピアノはあらかじめ蓋が開かれている)、そして4分33秒後に蓋を戻して、舞台を去りました。
演奏のない沈黙の楽曲。それがケージの新曲だったのです。
このコンサートは大変な衝撃を呼び、以降「4分33秒」はさまざまなアーティストにカバーされています。(冗談のような話しですが、JASRAC は著作権料の聴衆対象にしている)
今も大きな余韻を残すこの楽曲の、いったい何が衝撃的だったのでしょうか。
演奏せずに蓋を閉じたまま動かないピアニストを前に、この日ホールに集まった人びとの耳はどんどん大きくなっていったはずです。
静まりかえった客席で誰かがささやき込む小さな音。会場の外からかすかに聞こえる鳥のさえずり、ホワイエで運ばれた食器の音、遠いクラクション、次第にざわざわとしてくるホールの中の音。
ケージは楽曲を作るのではなく、人びとの「聴く」という体験(listening)を作ったのです。ドラグを使わずに人びとの知覚を拡張しました。
今すでにここにある世界に向けて、開かれた窓をつくることに彼は成功しました。
音楽が「音を楽しむ」ことだとしたら、その中心は音を出す側だけでなく、聴く側にもあります。……というか、むしろ聴くことこそ音楽です。
雨音を楽しんでいるとき、私たちの内側で音楽が生まれています。
「聴くことが音楽である」というコトの本質を、もっとも極端な形で示したのが「4分33秒」であり、それは今もなお21世紀の音楽家を、そして音楽家でない私たちをも揺さぶっていると思うのです。
サンドミュージアムになんで「4分33秒」がと思ったのですが、それを結びつけるキーは「砂時計」だったのですね。ここには「時間」の部屋という展示コーナーがあり、そこにあった展示でした。
さっそく、この「4分33秒」とケージというキーワードで検索してみたら、結構引っかかりました。驚くことにその「演奏」の場面の映像が YouTube に結構出ていることを発見しました。
ところでこの音楽の指揮者や演奏者はどうして4分33秒を知るのであろうか。自分の腕時計を見ているそぶりは示さなかったのに。
しかもこの曲は第3楽章まであるようだし。
この映像では、聴衆はどうもこれから演ずる曲がどういう曲かわかっていたようである。初演の時は何もわからなかったのだから