が、ようやく私に出番が設けられました。大学に行って出張講義を担当したのです。
この大学は以前「英知大学」という名前の大学で、大阪教区立のカトリック大学なのです。何年か前に名称を変更しました。しかし、そのかいもなく、来年の4月からの学生募集を停止することになってしまいました。とてもいい大学なのにと思っています。
実は今カトリックの中高で「宗教」を教える教員にはこの大学の卒業生がけっこういるのです。
尼崎に行って最初に出会ったのは、じつは地域の街角に貼ってあったポスターでした。それには「ほっとけん 地域の大学聖トマス大」と書かれていました。地域の人がこの大学を応援しているのです。教会とかそういうのではなくて、町の人が「大学の存続のために自分たちに何ができるのか」を考えようと応援しているというのを聞いてうれしくなりました。
そしてもう一つ、この大学がもっている「グリーフケア研究所」を学長先生から紹介されました。
これはあのJR福知山線事故の後に、その被害者・加害者が一緒になって事故の悲嘆をケアすることを研究目標にして作られた研究所です。加害者側の最高責任者であったJR西日本の元社長さんは一度も休むことなく、ここで開かれる講座に出席されているのだそうです。
大学がどのような「知」を地域の人々に提供できるのか、地域の人々がもっている問題の解決に大学がどのように寄与できるのか、この大学はひとつの答えを見出していることを知るとこの大学をこのまま閉じてしまうのはあまりにもったいないといわなければならないでしょう。
卒業後、とある女子高校で「宗教」を担当した経験があります。
ある神父さんのフルネームを検索していてこのサイトに導かれました。「お気に入り」にいれました。
『地域の人がこの大学を応援しているのです』ということが、衝撃的でした。ああ。愛されていたんだ・・・って、嬉しいです。
私が英知大学を卒業したのは22年ほど前です。修道会とかそういうことにも関心がありましたが、まず宗教的アイデンティティーを自分自身で模索したくて・・・英知大学で聖書を学びたいと思ったのが「神学科」との出会いでした。
関西・大阪文化は馴染みのないものでしたが、友だちや大学の先生方に助けられて大学生活を謳歌しました。
特に、先生方との出会いの印象はとても大きかったです。小さな大学なのでアットホームで先生方との距離が短く、よく研究室を訪ねました。教育学、心理学、人間学、文化人類学など、聖書のほかに教養課程においても本当に素晴らしい熱意ある先生方との交流は、講義で学ぶもの以上に熱いものが伝わりました。
大好きな先生がたくさんたくさんできました。
また大学に通う聴講生との出会いも大きかったです。
各修道院から何人かの聴講生が神父さんの聖書学を学びにいらしていました。この聴講生の皆様の熱心なこと!!
私も20歳を過ぎて学生になったので、ある意味、高校卒業してすぐ大学進学した人たちよりは熱心な学生のつもりでしたが、修道院から派遣されて来るシスターたちの聴講ぶりは全く頭の下がる思いで拝見していました。
お昼休みなど様々な修道会のシスターたちとのおしゃべりは貴重な時間でした。みんな、講義についての分かち合いなど・・・「聖霊に満たされた」空間を感じたものです。
聖書学の先生方の講義、旧約のM・W先生(大阪教区司祭)、新約のA・C先生(修道会司祭)・・・毎回心躍る気持ちで講義を聴きましたが、聴講生たちもまた同じ気持ちあるいはそれ以上だったでしょう。「熱い熱い」感謝の時間でした。
英知大学をとおして、ヴォランティア、アルバイトも経験しました。
ヴォランティアは大学に貼ってあったポスターがきっかけで日本基督教団との出会いにつながりました。関学や同志社の牧師さんの卵たちとアジアへ出かける機会に恵まれました。
尼崎の地元、確か大学の近所にあった障害者授産所にも関わりました。脳性まひの一人暮らしの女性の介助を手伝わせてもらったり、福祉関係のバザーにもよく参加しました。
釜ケ崎という町との出会い、廃品回収など・・・多くのことを経験させてもらいました。
英知大学はあまりカトリック臭くない雰囲気が好きでした・・・変に宗教臭くないというのでしょうか?尼崎という土地のお陰でしょうか?とても庶民的で開放的で地味な大学、という感じです。が学生ひとりひとりが大切にされていた感じがあります。
そういえばチャップレンも実に開放的活動的な神父でお兄さんみたいな方でした。
私はあの頃・・・英知大学を卒業したくなかったこを思い出しました。
できれば・・・聖トマス大学の存続を願います。関西のカトリック信仰の学問的拠点・宣教の拠点・・・大げさな言い方だけど主イエス・キリストの救いのひとつの小さな拠点として何がか残っていってほしいという想いが込み上げて来ました。
大変うれしいコメントをありがとうございました。
いい大学ですね。
私もまったく同感です。
私は霊名が実はトマス・アキナスなので、とても親しみを感じています。聖トマス大学から「客員教授」の声がかかったときもこれは聖トマスのお引き合わせではないかと思いました。