この本を読みながらあることを思いだした。
わたしはカトリック系のクリスチャンの団体に所属している。この団体は国際団体でここの世界大会に日本の代表として2度ほど参加したことがある。一度は1976年のマニラ、もう一度は1979年のローマである。
この経験はとても強烈で、ここへの参加がわたしの生き方の選択を変えたと思えるくらいの貴重な体験であった。
この世界大会には50カ国ぐらいの参加があり、参加者の中に次のような聞き慣れない役割の人がいた。リソースパーソンとプロセスパーソンである。
プロセスパーソンは、会議のプロセスを監視している役割で、話し合われている内容よりも、会議の進め方、参加者の参加度や反応を専門的に監視し、目的に逸脱したら進み方を修正させることができる。
リソースパーソンは、あたらしい知的なリソースを提供する役割である。問題提起をしたり、問題解決に役立ちそうな知識をインプットする。主に基調講演みたいな形ですることが多いが、参加者が出してきたいろいろな意見や提案、アイディアなどを整理してそこからある方向性を見出すというときにも働く。
いずれも、あの時の世界大会では組織外の人でこの役割のためにわざわざ招待されたのである。そしてその日の終わりに、この役割の人が一日をふり返るという黙想を指導するのである。
いろいろな人たちが協力していきながら意志決定をする「共同体の識別」の際に、この役割はとても大事であるだろう。
多くの場合、この二つは未分化で、ひとりの人が同時にこの役割を果たすことも多い。
しかし、近代的な組織はやはりここが分かれていたほうが創造的かつ生産的であると思うのであるが、どうだろうか?