ドクダミというと十字の白い花びら(正確にいうとこれは花びらではなく花苞にあたる)を思い浮かべるが、これはそうではなかった。
ヤマブキにしろ、桜にしろ、あるいはツバキやクチナシなど八重咲きの花は、ほんらい雄しべや雌しべになる部分が、みな花びらになってしまったがゆえに、花に雄しべや雌しべもなく、したがって実も種もできない。
有名な太田道灌の
七重八重花は咲けどもやまぶきの実のひとつだになきぞ悲しき
という歌があるが、雨が降っていても簑を貸して差し出すことができないかなしさを歌ったものである。「簑(みの)」と「実の」を掛詞として使っている。
つまりこの歌の作者は八重のヤマブキには実がつかないことを知っていたのである。
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