その対談の中で瀬名氏がシンパシーとエンパシーについて述べていた。両方とも共感とか思いやりを示す表現であるが、この違いはなかなか意味があるように思った。
瀬名さん 私は人への思いやりを、シンパシーとエンパシーに区別しています。シンパシーは相手の気持ちに同調した状態で、エンパシーは能動的に相手の心に入り込んで想像する行為。今回、広範囲でシンパシーが表れました。
多額の義援金が集まる一方、同情しすぎてストレスになったり、情報が錯綜する原発問題に過剰に不安になったり。
苅部さん 共感にまとわりついてくる危険性をどう回避するか。政治哲学者のハンナ・アレントがそれを論じていますね。
他者との一体感を過剰に思い込む心情が、フランスとロシアの革命では、人びとを同質化する暴力をもたらした。そうではなく、他者の苦難がそれぞれ個別であることを理解しながら、手を差し伸べるような連帯の形が望ましいと。
この説明ではまだ分からなかったので、ちょっと調べてみた。
シンパシーは「感情移入」と訳し、エンパシーは「自己移入」と訳すらしい。両方ともに「共感」という訳語がある。これでもまだよくわからない。
「対話流−未来を生みだすコミュニケーション」(作者: 清宮普美代,北川達夫)という本に書かれていたことによると
シンパシーとエンパシーの違いは微妙なものですが、最大の違いは発想の前提にあって、相手のことがわかるという前提で考えるのがシンパシー、相手のことがわからないという前提で考えるのがエンパシーです。
シンパシーは「感情移入」、エンパシーは「自己移入」と訳します。エンパシーを「共感」と訳すことがありますが、これだとシンパシーと混同しやすいですね。
国語の問題でいうと、「その時、主人公はどんな気持ちでしたか?」と問えばシンパシー型、「あなたが主人公と同じ立場に置かれたら、どんな気持ちになると思いますか?」と問えばエンパシー型です。シンパシー型だと「主人公の気持ちになって考えましょう」ということ。一方、エンパシー型では「主人公の気持ちは本人にしかわからない」ということで、自分自身に置き換えて考えます。
これで分かりましたか?
まだ分からない人はここをどうぞ。