前にも記したとおり、いよさんは10月29日に胃潰瘍で入院しました。胃潰瘍は快方に向かっていて、あと少しで退院というところまでこぎ着けていたのですが、敗血症によって突然の急変となりついに帰らぬ人となりました。
12月3日カトリック鶴見教会において、葬儀ミサならびに告別式が行われ、多くの会葬者に見送られながら、おわかれをしました。
写真をご覧いただければおわかりと思いますが、いよさんはとびきり上等の笑顔をもっていました。
デイサービスに行くとき、ときどき行きたくないと言い出すときもあるのですが、そういうときは「いよさんのえがおはまわりにいる人を幸せにできるんだから、行って笑顔を振りまいていらっしゃい」というと「そんならいってこ」といいながらヘルパーさんにニコニコしながらついて行きます。
いよさんは「笑顔とほほえみの使徒」なのです。笑顔とほほえみで福音を告げる使徒だったのです。
わたしは、いよさんの笑顔ができるだけおおくのひとを幸せにできるようにするのが自分のミッション(使命)だと思うようになりました。
だから、いよさんをあちこちに連れ出しました。6月に会津若松のおじさんを訪問したときも10月に札幌の弟の家族を訪ねたときも、あるいは夏に浜松で開かれたCLCの全国大会に参加したときもいよさんと一緒でした。
電車の中や町を車いすのいよさんと一緒にいると、見知らぬ人が車いすのいよさんにむかって声をかけるのです。「親孝行の息子さんをもって幸せですね」と。
中国系と見られる男の方が私に向かって「あなたのおかあさんですか? 輝いていますね」と言われたこともありました。
いよさんのもつほほえみは人を引きつけて病まないものがあるようです。
母の笑顔とほほえみをおおくのひとに見せびらかして自慢したかったのです。
いよさんは「喜ばれることが喜び」でした。7年前になくなった父の登にもそういうところがありましたが、人に喜んでもらうということが一番の自分の喜びだったのです。丹精込めてつくった刺繍の作品をおしげなく人にあげて喜ばれていました。
いよさんは「聞き上手」でした。あまりおしゃべりではないのですが、いよさんの前に行くとなんでも話したくなってしまう、そういう雰囲気を持っていました。刺繍教室でも人の話を聞きながら刺繍をさしていたようです。
さいごにいよさんの生を支えてくださった多くの方に心よりの感謝のことばを述べさせてください。
特に、手厚い医療と看護を施してくださった新平和病院のドクターや看護士さんたち、ほとんど毎日通っていた平和病院のデイサービス、1月に1週間のショートステイを受け入れてくださったやまゆりホーム、食事介助をしてくださった「あしほ」のヘルパーさんたち、いよさんはこのような多くの人のサポートによって充実した毎日をすごしていました。
そしてその他多くの方にお世話になりました。本当にありがとうございました。
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