2車線の左側の車線を高速で走行中、タイヤがスリップしたのか、突然ハンドルがぶれ出して蛇行をはじめ、ついに一回転、中央分離帯に衝突して止まった。
ちょうど遊園地にあるぐるぐる回るコーヒーカップに乗っているような感じだった。
身の危険を感じ、生きた心地がしなくて、この親友と死なばもろとも一蓮托生の運命で私の一生はここで終わりかという思いが瞬間的に頭をよぎった。
幸い横に車がいなかったし、後続の車も追突を避けてくれたので、大きな事故には至らず、乗っているふたりにも怪我はなかった。
車が止まったときに、ふたりで顔を見合わせ、生きていることを確認して胸をなでおろしたものである。
さて、中央分離帯に追突した車をどうしたものか。このままの状態でいるのは危険である。ここでも幸運なことが重なった。まず、車は前を向いてとまっていた。そしてエンジンをかけたらエンジンがかかり、ノロノロと動きだし、なんとか道のはじまで持っていくことができたのであう。
そこでエンジンは動かなくなった。ともかくも乗っている人を安全なところまで連れていくまではとエンジンが最後の力を振り絞って働いてくれ、それを無事に果たして息たえたという健気さに感激した。
幸運に幸運が重なって、私たちが生きながらえたことは、奇跡的というか、「お前たちをここで死なせるわけにはいかないんだ。まだまだ働いてもらわなければならないのだから」という神さまの特別な配慮を感じたのである。
すぐに警察に連絡し、次に JAF にレッカー移動を頼み、つづいて保険会社に連絡をした。
事故は午後4時ころ起きた。警察がやってきたのは4時半くらいだったか、待っている間に雪が振り出した。
警察はまずクルマをより安全なところに押して移動させ、交通規制の標識を置いて発煙筒を炊き、衝突した現場を見て事情聴取をした。
レッカー車が来たのは5時半頃。受け入れてくれる修理工場を探して連れていってくれた。
事情聴取をされて、事故を再現するたびに、ぞっとする思いと生きながらえた幸運さに感謝する思いが交錯した。
事故処理をしてくれた警察官も、車をレッカー移動してくれたJAF の運転手さんも、そして修理工場の人も、レンタカーを運んできてくれた人も、私たちが釜石の被災地支援に向かう途中だったということを知って、とても親切だったことも印象に残っている。
保険会社が手配してくれたレンタカーが修理工場まで届けられたのは午後8時。これから釜石に向かうと到着が深夜になるし、雪が降っている慣れない道の夜間走行はやめようと、修理工場の人に近くの温泉を紹介してもらってそこで一泊することにした。
山の中に入るほど激しくなった雪の中を、宮城県柴田郡の笹谷温泉一の湯に到着した。
この大雪。明日が思いやられる。
ここ笹谷温泉一の湯は、芒硝鉄泉なる珍しいミネラル温泉なんだそうで、硫酸ナトリウムを主成分とする芒硝泉、二価鉄イオンを含む鉄泉、カルシウム、カリウム、マグネシウムなどを含む塩化土類泉からなると書かれている。飲むと胃腸の働きを促進させるのだそうだ。
こちらにもあります