2012年05月15日

有馬晴信公没後400年記念祭に行きました。

キリシタン大名のひとり、有馬晴信の没後400年にあたる5月6日、その記念祭が山梨県甲斐大和において行われました。
約80人ほどの人がこのささやかな集いに参加しました。わたしも主催者の千葉さんから誘われて参加したのですが、ビデオ撮影を頼まれたので、SIGNIS のもうひとりとともにビデオ撮影をいたしました。近いうちにその時に撮影した映像を YouTube にでもアップする予定です。

有馬晴信は、大村純忠、大友宗麟とともに九州のキリシタン大名で、特に天正遣欧使節を派遣した大名として歴史にその名を残しています。
しかし、岡本大八事件に巻き込まれ、この地に流讁の身となり、更に処刑されてしまいます。キリシタンであったことで切腹を拒否し、最期は打ち首となってその生涯を閉じます。最期まで信仰を貫いた一人であったといえましょう。
この式典には、有馬家の末裔にあたる有馬家当主の方、妻の菊亭ジュスタのご子孫にあたるかた、さらにこの有馬家最期の地を守られてこられた方や甲州市教育委員会の方も参加していました。
司式はパウロ会の山内神父、このあたりを司牧されている横浜教区の田代神父も参加されていました。

式の開始のころ激しい雨と風が会場を襲いましたが、やがてそれも上がり、なんとか無事に式典を終了しました。
式典の中で、コウロス神父が書いたイエズス会の報告書のなかの、有馬晴信公の最期の様子の場面を描いた部分も朗読されました。

式後に、甲斐大和市の自然教育センターに会場をうつし、そこで懇親会が催されました。懇親会では有馬晴信を偲ぶスピーチがいくつか用意されていました。特に印象に残ったのは「岡本大八事件」について述べられた話しでした。さらに日本キリスト教史の五野井隆史氏の話も面白かったです。

この催しに参加してもっとも感動したのは、この催しを主催した人たちが高輪教会の婦人会有志の方たちであったということでした。高輪教会は江戸の殉教者とくに原主水ゆかりの教会だったということもあるのでしょうが、それにしてもよくぞここまで作りあげられたことに驚嘆しております。

有馬晴信というキリシタン大名はどういう人物だったのか、もうすこし調べてみたくなりましたが、なかなか人柄と信仰を偲ばせるものが残っていないのが残念です。

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posted by mrgoodnews at 17:18| Comment(0) | キリスト教の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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