このチェックリストはあなたの教会のミサが「福音宣教へと派遣されるために元気づけてくれる」ミサかどうかを診断するためのチェックリストです。20のチェックポイントについて5段階評価してみてください。
いかがですか? これをしてみて何を考えましたか?
自分の教会のミサのポイントはどのくらいでしたか?
こういうのをもとに「元気の出るミサコンテスト」なんていうのはどうでしょうか? 案外在日フィリピン人のミサがトップになったりするのではという予想があります。どう見ても日本人のミサではないような気もしますが、どうでしょうか?
ところでこの「元気の出るミサ」という標語は、その後女子パウロ会編集のビデオのタイトルにも採用され、この解説文の中に「元気の出るミサのチェックリスト」が内容を大幅に変えて掲載されました。あれまだ販売しているのかな? VHSだったけれどDVDに変換されて販売されているのでしょうか?
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...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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キリスト教は、変遷に変遷を重ねて行く宗教です。
そうせざるを得ない宿命を持っています。
その様な質なのです。
イスラエルの人々は、昔から「ヤハウェの神」を信仰していた
のではありません。
「ヤハウェ・ヤハウェ」と言うわりに、色々な神々が『信仰の
変遷』の中に居ました。今は、三位一体神。
イスラエルの民も、結構、ふらふらと色々な信仰をしていたの
です。当然、今とは違う神々を信仰していました。
「考える葦」。やはり人間のすることと言ってしまえば言えま
すが、イスラエルの民は、信仰の変遷の中にあった民族です。
そこには、当然、「信仰の絶対性」は無いとしか言えません。
しかし、その時どき、その時どきで、信仰の絶対性を信じ、他
の人々(異教徒)を、『その教義から殺戮する』という歴史の繰
り返しがキリスト教には数多くあります。
たまたま、今の信仰になったのです。
また、今までの経過から、この後どうなるか?とも、言えてし
まいます。
キリスト教に、たまたま、なったのです。
ユダヤ教を信じてた、そして、キリスト教に変遷し流れて来た。
ユダヤ教に破門されたある派は、原始キリスト教にならざるを
得なかったのです。
自ら望んでなったのではなかったのです。
ユダヤ教のままでいたかったのです。
信仰の絶対性はこの時点でも『なかった』のです。
あらゆる場面で、時とともに、その事情で、都合で、流れて来
たのです。
(詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp