もし私がそれをしなければ、誰がするだろうか?
私が今、それをしないなら、いつ、それをすべきであろうか?
もし、私が自分自身だけのためにそれをするのなら、わたしとはなんであろうか?
こういう感じはミッションの意識である。
えらそうだけれど、私にはその感覚がとても強いと思うが、それに自分自身が応えられなくて、あせることしばしである。
この文章は、2010年6月21日の毎日新聞にのった編集委員河谷史夫の「閑話休題 生きているということ」から引用した。そのなかで河谷氏はこう述べている。柳澤桂子著「意識の進化とDNA」という本を紹介していて、そこに引用された文章である。
生物学はもとより、ユングや般若心経から「夜と霧」のフランクル、ナチに抵抗して処刑されたディートリッヒ・ボンヘッハーなどを随意に引用して語られる「生の意味」に遭遇し、私は性根を入れ替えることができた。
冒頭の文章は、あるユダヤ人が述べた言葉であるとして、この文章のあとに書かれていた。
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