teacher がすることというのはこんなにいろいろあるのですね。

2.role model
3.coach
4.tutor
5.mentor
6.counselor
7.instructor
8.friend
それぞれがどう違うのか、日本人には見分けがつきにくいところです。
他にも、lecturer とか knowledge-giver とかありそうですね。
『「人間力」の育て方』堀田力さん 「著者に会いたい」「自分の力で生きる」を応援 朝日新聞1月6日)
「堀田さんの言う「人間力」とは「自分の頭で考え、自分で目標を実現できる力」のことだ。」
「高度成長期の社会なら、国をリードする一握りのエリートを育てる教育でよかったかもしれないが、今の日本のように少子化が進む成熟社会で、昔のような知識詰め込み教育は意味がなく、むしろ数少ない子どもたち一人一人の能力を引き出すことが教育に求められている。そのためには総合的学習の時間のような取り組みがもっと必要なのに」
「本書の巻末に掲載されている堀田さんの詩の一節を紹介したい。
子どもたちが、自分の力で
思いきり育っていくのを 手伝おう。
邪魔をしないで 歪めないで
彼らが 自分で考え 自分で感じ
いろんな人を交わりながら
学んでいくのを手伝おう
私たちの未来のために
(集英社新書 714円)」
「日本が低迷を続ける国際学習到達度調査(PISA)は「未来型学力」のテストと呼ばれている。いま何を知っているかではなく将来何ができるかを測る―
調査をしている経済協力開発機構(OECD)の事務総長は、日本にこんな警告を発した。「知識を再現する学習ばかり続けていると、労働市場に出たときに必要とされる力が身に付かない。」
「学力世界一といわれるフィンランド。福田誠治・都留文化大教授は、その教育の真髄を二つあげた。
第一に、正解を先回りして教えない。
理科の授業では、先ず実験だ。さまざまな現象を見させて、各自が仮説を立てる。自分とは違う意見にも耳を傾け、もう一度考えてみる。教師が理論を説明するのは一番最後だ。正解を先に教えるとその時点で思考が止まってしまう。
次に他人と競わせないことだ。
競争させると、順位に関心が向いて、考えることへの興味がそがれる。テストは各自がどこでつまずいているかを確認し、補うためのものだ。考える力がつくとともに学力格差が少ないのは、この二つの理念と実践が成果をあげているからだ。福田教授はそう指摘する。
「競争をさせて順位をつけて、何かいいことがありますか」フィンランドセンターのヘイッキ・マキーバー所長は話す。「下の子はやる気をなくし、上の子は自分が優秀だと思いこむ。どちらの人生にとってもいい影響は与えないでしょう。」
「学力低下は、PISA調査で勉強への意欲が際だって低いことと分かちがたく結びついている。単なる知識の量で成績や入試の合否が決まってしまう、そんな貧しい教育の姿に学力危機の核心があるのではないだろうか。」
「社会に出たら、教室で習った公式では解けない問題ばかりである。正解がわからない問いと向き合う力をつけることこそが未来を拓く教育の役割であろう。」
「教育とは学校で習ったことを全て忘れたあとに残るものをいう」アインシュタインの言葉だ。学校教育の「頼りがい」は常に問われてきた。教師は不本意だろうが、答の一つが教育産業の隆盛である。
(1月9日「天声人語」)
日本は「子供の楽園」
かつて日本は「子供の楽園」と表現された。最初にそう表現したのは江戸末期に来日した英国の外交官オルコックだった。以来欧米人たちはこの表現を愛用してきたと「逝きし世の面影」(渡辺京二氏著9が紹介している。
「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」(大森貝塚の発見者モース)
「日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さずに父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです」(英国公使婦人のフレイザー)
決して大昔のことではないこれらの目撃談に、まさに「逝きし世」と隔世の感を覚えるほかないだろう。愛らしく、その上礼節も備えた子供たちは一体どこに消えたのだろうと問う渡辺氏は、続けてこう書いている。
「しかしこの子たちを心からかわいがり、この子たちをそのように育てた親たちがどこへ消えたのかと問うことと同じだ。………この国の家庭生活がどこへ消えたのかと問うこととひとしい。
子供ではない。問題は親、大人たちなのである。子は親の鏡である。
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