2006年10月17日

本の古里 福島県只見町と「たもかく」

 以前このブログに「大古本センターを作れ」という記事を書いた。これは私がまだ印刷工だった1981年に「本の雑誌」に投稿した記事であった。

 これがすでに存在していた。古い新聞の切り抜きのなかに「本の故郷」福島県只見町の紹介の新聞記事(1994年1月の朝日新聞の「青鉛筆」)を見つけた。

 福島県只見町に全国から集まった28万冊の古本を分類した「本の街」が1日オープンした。入館料千円で何冊持っていってもいい「ただ本館」や定価の半額で売る「新書文庫館」などが並ぶ。
 山村リゾート会社「たもかく」(0241-82-2944)が造った。痛みのない本を定価の1割で評価、社有の山林と交換をして古本と集めている。
 土地の94%が山林と原野の只見町は、紙の原料を送り出す。「本の古里」に本を戻し、多くの人に読んでもらう地域興しの願いもこめる。300万冊の「帰省」が目標という。


 さてこの試みはその後どうなったのか、インターネットで「たもかく」を検索してみた。するとまだ存在していたのである。なおもユニークな試みを続行中であって嬉しくなった。
 「古本を買う本の街 たもかく」
 「山林とラスト」
 「本と森の交換」
 「手作り家具の製作」
 「本の里親」
 などなどユニークな試みがいっぱいである。

 今度ぜひこの街を訪れてみたいと強く思った。

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2006年09月24日

大船軒と鎌倉ハムとうちの校章

 大船の名物のひとつは、大船軒のお弁当である。特に「鰺の押し寿司」はなかなかおいしい。
 大船軒のホームページによると、大船軒は明治21年の横須賀線開通の10年後に創業された。創業者富岡周蔵は大船駅での駅弁を明治22年頃から販売していたが、黒田清隆と仲がよかったということで、洋行帰りの黒田からサンドイッチを駅弁として売り出すことを提案されたという。日本で初の駅弁サンドイッチである。
 最初は輸入ハムを使っていたが、そのうちに自分でハムの製造を手がける。これが日本で最初に日本人の手によって作られたという鎌倉ハムの始まりである。明治33年(1900年)のことであった。
 その後大正2年に、相模湾で取れる鰺を原料として「鰺の押し寿司」の販売を手がける。

 昭和6年に大船駅の近く柏尾川から少し入ったところに本社社屋が完成。この建物は現存する。私もよくこの前を通勤の際に通りかかる。なかなか味のある建物である。


鎌倉ハム ところで、鎌倉ハムのラベルはこの写真のとおりであるが、このマークはうちの学校の校章に形とデザインがよく似ているのである。偶然の一致だと思うが……………。
 鎌倉ハムは創業100年を超えているので、このマークはうちの学校よりも古くから使われているにちがいない。
 うちの学校はもうじき創立60年になるだが、その歴史は鎌倉ハムには及ばない。だが、大船に引っ越してきたのはいまから40年くらい前であり、その前は横須賀にあった。この校章は横須賀時代から使っている。

校章 うちの学校の校章は、キリストの御心を意味するシンボルとユリの花で「S」をかたどったマークを「盾」の形のなかに入れてデザインされている。
 
 そんなわけで、私は大船軒と鎌倉ハムに特別な親しみを感じているのである。
 
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2006年09月20日

昨日の夕焼け

 一昨日(9月18日)は夕焼けのとてもきれいな日でした。
 台風一過で空気が澄んでいたこと、だから空が青かったこと、雲が適度にでていたこと……………。
 その他にも夕焼けがきれいに見える条件があるのでしょうか。まだ条件がありそうです。

夕焼け
 夕焼けはむしろ11月から12月にかけての方がきれいです。
 学校では、冬時間になると4時半頃から週番が見回りをします。暗くなりかけた頃、生徒と一緒に見回りをする時に、4階の一番西側の教室から、とても美しい夕焼けが見えることがあります。見回りをすることも忘れて、見とれてしばしたたずんでしまいます。

 そういえばこんな歌がありました。

 「夕日」 葛原しげる作詞・室崎琴月作曲

ぎんぎん ぎらぎら 夕日が沈む
ぎんぎん ぎらぎら 日が沈む
まっかっかっか 空の雲
みんなのお顔も まっかっか
ぎんぎん ぎらぎら 日が沈む

ぎんぎん ぎらぎら 夕日が沈む
ぎんぎん ぎらぎら 日が沈む
烏(からす)よ お日を 追っかけて
まっかに染まって 舞って来い
ぎんぎん ぎらぎら 日が沈む


 「みんなのお顔も真っ赤っか」なんていう夕日にはここのところとんとお目にかかっていないかもしれません。
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2006年09月05日

あ、虹だ! 虹が出ている!

今日、9月4日午後6時頃。
学校から東の空をみていたら、大きな虹が架かっていました。
こんなにはっきりと、しかも大きく虹が架かっているのをみたのは始めてといってもいいかもしれません。
雨が降っていたというわけでもないのに、です。
しばらく立ってから少し雨が降り出しました。東のほうでは雨が降っていたのですね。

niji
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2006年08月29日

サルスベリの街路樹

 サルスベリとキョウチクトウ、カンナの茜色は炎天下の花の色ですね。あとノウゼンカヅラもそうかな。
 佐久市をドライブしていたら、サルスベリの街路樹がみごとに茜色の花をつけていました。サルスベリの街路樹は珍しいと思いました。

さるすべり
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アモスの畑

 今年も信州上田の塩田郷にいきました。行くたびに新しい発見をするところです。
 ちょうど畑のあるところにこんな看板が立っていました。アモスとは旧約に出てくる預言者ですが、イチジク桑を栽培する農夫でもあります。

amos1 その看板にはこう紹介されていました。
「アモスとは旧約聖書に登場する農夫で預言者でもあった人です。私たちも農作業を楽しみながら、神の言葉を伝えるものになりたいとこのように名付けました。どうぞよろしくお願いします」
 聞くところによると上田の市内の教会の牧師さん家族が、信者の方から借りている畑であるとのことです。
 今度はその教会をたずねてみることにしましょう。

amos2




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2006年08月13日

焼きサバのおいしかったこと

5月に妻の実家の奥出雲町に帰った時のことです。
朝から町に「焼きサバ」のにおいがするのです。
生のサバに串を刺して、一匹丸ごと炭火で焼く臭いです。
午後に農協の前に言ったら、それを一匹500円で売っていました。

つい臭いにつられて、買って食べたらおいしいのですね。
こういう食べ方は関東ではしないなといっていたら、義母が「今度でたら、焼いたのを送ってあげるから」といってくれました。

その後しばらく立って送ってきました。電子レンジで温めて食べたのですが、これもけっこうおいしかったです。

こちらでは、鯖は干したものしか焼いては食べないですよね。
島根の山の中ではあるのですが、日本海の鯖を直送しているのだと思います。
そういえば京都に「鯖街道」というのがありました。あれですね。

私の中学校は、横須賀の長浦湾に面していました。その湾の中を鯖が群れを成して、銀色の体を輝かせながら泳いでいたことを思い出しました。何百匹の群れでしたので、けっこう豪快な感じがしたものです。


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2006年06月08日

ホトトギスの歌

 最近学校でよくホトトギスを聞く。ときにはホトトギス、ウグイス、コジュケイが競うように鳴いているのを聞くのはなかなかみごとである。ホトトギスがここでよく聞かれるようになったのはここ3年ほど前からである。それまではほとんど聞かれなかった。
 今日の昼休みの話題はこのホトトギスであった。
 いつもながらなかなか格調の高い昼休みの会話である。

 ホトトギスの鳴き声はなんと聞こえるのか。
「とうきょうとっきょきょかきょく」
「てっぺんかけたか」
 というのは有名だが、生物の先生は次の万葉の歌を紹介してみなをうならせ、尊敬を一身に集めた。

 
恋ひ死なば恋ひも死ねとや 霍公鳥(ほととぎす)
    物思ふ時に来鳴き響むる(きなきとよむる)


 これは、ある事情で都から現在の福井県に流された中臣宅守が恋人に送った情熱的な恋の歌である。つまり「こいしなばこいにしねとや」ときこえるというのである。
 この歌の解釈は調べたところによると、「恋焦がれて死ぬなら死ねというのであろうか。ホトトギスは、物思いをいている時にやって来て鳴きたてることだ。」という。


 つづいて、小学唱歌「夏はきぬ」から。これは佐々木信綱の作詞である。一番はほとんどの人がそらんじていた。そしてそれの解釈がまた別の教員から出てくる。


卯の花
夏は来ぬ

(1) 卯の花の匂う 垣根に
  時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて
  忍び音もらす 夏は来ぬ

(2) さみだれの 注(ソソ)ぐ山田に
  早乙女が 裳裾濡らして
  玉苗植うる 夏は来ぬ

(3) 橘の薫る 軒端(ノキバ)に
  窓近く 蛍飛び交い
  おこたり諌(イサ)むる 夏は来ぬ

(4) 楝(オウチ)散る 川辺の宿の
  門(カド)遠く 水鶏(クイナ)声して
  夕月すずしき 夏は来ぬ

(5) 五月闇(サツキヤミ) 蛍飛び交い
  水鶏鳴き 卯の花咲きて
  早苗植えわたす 夏は来ぬ


 もっとも5番までの歌詞は私があとで調べた。ほとんど意味も分からずに歌っていた歌であったが……………。

 わたしは「なかぬなら…………ホトトギス」を紹介した。これは信長、秀吉、家康の3人の性格をうたい込んだ有名な俳句であるが、無一つあると紹介したのである。
 それは

 
鳴かぬならそれもまたよしホトトギス


 これは松下幸之助の作らしい。これは以前このブログでも紹介したことがあった。

 さらに、これを調べていたら、こんなのもあった。

 
鳴かぬなら それもいいじゃん ホトトギス


 これはなんとフィギアスケートの織田信成クンが言ったというのである。

 とこんなふうに続く。何とも格調の高い私の教員仲間たちの昼休みの会話である。
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2006年05月30日

やまいもかな?


やまいも1
学校への通勤途上の家でこんなものを見つけました。
直径8センチくらい長さ1.5メートルのプラスチックのパイプがならべてあって、そこに土が盛ってあって、そこから芽が出て蔓が伸びていました。

最初は朝顔かな?っておもっていたのですが、伸びていくのを見てみるとどうやらこれは山芋のようです。
なるほどこんな育て方もあるのかとえらく感心してしまいました。
私もやってみようかと思うようになりました。
ところでこれって、種から育てるのでしょうか?
それとも種芋を使うのかな?


山芋2
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2006年05月23日

雄島の柱状節理と板状摂理


雄島1 福井県の東尋坊を訪ねた昨年2005年春のことである。東尋坊のすぐ近くに雄島という島があった。この島がなかなかみごとな島であった。地質学的にとても興味のある島であるだろう。




雄島2 この島の南斜面は写真のようにみごとな柱状節理の絶壁であるのだが、北側に行ってみると、これまたみごとな板状摂理の岸壁となっているのである。







雄島3 こういう島はなかなかないのではないか。
 柱状節理はけっこうあちこちに見られる。私がたずねたところでは、伊豆半島の浄連の滝、新潟県の清津峡、北海道の層雲峡、そして東尋坊もそうであった。いずれも切り立った崖である。
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2006年05月22日

電柱のパイプから竹が生えていました。


電柱の竹家のすぐ近くにある坂の途中の電柱の写真です。
よく見るとパイプの中から竹が生えています。
高さは私の背より高いところで、地上より2メートルくらいあるところから生えています。
このパイプの下は、アスファルトでかためられているのですが、きっとその下から地下茎がパイプの中を登っているのでしょう。

以前、学校の近くで、屋根の雨樋から竹が生えだしている家を見かけたことがあります。これも雨樋の中を竹の地下茎が登っているのでしょう。
その写真もどこかにあったはずですが、見つからない。
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2006年05月21日

観音寺のお地蔵さん


地蔵1川崎市幸区矢上の浄土宗観音寺にあるお地蔵さんです。
高さ50センチくらいの小さなお地蔵さんですが、とてもかわいくて紹介したくなりました。

たしか20年ほど前にもここを訪れたことがあるのですが、その時はこのお地蔵さんの頭は、なでる人が多いと見えて、つやつやしていたのですが、いまはちょっとこけがはえていました。
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2006年05月05日

船通山のイチイの巨木


イチイ船通山の山頂から日南町側に5分ほど下ったところにイチイの巨木がありました。
なんと樹齢1000年をこえていて、天然記念物なのだそうです。
このイチイの木は木の高さは5メートルほどなのですが、木の幹や枝が斜面の下の方に灌木状に伸びて斜面を覆っているのです。
これが珍しいようで、天然記念物なのでしょう。
風と雪のせいなのでしょうが、すぐ横に杉の木が2本茂っていて、こちらは15メートルくらいの高さがありました。
ちょっと不思議なイチイの木でした。
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船通山の青い幹

船通山から下っているときに不思議な木の幹を見つけました。
朽ちた木の幹ですが、折れた木の切り口が青いのです。木の皮をむいてみると写真のように青色で染めたような感じの木でした。
まわりの木を見てみてもどれがその木なのか分からず、木の名前も分かりませんでした。
わたしも調べてみますが、どなたかこの木の名前をご存知でしたならばお教えください。
できたら今度は夏にでも登ってみて、再びこの木の正体を探ってみようと思います。

青い幹2
青い幹1
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船通山山頂はカタクリの花が満開

この連休に妻の実家の島根県奥出雲町に帰りました。
そのおり、近くの船通山(1143メートル)に妻とともに登りました。この山は島根と鳥取の県境にある里山です。
登山口から1時間ちょっとで登れる里山で、なぜか多くの人たちが登っていました。

カタクリ山頂に行ってみたら、その理由が分かりました。なんとカタクリの花が満開なのです。こんなみごとなカタクリの花を見るのは初めてです。
私たちは別にこの花を見たくて登ったのではないのですが、山頂には300人ほどの人がこのみごとな花を眺めていました。
町の人たちがこのカタクリを保護しているようです。
登ってとても得をした気分になりました。
これだから里山登りはやめられない。

山から下りてふもとの斐之上荘の単純アルカリ泉の温泉に入ってきました。単純アルカリ温泉だから肌がすべすべつるつるする感じがとてもいい素朴な温泉でした。
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2006年05月01日

The Big Issue Japan をぜひ買いましょう。


BigIssueThe Big Issue Japan をご存知ですか?
この雑誌は本屋では手に入りません。
街角に立って販売しているホームレスの方々から買うのです。
この雑誌は200円です。
200円のうち110円が販売員のホームレスの方々の収入になります。つまり、ホームレスの仕事をつくり自立を応援する雑誌なのです。

私はこの雑誌を、教会で開いている入門講座の受講者からすすめられました。かれは町のホームレスの方からこの雑誌を買ったそうですが、私は彼からこの本をもらってしまいました。今度はホームレスの方から買うことにします。

内容もけっこう豊かで読み応えがあります。ちなみにこの号では「世界のヤングクライシス」という特集で、フランスや韓国の若者をはじめとする世界の若者事情が紹介されていました。
中身はけっこう国際的です。

皆さんも、町でこれを販売しているかたに出会ったら、臆することなく一部をお買い求めの上、お読みください。
この福音的メディアをもっと発展させていかねばなりません。
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2006年04月01日

玉縄青少年会館掲示板


tamanawa2 私の通勤途上に玉縄青少年会館があります。
 そこに掲示板が2つあって、その掲示板には月代わりでメッセージが書かれています。
 そのメッセージが、うまいんだか下手なんだか判らない、しかしなかなか味のある字で書かれているのです。そしてそこに書かれているメッセージもなかなか味わいがあります。


tamanawa1 毎月どのようなメッセージが書かれているかを見るのは、通勤途上のささやかな楽しみの一つです。
 これってどんな方が書いているのでしょうか? 今度訪問して聞いてみようと思っています。
 そしてこの前を隣の男子校の生徒達が歩いていますし、うちの学校の生徒もバスで通っていくので、バスの窓からよく見ているはずです。彼ら、彼女らはこれを見てなにを感じているのでしょうか?
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2006年03月25日

ハナダイコンの花を見ると思い出すこと


ハナダイコン ハナダイコンの花が咲くころとなりました。
 この花はアブラナ科の花で中国が原産地だそうです。
 この花にはいろいろな名前があります。オオアラセイトウ、ショカツッサイ(諸葛菜)、紫金草という名前を持っています。なかなか生命力の旺盛な花です。
 何でも西洋の貴婦人たちはこの花の芳香をこのみ、こぞって寝室に活けたとか。そんないい香りがしたっけ?

 名前の由来がまた面白い花でもあります。
 ショカツッサイ(諸葛菜)とは、三国志の諸葛孔明が食用に栽培を奨励したとかいうことからこの名があります。
 また、日中戦争のさなか、南京虐殺後の数ヶ月後の1939年、南京を訪れた日本軍の薬剤官が、廃墟の中で咲いていたこの花の種子を持ち帰り、日本で栽培しました。彼はこの花を南京の紫金山にちなんで、「紫金草」と名付け、戦争犠牲者の供養のために日本中にこの花を咲かせようと汽車の窓から種子入りの土団子を投げました。
 この花は「平和の花」として親しまれるようになり、つくば万博では100万袋もの種が世界に配られました。
  (「野の花」浅川トオル、森沢明夫著 角川書店)

 そう思ってみると、なかなか味わいのある花です。
 
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2006年01月03日

鷹取山の磨崖仏

鷹取山には大きな磨崖仏がある。
たかさ10メートルほどであるか。

これは私が小学生の時に掘られたものだ。
私の記憶では、確かもう一体あったはずだが、どこを探してもないのは、あの西武が壊したのだろうか。ますますもって恨みが……………。

磨崖仏1

インターネットで調べてみると、磨崖仏の弥勒菩薩尊像は、逗子市に在住の田口氏の依頼により、昭和40年頃、同市在住の彫刻家藤島茂氏が製作したものであるという。

昭和40年とあるが、私が小学生の時だから、昭和30年代前半だと思う。もうひとつの磨崖仏がどんなものだったか、古い写真がどこかにないだろうか?


磨崖仏2
ところで、もうひとつの磨崖仏を探しているときに、こういう仏像群も見つけた。レリーフふうに崖に掘られていて、彩色がしてある。
あまり上手とは言えないのだが、でもなかなか味がある。イタズラ書きにしてはかなり高級である。
「岩に彫刻などをしないでください」という立て札があるから、禁止されている中をあえてやっている作品である。

たしか鋸山には「五〇〇羅漢」があった。あれふうにいろいろな人の手によって仏像を刻んでいって、バライティ豊かな仏像群にしたらいいのにと思う私である。
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横須賀・追浜・鷹取山

私は小学校時代を横須賀市追浜の南町というところで過ごした。
鷹取山は私の子どものころの遊び場であった。
懐かしくて母(86歳)を連れて追浜を訪ねてみた。

まず、出身小学校の追浜小学校をたずねてみた。
昔の面影はほとんどなく、ただ校庭に面した「おむすび山」が懐かしい。
あのころ、追浜小学校は、全国の給食優良校であった。
といってもあのころの給食は……………。
給食の話しはいずれまた項を改めてすることとしよう。


鷹取山1

追浜小学校から鷹取山をまわってみた。
いまは頂上の近くまで西武が「湘南鷹取台」という高級分譲地ににしてしまった。私の小学生時代の遊び場を西武が壊してしまった。
「湘南」という名前は、私の小さなころはこのあたりをいう地名であった。今の京急田浦駅は昔「湘南田浦」といわれていたのだ。
追浜駅の上にある病院は昔から「湘南病院」なのである。
その「湘南」という名前を藤沢や平塚がもっていってしまったのはなぜか?

鷹取山の地質は第3期層凝灰岩である。柔らかで加工しやすいので家屋の基礎や 塀・護岸等の建築土木用用材として鷹取石の名で広く知られており、石切場のあとが、断崖となって残っており、格好のロッククライミングの練習場となっていた。
私もずいぶんこの岩場に挑戦したものである。あるとき、20メートルほどの岩場に挑戦して、途中で上に登れず、下に降りれず、泣いて助けを求めたこともあった。
今では、ロッククライミングは禁止されていたが、でも練習している人は後を絶たない。

別名、湘南妙義山とかいわれていた。
鷹取山の名前は、何でも江戸城を開いた太田道灌が鷹狩りに来て、その名が付けられたとか。
太田道灌といえば、ある日狩りの帰途、にわか雨に降られ手近な民家に雨具(蓑笠)を借りに立ち寄ったところ、その家の娘が何も言わず山吹の枝一枝を差し出した、という故事が伝えられている。その心は

七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき

という古歌に託し返事したとのこと。「‘実の’と‘蓑’の掛け言葉」、それがとっさにわからなかった太田道灌は発奮して勉学に励んだといわれている。
この話はこの付近の話であるらしい。

鷹取山から神武寺に抜ける道はとてもいいハイキングコースであった。今度このコースをたずねてみることにしよう。

鷹取山2


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