私は小学校時代を横須賀市追浜の南町というところで過ごした。
鷹取山は私の子どものころの遊び場であった。
懐かしくて母(86歳)を連れて追浜を訪ねてみた。
まず、出身小学校の追浜小学校をたずねてみた。
昔の面影はほとんどなく、ただ校庭に面した「おむすび山」が懐かしい。
あのころ、追浜小学校は、全国の給食優良校であった。
といってもあのころの給食は……………。
給食の話しはいずれまた項を改めてすることとしよう。
追浜小学校から鷹取山をまわってみた。
いまは頂上の近くまで西武が「湘南鷹取台」という高級分譲地ににしてしまった。私の小学生時代の遊び場を西武が壊してしまった。
「湘南」という名前は、私の小さなころはこのあたりをいう地名であった。今の京急田浦駅は昔「湘南田浦」といわれていたのだ。
追浜駅の上にある病院は昔から「湘南病院」なのである。
その「湘南」という名前を藤沢や平塚がもっていってしまったのはなぜか?
鷹取山の地質は第3期層凝灰岩である。柔らかで加工しやすいので家屋の基礎や 塀・護岸等の建築土木用用材として鷹取石の名で広く知られており、石切場のあとが、断崖となって残っており、格好のロッククライミングの練習場となっていた。
私もずいぶんこの岩場に挑戦したものである。あるとき、20メートルほどの岩場に挑戦して、途中で上に登れず、下に降りれず、泣いて助けを求めたこともあった。
今では、ロッククライミングは禁止されていたが、でも練習している人は後を絶たない。
別名、湘南妙義山とかいわれていた。
鷹取山の名前は、何でも江戸城を開いた太田道灌が鷹狩りに来て、その名が付けられたとか。
太田道灌といえば、ある日狩りの帰途、にわか雨に降られ手近な民家に雨具(蓑笠)を借りに立ち寄ったところ、その家の娘が何も言わず山吹の枝一枝を差し出した、という故事が伝えられている。その心は
七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき
という古歌に託し返事したとのこと。「‘実の’と‘蓑’の掛け言葉」、それがとっさにわからなかった太田道灌は発奮して勉学に励んだといわれている。
この話はこの付近の話であるらしい。
鷹取山から神武寺に抜ける道はとてもいいハイキングコースであった。今度このコースをたずねてみることにしよう。
posted by mrgoodnews at 17:11|
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