2010年01月30日

「20世紀資本主義7つの大罪」にアクセス集中

 昨日1月29日、わたしのブログの「ガンジー 20世紀資本主義7つの大罪」にアクセスが集中し、わたしのブログは1日のアクセス数が800アクセス、1900ビューの記録を更新しました。
 昨日鳩山首相の施政方針演説を聴いていたら、なんとこのガンジーの「7つの大罪」が引用されていました。こんなことばを引用する鳩山首相の慧眼に敬服します。自民党時代には考えられなかったでしょう。

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2010年01月06日

二十四節気とは

 日めくりカレンダーの最後に紹介されていた「二十四節気」の解説を紹介しよう。きっと何かの役に立つであろう。私もこれを見て、初めて「雨水」「穀雨」「芒種」「寒露」「霜降」などの季節を示す言葉を知った。いかにも漢語の美しさを表現しているとおもう。

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2009年12月17日

いよさんの「さびしい」「さぶい」「つべたい」

 母のいよさんは、今頃車いすでそとにでるとしきりに「さぶい、さぶい」という。「さぶいじゃないよ。さむいだよ」といってもなかなかききいれない。
 「じゃあ、さびしいとさみしいとどっち?」と聞くと「さびしい」だし、「つべたいとつめたい、どっち?」ときくと「つべたいだ」といいはる。

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2009年12月16日

朝日新聞の車内広告

12月15日の京浜東北線の車内に貼られた朝日新聞の広告がなかなかいい。
いかにも朝日らしいメッセージだと思う。

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2009年11月12日

成功とは他人のために自分のやりたいことをやることだ

10月11日の「トーキングウィズ松尾堂」で、田中ウルヴェ京さんが、こんなことを言っていた。確かにそうだと思う。

成功とは他人のために自分のやりたいことをやることである。



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2009年09月15日

「たまたまをまたまたに」というコピーの広告

 今日(9月15日)京浜東北線の電車の中で「たまたまをまたまたに」というコピーの広告を見て、なかなかうまいコピーだなと思った。
 さて何の広告だか分かるだろうか。これを分かる人はけっこう鋭いセンスを持っていると思う。答えを聞けばたぶん「うまい!」と膝を叩きたくなるであろう。


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2009年09月04日

変えているのはわたしたち、変えていくのもわたしたち

 東戸塚の市民活動センターは最近駅前の新築ビルの3階に移転しましたが、以前のビルの7階にあったときにそこに掲示されていたポスターのコピーが気に入りました。
 iPhoto の1年前の画像ファイルを探していたときに、このコピーが気に入って、デジカメで撮影しておいたものです。


henkaku そのコピーとは
「変えているのはわたしたち…。
 変えていくのもわたしたち…。」
というものでした。「変えている」よりも「変えていく」というほうが意図的作為的なわけですね。
 かな一字の違いでこんなにも意味が変わってしまうという良い例で、実にいいコピーだと思います。
 このコピーをいかしたポスターを作ってみたくなりました。
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2009年07月05日

箸の長さは一咫半(ひとあたはん)

 朝日新聞の「食の潮流」という記事に「箸の選びかた」について書かれたものがあった。

 
ひとあた昔から「箸の長さは一咫半(ひとあたはん)」といわれている。「咫」とは拇と人差し指を直角にひろげたときの指先と指先とをつないだ長さ。更にその半分を足した「一咫半」がその人の手にあった箸の長さの目安。

 「咫」という漢字について漢和辞典で調べると
「シ」「ワズか」
1.尺度の名。周の尺度では8寸。営造尺では6.48寸。
2.短いこと
3.近いこと
4.わずか、少し

とあった。ここには「あた」というよびなはない。

「広辞苑」では

あた【咫・尺】
上代の長さの単位。手のひらの族・から中指の先・までの長さ。一説に、親指と中指とを開いた長さ。存事記上「八尺(やあた)」


とあった。記事の説明と微妙に属っている。

漢字は漢字として、この単位が箸の長さと関係あるところがおもしろい。





 
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2009年06月13日

「ゆかり」という名前のゆかり


ゆかり 朝日だったかの1面の三島食品の小さな広告が目にとまりました。
 このイラストが気に入ったので切り抜いておいたのですが、よく読んでみるともっと大事な Good News が潜んでいました。
 それは「ゆかり」というのは三島食品という会社の登録商標だったということです。

「ゆかり」というのは紫紫蘇のしおづけのふりかけのことで、これをごはんにまぜたものを「ゆかりごはん」などというあれです。なかなかみごとな命名ですが、なんであれを「ゆかり」と呼ぶようになったのか、そのあたりのゆかりを知りたくなって三島食品のHPを訪ねてみました。

 「ゆかり」とはもともとは「縁」という字があてられているように「たどっていけばそのひとに何らかの関係があること」(新明解)という意味の言葉です。
 それが
紫のひともとゆゑに
武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る

 という読み人知らずの古今和歌集の歌の意味と結びついて紫を「ゆかり」というようになったとか。

 もともとは株式会社中埜酢店(のちにミツカン酢の会社)が商標登録していたものを三島食品がゆずりうけたという話も載っていました。

 なかなかみごとなネーミングだと思います。

 

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2009年05月19日

外国人に日本語で日本語を教えるポリシーに共感!

 昨年10月から、日本語を教えるボランティアの養成講座に通っていたということはすでに報告しました。
 この4月で養成講座がひとまず終わり、実際にボランティアグループに属して教える場面に立つこととなりました。

 この講座を修了して考えたことがいくつかあります。
 まず、日本にいる外国人に日本語を教えるボランティアグループはけっこうたくさんあることに驚きました。その多くがほとんど無償で教えているということ、時にはひとりの学習者に2人ものボランティアがついて教えていることも珍しくないようです。
 私が通っているのは東戸塚の市民活動センターですが、この前いった緑区の市民活動センターにおいても行われていました。
 この日本人たちのやさしさ、親切さというのはすごいなと感動します。

 それからもう一つ。私の通っている日本語教室の教え方に特徴がありました。
 これは徹底して日常的に必要な会話を教えるというメソッドなのです。文法はほとんど教えずに日本語で普通に使われる表現を教えます。リアリティをとても大切にしているのです。
 日本語で日本語を教えるということも徹底しています。英語が使えても英語では教えない。日本語のできない人にもほとんど日本語で教えるのです。
 そしてもうひとつ、文字を使うのをできるだけおさえて、耳から教えます。実際に聞き、自分で言えるようになってはじめて今日習ったことのプリントが配られます。教科書はあるけれどもほとんど見ないのですね。

 これを学んでいて、日本人が英語をあれだけ学びながら、ほとんど話せないという理由がわかったような気がします。
 日本の英語教育は、文法から教えて、ほとんど日常的には使わない表現を教えます。たとえば This is a pen.I am a boy. You are a girl.などという表現は日常的には使われることのない表現なのです。
 しかも文字で読むことや書くことを中心に教えている日本の英語教育ではいつまでたっても自由に会話ができるようにはならないでしょう。

 このボランティアグループが採用している日本語教室のポリシーは、実に適当で正しいのだと確信しています。
 

 
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2009年04月13日

辞書で「右」「左」を引いてみると………。

 国語辞典で「右」「左」「前」「後」などの言葉を引いてみると、辞書の編集者たちの苦労の跡がよく見えてくる。

 手元にあるいくつかの辞書を引いてみることにしよう。

 広辞苑 
 「みぎ(右)」南を向いた時、西にあたる方。

 旺文社標準国語辞典 重版 昭和45年 
 「みぎ(右)」東を向いたときに南に当たる方。

 旺文社国語辞典 重版 昭和38年刊
 「みぎ(右)」箸を持つ手の方

 新明解国語辞典 第4版 1989年
 「みぎ(右)」アナログ式時計の文字盤に向かったときに1時から5時まで表示のある側

 ようするに方角からいうのが定番となっていたのだが、さすが「新解さん」。
 でも右左のわからない人がアナログというのがわかるのかどうかという疑問をもつ。

 これは何の辞書だったか、不明だがこういうのが「傑作」だといわれている。

 「みぎ(右)」この辞書にむかって偶数ページのある方。


 ただし、右左のわからない人が、偶数奇数がわかるのかという根本的な疑問にぶちあたる。

 ちなみに「新解さん」で次の言葉を引いてみた。

 「まえ(前)」自然の状態で口・鼻の向いている方。人やサルの場合は目の向いている方向。

 「あいだ(間)」直接続かない二つの点・物の非連続的部分を満たす空間・時間など

 広辞苑では

 「まえ(前)」物の正面にあたるところ。

 「あいだ(間)」二つのものに挟まれた部分。物と物とに挟まれた空間・部分。

 である。
 こういうふうな、よく使われる言葉で辞書が定義するのにもっとも苦労することばというのはほかにあるだろうか?


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2009年03月06日

ランゲージ・アーティスト イチハラヒロコの極太ゴシックの世界 


イチハラ1月21日の毎日新聞企画特集「おもいやり」にランゲージ。アーティストのイチハラヒロコさんの作品がたくさん掲載されていた。
 この人何ものかとちょっと調べてみたら、これがなかなかおもしろい人なのである。


イチハラ2 この企画特集では、見開き2ページのイチハラヒロコさんの作品紹介とともに窓にある「思いやり」をテーマにした「珠玉のシリーズ」も掲載されていた。
 この書体はたしか、イワタ極太ゴシックではなかったか? 今写植文字見本帳が手元にないので、確かめられないのだが……。
 このなかみの言葉がまたいい。ふだん何気なく使う言葉をこのように極太文字でくろぐろと書くとなにやら荘厳な雰囲気に包まれ、独特の味わいを生じる。


イチハラ3 ところで3月5日の朝日夕刊に「イチハラヒロコ展−王子さまが来てくれたのよ、世界でいちばん幸せよ。」の案内がでていた。鎌倉山の鎌倉画廊で4月25日まで開催しているそうである。

 「愛と笑い」をテーマに、短い言葉で心の内側をストレートに表現する現代美術家。シルクスクリーンで白地に黒いゴシック体を刷った大小20店を紹介する。気になったことを書き留めたノートから厳選した言葉は,ドキッとしたり、うなづいたり、みる人それぞれに鋭く迫る。ユーモラスかつシニカルに恋の行方を指南する「恋みくじ」(1回100円)も設置。

 この人のホームページには、しょうもなく長い名前の著書も紹介されている。

 こんどこの個展にいってみようと思う。そうしたらまた報告することにしよう。
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2009年03月02日

「咲」と「笑」もとは同じ古字からきていた。

 毎日新聞の日曜版「世界遺産の旅 清水寺」を読んでいたら、森清範貫首(今年の漢字を書く人)がこんなことを書いていた。

「咲」は「わらう」とも読みます。冬眠っていたものが咲く。これが春ですわ。


 そこでさっそく「咲」という漢字を広辞苑で調べてみた。そうすると

1.花がさく。
2.わらう。=笑。「戯咲・一咲・言咲」

「笑」の古字を書き誤ったもの。古来中国では「わらう」の意味にしか用いない。咲の古字は、「鳥鳴花咲=鳥なき花わらう」という慣用句から、日本で「さく」意に転用されたもの。

 というふうにあった。
 ところで、こんどは「笑」という字を調べてみた。

 長澤規矩也監修の「明解漢和辞典」によると

1.わらう
2.えむ
 イ.にっこりする
 ロ.花のつぼみが開く
 ハ.実が熟してわれる


となっていた。
 
 なるほど。「咲」も「笑」も意味は同じで、「花が開く」からきていて、ともに笑うという意味ももっていると言うことだ。
 しかし、どうもこれはだれか漢字を日本に持ち帰った人がうつし間違えたことから来るようである。

 清水寺の森貫首が、清水寺の魅力を、中国の宋代の画家郭煕が山を描く心がけで詠った詩を紹介していた。この詩がとてもいい。

 春山淡冶(たんや)にして笑うが如く
 夏山蒼翠(そうすい)として滴る(したたる)が如し
 秋山明浄にして粧う(よそおう)が如く
 冬山惨淡として眠るが如し


 これは清水寺だけでなく、日本の四季の山はいずれもこういう感じを持っているということだと思うが……………。







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2009年01月23日

広告コピーが気に入った二つのポスター


cop 東戸塚の市民活動センターに掲示してあったポスターのコピーが気に入りました。

 変えているのはわたしたち…。
 変えていくのもわたしたち…。


 環境問題の加害者と被害者が同一であることを示したうまいコピーです。
 ポスター全体のデザインはイマイチですが……。
 この八都県市地球温暖化防止キャンペーンのホームページを見ようとしたら、サーバーが見あたりませんだって。このポスターいつのものなんだ。


PR もうひとつは電車の中吊りと駅の掲示板で見かけたものです。

 あっというまに
 心暖まる冬に着く


 これはJRの鬼怒川温泉行きの特急列車のPRです。雪の積もる温泉宿が「心暖まる冬」なのですね。この言葉がなかなかいいと思いました。

 
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2008年12月19日

アフリカの言葉には「have(所有する)」にあたる言葉がない

 もうずっと前になるが、学校でサンガ・ンゴイ・カサディさんを呼んで中学3年生に講演をしてもらったことがあった。サンガさんはザイールの出身の気象学者、現在は立命館太平洋大学教授である。

 その話の中でもっとも印象に残ったことは、アフリカのほとんどの言葉には、ものを所有するという意味での英語の have にあたる言葉がないのだという。
 ということは私有の概念がないということである。アフリカのことばでは、それは「ものとともにいる」という表現になるのだそうである。

 土地も財産も個人のものであるという概念がなく、みんなのものという共有の概念になるとしたら、本来「持てるもの持たざるもの」という差別も階級も貧富の差も生まれない社会であるはずだったということであろう。
 これも西洋の植民地主義がもたらしたということなのか。
 考えさせる指摘であった。
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2008年12月01日

永井隆の「しっぽも一役」という豚の絵


永井1 妻を永井隆記念館と如己堂に案内した。私は3度目なのでそれほどでもなかったのだが、彼女はいたく永井隆の生き方に感激していた。
 なかでもふたりで気に入っていたのは「しっぽも一役」という豚の絵だった。永井隆は文章だけでなく、絵もうまいし、また字も味のあるいい字を書く。星野富弘氏を思い出す。
 この絵にはこういう解説が紹介されていた。
 この世には何の用事もないものが生かされているはずがありません。どんな病人でも、何かこの世において働くことができるのだから、生かされているのでありましょう。私は、命の最後の一瞬までいろいろ工夫して、何か働くことを見つけて働こうと思います。
<如己堂随筆より>
【この世に存在するものは誰でも何か一つでも役に立つことがありますよ。「しっぽも一役」というたとえで、博士はそう語りかけています。


 この絵とこの言葉がまたなんともこころにくいほどのみごとなハーモニーを奏でだしている。どうしたらこう感じ取れるセンスを持つことができるのだろうか?
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2008年10月01日

「椿・榎・楸・柊」をなんと読む

 木偏の春夏秋冬の読み方をわかりますか?

 春は「椿」ですね。これは読めるでしょう。「ツバキ」です。
 夏は「榎」です。榎本さんとかで名前にもあるからこれも読めるでしょう。「エノキ」ですね。

 秋は? 「楸」ですが、これを読める人はそういないでしょうね。ただしくは「ヒサギ」と読みます。この木はどうも「アカメガシワ」のことをいうようです。
 昔万葉集を習ったときに

 
ぬばたまの 夜の更けゆけば
久木(ひさぎ)生(お)ふる
清き川原に 千鳥しば鳴く
    山部赤人 万葉集


 というのがありました。これが「アカメガシワ」なのでしょうか。これもおもしろい木です。この木については前にも紹介したことがありました。

 冬は? これは知る人ぞ知る「ひいらぎ」です。常緑樹のこの木がなぜ木偏に冬なのか、これも不思議です

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2008年08月25日

「ストレス」の発見

 8月24日の朝日新聞書評欄に「ストレスとは何だろう」(杉晴夫著 講談社ブルーバックス)の紹介があった。

 それによると「ストレス」という現代人になじみの深い言葉は、カナダの生理学者ハンス・セリエ(1907〜82)が1930年代に生物の反応の中に「発見」したのだそうだ。
 この言葉はもともとは物理学用語で「外力が物体に加わった場合の歪み・不均衡」のことをあらわすことばであった。これを心の状態に当てはめて「外部環境からの刺激によって起こる歪みに対する非特異的反応」という意味で使うようになった。この「ストレスを引き起こす外部環境からの刺激」のことをストレッサーという。
 そして「ストレッサーに曝された生体が見せるストレッサーの有害性に適応しようとする一般的な化学的反応のこと」のことを「一般適応症候群(General Adaptation Syndrome)」といい、これは「防衛的反応(以前の状態への回復を目指す)」とも「適応的反応(新しい状態に合わせていく)」ともみることができる。
 そのどちらの見方をとるかで、ストレスに対する対応のしかたが違ってくるであろう。セリエはストレスを「適応」のための心理的反応と見ていたようである。

 これを読んで「そうか、ストレスは現代に『発見』されたのか」と感心したしだいである。これはノーベル賞もの「発見」だったのかもしれない。
 
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2008年07月05日

カトリック映画賞「ひめゆり」上映会は「おんのじ」でした。

 以前ご案内した「カトリック映画賞」作「ひめゆり」の授賞式及び上映会が昨日(7月4日)に中野ゼロ小ホールにて行われました。

 この内容については改めて報告することにしまして、先ずはその成果から報告することにいたします。

 今回はチケットの売れ行き具合がいまひとつで、どのくらいの方が入場していただけるか危ぶまれました。
 わたしが、上映会の前に
「200名入場したら『おんのじ』で250名入ったら『万々歳』だ」
といったら、だれかが、
「その『おんのじ』とはいったいどういうことばだ。その語源が知りたい。これはブログネタですね」
と言われました。
 またまた誰かが言いました。
「きっとそれは『恩を仇で返す』の『恩』からくるのだ。つまり『感謝すべきこと』の意味でしょう」
というのです。

 それでその期待に応えて、帰ったらさっそく調べてみました。

 御の字とは、非常に結構な物・こと。きわめて満足なこと。ありがたいこと。
 御の字の「御」は、尊敬の意を表したり、名詞の頭に付けて丁寧に言うときに用いる。
その「御」の字を付けたくなるほどありがたいという意味で、「御の字」という言葉が生まれた。
もとは遊里から出た言葉で、江戸時代初期から見られる。


 結果的には「おんのじ」だったのです。「万々歳」までには至らなかったようです。
 参加者の一人の方のこういう反応が耳に入りました。
「もっと友だちを誘えばよかったね」
 中野ゼロホールは550名入れるのだそうです。だから今回は空席が目立ちました。
 きっとその方は、このようないい映画をこんなに空席を残してしまうのがもったいないという気持ちがこもっていたのかもしれません。
 それくらい「いい映画だった」ということだったと思います。
 
 私ももっとたくさんの友人たちを誘えばよかったと後悔することしきりでした。

 特に、監督の柴田昌平氏の講演がまたよかったと思いますが、これについてはまた改めて書くことにしたいと思います。
 この映画はまた各地で上映会があると思います。お近くで開かれるチャンスがありましたならば、ぜひお見逃しなきように願っております。
 

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2008年06月27日

「ジュボンズの逆説」のややこしさ

 6月22日の毎日新聞「潮田道夫の千波万波」に「ジュボンズの逆説」という話が載っていた。

 ジュボンズは19世紀の近代経済学者である。

 燃費のよい車が開発されると、人びとはその車に買い換え、よく車に乗るようになり、かえって使用するエネルギーが増えるという現象である。
 エネルギー効率のよい冷蔵庫やクーラーが発売されると、みなそれに買い換え、むやみやたらと大型の冷蔵庫を買い、クーラーをつけっぱなしにするようになる。かえって省エネに逆行する。省エネの「リバウンド効果」である。

 この記事ではこうも述べている。
 問題は中国。省エネに日本が協力するが、かえって需要を押し上げ、二酸化炭素の排出量を増やすのではないか。いや、あの国は本当にそうなりかねない。

 だから経済現象はややこしいのである。
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