2006年12月06日

日本語のリズムは「四拍子」が基本

 別宮貞徳著「日本語のリズム」(講談社現代新書)によれば、日本語のリズムは「四拍子」が基本だという。「五七五七七」の短歌も「五七五」の俳句もじつは「四拍子」なのである。

 たとえば「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を(『古事記』)」も、音数は五七五七七なのだが、実際に読む時は休みを入れて、八・八・八・八・八と読んでいる。

 ヤクモ○タツ○○ イズモ○ヤエガキ
 ツマゴミニ○○○ ヤエガキツクル○
 ソノヤエガキヲ

 ○印のところで一拍、間をおくと、すべて八拍となる。

 フルイケヤ○○○ カワズ○トビコム ミズノオト○○○

 タゴノウラユ○○ ウチイデテミレバ マシロニゾ○○○
 フジノ○タカネニ ユキハ○フリツツ

 なるほど、確かにそうである。この本をもう一度読み直す必要がある。
posted by mrgoodnews at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人の名前のつくいいまわし 地口(じくち)

 地口(じぐち・ぢくち)とはことわざや成句などをもじって作った語呂合わせの文句。「下戸に御飯(猫に小判)」の類。口合い。
 そのなかで人の名前の入ったものを集めてみた。

おそかりし由良の介
大バカ三太郎
やけのやんぱち
知らぬ顔の半兵衛
名なしの権兵衛
合点承知の助
平気の平左
うぬぼれ自慢の介
来たか長さん待ってたホイ
たらふく孫左

もう使われなくなってしまったのも少なくないだろう。

他に人名ではなく地名を折り込んだものとして以下のようなものがある。

その手は桑名の焼き蛤
おそれ入谷の鬼子母神

まだまだあると思うので、気がついたら教えてほしい。

posted by mrgoodnews at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月20日

もっとも美しいアルファベットのタイポグラフィー

 欧文書体には「セリフ」と「サンセリフ」という2つの系統のタイポグラフィーがある。
「セリフ」とは欧文文字の縦線の上下についているひげのような横線のことで、日本語で言えば明朝体に当たる。
「サンセリフ」とは「セリフのない」という意味で、日本語で言えばゴシック書体である。

 写植の文字盤は、欧文書体の場合一書体で文字盤一枚であった。アルファベットの場合文字の幅がアルファベットによって異なっていたから、文字盤は一文字が16級(4ミリ角)の文字が基本とされていて、それぞれの文字の送りの歯数が書かれていた。その文字幅を文字の大きさによって換算表で計算しながら、文字の送りを決めていた。
 左右をそろえるジャスティフィケーションの場合には計算するのがとても大変であった。
 また三角形の文字と逆三角形の文字がつづく時、換算表の送りでそのまま送ってしまうと間隔があきすぎる感じになってしまうので、微調整をしなければならなかった。たとえば大文字のAとTがつづくときとか、大文字のTのあとに小文字のaやoがつづく時など文字の大きさによっては少しずつ詰めなければならなかった。
 今ではコンピュータが簡単にこのあたりを処理してしまうが、あのころは手計算で大変だった。


ヘルヴェチカ ところでアルファベットの「サンセリフ」系の文字で、もっとも美しい文字は「ヘルベチカ」という書体であると思う。この文字も完成度の高い文字であるといえよう。
 「ヘルベチカ(Helvetica)は、1957年に、マックス・ミーディンガー(Max Miedinger)によってデザインされたサンセリフのローマ字書体である。印刷物・広告などで世代・文化を超えて多用されてきた書体であり、現在ではMacintoshなどのパーソナルコンピュータで手軽に利用できる。」とWIKIPEDIA には説明がある。
 もともと Helvetica とはラテン語でスイスを意味する言葉である。スイスらしい文字ということになるだろう。
posted by mrgoodnews at 01:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もっとも美しい日本語タイポグラフィー

 私のやってみたいことの一つは、自分の書いた文字で日本語のフォントをつくることである。そのためには漢字も含めると1万字近くをデザインしなければならないのだが、いつかやってみようと思っている。自分の書いた文章を自分の字のフォントでプリントアウトされたそういう本を作ってみたい。これこそ究極のタイポグラフィーではないかと思う。
 ところでそれをできるソフトウェアが残念ながら見つからないのである。どなたかご存知だったらお教え願いたい。

 私は30年前に写真植字をやっていた関係で、日本語タイポグラフィーにとても興味を持っている。写植をやっていた頃は文字を見たら、これがどこの活字、和文タイプ、写真植字のメーカーのものかをすぐに判別することができた。
 もっともその特徴が出ているひらがなの文字は「な」である。ひらがなの「な」を見たらすぐにそのフォントがどこのものかをいいあてることができた。デジタルフォントになってからはあまりにフォントが多すぎてわからなくなってしまったが……………。

 私の知っているフォントの中で、もっとも美しいフォントは「石井中明朝体オールドスタイル(MM-A-OKL)、中村征宏というタイポグラファーのデザインした「ナール」「ゴナ」であると思う。いずれも写研の文字である。ただしきわめて残念なことに写研の文字は実は未だデジタル化していない。
 30年前に私が使っていた写植機はモリサワのものだったので、この写研の字が使えなかった。とても悔しい思いをしたものである。当時文字盤をワンセット買うには一書体10万以上したが、モリサワの写植機を持っているものには書体を売ってくれなかった。ただしモリサワの写植機に写研の文字盤は補正すれば載せることができたから、無理をすれば手に入らないことはなかったのである。
 あのころは写植機と写植書体は写研が圧倒的なシェアを持っていた。モリサワの書体では特にデザイン文字の分野でほとんど相手にされなかったくらいである。
 ただモリサワは自社の保有するフォントをデジタル化することに積極的であったから、今でもフォントメーカーとして存続しているが、写研は自社のフォントをデジタル化しなかったが故に、時代に乗り遅れた感じである。
 私が始めて Macintosh を購入した1993年の MacOS「漢字トーク7」 の明朝体標準フォントはモリサワの「リュウミン」という書体であった。これが写研の石井明朝によく似ていたことを懐かしく思い出す。

 しかし、あの写研の美しいタイポグラフィーがパソコンのフォントとして使えないことは実に悲しいことだと言わなければならない。

石井明朝 私がもっとも美しいフォントだと述べた「石井中明朝体オールドスタイル」は石井茂吉という写研の創業者がデザインした文字である。特に縦組みの日本語の本文書体として、数ある明朝体のなかでこれほど優美で流麗で完成度の高い書体はないと言ってよい。新聞広告のコピーにも「詰め印字」された横組み書体がよく使われた。

 「ナール」と「ゴナ」はいずれも中村征宏というタイポグラファーがデザインした文字である。

ナール 「ナール」は最初「細丸ゴシック系」の文字として発売された。後に「ナールD」や「ナールM」などいろいろなウェイトの文字が売り出されるが、これも優美流麗な文字である。




ゴナ 「ゴナ」は最初は「極太ゴシック」の文字「ゴナU」から発売され、のちに「ゴナE」「ゴナO」などのファミリーが追加される。これは本文書体というよりも広告や中吊りポスターなどの文字に使われる。

 この石井茂吉と中村征宏は天才的な日本語タイポグラファーだと思う。このふたりをしのぐタイポグラファーは未だいないと言ってよいだろう。

 
posted by mrgoodnews at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月06日

「ヤマノカミ」はなぜ「やまのかみ」なのか?

昨日の昼食時の同僚たちの会話である。
参加者は、英語、社会、理科そして私「倫理」の教員たち。
いつもながら、知的で高尚な会話である。

「「卯」と書いた長ほそい箱の中に「望遠鏡」が入っていた。これは何を意味するのか?」
発題は英語の教員である。誰も答えられなかったので答えを教えてくれた。
「望遠鏡のことを別な言葉で言うと?」 
「とおめがね」
「そうそう、十番目が『ね(子)』わかるかな? 」
「十二支で子丑寅卯辰巳……………。『卯』の十番目は『子』というわけだ」

すると「理科」の先生がいつもの「うんちく」を発揮して、つづいて問題を出した。
「江戸時代の人はこういうしゃれがよほど好きだったと見えてけっこうこういうのがある」『へちま』はなぜヘチマというか?」
「『へ』と『ち』の間というと………。『いろは歌』だな」
「『いろはにほへとちりぬるを』だから『と』だけど、『と』がなぜヘチマなのか?」
「ヘチマは江戸時代には『いとうり』と呼ばれていた。この『糸瓜売り』が『いとうり』と大きな声で売り歩いているのが『と』だけになってしまった。ここから『と』がヘチマになるわけだ」

「じゃあ、これは? 『やまのかみ』はなぜ『奥様』を意味するのか?」
「これは聴いたことあるな。これも『いろは歌』かな。」
「正解! 『いろは歌』全部いってみましょう。」
「いろはにおへどちりぬるを。わがよだれぞつねならむ。うゐのおくやまけふこゑて、あさきゆめみし、えひもせず」
「『やまのかみ』はな〜んだ?」
「『おく』だな。なるほど」
「これはお山の神さまだとず〜っと思っていた。そうだったのか。」

するとまた英語の先生の質問。
「日曜大工の売り場に、ひらがなで「て」と書いた札の貼ってある商品があった。さて何を売っていたのか?」
ところが彼はその問題を出したあとに誰かに呼ばれてすぐに去っていってしまった。そこで残った人で知恵を絞って考えること十数分。
「『トンカチ』『カナヅチ』みたいな気がするけど、ちがうかな? でも説明できない」
「『ハンマー』というのはどうか? マはアイウエオ順でいくと三十六番目 その半分の18番目は『て』ではないか?」
「おしいな。18番目は『つ』でした。」
「う〜ん。ちがうか。これは難しい」

 結局その応えは未だわからないままです。今日の昼休みにその応えを聞くことになっています。
「四人がない知恵絞ってこれだけ考えたのだから、あまりくだらないだじゃれではゆるせないよな」
「そうしたら、今度はあの英語の先生に『つ』と書いてありました。さて何を売っていたのでしょうか?と質問しようよ。」
「それがいい、それがいい」

どなたか、おわかりの方がいたら、お教え願いたい」



posted by mrgoodnews at 02:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キロキロとヘクトデカけたメートルが……………。

日本で漢語化された外来語を調べていくといくつかの不思議な言葉に出会う。
たとえば長さの「メートル」「グラム」「リットル」などの単位はどう漢語化されたのか? それはいつのことか? なぜそうなったのか?
考え出すときりがない。

たとえば「メートル」を「米」と書くのはなぜか?
なかでも翻訳語では長さを「米」で書くようになったのは、いつ頃なのだろうか。
ちょっと調べてみるとメートルは「米突」という感じがあてられていたようである。これは日本語というよりも中国語の響きから来ているようである。とすると中国でもメートルは「米」なのだろうか。

さらに標題の「キロキロとヘクトデカけたメートルがデシにおわれてセンチ、ミリミリ」というのは私が中学の時に覚えたものである。
それぞれメートルを基準にしてついた位取りの時に使われるギリシャ語である。

これに日本人は面白い当て字を添えた。これらは全部国字であると漢和辞典には書いてある。
  粁:キロメートル
  粨:ヘクトメートル
  籵:デカメートル
  米:メートル
  粉:デシメートル
  糎:センチメートル
  粍:ミリメートル
とてもわかりやすい漢字である。考えてみるとこの漢語の読みは日本語ではなく、英語であるということか。辞書には日本語の読み(音訓)がない。

 ところで「重さ」の「グラム」はなぜ「瓦(かわら)」という字があてられているのか? これは調べてみると、フランス語読みを日本語に当てたみたいである。
  瓲:トン(メガグラム)
  瓩:キログラム
  瓰:デシグラム
  瓱:センチグラム
 瓲はトラックの荷台に書いてあったりする。下の二つは漢字はあるけれど実際にはほとんど使われない。

 容積の「リットル」は「立」。これはよくタンクローリーなどに書かれているので、おなじみである。
  竏:キロリットル
  竡:ヘクトリットル
  竍:デカリットル
  竕:デシリットル
  竓:ミリリットル
 タンクローリーに書かれているのは「竏:キロリットル」である。他は漢字はあるけれど使われない。

このほかの単位で「ヘクト」がつかわれるのは
  ヘクタール(面積)
  ヘクトパスカル(気圧)以前は「ミリバール」と呼ばれていた。

「デシ」が使われているのは、
  デシベル(音の大きさ)

まだあったかな?

 ところで最近は「メガ」「ギガ」「テラ」などの大きな単位や「ナノ」「ピコ」などの小さな単位が使われるようになった。
 長さは「ミクロン」「オングストローム」などがある。この関係については以下の歌がある。

  エクサっとペダルを踏んでテラ帰り
  ギガギガメガねの和尚さん
  キロキロとヘクトデカけたメートルが
  デシを取られてセンチミリミリ
  マイクロほんナノにピコピコ鳴ってる
  フェムト腺のアトきヨタく金ゼタい当選改革ゼクトつヨクトも

 最後の行は意味不明である。

 これらの「米」「瓦」「立」などが使われ出したのは、いつからなのか? 誰がこれらの漢字を作り出したのか? まだ疑問は残っている。


posted by mrgoodnews at 01:28| Comment(0) | TrackBack(1) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月01日

和製漢語 その4 明治期に作られた和製漢語

 明治期に作られた和製漢語は枚挙にいとまのないほど多い。明治期に日本に入ってきた西洋の思想の概念に合う日本語がなかったから、競って日本語を造語したという感じである。

 一番有名なのは「哲学(philosophy)」であろう。この語はギリシャ語の「知を愛する」という意味を語源としている、これに西周が「哲学」と名付けた。名訳であると思う。

 現代(modern) 社会(society)   生活(life) 
 政治(politics) 政府(government) 産業(industry) 
 銀行(bank)  保険(insurance)   債務(debt) 
 債権(credit)  権利(right)

明治期にできたこのような和製漢語のことを「新字音語」というのだそうである。音を無視して文字のもつ意味を合成して作った漢字。耳で聞いても意味が確定しない、つまり多くの同音異義語を作り出してしまった。

 過程と仮定と課程と家庭
 私立と市立
 成果と製菓と聖歌と聖火と盛夏と生花と製靴……………。

さらに驚くことはこれらの多くの和製漢語は中国に逆輸出されていて、中国語でもそのまま使われている例が多いという。このころのだれかが中国にもっていったのだ。たぶん中国から来た留学生が持ち帰ったのではないかと推定されている。このあたりを調べてみたら面白そうである。

 
posted by mrgoodnews at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月26日

和製漢語 その3 「轡十文字」と蘭学者たち

 蘭学者たちが作った漢語がある。特に有名なのは「解体新書」翻訳グループが作った漢語である。
 「解体新書」は前野良沢、杉田玄白、中川淳庵が翻訳したが、このうちオランダ語ができるのは前野良沢のみであった。しかし良沢は自分の名が出ることを嫌い、その名を「解体新書」上には残さなかった。
 彼らが翻訳作業をするにあたり、使った漢語には3種類ある。
 第1は、すでに日本語としても存在していた用語はそのまま「対訳」して使った。能、心、敗、胃、血、骨などである。
 第2は意味からそれに合う日本語を探し「義訳」とした。「軟骨」「神経」がそれに当たる。神経は「神気」と「軽脈」という語から造語した。
 第3は、どうしても言葉が見つからず、言語の意をそのまま漢語にしてあてた「直訳」である。十二指腸、三半規管などである。

 翻訳する時にどうしても訳せない言葉直面した。良沢は苦悶し、翻訳作業が滞った。玄白は翻訳できない言葉には印を付けて、その印のついた言葉は後で考えようと提案する。

轡十文字 そのときに採用された印が、「轡十文字」といわれる「丸のなかに十文字を書いた」マークであった。

 「丸に十文字とはよい符号でござる。いかがでござりましょう、これを轡十文字と称しては....。翻訳の仕事は戦と同じであり、馬にまたがって敵陣に突きすすむようで勇ましくてよいではござりませぬか」
最年少の桂川甫周が、微笑をたたえながら言った。
「轡十文字、語呂もよいし、それは面白い」
 (吉村昭著「冬の鷹」新潮文庫)

 その語は英語で言うと sense であった。後ほどこの言葉には「精神」とか「意識」という漢語が当てられるようになった。

 蘭学者たちが作った和英漢語として「重力、求心力、焦点、酸素」などの科学用語がある。

posted by mrgoodnews at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月25日

和製漢語 その2 江戸時代の和製漢語 

 「漢字と日本人」(高島俊男著 文春新書)によると、江戸時代にうまれた和製漢語には次のような熟語がある。

 中間(ちゅうげん) 武士の家の使用人
 成敗(せいばい)自分の家にとって不都合な人をやっつけること 成功と失敗の言葉からきたらしい。
 奉行、野暮、勘当、立腹、与力、丁稚、世話、逐電、粗末、回心、坊主、面倒、所帯、大切、家来、役者、心中、頓着、代官、芸者、無茶,無下、神妙……………。

 これらの漢語は、中国人に見せても意味がわからない。
 なんで「大切」が「大きく切る」なのだろうか?
 なんで「面倒」が「面を倒す」のであろうか?
 なんで「心中」が「自殺行」なのか?
 それらのことばには、いわれのありそうなものと、完全に当て字だったものとがありそうである。ひまになったら調べてみよう。
posted by mrgoodnews at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本で生まれた漢字熟語(和製漢語) その1

 漢字の造語力はなかなかたいしたものだと思う。今では外来語はほとんどがカタカナになってしまったが、カタカナが使われる前、日本人は漢字を組み合わせて、英語の言葉を翻訳していた。
 そこで、シリーズで「日本で生まれた漢字熟語(和製漢語)」を紹介していきたいと思う。

 まずその1回目は「英語の発音にそのまま漢字を当てた例」の傑作集。
 倶楽部(club)
 型録(catalog)
 画廊(gallery)
 冗句(joke)
 混凝土(concrete)日本語では死語となっているが、中国では現役
 浪漫(roman)
 硝子(glass)これでガラスと読ませている。
 簿記(bookkeeping) これは傑作だと思う。
 ……………

 まだまだありそうな気がする。見つけたら教えてほしい。

 そういえば「字引」は「じびくしょなり」(=dictionary)から来たという説もある。

 アメリカのことを米国、フランスのことを仏国、イギリスのことを英国、イタリアのことを伊国、スペインのことを西国、フィリピンのことを比国などというのはこの名残であろう。中国ではこれは使われていない。これっていつ頃から使われ出したのだろうか?

 数学の「幾何」というのは、geometry の geo と「幾何」の中国語読みが似ているからこの漢字が当てられたものだと言われている。
 「繃帯(ほうたい)」も中国語の読みが bandage に近かったからできたことばらしい。

 「頁」という漢字は「ページ」と読ませるが、日本語では「ケツ」という音があり「頁岩」という地学用語がある。これは新明解国語辞典によると「漢字で『頁』と書くのは『葉』と同音であるので、借り用いた故である」ということらしい。ということは中国語でもこれは使われているのだろうか?
 
 
posted by mrgoodnews at 21:08| Comment(3) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月20日

無財の七施

 「布施」とは本来「見返りを求めない愛の行為」を意味する仏教の言葉です。
 その布施行には3種類あるといわれています。
 ひとつめの「財施」とは文字通り金品を恵むという意味でしょう。
 二つ目は「法施(ほっせ)」といって人々に仏法を説き聞かせることで、これもちゃんとした布施の一つです。
 最後の一つは無畏施(むいせ)といい、一切の衆生に畏怖(いふ=おそれこわがる)の念がないようにさせることをいうのです。これもできたらいいですね。

 さらに『雑宝蔵経〔ぞうほうぞうきょう〕』に「七種施の因縁」として説かれているものです。「仏説きたまふに、七種施あり、財物を損せずして大果報を得ん」とあり、誰にでもできる布施としてしばしば紹介されています。

1 眼 施 がんせ
慈眼施ともいい、慈しみに満ちた優しいまなざしで、すべてに接することをいいます。温かい心は、自らの目を通して相手に伝わるのです。
2 和顔施 わげんせ     
和顔悦色施ともいいます.いつもなごやかで穏やかな顔つきで人や物に接する行為です。喜びを素直に顔の表情にあらわしましょう。
3 愛語施 あいごせ     
言辞施(ごんじせ)の別称もあります。文字通り優しい言葉、思いやりのある態度で言葉を交わす行ないをいいます。
4 身 施 しんせ      
捨身施ともいいます。自分の身体で奉仕をすること。身体で示すことをさし自ら進んで他のために尽くす気持ちが大切です。
5 心 施 しんせ      
心慮施。他のために心をくばり、心底から共に喜び共に悲しむことができ,他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れる心持ち。
6 牀座施 しょうざせ    
たとえば自分が疲れていても電車の中で喜んで席を譲る行為。また競争相手にさえも自分の地位を譲って悔いなく過ごせることをいいます。
7 房舎施 ぼうしゃせ    
風や雨露をしのぐ所を与えること。自分が半身濡れながらも、相手に雨がかからないように傘を差し掛ける思いやりの行為など。

 なかなかいい教えです。年をとって、お金も持たず、体の自由がきかなくなっても、できることなのかもしれません。最後まで、自分のためだけでなく、人のためになることをし続けていきたいと思っている人には、こういう教えはとても役に立ちます。これを最期まで心がけて生きていきたいものです。



posted by mrgoodnews at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月18日

活字の文字配列のこと

 私が若い時に印刷会社に勤めていたことは以前にも書いたが、その会社は私のつとめていた頃(1970〜1980年)は、活版印刷の会社であった。それが活版ではやっていけないというので、写植やタイプレス(モトヤという和文タイプの機械)を導入していったときであった。
 活版印刷の活字を拾う仕事を「文選」といい、それを行間をさだめたり、行組みにするのを「植字({ちょくじ」と呼んでいた)」と言っていて、異なった職人の仕事であった。さらに使った活字を溶かして、新しい活字に鋳込む仕事を「鋳造」といっていた。小さな活字の工場では、一度使った活字をもとの箱へ戻していたが、ある程度の規模になるともう一度鋳込んだ方が能率的なので、「鋳造」の機械をもっていた。
 写植もタイプレスもこの三つの仕事をひとりで行うというところにもメリットがあったのである。

 さて、その「文選」の仕事で、興味を覚えたのは活字の配列であった。文選工は、活字の入った箱をならべた「ウマ」と呼ばれる活字棚から、原稿を読みながら、必要な活字を一字一字拾っていったのだが、その文字配列が独特のものであった。
 基本的には部首配列であったのだが、使用頻度によって、さまざまな工夫がこらされていた。
 もっとも使用頻度の高い活字の入った箱を「大出張」とよび、さらに使用頻度によって「出張」「小出張」という名が付けられていた。それとは別に「袖」という箱には、元号や漢数字、都道府県などよく使う地名などが入っていた。
 ある活版会社の「大出張」には次の117字が入っているという。

上下不中之主事云人今以何来其入内全出分前化又及合名同国場外多女如子学定家実対小少居度彼得後御心思性意成我或所故政教数文方於新時書最会有本業此民気法活無然為物現理生産用田当発的相知社私立組経義者育自至行要見言記説論議通道部重長間関体高点


 また「袖」の箱には次の60字が入っていたという。

一二三四五六七八九十〇百千万銭廿卅壱弐参拾節頁項章厘毛編篇郵税昭和大正明治年月日第等条号東京都市府県区郡町村丁番円金目地


 「出張」の箱は四箱に別れていて、それぞれ二〇〇字余りが入っています。一つの箱に入る活字がこのくらいだったのであろうか。

 さらに、使用頻度の低い文字の箱の中には「泥棒」という名前の箱があった。誰かがいつの間にか持っていってしまうということで名付けられたと聞く。

 考えてみたら、使用頻度の高い活字はたくさんそろえておかねばならないわけで、それもよく使う9ポ、8ポ、初号と活字の大きさ別、あるいはゴシックなど書体別にそろえておかなければならなかったわけで広い場所を必要とした。
 「鋳造」をもっている場合には、「母型」をそろえておかねばならない。
 文選の時にない活字は、活字を逆さまにして「ゲタ」をはかせていた。

 どこに何の文字があるのかを覚えるのは、なかなか大変でやはり「職人仕事」だったのである。

 「製本工」の職人仕事とはまた別な「文字組み版」の職人仕事にあこがれて、私はつぎに「写真植字」の仕事に入っていく。
 これについてはまた改めて書くことにしよう。

posted by mrgoodnews at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

少したたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く

 これも清水義範著「ほめ言葉大辞典」からの引用である。

 勝海舟の「氷川清話」という、明治になってから書いた(語った)本の中に、このエピソードがあるのだ。
「(龍馬がいうには)なるほど西郷という奴はわからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら、大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろうといったが、坂本もなかなか鑑識のある奴だよ」

 つまり、坂本龍馬が西郷のことをこう評したのを。勝が紹介しているのである。勝はこの話を紹介することによって、龍馬をもほめている。
 これも最高の誉め方ではないかと思う。
posted by mrgoodnews at 01:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最高の誉め言葉 アインシュタインがガンディーを誉めた最高のほめ言葉

 清水義範著「ほめ言葉大辞典」(白泉社刊)はなかなか面白い。
 この本は、ある人がある人をほめた「ほめ言葉」が載せてある。私が読んで、その中で最高のほめ言葉だと思ったのは、次のものである。

「来るべき世代の人間はきっと信じないであろう。こんな人間が、この大地の上を歩いていたことを」
 この言葉は、物理学者アインシュタインが、インド独立の父ガンディーを評した言葉である。超一流の歴史上の人物が、また超一流の人物をほめたのである。アインシュタインのガンディーに対する尊敬と、驚嘆と感動がこめられている。

 ガンディーはご存知のとおり、非暴力に徹して、インドの独立を達成した。歴史をふり返ってもどうしてこんなことが可能であったのか、今もって信じられないようなことをガンディーはやってのけた。アインシュタインにとってもそれは信じられないことであった。

 この書にはこんなことも書いてある。

 アインシュタインは、第2次大戦中にナチスが原爆を作ったら大変だと考え、アメリカの大統領にそれを作るように手紙を書いた。しかし、後に「ナチスにその実力がないことを知っていればそんな提案はしなかった」と後悔している。日本への原爆投下に反対運動をし、戦後は核兵器廃絶運動をした。
 そんなアインシュタインだからこそ、ガンディーの偉大さを分かるのである。

 実にまったくそのとおりだと思う。
 
posted by mrgoodnews at 01:08| Comment(1) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月21日

アネモネは風の花

 アネモネは「風の花」の意味なのだそうです。
 アネモとはギリシャ神話の「風を司る神」とか。
 アネモメーターは「風速計」ですね。

 フィンランドの児童文学者、サカリアス・トペリウスの短編小説に「星のひとみ」という本が岩波少年文庫にあります。標題の「星のひとみ」という話しも面白いのですが、この話しはまた別の機会にいたしましょう。

 その中に「白いアネモネ」という短い話しがあります。

 公園に白いアネモネが咲いていました。
 蝶のアポロが来て、白いアネモネの蜜を吸いながら、アポロはアネモネにいいます。
「ぼくがきみを好きなように、きみはぼくを好きかい?」
 アネモネはすなおに応えます。
「ええ、ええ、すきよ」
「そりゃ、けっこうだ」
とアポロはいいました。
 しかし、別の日に別なアネモネのまわりをとんでいるアポロに、白いアネモネが
「あたしがあなたをすきなように、あなたはわたしがすきでしょう?」
 と聞いても、アポロは
「いいや、そんなことはないよ」
と応えます。
「でも、あたし、あなたが好きよ」
とアネモネはいいました。
「それがどうしたっていうんだい」
アポロはそういってどこかへとんでいってしまいました。
 またある日、もうアネモネは萎みかけていました。
 そこへ少年の網に追っかけられて、アポロが逃げてきました。
 アネモネは萎みかけた花の下にアポロをかくまってあげました。
 助けられたアポロにアネモネは
「あたしが好き?」
とまた聞きます。
「なんだって? ぼくはそれどころではないんだ。羽は傷つけられてぼろぼろになってしまったんだ。」
「でも、あたしあなたがすきよ。」
 アネモネはこの言葉を最後に、花びらが全部落ちてしまいました。
 アポロは、そんなこと気にも留めずにバラの花園にいこうと飛び立ちましたが、スズメに食われてしまいました。
 それを見た他のアネモネたちは、風にそよぎながらいつもささやきあっています。
「あたしがあなたを好きなように、あなたはあたしが好き?」
「あなたがあたしをもう好きでなくても、あたし、あなたが好きよ」

 こんな話しです。
 この話しを読んで、私も「白いアネモネ」がいっぺんに好きになってしまいました。

 ところで、ギリシャ語の「アネモ」はラテン語の「アニマ」(=霊魂、いのち、いきの意味)と語源的には関係あるのでしょうか?
 カメオに「白いアネモネ」というのがありました。

アネモネ 
posted by mrgoodnews at 23:02| Comment(3) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月26日

雨の日には雨の中を、風の日には風の中を


みつを 私は、相田みつをの言葉や字をそれほど好きではないのだが、この言葉だけはいいと思っている。どこかのバザーでこの字を書いたお皿がでていたので(確か100円だったと思う)思わず衝動買いしてしまった。100円では「衝動買い」には入らないかもしれないが。

 私は駅から勤務する学校までを毎日歩くことにしている。その時のモットーがこれである。雨に日にはびしょぬれになっても歩くし、風の日には吹き飛ばされそうになっても歩く。
 さらに、「暑い日には暑い中を、寒い日には寒い中を」といいながら歩く。おかげで夏は汗でびしょびしょになる。汗くさくなって生徒たちから嫌われてもいいと思っている。汗をかくことを苦にしないのもこのモットーのおかげである。

 この言葉は、いろいろなところに応用が利く。
「お金のない時にはお金のない中を」とか「疲れている時は疲れている中を」とか、それでも歩き続けるのである。
posted by mrgoodnews at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月15日

メッセージシール その2


シール3 手紙の封緘紙として使ってもらうべく、私が写植工をしたときに造ったものを紹介しています。
 これを造る時には、写植でどう文字をデザインするかということとともに、どういうメッセージをのせるかということを考えました。
 そういうときに日本語は、短い言葉の中に豊かなメッセージをこめた言葉があることに気づきました。「四字熟語」です。写真に掲載しているものは、その「四字熟語を中心としたシリーズ」です。私の好きな「四字熟語」を選んでみました。

「積極果敢」
「積極」とは「自分で進んで物事を行うこと」。でもなぜ「積極」なのでしょうね。調べてみるとこれはいわれがありそうです。「果敢」は「やろうと思うことを思い切ってする様子」です。

「勇気凛々瑠璃の色」
 この言葉を聞いたことのある方は団塊の世代ですね。
「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団。勇気凛々瑠璃の色、朝日に輝く呼び声は朝焼け空にこだまする、ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団。」
 私が小学生の頃に聞いていたラジオ番組「少年探偵団」の主題歌でした。あのころはこの意味が分からずに歌っていました。今でもなぜ勇気がリンリンなのか、なぜそれが瑠璃の色なのかはわかりませんが、この言葉は大好きです。

HERE and NOW
 もじどおり「いま、ここで」の意味です。「ここがロードス島だ。ここで跳べ」というギリシャのことわざを思い出します。ある男が、自分がロードス島で行われた競技大会の跳躍でいかに活躍したかを得意げに語っていました。そしたらそれを聞いていた別の男が「ここがロードス島だと思って、今ここで跳んでみろ!」といったのですね。

「自由闊達」
「闊達」とは「性格が明るくてこだわりがなく、人の意見などをよく受け入れる様子」とあります。「滑脱」という言葉もありました。これは「局面の変化に対応して、自由な行動が取れる様子。円転滑脱。」これもいい言葉です。

「比翼連理」
 たしか、白楽天の長恨歌にある言葉です。玄宗皇帝と楊貴妃の仲睦まじく愛情の深い様を表現した言葉です。「願わくは天にありては比翼の鳥、地にありては連理の枝とならん」という句でした。

「前途洋々」
 これは、説明するまでもないことですが、「将来が開けていて、大いなる可能性を持っていること」です。

「寸楮拝呈」
 「寸楮」とは「短い手紙」のこと。「短い手紙をさし上げます。お返事をください。」という意味でしょう。

 このシールは、色の濃いのが、シルバー地に紺青の印刷で、色の薄いのが、浅葱色で印刷したものです。




posted by mrgoodnews at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月14日

メッセージシールをつくっていました その1


シール2私が写植工をしていた時代のいまから30年以上前のことです。
写真植字の技術を生かして、写真のようなメッセージシールをつくったことがありました。
同じ印刷会社にシール印刷の部門があって、そこに頼んで作ってもらいました。
手紙の封緘紙として使ってもらえたらいいかなと思って作ったものです。つや消しのシルバー地に群青色、紺青色、あるいは浅葱色で印刷しました。これは電気製品に品名を記すシールとして印刷されたものをみて、この組み合わせがとてもよかったから、つくってみたものです。

この写真のものは、シルバー地に群青色で印刷したものです。

Jesus of Nazareth
REQUEST THE HONOR OF YOUR PRESENSE
AT A DINNER TO BE GIVEN IN HIS HONOR.
ナザレのイエスが、彼の誉れによってひらかれる晩さんに
あなたを招待する栄誉を求めておられます。


これはアーガスポスターに書かれている文句から拝借しました。訳が難しい!

人間はどの人も例外なく、神のつくられた最高の傑作です。駄作や失敗作はありません。


これはME(Marriage Encounter)の「God doesn't make junks(神さまはガラクタをつくられない)をCLCふうに言い換えたものです。

冬はおまえたちのものだろう。
しかし春はわれわれのものだ。
ポーランド「連帯」



1980年頃ポーランドの労働組合「連帯」の落書きのメッセージです。ワレサ議長という英雄がいました。この人はのちにポーランドの大統領になる。

Monstra Te esse Matrem
「なんじの母たるを示したまえ」
聖イグナチオの祈り


聖母マリアに向かって、イグナチオは「聖母マリアよ、あなたが人類の母たることをお示しください」と祈るのですね。

あなたの若い日に
あなたの造り主を覚えよ
伝道の書12章1節


旧約の伝道(コヘレト)の書の有名な1節です。

できるなら
だれかの心のキャンドルに
私の炎をともしたい。
私の希望を伝えたい


これは30年前のFM東京の{FMファミリー」という番組の中で述べられた言葉でした。

HAPPINESS COMES FROM
FEELING DEEPLY,
ENJOYING SIMPLY,
AND THINKING FREELY.


「幸福は深く感じ、単純に楽しみ、自由に考えるところからやってくる」日本語にしてしまうと味わい深さがなくなってしまうけど、英語にすると実にいい表現となると思っています。これもアーガスポスターからの言葉だったようです。







posted by mrgoodnews at 01:00| Comment(1) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

「おめざ」ということばしってる?

 今日の昼休みの話題は「おめざ」という言葉であった。
 私の友人の女性が、ツアで旅行に行った時に、同室になった女性から「おめざのフルーツがありますよ」って起こされたというのである。
 わたしは「なに、それ?」って思わず聞いてしまった。なんでも「お目覚めにフルーツを」ということなのだそうである。
 辞書で調べてみたら、「目を覚ました時に子供に与える菓子」とでていて「お目覚めの意の幼児語」とでていた。辞書にも出ているくらいなのである。

 どうもこれはセレブのことばらしい。私が知らないわけである。
 それでいろいろな人に「この言葉を知っているか?」と聞いてみたら、案の定「知っている」という人と「知らない」という人に別れた。生まれ育ちの差であるらしい。

 今度生徒に聞いてみよう。
posted by mrgoodnews at 01:28| Comment(4) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月29日

カイロスとクロノス

 ギリシャ語には「時」を表す言葉として、カイロスとクロノスという二つの言葉がある。
 カイロスは「ここぞという好機」を意味し、クロノスは「流れゆく時」を意味するのだそうだ。
 語源はともに、ギリシャ神話の神々の名前である。カイロスは、もともとは「切断する」という意味の言葉から由来し、ゼウスの末子で前髪は長いが後ろははげた美少年で表されているという。クロノスはもともとは川の流れを司る神であったようである。

 岩波の「哲学思想辞典」にとてもよい解説があった。それによるとカイロスは「宿命あるいは神意によって配列され、人間には決定的応答を要求する時」なのである。言い換えると神の摂理(計画)によって与えられた人間の応答を求める時である。

 マルコ福音書では、イエスの洗礼のあとに、イエスはガリラヤにいき、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1章15節)と述べられたとある。このときがまさに「カイロス」なのである。カイロスは「満ちる」とか「熟す」とかいうものであろう。
 そして人間の応答を求める。まさに「好機到来」なのである。

 また旧約の「コヘレトの書」の3章には
「何ごとにも時があり、
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時……………。」
 という箇所がある。これは旧約なので、ヘブライ語で書かれてはいるが、ギリシャ語に訳された時は「カイロス」と訳された。

 ちなみに、私の学校の「学校報」のタイトルは「カイロス」である。

 

posted by mrgoodnews at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする