2017年06月24日

ペドロ・アルペの祈り

ケベックでの SIGNIS World Congress での映画「沈黙 silence」上映の前に入り口にイエズス会カナダのブースがあった。そこにいって私は日本のイエズス会のハイスクールで洗礼を受けたといったら、とても喜んでくれていろいろなものをくれた。

その中に「ペドロ・アルペの祈り」があった。ペドロ・アルペ神父はもとのイエズス会総長。日本の終戦のときに広島にいた。

Nothing is more practical than finding God,
that is, than falling love in a quite absolute, final way.
What you are in love with,
what seizes your imagination,
will affect everything.
It will decide what will get you out of bed in the morning,
what you do with your evenings,
how you spend your weekends,
what you read,
what you know,
what breaks your heart,
and what amaze you with joy and gratitude,
Fall in love, atay in love, and it will decide every thing.

神を見いだすことほど実質的なことはないだろう。
それは絶対的にして究極の愛に恋するようなものだ。
あなたを愛するもの、
あなたの想像力をとらるもの
それがあらゆることに影響を与えるのだ。
なにが朝ベッドからあなたを起こさせ、
なにを夕方におこない
どのように週末を過ごし、
なにを読み、
なにを知り、
なにがあなたの心を引き裂くのか
そしてなにがあなたを喜びと感謝で楽しませるのかをきめるであろう。
愛に落ち、愛にとどまりなさい。
それがあなたのあらゆることをきめるであろう。
(土屋至 訳)

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2017年01月23日

自分の幸せとだれかの幸せ

毎日新聞の日曜クラブで連載中の小川糸さんの「日曜日ですよ!」にこんな祈りが紹介されていた。小川さんは寝る前や朝起きたときにこの祈りをするという。この人は特別に宗教をもっている人ではないようである。



自分の幸せと誰かの幸せ

毎晩寝る前や、朝起きた時など、布団に横たわったまま、瞑想するようにしている。
同じ言葉を唱えるのだ。

私が幸せでありますように。
私の悩みや苦しみがなくなりますように。
私の願い事が叶いますように。
私に悟りの心が現れますように。

私の親しい人たちが幸せでありますように。
私の親しい人たちの悩みや苦しみがなくなりますように。
私の親しい人たちの願い事が叶いますように。
私の親しい人たちが悟りの心が現れますように。

生きとしいけるものが幸せでありますように。
生きとしいけるものの悩みや苦しみがなくなりますように。
生きとしいけるものの願い事が叶いますように。
生きとしいけるものに悟りの心が現れますように。

私の嫌いな人たちも幸せでありますように。
私の嫌いな人たちの悩みや苦しみがなくなりますように。
私の嫌いな人たちの願い事が叶いますように。
私の嫌いな人たちに悟りの心が現れますように。

私を嫌っている人たちも幸せでありますように。
私を嫌っている人たちの悩みや苦しみがなくなりますように。
私を嫌っている人たちの願い事が叶いますように。
私を嫌っている人たちに悟りの心が現れますように。

そして最後にもう一度、
生きとしいけるものが幸せでありますように
で終わる。


 これはスリランカの仏教のお坊さんが提唱している祈りであるらしい。
 そうしたら1月22日の毎日新聞の投書欄にこの祈りに共鳴した主婦の方の投書が載っていた。

 寝る前や朝起きたときなど瞑想をするようにしていて、自分の幸せをまず願い、それから親しい人たちや生きとし生けるものの幸せを願い、さらには自分の嫌いな人たちや自分を嫌っている人たちの幸せを願うと書かれていました。これを読むだけで、とてもうれしい気持ちになれました。
 自分自身が幸せになる延長線上に、誰かの幸せもあるという考え方。私自身は眠れない夜など、とりあえず「ありがとう」と心の中で繰り返し唱えることはあるのですが、自分の嫌いな人や自分を嫌っている人のしあわせをかんがえたことはありませんでした。
小川さんも初めのころは抵抗があったものの、今は何も思わないとのこと。私もそうなるように、この言葉を唱えて瞑想をしたいと思います。


 この祈りは宗教を超えた普遍的な祈りであると思う。祈りは宗教の独占物ではない。宗教を信じていない人ももちろん祈っていいのだと思う。無宗教の人の祈りでも神さまも仏さまも必ず聞き届けてくださるであろう。

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2016年02月29日

「脳科学からみた祈り」(中野信子著)読みました。

 「脳科学からみた祈り」(中野信子著 潮出版社刊)を読みました。
 この本の著者が昨年6月にNHKFMの「トーキングウィズ松尾堂」に「脳科学で婚活」というテーマの時に出演していたのを興味深く聞いていたことがありました。

NoutoInori

 内容は腰巻きに書いてあることでうかがい知れます。
「前向きな心、感謝、他人を思う祈りが脳細胞を活性化、免疫力を高める」
祈りの脳科学
*「よい祈り」を続けるとよい方向に変わる
*祈りこそ良薬 −−脳と免疫力の関係
*対話こそ脳を育てる最高の刺激
*利他行動で相手が変わるとき、自分も変わる

こんなことも書いてありました。
 さきに「『よい祈り』はベータエンドルフィンやオキシトシンの分泌を促し、そのことが記憶力の向上にも結びつく」と書きました。すなわち「よい祈り』は展望的記憶の強化にも役立つと考えられるのです。
そもそも祈りとは、本来、未来に向けられるものです。変えようがない過去に祈りを向けても仕方ありません。亡くなった方のことを祈る場合でも、私たちはその人の生命が未来に向けて安らかであるよう祈るものです。
祈りは「未来をよい方向に変えようとする営み」ですから、私たちは祈るとき、未来に心を向けます。将来かくありたい、かくあってほしいという願いが祈りなのです。だからこそ祈りという営みの中で、人はおのずと展望的記憶を強化していけます。
すなわち、脳科学から見れば、日常的に祈っている人ほど、展望的記憶をしっかりともっていきいきと生きることができるのです。それがポジティブな利他の祈りであれば、脳に与えるよい影響も強まって、なおのことよいでしょう。
東日本大震災の発生以来、日本中、世界中の人々が、日本のため、被災地のために祈りを捧げています。いまほど、日本という国が深い祈りに包まれているときはないでしょう。
そして、日本を含むその祈りが、この未曾有の事態を乗り換えていこうという未来への力強い祈りであるなら、ここまで説明してきたとおり、それは祈っている人の脳内を変え、心を変え、そのことを通じて人々の生き方をよい方向に変える営みへとつながっていくと言えるのです。

こんなことも書いています。「自分からは縁遠い他人のための祈り」とか「汝の敵のために祈れ」「迫害するもののために祈る」という「配慮範囲」のひろい祈りこそ「運を導きだし、幸福感を高める」とまで述べています。
 近年、京都大学の藤井聡教授が、心理学的アプローチから「運」の正体に迫(せま)った、「他人に配慮できる人は運がよい」という論文を発表しました。
これは、「認知的焦点化理論」というものを用いた研究です。「認知的焦点化理論」とは、かんたんに言えば、「人が心の奥底で何に焦点を当てているか?」によって、その人の運のよし悪しまでが決まってくる、という考え方です。
藤井教授の研究で、「利己的な傾向を持つ人々の方が、そうでない人々よりも、主観的な幸福感が低い」ということが明らかになりました。利己的な人ほど、自分は幸福でないと思ったり、周囲の人々に比べて不幸だと思う傾向が強い、という結果が示されたのです。
「認知的焦点化理論」では、どのくらい遠くの他人、そして遠くの未来のことまで配慮できるか、ということを「配慮範囲」という尺度で表します。
人の心の「配慮範囲」には、「関係軸」と「時間軸」があります。
関係軸とは、家族→親戚→友人→知人→他人という順に、心理的な距離がだんだん遠くなっていく社会関係のこと。
時間軸とは、現在→数日先→自分の将来→社会の未来という順に、思いを馳せる時間的範囲が広がっていくこと。
自分から離れれば離れるほど、範囲が大きくなります。
これが「配慮範囲」です。
利己的で自分のことしか考えず、目先の損得にしか関心がない人は、配慮範囲が狭い人です。
逆に、他人や遠い将来のことまで思いを馳せることができる人は、配慮範囲が広くなります。
藤井教授の研究によれば、配慮範囲の狭い利己的な人は、ある程度までは効率よく成果をあげられるものの、目先のことにとらわれて協力的な人間関係を築けないため、総合的にみてみると、幸福感の感じられない損失が多い人生となる、とのことです。
逆に、配慮範囲の広い利他的な志向を持つ人は、よい人間関係を持続的に築けるため、自分の周囲に盤石(ばんじゃく)なネットワークをつくることができます。
言いかえれば、周囲のみんながこぞってその人を助けてくれるわけです。
こうしてみると、よりたくさんの範囲の人、より遠い未来のことまで配慮できる人ほど運がよい、というのも、ごくあたりまえのことに思えてきます。

中野さんはクリスチャンではなさそうですが、しかし「祈り」の本質を捉えていると思いました。

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2014年05月13日

試験の時に何を祈るか? 宗教科教育法3-2

「宗教科教育法」第3回目授業の「祈りをどう教えるか?」の続きです。「試験の前に何を祈るか?」という問いかけを生徒たちにしてみました。この問いかけは祈りとは何かを知る上にとても良い問いかけだと思っております。
 ちなみに「試験の前の祈り」というので検索したらここここにありました。これも一つの参考になると思います。
 このことについて、私は「心のともしび」で書いたことがありますので、それを転載します。本来ならば「心のともしび」のホームページにリンクを張るべきなのですが、残念ながら最近のリニューワルに伴い読めなくなってしまったので、ここに全文を掲載させていただきます。

「心のともしび」原稿「祈りの時」
テストの前の祈り
土屋 至  

 私が勤めていた学校では朝礼の時間に祈りと歌が全校放送される。決められたお祈りを唱えたあと。歌をはじめる前に1分くらいの短い沈黙の時間があり、それぞれが自分の祈りをすることになっている。
 あるとき、生徒に
「試験の日の朝礼の祈りの時に、どんなことをお祈りしている?」
と、聞いてみた。
「そんなの『いい点を取れますように』っていのるに決まっています。」
このこたえをかわきりにいろいろな答えが続いた。
「わたしは昨日勉強したところがでますようにってお祈りします。」
「私はこう祈ります。自分のしてきた勉強の成果があらわれて努力が報われますようにと」
「わたしはあまり勉強しないので、いつも試験の前には努力した以上の結果が出ますようにと祈っています。これってムシがよすぎるでしょうか?」
 生徒の質問の矛先が私の方に向けられてきたが、それには直接答えず、生徒に聞き返す。
「さあ、どうかな? みんなはどう思うかな?」
「神さまが喜ばれるお祈りというのがあると思います。あんまり自分勝手なムシのいい願いは神さまのご機嫌を損ねちゃいます。」
「神さまは寛大な方だから、たとえムシのよい願いだとしてもきっと聞いてくださいます。イエスさまもわたしの名のもとに祈ることはきっとかなえてくださるっていわれていま〜す」
「聞いてくださることは確かだけれど、その願いどおりになるわけではないですよね。たとえ試験で悪い点だったとしても、その人のことを考えてその人のためになるようにとりはからってくださっているはずです。よく『みこころが行われますように』というお祈りするけれど、それってこういう意味ですよね。先生」
 この生徒は私の言いたかったことをみんな言ってしまった。だから優等生は嫌いなんだ。

これを読んで何を考えますか?

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2014年02月09日

「シニアの霊性」体験プログラムの提案

 私の卒業した高校である栄光学園同窓会には「栄光同窓カトリックの会」という支部みたいなものがあります。カトリックの信者の卒業生の集まりです。私はここの13期生なのですが、私がもっとも若くて、古くは1期生からいます。
 このたび「栄光同窓カトリックの会」のメンバーのための黙想会を3月15日〜16日に鎌倉の十二所黙想の家で行うことになりました。
 ただし、今回は同窓会メンバーのための黙想会なので、参加のご希望をいただいてもお応えできませんが、いつか一般の方々の参加できる「黙想会」として企画できたらいいなというのが私の夢です。
 もしもこのプログラムに参加してみたいという方がおられたらコメントにお寄せください。そうしたら実現できるでしょう。
 その黙想会のために、黙想指導の神父さんに書いた提案書をこの私のブログで紹介します。黙想指導のプロである神父さんにこんな生意気な提案をすることの失礼は重々認識しておりますが、あえて提案させていただきました。

 このたびは「栄光同窓カトリックの会」の黙想会指導をお引き受けいただきありがとうございます。
 実は、私はこれには出席できないのですが、この同窓会幹事のひとりとしてこの「シニアの霊性」というテーマの黙想会を提案しました。
 黙想指導のプロである神父さまに、この黙想会に参加できない私が、こんな生意気なことを申し上げる失礼もおゆるしください。
 今度の黙想会は、ぜひ神父さまのやり方でおすすめください。
 でもどうしても神父さまにお聞きいただきたく、メールいたします。
 実はこの種の黙想会は、高齢化が進むいまの教会に必要なことだと思うのです。教会の中だけでなく、一般の人びとにも有効だと思うし、なによりも福音宣教の最も有効な手段となり得るとさえ思っています。信者でない一般の人たちにこのような「シニアの霊性」体験プログラムを提供できたら、きっと信者となる人が増えるでしょう。
 十二所の黙想の家は、これからそういうプログラムを体験できる場として、地域にそして一般の人びとに開かれていく場となるように提案したいと思っているので、今回の黙想会はそのテストケースになるかもしれません。

1,この黙想会のスタイルについて
 私は、東京で行われている「カトリック学校教員養成塾」のスタッフを務めて5年目になりますが、毎年年末に合宿を致します。そこで「自分の教員生活を振り返る」ということをします。
 たとえば「教員になったきっかけやその学校に勤めることになったきっかけ」「自分に影響を与えた先生たち」「生徒との交わりの中で得たこと」「同僚たちとの交わりの中で」「これから私のめざすこと」というテーマのもとに5つのセッションを行います。
 それぞれのセッションは、スタッフのひとりの自分の経験についての簡単なプレゼンテーション(15分程度)、1時間の個人の振り返りの時間、そして1時間の5〜6人グループでのわかちあいによって構成されています。
 1時間の振り返りの時間は沈黙でそれぞれの部屋や聖堂、あるいはその集会の部屋で行います。思いつくことをノートに書いていく人もいれば、書かないでひたすら黙想する人もいます。
 分かち合いは、その振り返りの時間で何を感じ、何に気づき、何を考えたのかということを分かち合います。先ず順番にひとり5分くらいの報告をしほかの人は聞き合います。それを一巡したら、ほかの人の分かち合いを聞いて感じたこと考えたことを今度は順番を決めずに第2ラウンドを行います。分かち合いなので、他の人の分かち合いを批判したり、注釈をくわえたり、説教をしたり、助言をしたりするのはすすめられません。
 グループのまとめをしたり、全体への発表や報告をしたりすることは必要ありません。
 じつは今度の黙想会もこのスタイルをとったらいいとおもって、スケジュールを作りました。
 スケジュールには1時間の講話、1時間の黙想、1時間の分かち合いとなっておりますが、講話に1時間必要ないと思われます。テーマの解説と具体的な作業の指示、その作業をしてみて神父様ご自身のケースについての話をしていただければいいと思います。これはあくまでも自分の振りかえりを助けるための「呼び水」みたいなものです。
 教会の黙想会の多くは、講話と黙想だけで構成されていることが多いのですが、ひどいときには「黙想会」といいながら講師の講話を聞くだけというのもあります。ここでは講話が中心というよりも、個人の振り返りが大事なのだと思います。講話はそれを助けるためのものであってほしいのです。

2.各セッションのテーマについて
 この黙想会の全体のテーマは「シニアの霊性」です。おそらく参加者の中でも私がもっとも若い世代となり、参加者の多くは70代となるはずです。いまふうにいうならば「終活」ですね。そんなシニアのためのテーマは次の三つになるのではないかと思うのです。
 ひとつは自分のライフストーリーを振り返る。人生の総決算とでも言えるかもしれません。
 他のひとつは「死の準備と永遠のいのち」ということでしょう。
 そして3つめは「残りの生をどう生きるか」
 黙想者はそれぞれのテーマについて、もっとも応えやすい問いかけを選んで、それについてあれこれと思い巡らしてみて、神さまと対話してみるというのが振り返りの時間です。思い浮かべたことや気がついたこと、感じたことなどをノートにメモしておくといいでしょう。

1)自分のライフストーリーを振り返る
自分に与えられた恵みと逃してしまった恵み
自分の人生のラッキーだったこととアンラッキーだったこと
私がこれまでにやってきたこと、やってこれなかったこと、あるいは成功と失敗をふりかえる
私の人生のターニングポイント、選択の歴史
クリスチャンとして信仰をもって生きてきて、損をしたと思うこと、得をしたと思うこと
どういう呼びかけにどう応えてきたのか、あるいは応えてこなかったのか?
人生を生きてきての誇りと悔い
自分の自慢、手柄、功績のリストづくり
自分の遺産のリスト 残しておきたいもの、何を遺産として残したいか、誰かに受け継いでほしいこと、自分の記念館を作るとしたら、何を展示し、自分の生涯をどう紹介するか。
自分の「ライフワーク」や自分史の目次づくり
もっとも愛する人へ、毎年命日になると配信される手紙を書く。
自分の人生の意味を考える。ライフストーリー、人生シナリオ。このストーリーやシナリオの作者である神さまは、主人公のあなたをとおして何をお伝えになりたかったのか?

2)死の準備と永遠のいのち
 私は個人的にこのテーマを黙想するのにもっともいいのは、デ・メロ神父の提唱する「臨終と葬式のエクササイズ」だと思っています。ご存知だと思いますが、これは「東洋の瞑想とキリスト者の祈り (アントニー・デ・メロ 著 裏辻 洋二 訳 女子パウロ会刊)に掲載されています。「幻想を用いて祈る」という章に紹介されている一連の黙想です。

●生命(いのち)その真価 
●視力を失う自分を想像する
●全身麻痺でベッドに横たわっている自分が、徐々に麻酔から覚めていく自分
●病院で入院中の自分
●体よ、さようなら
●あなたの葬式と埋葬

 私はこのエクササイズをCLCのなかまとともに過去に体験したことがあります。素晴らしいエクササイズでした。とくに「体よ、さようなら」でイエズスがそこにおられて「体の各部分に、至(注・私の名前)の手よ、至のためによく尽くして働いてくれた」と手に感謝している部分を想像したときに涙が止めもなく流れてきたのを思い出します。
 この黙想会では聖堂で実際にこれをガイドしてくださるのが一番いいのではないかと思っています。もっともこのエクササイズに抵抗して祈れない人も出てくるでしょうが、そこをうまくガイドしていただいて、このエクササイズをしたあとに分かち合うのは素晴らしい信仰体験になるはずです。
 ここに現代的でほんものの『霊操」のエッセンスが込められているような気がしますが、いかがでしょうか?

3)残りの生をどういきるのか?
 これも具体的なリストをつくる作業として行えばいいと思います。
●死ぬまでにやっておきたいことのリストづくり ともかく思いついたことを箇条書きにしてどんどんあげていきます。行きたいところ、会っておきたい人、体験しておきたいこと………などを思いつくままにあげていきます。できるだけたくさんリスとしたら、それを読みかえしてみます。そのなかで何を優先するのか、明日にでもすぐにできることは何か、何から手をつけていくか、順番をつけてみましょう。これは簡単にできそうということ、これはムズカシイということ、後まわしにしそうなことに印をつけてみてください。
●今からでもいや今だからこそできる、あるいは私だからこそできる「人のため社会のために今の自分にできること」をあげてみる。
●遺言として、信仰を子どもや孫たちにどう伝えるか

 ながながとお読みいただいたことを感謝いたします。これをお読みになって、お感じになられたこと、お考えになったことを伺えたら幸いです。
 黙想指導のプロである神父様にこんな生意気なことを申し上げる失礼をかさねがさねおわび申し上げます。
 今度の黙想会はどうぞ神父さまのお望みどおりにおすすめください。実りある黙想会になるようにお祈りしています。

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2014年02月08日

デ・メロの「臨終と葬式のエクササイズ」のオススメ

 インド人のイエズス会士アントニー・デ・メロ神父の著書に「東洋の瞑想とキリスト者の祈り (アントニー・デ・メロ 著 裏辻 洋二 訳 女子パウロ会刊)という本があります。そのなかの「幻想を用いて祈る」という章に紹介されている一連の黙想として「臨終と葬式のエクササイズ」があります。
 このエクササイズを私は20年近く前に体験したことがあります。これは別にクリスチャンでなくても体験できるエクササイズですが、やはり信仰をもって生きることのすばらしさも体験できるプログラムです。
 その一部を抜粋して紹介してみましょう。

●生命(いのち)その真価 

先日あなたは精密検査をうけました。今日その結果が出るのでそれを聴きに行きます。………待合室にいます。周りを見渡してみましょう。………診察室に入りました。ドクターと向き合いました。………ドクターは「検査の結果、あなたは不治の病におかされている、普通人としての活動だできるのはあと2か月でしょう」とわたしに告げました。
突然のこの宣告を受けて、あなたは何を感じますか? 胸の内に湧いてくる思いにしばらくとどまってください。………
外に出ました。この気持ちをどうしますか? 誰かにあって話したいですか?


●視力を失う自分を想像する
●全身麻痺でベッドに横たわっている自分が、徐々に麻酔から覚めていく自分
●病院で入院中の自分 夜も更け、ひとりぼっちでいると想像してください。

●体よ、さようなら

 息をひきとる前に、みなに別れを告げようとしていると想像してください。あなたに、1,2時間のいのちが残されているだけです。この最後の時を、あなたは自分自身と神のために使おうととっておいたのです………。
 では、自分に語りかけてください。体の一つ一つの部分に、手、足、心臓、脳、肺に語りかけます………。ひとつひとつにさようならと告げてください………。
 おそらくこのとき、生まれてこの方はじめて、まさに死なんとしているのだと意識するでしょう。
 体の一つ一つの部分をいつくしんでください。左手にそっと右の手をのせ、今まで自分のために骨身をおしまず、尽くしてくれたことを感謝しましょう………自分にとってじつに貴重な存在であったと話してください………今どれだけいつくしみを持ってこの右手をながめているかを話してください………ほどなくして塵に帰ってゆくこの右手に、心からの愛情と感謝をささげましょう………体の各部分、各器官についてひとつひとつ、そのようにします………終わりにあなたの体全体、この固有の姿、かたち、容貌、肌の色、上背、造作を持った体について同様にします………。
 イエズスが傍らにおいでになると想像してください。あなたの体の各部分が、あなたの生涯に尽くしたことに、イエズスが感謝の言葉を述べておられるのを聞いてください………イエズスがその愛と感謝で、あなたの体を満たしておられるのを見つめてください………。
 イエズスがあなたに語りかけられる、そのみ言葉に耳を傾けます。


●あなたの葬式と埋葬

 ………あなたの遺体をよく見てください………ことにその表情に注目しましょう………あなたの葬儀に参列している人をながめます………葬儀ミサの説教を聞いてください………この司祭はあなたについて何を語っていますか………それを聞いてあなたは何を感じますか?………
葬儀が終わりました………ひとりひとりが家路につきます………道すがらあなたについて話していることに耳を傾けてください………それを聞いて何を感じますか?………
葬儀が終わって、あなたの遺体が埋葬されたお墓の前に立っています。家族や友人があなたの墓の前で手を合わせて祈っています………あなたは家族や友人たちが墓の前から去っていくのを見送っています………何を感じますか………ここにたたずんで、あなたの生涯とさまざまの体験を振り返ってください………生きるに値した人生でしたか………?


 私はこのエクササイズをCLCのなかまとともに過去に体験したことがあります。素晴らしいエクササイズでした。とくに「体よ、さようなら」でイエズスがそこにおられて「体の各部分に、至(注 私の名前です)の手よ、至のためによく尽くして働いてくれた」と手に感謝している部分を想像したときに涙が止めもなく流れてきたのを思い出します。
 もっともこのエクササイズに抵抗して祈れない人も出てくるでしょうが、そこをうまくガイドしていただいて、このエクササイズをしたあとに分かち合うのは素晴らしい信仰体験になるはずです。
 ここに現代的でほんものの『イグナチオの霊操」のエッセンスが込められていると思います。

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2014年02月07日

若山牧水の歌の抒情

若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。宮崎県生まれ。
1920年より沼津に住む。沼津に若山牧水記念館がある。今度訪れてみよう。

旅を愛し、旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に歌碑がある。大の酒好きで、一日一升程度の酒を呑んでいたといい、死の大きな要因となったのは肝硬変である。ちなみに、夏の暑い盛りに死亡したのにもかかわらず、死後しばらく経っても死体から腐臭がしなかったため、「生きたままアルコール漬けになったのでは」と、医師を驚嘆させた、との逸話がある。自然を愛し、特に終焉の地となった沼津では千本松原や富士山を愛し、千本松原保存運動を起こしたり富士の歌を多く残すなど、自然主義文学としての短歌を推進した。


代表作はなによりもこの三つであろう。

白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ
いざ行かむ 行きてまだ見ぬ 山を見む このさびしさに 君は耐ふるや
幾山河 越え去りゆかば 寂しさの 果てなん国ぞ けふも旅行く


これは作曲:古関裕而で藤山一郎が歌っていますが、YouTube に見つけましたが、これは歌詞が入っていない。

他にも鮫島有美子が歌っています。


上記の歌以外でもこんな歌がいいですね。

0903wakayama
 わが行くは海のなぎさの一すぢの白きみちなり尽くるを知らず
 山に来てほのかにおもふたそがれの街にのこせしわが靴の音
 はるばると一すぢ白き高原のみちを行きつつ夏の日を見る
 わがこころ静かなる時につねに見ゆ死といふもののなつかしきかな
 海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり
 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ
 終りたる旅を見かへるさびしさにさそはれてまた旅をしぞおもふ
 秋かぜや日本の国の稲の穂の酒のあぢはひ日にまさり来れ
 なすべきをなさざる故にこの如くさびしきものとなりしやわれは
 いつか見むいつか来むとてこがれ来しその青森は雪に埋れ居つ
 めいめいのこころそれぞれに向きてゆくこの友どちをとどめかねつも
 いまいちどあひておかねばならぬごときおもひは苦しいつ逢ふべしや
 それほどにうまきかと人のとひたらばなんと答へむこの酒の味
 酔ひぬればさめゆく時のさびしさに追はれ追はれてのめるならじか
 おだやかに妻にものいふやすらけきこころをわれの持たぬものかも
けふもまた こころの鉦を 打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あくがれて行く
山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君
うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花
とほ山の峰越しの雲のかがやくや峰のこなたの山ざくら花


師の尾上柴舟は、牧水の死を悼んで、「そのかみの西行芭蕉良寛の列に誰置くわれ君を置く」と詠んだ。
さて、あなたはどの歌がお気に入りですか?

ちなみに若山牧水の歌はここにある。

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2013年11月03日

こんな祝福がおくられたら最高です。An Irish Blessing

こんな祝福の祈りが送られたら最高だと思います。友人のFBで紹介されました。
何かのお祝いにこのURLを送ってみてください。このメッセージと歌にきっと受取手は感激するでしょう。
http://www.andiesisle.com/anirishblessing.html

ちなみに「Irish Prayer」で探してみるとけっこうたくさん出てきますが、この言葉は出てきませんでした。
それからこの歌を歌っている Roma Downey も探してみました。おもわず、この人のCDを iTunes Store から購入してしまいました。
この祈りの言葉を dictation してみました。どなたか日本語に翻訳してみてくださ
い。

An Irish Prayer

This Blessing is for you

May the blessing of light be upon you
Light on the outside and light on the inside.
With God's sunliht shine on you, may your heart glow with warmth like a turf fire that welcomes friends and strangers alike.
May the light of the Lord shine from your eyes like a candle
in the window welcoming the weary traveler.
May the blessing of God's soft rain be on you,
falling gently on your head refreshing your soul with the sweetness of little flowers newly blooming
May the strength of the winds of heven bless you carrying the rain to wash your spirit clean sparkling after in the sunlight.
May the blessing of God's earth be on you and as you walk the roads, may you always have a kind word for those you meet.
May you understand the strength of power of God in a thunder storm in winter
And the quiet beauty of creation and the calm of a summer sunset.
And may you come to realize that insignificant as you may seem in this great universe...
You are an important part of God's plan.
May He watch over you
And keep you safe from harm.


わたしはその中でこの言葉が好きです。
ImportantPart

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2012年11月06日

世界中で「スタンド・バイ・ミー」を歌う

Facebook で友だちが教えてくれたYouTube の動画です。



世界中でこの歌を歌って、それがこういうように一つに合わさって、上演できるっていうことが可能になってきたということですね。
そういえば、前にもこういうYouTube 動画を紹介したことがあったけれど、あれはどこだったっけ?(と自分で作ったブログの検索をはじめるがみつからない。)
たしか、一人一人が歌っている場面を自分でビデオで撮って、それをネット上で合成して大コーラスにするという試みだった。

ちなみにこの「スタンド・バイ・ミー」を製作している playingforchange のサイトを見てみたら、こんなことが書かれていた。

プレイング・フォー・チェンジは、音楽を通して世界を啓発し、結びつけ、平和をもたらそうというマルチメディア活動です。音楽には境界を取り除き人々の間の距離を乗り越える力があるという共通の信念が、このプロジェクトの発端です。たとえ人々が異なる地理的、政治的、精神的、観念的背景を持っていても、音楽にはそれらを超えて人類を一つにする普遍的な力があります。我々は最良のレコーディングスタジオが備える機材を使って持ち運びのできるスタジオを作り、音楽に導かれるままに旅に出たのです。

このプロジェクトを通して我々はやがて気づきました。我々がこの音楽を記録し世界と分かち合うだけでは事足りない、我々に与え続けてくれたミュージシャンたちとそのコミュニティに恩返しをしなくてはならないと。そして2007年その使命を果たすべく、我々は内国債入庁の規定する501条(c)項(3)号団体としてプレイング・フォー・チェンジ基金を立ち上げました。


こんなこともできるようになったんだとあらためて、感激しました。

こちらにも同じものがあります

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2012年07月11日

ホスピスのレスパイト入院は生と死の混じり合った河口の淀み

7月7日の朝日新聞 Be on Saturday の日野原重明さんの「100歳・私の証あるがまま行く」に「生と死が混じり合う人生の河口」という記事が掲載されていました。
そこでホスピスの「レスパイト入院」が紹介されていました。

 こうした中で有意義なのは、ホスピスやPCU(緩和ケア病棟)に短期間(1〜2週間)入るという新しい発想「レスパイト(respite)」入院です。英語で「現場を離れた一時的な精神の休養」という意味で、つまり患者は一時的な急速のために入院・入所し、そこで気持ちを整理して、いつでも死を迎えられる心の構えをするのです。
 英語にリトリート(retreat)という言葉もあります。日々の雑事から一時的に離れ、自然の中で心を洗い、生きる意義を感じることです。

 36歳の女性が、私の設立したホスピス、ピースハウス病院にレスパイト入院をしてきたことがあります。乳がんの手術を受けたあと、肝臓などに転移し、自分の命はそう長くはないと知ってのことでした。残される7歳と9歳の二人の男の子がそれぞれ20歳になるまでの、毎年自分の誕生日に「ママからのメッセージ」を渡せるように、それを画準備のために10日間入院したのです。彼女は2か月後、自宅でなくなりました。前日には美容院で髪をセットしてもらったそうです。
 人生という川の流れの行く先は、死という海です。河口の淀みは流れも緩やかで、海水が逆流し、生と死が混じり合います。ホスピスに入った患者は淀みの中で人生をふり返り、その先の生と死と向き合い、「まだやって行けそうだ」と思ったら、ホスピスから出て、「自分の死の終わりを作る」ことが可能です。レスパイト入院が日本で普及することを願っています。


 「レスパイト入院」を生と死の混じり合った河口の淀みにたとえたり、アン・リンドバーグの「海からの贈り物」をリトリートになぞらえたり、なかなかステキな表現です。
 カトリックの修道会が経営する「黙想の家」もこういうことを可能にする施設になることを望んでいます。

こちらにもあります




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2012年04月15日

ベルリンの壁の前で弾いたマエストロ

「カトリック生活」2月号の「カトリック・サプリ」に竹内節子さんがこんな話しも紹介していた。

 1989年の11月の初め、長い間難攻不落かに見えていたベルリンの壁が崩れた。東西の長い冷戦に雪解けが訪れ、分断されていた人たちが互いに『あちら側』に殺到したのだ。パリでそのニュースを知らされたチェロの巨匠ロストロポーヴィチは、居ても立ってもいられなくなって、その二日後に現場に駆け付けた。パトロンでもあった会社経営者に電話して自家用ジェット機を飛ばしてもらったのだ。
 ロストロポーヴィチは、反体制作家のソルジェニーツィンを支援したことでソ連国籍を剥奪されて15年間も国外追放されていた。その間も「自由」のためにあらゆる方法でアピールを続けていた。ベルリンの壁の崩壊は、二つに裂かれていた自分の心が一つになることだったのだ。
 そのときに彼の心に浮かんだのは、チェロをもって倒れた壁の前に行き、神に感謝の祈りを捧げたいということだ。誰かのために演奏するというのではなかった。
 演奏するのはバッハの無伴奏チェロ組曲、バッハの音楽は彼にとって神につながる「言葉」だったからだ。男二人とチェロ1台は、飛行機から降りてタクシーに乗り、壁のチェックポイントを立て、すでに若くない巨匠は、すぐにバッハを弾き出した。
 私たちはこのときの様子も今、ウェブ上で見ることができる。彼のすぐそばに小さな人垣ができたものの、後ろの壁に何かを書き続けている人もいれば、すぐそばを通り過ぎていく人もいる。おおぜいの人がてんでバラバラに自由と平和の訪れに歓喜し、興奮しているのだ。ワシントンの通勤時間と違って、そこにあるのは非日常であり、歓喜の昂揚だった。
 雑踏の路上の演奏は、音響や完成度の点ではそれなりのものでしかなかった。けれども彼が誰だか知らないでまわりにいた人たちと彼は確かに何かを分かち合っていた。一人の若者が、サラバンドを聞いて泣いていた。


この映像を YouTube で見つけた。



これを見て何を感じ、何を考えたであろうか?
竹下さんはこんなふうに述べていた。

 聞こえていても聞いていない、きいていてもわからない、わかっても共感しない、そんなことはたくさんある。「耳をすまして分かち合う」というのは、意志によって起こすアクションだ。耳をすまして分かち合おうと一度決意すれば、わたしたちは静寂を聞くこともできる。
………………………………
 口を閉ざして傾聴することは、豊かな静寂の大洋の中深く潜り込むことでもあるし、静寂が自分の中に満ちてくるままにすることでもある。そうすることでしか聞こえてこない聖霊の声があるのだ。
 「傾聴」とは、祈りのひとつのかたちにほかならない。


この最後の分が気に入っている。祈りに対する神の応えは「傾聴」しなければ聞こえてこない。だから聖堂で祈ることや黙想会で祈ることが必要なのであろう。

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2012年04月12日

ワシントンのメトロで弾いたマエストロ

「カトリック生活」2月号の竹下節子著「カトリック・サプリ」に紹介されていました。
私はこの竹下さんの文章がとても好きです。



2007年の1月にワシントン・ポスト紙が企画したちょっとした実験。
金曜日朝の7辞51分、メトロの駅の構内で野球帽をかぶり、長袖のTシャツを着た男が、キオスクの近くでバイオリン・ケースから楽器を取りだして弾きはじめた。ケースには小銭が入れてある。物乞いのミュージッシャンのようだ。
通勤のために足早に通りかかるひとは彼に目を止めないし、音色も聞こえていない。45分間で1000人以上の人が通過した。全部で7人が少しの間だけ男を遠巻きにして耳を傾けた。たったひとりだけがかれの演奏を聴いたことがある、すばらしかったと話した。
男は名演奏家のジョシュア・ベル、2日前にボストンのシンフォニーホールを満席にしたばかりで、楽器は1710年のストラディバリウスだった。駅で弾いたのはバッハのジャコンヌやシューベルトのアヴェ・マリアだ。


竹下さんは続けてこう述べている。

通り過ぎた1000人以上の人の中には、音楽好きの人もいたはずだ。かれらの耳に少しでも音楽が届いていたら、、決して無反応ではいられなかったろう。残念ながら、かれらの耳には何も聞こえていなかったのだ。いや、誰の耳にも聞こえていなかった。高い料金を払って何ヶ月も前から予約して、おしゃれをしてワクワクしながら会場に行き、舞台でライトを当てられたマエストロの弓が振り上げられるのを見れば、誰でもおおいに感激しただろうに。


この「カトリック・サプリ」のテーマは「私たちは何を傾聴するのか」であった。
彼女はその分の最後を「『傾聴』とは、祈りの一つの形にほかならない」と結んでいる。
神さまの呼びかけも一生懸命に聞こうとしないとその美しさは分からないというのであろう。
この話は「いのり」と「聴く」というテーマの入門講座や授業で使えそうである。

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2012年03月31日

名曲ベストヒット歌謡60's & 70'sにみる「おんなうた」の多さ

録画してあった「名曲ベストヒット歌謡60's & 70's」(120329木 7 channel 午後7:58〜10:48)を妻とともに見た。1960年から1979年までの歌謡曲ヒット曲のベストファイブを次から次に聴かせる3時間近い番組でした。
私はそのほとんどすべての曲を知っていました、この番組は明らかに私の世代つまり団塊の世代を対象にした番組だなといっしょに見ていた妻と共に話していました。
妻はこの種の歌謡曲の番組とか素人のど自慢が大好きです。そういえばこういう番組がまたふえているのかもしれません。

これらの歌謡曲を聴いていて、あることに気づきました。
女の気持ちを男の歌手が歌う「おんなうた」、男の気持ちを女性歌手が歌う「おとこうた」がとても多いのです。外国にはこういう歌はそんなに多くはないらしく、日本の演歌の特長の一つだとも聴いたことがあります。
最近の若い歌手の歌にもこのような「おんなうた」「おとこうた」は少ないですね。

このあたりをどなたか分析して解き明かしてくださるとありがたいのですが………。

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2012年02月24日

「アルペ神父とともに祈る」から「お話しください、主よ」

いま鎌倉十二所のイエズス会修道院黙想の家にいます。そこで宿直の当番をしています。
そこの売店に「アルぺ神父とともに祈る」という本がありました。アルぺ神父の祈り集です。
ナカナカ素敵な本です。こんな祈りが目に留まりました。



18.お話しください、主よ。

私は信じます、主よ!
あなたが私という存在の最も奥ふかいところにおられるのを信じます。
お話しください、主よ。そのお言葉をあなたのしもべが聴いております。
あなたのしもべが聴いておりますので、どうかお話しください、主よ。

お話しください。
創造力のある御言葉を、
そのお言葉通りになる御言葉を、
この世を想像した御言葉を、
肉となりこの世を救った御言葉をお話しください。
私の魂の底にある同じ御言葉はあまりにも静かなのです。
何故かというと、私はそれを聞く価値がないからです。
しかし、御言葉の方が私に語りたがっているのです。
主よ、あなたによってすべてのものが創造されました。
私はあなたのことに耳を傾けたいのです。
世の始まりから存在した御言葉を聴きたいのです。

御言葉をおっしゃってください。
あなたを感じさせてください。あなたのしもべは聴いております。
あなたを聴きたいのです。どうかお話しください。

御言葉は聖霊に満ちています。
その聖霊は人に愛を吹き込みます。
愛は人の心の中に移っていきます。
なぜならば、愛は無限だからです。
私の心のように石のような硬く冷たい心から、
血の通った肉の心に変えてくださることを知っています。
それはイグナチオやザビエル、そしてテレサのこころのように、燃える心なのです。
今日の世界はこのような心を必要としています。
愛を求めているのです。

主よ、お話しください。
力に満ちた御言葉を。
それは私の内面を作り、
また、私の唇や良心にやってきて、私の存在のすべてを変質させ続けるものです。
それは間違いなく唸り声なのですが、同時に静寂にもなる御言葉です。
情熱的な激しいノイズを持つ者にとっても、内面世界が不調和な私のようなものにとっても聞こえるはずがないのですが、
それは非常に力強いものであり、その意味するものを形作り、私の内面に語ってくるのです。
ひとたび心と口を出た御言葉は、
魂たちを変質させ、人間の心に灯をともし、
「予想していたよりもはるかに多くの」作業を遂行させます。
また、力もなくだれからも助けを受けられないがゆえに
自分自身で動けない者たちに、新たな力を吹き込むのです。
御言葉は重い皮膚病のものの体を、生まれたばかりの赤ん坊のような新鮮な肉体に変えますし、
盲人が決して失うことのない光によって「見えます」と言ったことも、適切に説明するのです。
それはあなたの御言葉、あなたによって命を与えられた御言葉が耳には作用せず、心の内側に作用するからです。
そしてあなたご自身が、御言葉を聴こうとする者の中におられのです。
あなたは御言葉をどのように聞いたらよいのかを迷っているものや、あるいは聞くことを望まない者に対して、話そうとされるお方なのです。
私は創造的な効果を出すには年を取ってきましたが、私の奏でる声や耳にある鼓膜は、よく聞き取れなかったあなたの御言葉を、はっきり聴き取り伝える道具とされるのです。
主よ、私たちにお話しください。なぜならば、私たちはあなたの御言葉を聴くことを必要としているからです。
私たちにお話しください。あなたのしもべが耳を傾けています。


ペトロアルペ神父は前の前のイエズス会総長でした。終戦を広島で迎えられ、被爆した人たちを長束の修道院で手厚く看護されたという話も聞いております。
私はローマで1979年にペトロアルペ神父とお会いしたことがあります。CLCの世界大会の時でした。
日本語で語りかけてくれました。とても優しい方でした。
いま広島教区ではペトロアルペ神父の列福運動が始まっているそうです。

この本にはまだ素敵な祈りがのっています。
また紹介しましょう。

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2011年12月14日

思考→言葉→行動→習慣→性格

斎藤槙著 「社会起業家 −社会責任ビジネスの新しい潮流」(岩波新書900)という新書の冒頭に次のような言葉が紹介されていた。

Thoughts

Watch your thoughts; they become words.
Watch your words; they become actions.
Watch your actions; they become habits.
Watch your habits; they become character.
Watch your character; for it become your dusting.

Unknown

思考

思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

不詳


前のマザーテレサの名刺の言葉と比較すると面白い。マザーテレサはやはり信仰者なのだと思わせるものである。
もちろんこちらの方が常識的ではあるが………。
この言葉は前にどこかでみたことがあるが、どこだったかは忘れた。
案外このブログで紹介しているかもしれない………。

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2011年09月05日

心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らん

私の尊敬するもと朝日新聞の記者である菅原伸郎氏は、私の主宰する「宗教倫理教育担当者ワークショップ」にも取材に来られ、その内容を朝日新聞夕刊の「心のページ」の「心のレッスン」というシリーズで紹介してくれました。
その菅原さんが、朝日の記者を辞めて、大学で「宗教」の授業を担当されています。その授業のことを書いた「宗教の教科書12週」(菅原伸郎著 トランスビュー刊)に次のようなことが「祈る」という章に書かれていました。

平安時代の菅原道真(845〜903)も
心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らん
と詠んだとつたえられています。勉強にしろ、仕事にしろ、誠心誠意の努力をするならば、祈らなくても、神は守ってくださる、という意味です。といって、神の存在や祈りを否定したのではないでしょう。いまさら祈らなくても、神は見守ってくださる、という絶対の信頼があってこその歌です。道真は死後に「天神さま」として祀られて合格祈願の神として有名になりますが、当人は「努力さえしておけばとくに祈らなくてもいいよ」といっていたのですから、皮肉なものです。


この歌をどう考えたらいいでしょうか?
「誠の道にかなって」生きようとすること自体が祈りであるような
そういう生き方のことをいっているのかなとも思います。

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2011年04月08日

アメリカの「千羽鶴」の祈り

Digital Catechesis というカトリックの SNS を主催するのは、Sr.Caroline Cerveny, SSJ-TOSFという方で、修道女です。SSJ というのはどこの修道会かわからないのですが。
このシスターのブログに “Paper Cranes for Japan” campaign が紹介されていました。「千羽鶴」を日本の若い被災者を励ますために折るという運動です。

この運動を最も早くはじめたのはハイチの学校だったとか。きっと日本の学校からの千羽鶴を受け取っていたのでしょう。

また広島原爆の佐々木禎子さんと千羽鶴の話しも紹介されています。

さらに「折り鶴の作り方」も紹介されています。

千羽鶴は祈りなのだとあらためて思い至りました。そういえば去年 kumiko という歌手が「祈り」というテーマの歌を紅白で歌っていたのを思い出しました。これはさだこさんと千羽鶴のことを歌った歌でしたね。

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2011年03月31日

東北地方太平洋沖地震追善供養 復興祈願祭(鎌倉)

いかにも古都鎌倉そして宗教都市鎌倉らしい企画です。でもこれって画期的なことのような気もします。

鎌倉で「東北地方太平洋沖地震追善供養 復興祈願祭」を超宗教、超教派で合同祈願祭をするというのです。
仏教、神道、キリスト教(カトリックもプロテスタントも)も集まります。
十二所の英神父も加わるとか。

ときは震災1か月後の4月11日、2時半八幡宮に集まって合同で祈祷して、義援金托鉢しながら若宮大通りから由比ヶ浜まで行き、そこでまた海に向かって祈祷するというプログラムです。

そういえば鎌倉はこのところ観光客が減って、閑散としていますが、こんなイベントをして盛り上げようとしているのかもしれません。

どこを探してもこのイベントについての公式ホームぺージがまだないのです。あるのはツイッターだけでした。
「Pray from Kamakura」というのがスローガンらしいですが、主宰者は誰でどういう人たちがこれを企画しているのかもよく分かりません。
友人の一人がこれの企画に加わっているというので、デマでもエイプリルフールでもないようですが、4月1日に公式に発表するらしいです。

しかし、これは参加するに価値ある運動だと思います。私も行こうと思っています。


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2011年03月29日

大津波と「風・僕の神様」

2009年夏の「宗教倫理教育担当者ワークショップ」でこの歌が紹介された。

「風(ふう)」という歌手の歌で、旅行でスマトラ沖の津波に巻き込まれて家族を亡くした少年の心を歌ったものである。

今回の大震災で思い出したので、YouTube を探してみたら見つかった。
背景の映像は東北関東大震災に変えられている。これがまた強烈である。

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2011年03月18日

東北関東大地震のための「ノベナの祈り」

CLC (Christian Life Community)という私も属しているクリスチャンのグループのメーリングリストをとおして「東北関東大地震のためのノベナの祈り」が3月16日に呼びかけられました。ノベナの祈りとはある意向のために9日間連続で特別に捧げられる祈りです。
これは友人のイエズス会士の英神父がつくられたもので、世界のCLCのネットワークをとおしても呼びかけられました。
こういう祈りです。

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