2012年09月20日

Free Hug も「世界を変えるゲーム」だと思う。

前に「Free Hug」というのを紹介した。
これも「世界を変えるゲーム」だと思う。
これを韓国で実際に行った日本人がいた。その映像がある。



これはすごいと思う。
さて、これが今の中国でできるかどうか。これやってみようという若者がいるだろうな。

こちらもどうぞ
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2012年09月01日

「僕とLEDの10年」 という東芝のCMは傑作です。

Facebook でシェアされてきました。
このCMは傑作ですね。



何度も見ているといろいろな発見がある。
下の子はツインですねとか。

このBGはなんという曲か? 歌手は? なぜ日本語の歌ではないのか?とかいう疑問も出てきます。

こちらにもあります
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2012年07月10日

だからFBをやめられない その3 Power by Peter, Paul and Mary

先ずはこの詩を。なかなかいい詩だと思う。

Just give me the warm power of the sun         私に太陽の力を
Give me the steady flow of a waterfall        私に確かな水力を
Give me the spirit of living things as they return to clay.  土に
Just give me the restless power of the wind        私に風の力を
Give me the comforting glow of a wood fire        焚火の輝きを
But please take all of your atomic poison power away.
                      毒の原子力は捨ててしまおう
Everybody needs some power I’m told         電力は必要だろう
To shield them from the darkness and the cold        生きるには
Some may see a way to take control when it’s bought and sold.
                    電力の売買を調整する方法がある
I know that lives are at stake          生命が危なくなっている
Yours and mine and our descendants in time.           子孫の
There’s so much to gain, so much to lose       多くを得多くを失う
Everyone of us has to choose.             私達は選ばなくては

(chorus)

We are only now beginning to see            やっと気づいた
How delicate the balance of nature can be       自然の微妙さに

The limits of her ways have been defined       自然には限界が
And we’ve crossed that line.           私たちは一線を越えた

Some don’t even care or know that we’ll pay       代償は大きい
But we have seen the face of death in our day.       死の顔が
There’s so little time to change our ways       もう時間がない
If only we together can say           みんなで声をあげれれば

(chorus)

All of your atomic poison power              毒の原子力
All of your atomic poison power              毒の原子力
Away.                           さようなら

映像はここにあります。



Facebook で流れてきた。ここのところ私のブログはFacebook だよりになってしまった。これはいかんとは思うのだが………。
それにしても行末をそろえるのがむずかしい。

このブログのトップへ
こちらにもあります
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2012年07月04日

だからFBをやめられない Good News その1

またまたFacebookをとおして友だちがシェアしてくれました。
だからFBをやめられない。



日本でもこういうことをどこかでやらないかな。
反原発デモのまんなかでとか。

そういえば思い出した。以前ハレルヤコーラスを突然フードコートの中で歌い出したという YouTube 映像をこのブログでも紹介したっけ
あれにも flash mob と書いてあったから、同じ流れのものかな。

こちらもご覧ください。同じものですが


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2012年06月27日

Finding God Video Contest というのを見つけました。

SIGNIS の友人が教えてくれました。さすが、キリスト教国アメリカです。
Loyola Press というイエズス会系の出版社が企画したビデオコンテストのようです。



英語で何を言っているのかわからないけれど、アメリカの「宗教」の授業がどういう雰囲気なのかがわかります。
日本でもこういうビデオコンテストをやれたらいいねと SIGNIS の仲間たちと話しています。
このサイトは他にも興味あることがいろいろとのっています。
私が気に入ったのは Ignatian Spirituality というブログの写真でした。
写真で「神を見出す」という面白い試みです。
ほかにも面白いページを探し当てたら教えてください。

こちらもどうぞ



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2012年06月13日

プロポーズ動画という感動

Facebook で紹介されたものをシェアします。
あちらの国ではこういうプロポーズ動画が結構人気を博しているそうです。いかにもアメリカ的というか………。



そういえば日本にもこういう動画がありました。でもこれは「恋をしましょう」という動画だから少し違うか。でもこのシリーズもなかなかいいと思います。



こういう動画がどんどん流れていて、それをFacebook でシェアするところが、いかにも YouTube であり、Facebook なのかもしれません。

こちらもどうぞ
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2012年03月24日

アイディアに行き詰まったときにはオズボーンのチェックリストがいい

何か問題解決に取り組んでいるときに、行き詰まったら、オズボーンのチェックリストによって考えてみたらいい。
それは以下のような点について、思い巡らしてみることである。

オズボーンのチェックリスト法のやり方

アイデアのテーマや対象を決めて、以下のチェックリストの項目のそれぞれに対してアイデアを出していきます。より詳しく発想していきたい場合は、上記の詳細なリストを見ながら発想を膨らませていきます。

・他に使い道がないか?
・他に似たものをさがしてみたら?
・変えてみたら?
・拡大したら?
・縮小したら?
・置き換えたら?
・配置や並びを換えてみたら?
・逆にしたら?
・組み合わせてみたら?

また、このオズボーンのチェックリスト法をボブ・イバールが改良したSCAMPERという7つの質問リストもあるので、ここで紹介しておきますね。このSCAMPERというのは、それぞれ質問のキーワードの頭文字をまとめたものです。

・Substitute(入れ替えたら?)
・Combine(統合したら?)
・Adapt(応用したら?)
・Modify(修正したら?)
・Put to other uses(使い道を変えたら?)
・Eliminate(取り除いたら?)
・Rearrange/Reverse(並び替えたら?逆にしたら?)


「オズボーンのチェックリスト」というのをキーワードにして探すとけっこうたくさんのサイトが引っかかります。
 私は以前「オズボーンのチェックリスト」についてどこかで聴いたことがありましたが、私がかつてたずさわったことのある「情報」の教科書を出版している会社のメールマガジンの「編集後記」に紹介された内容でふたたび教えられました。
 いつもこの「編集後記」からはけっこうたくさんのブログネタをもらっています。
 これからもどうぞよろしく。

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2012年03月02日

「生きた、愛した フランシスコ・ザビエルの冒険」を読んだ

「生きた、愛した フランシスコ・ザビエルの冒険」(矢代静一著 角川春樹事務所刊 1996年)を大学の図書館から借りて読んだ。なかなか読み応えのある作品だった。

「Book」データベースには以下のような紹介が載っている。

 人間、ザビエルの波瀾万丈の生涯。バスク、ローマ、パリ、リスボン、ゴア、マラッカを経て鹿児島へ。16世紀の大航海時代にたった一人で西洋の「心」を東洋へ運んだ男の生涯を描く、渾身の書き下ろし。


 著者は、最初ザビエルを日本に連れてきたアンジェローという日本人が気になり、彼を主人公にして戯曲を書こうとしたという。このアンジェローはヤジローともアンジローともいわれ、鹿児島で人殺しをして逃亡のために日本を脱出した男である。しかし、アンジローを描こうとすると当然ザビエルも描かねばならない。最初は聖人は苦手だと思っていたが、書いているうちにザビエルの個性にひかれていき、ザビエルを訪ねる旅に出た。そしてすっかりザビエルの虜になって、書いた小説であるという。

 ザビエルはここでは、純朴でガンコでカタブツではあるが、俗っぽいところがほとんどない人物として描かれている。そしてその周辺にいる人物もそれぞれ個性が浮き彫りにされる。いずれもザビエルと出会わなかったら、どうということのない人生であったにちがいない。ちょうどイエスを囲む弟子たちみたいな存在がザビエルの周辺にいるような感じである。

 私がこの本で興味を持ったところは、やはりイグナチオ・ロヨラとの出会いとイエズス会の結成、そして「イグナチオの霊操」について書かれたところであった。
 「霊操」についてこの書ではなんとミケランジェロにかたっているのである。

「尊敬する友人、イグナチオ・ロヨラに導かれて。僕は『霊操』を行っています。3年前からです。」
「霊操とはなんのこった。耳馴れない言葉だ。」
「スピリチュアル・エクササイズ。霊的練習のことです。ま、祈りの手引き書と言ってもいいと思います。ロヨラは軍人であることをやめたのち、マンレサの村はずれの洞窟でなんと1年も祈りと苦行に徹し、ついに神秘的体験をし、霊操を編み出したのです。」
「具体的に頼む。」
………………………………
「まず、第1週。邪悪な欲望を取り除くため、これから生活の反省をします。第2週、清められた心で貧しいキリストに倣うことを誓います。次に王たるキリストに従う私たち兵士は、第一にこの世の富に対しての、清貧、第2に現世の空しい名誉に対しての軽蔑、第3に傲慢に対して謙遜を武器として団結し、「悪霊の国」と戦う決意をします。そして第3週、キリストが生涯、とくに受難に際して、清貧、軽蔑、謙遜の道をどのように歩み、十字架上で死去なさったのかを黙想します。最後の第4週では、キリストの復活を黙想し、永遠の国をめざして旅立つので、以上であります。」
 ミケランジェロは子どものように手を挙げた。
「よく飲み込めませんが、それで、先生はその1か月の修行のあと、キリストの兵士になれたのでしょうか?」
 ザビエルはつらそうな表情になって、首をゆるやかに横に振った。
「おやおあ、正直なお坊ちゃんだ」
 軽口こそたたいたが、さびしい表情でザビエルを見つめた。
「いずれにせよ、聖書を直い心で読んで、ルカ伝ならルカ伝の第1章を読み終えたら、いろいろと思い巡らすことだと思います。そして、書かれている背後に映る神の愛、寛大さなどを心の目で見る。いいえ、神に見せていただく、これが観想ではないでしょうか。僕はまだ迷える小羊ですから、霊操の神秘性についてはこれ以上のことは申し上げられません。」


 ザビエル(1506〜1552)はミケランジェロ(1475〜1564)と同時代人だから、ローマにいたときに交わりがあっても不思議ではない。この小説ではミケランジェロとザビエルとが不思議な縁で結びつく。
 娼婦マリーとの会話の部分もザビエルらしい。

「あたいは神様のことなんか教えてもらいたくないね。教えてもらいたいのは、あんたの心だ。いや、体だ。売ってくれるのかい、あんたのからだをあたいに!」
 必死になって返事を求めているのが、彼女の息遣いから分かった。沈黙。サビエルはやっと答えた。
「………あのね、僕の君に対する愛情はアガペなんです。」
「アガペ? 何語よ。スペイン語?」
「ギリシャ語です。献身的な藍というか、賛美というか、謙虚というか、無償というか、つまり自分で言うのはおかしいけれど、自分を低くして、君に対してすべてを奉仕しようとする純白の愛情です」
「むずかしくてよく分かんない」
「つまり、あくまで形而上的な愛情なのです」
「要するに抱いてくれないっていうわけね」
「………うん、まあ、そうだと思いますが、………分からない」
 それは23歳のうぶな若者の本心だった。
「あんた、あたいのこの気持ち、まるで分かろうとしない。自分のことしか考えていないんだ。こんな煮え切らない男って大嫌い、弱虫!」
 マリーは平手打ちをザビエルの頬に何遍もくれた。ザビエルは目をとじた。耐えた。痛みに対してではなく、おのれの優柔不断についてだ。
 マリーのすすり泣きが聞こえる。やがてそれも終わった。


 私は、その場面が入門講座や授業などでそのままプリントにできるようにと、できるだけ原文の味を損なわないように引用している。それで引用が若干長くなることがある。これも2度入力しなくてもすむようにするサービスのつもりである。

こちらの方もどうぞ。


 
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2012年02月03日

アテンダントの気のきいた対応に拍手!

アメリカに行く前の11月から Fecebook をはじめましたが、そのなかからこんな Good News が流れてきました。これをシェアします。



実際にあった話
50代とおぼしき妙齢の白人女性が機内で席につくと
彼女は自分の隣が黒人男性であるという事に気がついた

周囲にもわかる程に激怒した彼女はアテンダントを呼んだ

アテンダントが「どうなさいましたか?」と訊くと

「分からないの?」とその白人女性は言った
「隣が黒人なのよ。彼の隣になんか座ってられないわ。席を替えて頂戴」

「お客様。落ち着いていただけますか」とアテンダント
「当便はあいにく満席でございますが
 今一度、空席があるかどうか、私調べて参ります」

そう言って去ったアテンダントは、数分後に戻って来てこう言った
「お客様、先ほど申し上げましたように、
 こちらのエコノミークラスは満席でございました。
 ただ、機長に確認したところ
 ファーストクラスには空席があるとのことでございます」

そして、女性客が何か言おうとする前に、アテンダントは次のように続けた

「お察しとは存じますが、
 当社ではエコノミークラスからファーストクラスに席を替えるという事は
 通常行っておりません
 しかしながら、或るお客様が
 不愉快なお客様の隣に座って道中を過ごさざるをえない、という事は
 当社にとって恥ずべき事となると判断いたしますので
 当然事情は変わって参ります」

そして黒人男性に向かってアテンダントはこう言った
「ということで、お客様、もしおさしつかえなければ
 お手荷物をまとめていただけませんでしょうか?
 ファーストクラスのお席へご案内します」

近くの乗客が、歓声をあげるのを
その白人女性は呆然と眺めるだけであった
スタンディングオベーションを送る者もいた

コメントを日本語に訳されたのは宮本端さんです。

【人種差別に反対の人はシェアしよう】


このアテンダントの気のきいた対応に拍手!ですね。

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2012年01月01日

喪中ですが Happy New Year!

昨年母が帰天したので、今年の正月は喪中で「おめでとう」をいえずにおります。
いつもは900枚出していた年賀状も、今年は出さずに喪中の挨拶状を出しました。
さびしいです。

ですが、このブログではやはり Happy New Year! と叫びたいです。
昨年どんなに不幸な災害があっても、いやだからこそ新しい年をめでたいのです。

そこで、年賀状のかわりにこんな YouTube 動画をお送りしましょう。



なかなかステキな画像と歌です。
ユニセフがつくったと書かれています。
これは英語版ですが、日本語版もありますよ。

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2011年10月04日

広告につられて読みたくなった本4冊

今日の毎日新聞の出版広告の中に読みたくなった本が4冊も目についた。これは珍しいことである。

その1は川北義則の著「男を磨く女 女を磨く男」(PHP研究所刊)である。そのコピーにはこうある。

お互いの人生を豊かにするために知っておくべきこと
●「勇気」をうまく引っ張り出す法
●いい女は「イ」の達人である
●「面白い」は何よりも武器になる
●妻の日常は偉大である
●人に好かれる人、嫌われる人
いくら強い女性でも、男に甘えたいときがある。男勝りでバリバリと仕事をこなしている女性が、いったん惚れてしまうと、その男の前ではすっかりしおらしい女っぽさを見せることがある。男と女は磨き磨かれる関係である。


もう一つは同じ著者出版社の「男の生き方 −誇り高く信念を持て」
この本のコピーもいい。

20代は夢を描き、30代は根を張る
40代には軸をつくり、50代は颯爽と生きる


さて60代はというのを聴きたくなるのだが、著者はそこまで年をくっていないのか。
多分こういう本を読んでも、当たり前のことばかり書かれていて、そう面白くないことが多い。しかし、この広告コピーはよくできていると思う。きっとその内容よりもコピーの方が傑作というおそれがある。羊頭狗肉でないことを願う。

次は「『親切』は驚くほど体にいい!」(デイビッド・ハミルトン著 有田秀穂訳 飛鳥新社刊)。そのコピーにこうある。

”幸せ物質”オキシトシンで人生が変わる。
親切をすると脳と体をめぐる不思議な神経物質「オキシトシン」。その働きで………
1.辛いストレスが消える
2.人との絆を感じ、幸せ感が手に入る
3.心臓、血管、消化器の働きがよくなる
「親切」をすると自分が元気になる”まったく新しい健康法”


私はこういう逆説が好きである。
自分のためにではなく、人のために何かをしたいという奉仕の欲求が人間のもっとも高次な欲求であると思っているからである。
あるいは「自分の重荷を軽くするもっともいい方法は他人の重荷を背負うことである」という逆説を信じているからである。
それを裏付ける情報は私にとって貴重である。

第4に同じ出版社の本「うつは手仕事で治る!」(ケリー・ランパート著 木村博江訳 飛鳥新社刊)。その広告コピー。

なぜ昔の人はうつにならなかったのか。
神経学者がうつの正体を捉えた話題作。
人は体を使って努力し、目的を達成することで大きな喜びを感じる。畑仕事や手仕事から解放され、スイッチ一つですむ生活になってから、うつになる人が増大した………。


新聞広告でこういう読みたい本を見つけると、
1.図書館のネットで探す。ところが図書館の蔵書には新刊書はほとんどない。あっても何十人待ちであることが多い。
2.本屋で立ち読みをする。たいていはぱらぱらとめくるだけで、自分で買うことはない。図書館に入ってくるのを待てばいいだけである。
3.図書館でこの著者の別な本を探してこちらを予約する。
4.この書の紹介の中にあるキーワードを調べてみる。この広告では「オキシトシン」であることはいうまでもない。これについてはまたあらためて記述する予定である。

私は新刊書は極力買わないことにしているのだが、それでも買いたくなり、買ってしまう本がある。今回の4つの本がその中に入るかどうか。

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2011年09月17日

ドキュメンタリー映画「幸せの太鼓を響かせて −INCLUSION」をみました

教会の友人に誘われて「幸せの太鼓を響かせて」を伊勢佐木町のテアトル横浜に見に行きました。その友人は 「able の会」という障害者支援団体にかかわっていて、そこが作る映画の第3弾ということである。それまでは自主上演活動によって行ってきたが、今回からは劇場公開することにしたのだそうである。
私は前2作も見た。

ひとことで感想を言うならば、太鼓の響きを聴くことによってささやかな幸せをもらったということかな。。
カトリック映画賞に推薦しようかと考えています。

この映画の紹介です。チラシにあったコピーを紹介しましょう。

「すべての音色が調和するとき世界はきっと今より美しい」
「職業を持ちたい、家族を持ちたい、普通のことなのに、遠い夢だった.知的障害がありながら、全国2位に輝いたプロの和太鼓集団の感動の記録」
「ひたむきに太鼓を打つ音が、遠く離れてクラス家族の元にも届いた………」
「普通の日常に大きな感動がある.普通の言葉に涙が止まらない」
「家族と別れた過去も、幸せの願いも、すべての想いをこの新曲に込めて」


瑞宝太鼓」は知的障がい者職業訓練施設でのクラブ活動として発足。次第に技術を磨き、国内外のイベントに多数参加する中、メンバーからの強い希望で、2001年4月、プロ集団としての道を選ぶ。現在は年間100回以上の国内公演の他、バルセロナやシドニーのパラリンピックでのイベント、ミューよーくkokuren本部など海外でも活躍。その実力は障がい者という枠を越え、2010年に開催された第9回東京国際和太鼓コンテストで、全国から集まったプロ・アマの中で、みごと優秀賞(2位)に輝いた。


この映画を見ていて、この和太鼓集団が知的障がい者であるということをしばしば忘れさせてくれる。特に太鼓を演奏する場面ではそうである。中に入ってくるナレーションや出場者の会話、あるいは日常生活を映すことによって、「ああ、ソーだったんだ」と思い出すのである。
知的ハンディを持って練習することがどんなに大変なのかをあまり強調していない。そこがいいという人ともっと協調したらよかったと思う人と両方いるにちがいない。
う〜ん。私はどちらかというと後者かな。

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2011年08月31日

地獄の中に天国が立ち上がる A paradise built in hell

「A paradise built in hell ーThe Extraordinary Communities That Arise in Disaster」
「災害ユートピア −なぜそのとき特別な共同体がたちあがるのか?」(レベッカ・ソルニット 高月園子訳 亜紀書房 2010年12月)という本が評判になっているようだ。

この本を知ったのは、毎日新聞2011年7月6日「水説 潮田道夫」による。

米国の作家レベッカ・ソルニットの「災害ユートピア−なぜそのとき特別な共同体がたちあがるのか?」(亜紀書房)によれば、大災害の時「地獄で天国が立ち上がる」現象が世界中で観察されている。何も日本だけがそうなのではない。


さらにこの論説では「エリート・パニック」についても述べられている。これもこの本に取り上げられていることである。

社会の指導的地位にあるひとびと、つまり、政治家などのエリートたちが、危機に際して市民がパニックに陥るのではないか、と怖れるあまりに自らがパニックになってしまうことだ。


実は私はまだこの本を読んでいない。私はこれを知ってさっそく横浜市の図書館ネットにて予約したら、200人待ちの状態だった。
この本はいいよと薦めた友人がさっそく本を求めた。かれの家をたずねたら、その本が置いてあったというわけである。かれの行動の速さに敬服した。

この本の帯には「5つのなぜ?」について紹介されていた。

災害時になぜ人々は無償の行為を行うのか
まぜ混乱の最中に人々は秩序だった動きができるのか
なぜ災害が起こるとエリートはパニックを起こすのか
市民ではなく軍隊や警察官が犯罪行為を起こすのはなぜか
地震のあとニカラグアで革命へと突き進んだのはなぜか


この本は昨年の12月に刊行されている。つまり今回の震災の前に書かれたものである。

私はキリシタン時代の「鈴田の牢」のことを思い出した。迫害拷問にさらされたあの地獄のなかの牢屋に「信仰と祈りの共同体」が表れた話である。

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2011年08月17日

「手で割る」時の音 平松洋子著「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」より

毎日新聞の日曜版に連載されている平松洋子さんのエッセイにつられて、彼女の著書を横浜市立図書館ネットで検索注文したら、「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」という本を読むチャンスに恵まれた。

この本の裏表紙にある解説にはこうある。



キャベツをちぎる、ピーマンを割る、水なすを裂く、いわしを開く、さきいかをむしる、手で肉だんごをつくる、豆腐を崩す……。これまで包丁を使っていたことを手でやってみると、料理が飛びきりおいしくなることを知っていましたか。手を使って料理する快楽とともにレシピを満載した料理エッセイの決定版。

一番最初の「手でちぎる」という所にこんな表現がある。
キャベツは手でちぎる。葉が内側にかたくまるまって、きゅっと結球したひと玉をつかみ、用心深く一枚一枚はがす。べりべりはがすのではない。そおっとゆっくり丁寧にはがすのはそののち訪れる取っておきの快楽のためだ。
はがした葉を水で洗ったら、、いざ、2,3枚束ねて重ね、両手の指でぐわっとつかんで一気にびりっ。キャベツの葉に逆方向の力を加えるや、迷いもなくちぎる。きれいにちぎろうなどとゆめ思ってはならない。力強くいく。ざっくりざっくり、遠慮会釈なくちぎる。さっきことさらに丁寧にはがしてみたのは、この瞬間の快楽に集中したい一心なのだった。
しかし、両手の指に強い抵抗が伝わった次の瞬間、あっけなくちからは行き場所を失って空に放り出される。あとには、右手に右側の、左手に左側の左右に分かれてちぎれたキャベツの破片が残されている。もう一回! ちぎる快感を追いかけて、また数枚重ね、びりびりっ。辛抱たまらん。重ねてはちぎり、重ねてはちぎり……。
はじめてキャベツをちぎった日の興奮を、手が「とても忘れるもんじゃありません」とうちあける。こんなにちぎってどうすんの。ブレーキをかけなくては、とあせるのだが、やめられない。手が喜んで勝手に動く。はっと気づいたら大玉一個。べりべりにくずれ果てていた。
いったいなんなのだ、この快感は。ちぎってちぎってちぎりまくったキャベツの山を呆然とと眺めているうち、ふいに蘇ってきたのは思いがけない記憶であった。


どうだろう。この表現は。私もすっかり「キャベツべりべり」に魅了されてしまった。
こういう表現があちこちにあるのだ。この本は、いやこの著者はすごい、と改めて再認識した次第である。

日本語の料理を食べた時のおいしさを表現する言葉はとても貧困だと思うが、料理に関することとの表現はとても豊かだと思う。この本はまさにそういう本である。料理をする楽しさをこれほど見事に表現した本はないだろう。

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2011年07月10日

平松洋子さんの「小鳥来る日」というエッセイの連載が楽しみです。

毎日新聞日曜くらぶに、4月から新しく始まっ連載エッセイ「小鳥が来る日」が掲載されている。
作者は平松洋子さん、私にとっては初めてきく名前なので、調べてみたら「エッセイスト、フード・ジャーナリスト」とあった。
このエッセイがとてもいい。読んでいて痛快というか、うれしくなるのである。
エッセイを読んでいて、こういう感じになるのは石垣りん著「焔に手をかざして」以来である。

例えばこんなふうである。



  喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、若いカップルが入ってきた。
 この二人はコーヒーを注文するなり、男は店に備え付けの新聞、御名は雑誌を読みだした。今はめっきり少なくなったけれど、昔はこういう若いカップルがたくさんいた。学生だというのに妙に所帯臭くて、なにがどうしてそうなったのか年季が入った連れあい感を漂わせている。街場の中華料理屋などで、それぞれ漫画本を読みながらもやし炒め定食と餃子を黙々と食べていたりするのだ。上村一夫の「同棲時代」も一緒に思い出された。なつかしいなあ。
 埒もないことを考えながら、再び小説に没入していると、男の声が静寂を破った。
「今日のめし、なんにする」
 女が顔をあげ、のんびりとした口調で、しかし瞬時に応じた。
「キャベツと豚肉の炒め物」
 すごい。夕飯のメニューをもう決めてあるのか。ほうと感心する。すると、男が引き取った。
「じゃあ、キャベツと豚を味噌汁代わりにして、納豆を食おう」
 意味はまるで分らなかったが、満足げな気分だけはよくわかる。だいいち、おいしそうじゃないか。その夜、わたしがキャベツと豚肉の炒めものをつくったのは言うまでもない。
 さて、それから2カ月ほどたった日の午後である。同じ喫茶店でいつものように本を読んでいると、ドアベルがちりんちりん、何気なく顔をあげると、おや、この間の二人連れである。今日もTシャツとジーンズ、サンダルで、コーヒーを注文すると、お決まりの流れで傍らのラックから新聞と雑誌を取り出す。
 私は期待しました。きっと言うぞ、言うぞ。視線は手元の本におとしてみたものの、耳がそわそわして読書どころではない。待つこと20分。新聞2紙とスポーツ新聞1紙を読み終えた男は、例の一言をついに放った。
「今日のめし、なんにすんの?」
 私は小躍りしたい衝動を抑え、固唾をのんで次の展開を待ち受けた。女はまたしてものんびりとしかし、間髪を入れず応じた。
「ミートソース」
 すごい。彼女の頭の中にはメニュー表がきっちり組み込まれているのだ。なんでもない料理の名前ひとつなのに、やたら幸福感が押し寄せてくるのも憎い。若くてもやるもんだなあ。さすがの展開はまだあった。
「サラダもちゃんとつけてくれよ」
「了解」
 クールに言い放ちながらも全部を受け入れる様は、慈母のようでもある。しかも席を立つとき、当然のように自分の財布から自分のコーヒー代500円を取り出して男に手渡すのだった。男が情けないのではない。女の方が男前なのである。
(毎日新聞2011年7月10日「いまどきの『同棲時代』」)




ちょっと引用が長くなってしまった。途中できることができなくなって、これも読んでほしいと思いつつ、後半を全部打ちこんでしまった。ふ〜。
これを読んで何を感じられたであろうか?
私はこの人の書いた本を直ぐに図書館に予約して読まなければと思って、予約した。

こちらも読んで
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2011年06月07日

祝・千葉茂樹監督Gospel media award受賞

SIGNIS Japan の代表千葉茂樹監督が、Gospel media award を受賞された。

千葉茂樹監督は、ポーランドのニエポカラノフ(ワルシャワ)で行われた第26回カトリック国際映画祭において、福音的メディア特別賞(Gospel media award)を受賞され、表彰された。

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2011年03月31日

吉川英治「高山右近」の痛快さとはがゆさ

吉川英治が高山右近を主人公にした小説を書いているとは知らなかった。これはおもしろそうと読み出したら、期待通りおもしろかった。吉川英治ならこそのあとを引くおもしろさである。

「高山右近」は著者にとって戦後の沈黙を破る最初の新聞小説であった。大衆文壇の大御所が数百万の読者のまえにどういう題材を出すのか、緊張と期待が大きかった。
当時(昭和23年)の日本の世相を想うとき、高山右近は歴史の睡りから呼び醒ますべき人物であった。
切支丹大名として異端視された右近を見直すときは来ていた。開巻第一、著者は16歳の右近を登場さす。しかも戦国の世では破格の“自由都市“堺において、雄渾な序曲である。

永禄11年、畿内では三好一党の時代はおわり、代わった松永久秀も安定政権ではなかった。前年美濃の斎藤龍興を仆した織田信長が京師にまで勢威を張ってきた。わけて木下籐吉郎は、その尖兵である。
掌をさすような時代描写は圧巻であるが、「高山右近」の執筆動機のひとつは、戦後の乱脈な男女関係にあったようである。右近の若く未熟な心もまた、清純な町娘お由利と爛熟した歌い妓のおもんの間で激しく動揺し、暴走する。


以上は、講談社吉川英治文庫所収の文庫本の表紙に書かれていた内容紹介である。

この小説は、右近の16歳から19歳までの青春の恋を描いている。右近はもちろんすでに洗礼を受けていてキリシタンではあったのだが、それよりもこの時代を放浪徘徊していた一人の青年像として描かれている。

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2011年03月04日

「顔にみずふうせんが当たる瞬間」の映像

YouTube を検索していたら、たまたまこんな映像に出くわした。



ま、おかしいというかばかばかしいというか………。
でもこういう映像が大まじめに投稿され、それが1000万を超えるアクセスを得ているところが YouTube のおもしろさというべきか。
わたしもいつかこういうのを試みることにするか。

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2011年03月03日

「出星前夜」にみる島原の乱

「出星前夜」(飯嶋和一著 小学館刊)を読んだ。500ページを超えるぶ厚い本だった。けっこうおもしろかった。原城に立てこもるまでのキリシタン農民たちの思いがよく描かれていると思った。

あるブログにはこんな紹介があった。

島原の乱といえば天草四郎であり、キリシタン信仰であり、禁教令に反抗した宗教一揆と、その程度の知識でしかなかった。
島原の乱とはなんだったのか?
著者はその根源にさかのぼる。確立の途上にある幕藩体制。その新たな秩序にどうしても耐え切れない地方の生活者。両者の基本的対立の構図が見えてくる。
また蜂起から全滅にいたる攻防の4ヶ月はどのように戦われたのか。反乱というより軍事行動に近いのだが結局は暴走。その壮絶な合戦の全貌が詳細に描かれる。
そしてこの事件にかかわる主要人物たちのそれぞれの生き様に胸を激しく突き上げられる、人間ドラマがある。
ラスト近くには涙がこらえきれなくなっていた。


ところでこの小説のなかでもっとも印象に残ったのは、原城に立てこもったときの農民たちの共同体が描かれている部分である。長くなるが引用しよう。

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2011年02月17日

キリシタン小説リンク集

キリシタンをあつかった時代小説を集めてみた。

リンクを張ってあるものは、私がこのブログで紹介したものである。

谷真介
「フランシスコ・ザビエル」
「二十六の十字架」
「江戸のキリシタン族敷」
「外海(ソトメ)の聖者ド・ロ神父」
「キリシタン大名 高山右近」
「ジュリア・おたあ―あらしの時代に生きたキリシタン」
「ローマにいった少年使節」
三浦綾子
「細川ガラシャ夫人」
「海嶺」
「千利休とその妻たち」
岡本綺堂「細川忠興の妻」
高橋直樹「大友二階崩れ」
赤瀬川隼「王国燃ゆ 小説大友宗麟」
小石房子「豊後の王妃イザベル キリシタン大名大友宗麟の妻」
篠田 達明「聖母の鐘」ルイス・アルメイダ
井上ひさし「わが友フロイス」
川崎桃太著「フロイスの見た戦国日本」
芥川龍之介「糸女続え書」
永井路子「朱なる十字架」
白石一郎「火炎城」
吉川英治「高山右近」
加賀乙彦「高山右近」
木村紀八郎「小西行長伝」
葉室麟「風渡る」黒田如水
楠戸吉昭「聖書武将の生々流転 −豊臣秀吉の朝鮮出兵と内藤如安」
遠藤周作
「反逆」荒木村重と高山右近
「宿敵」小西行長
「鉄の首枷」小西行長
「王の挽歌」大友宗麟
「銃と十字架」ペトロ岐部
「侍」支倉常長
「男の一生」
「女の一生」
若桑 みどり「クワトロ・ラガッツィ」(天正少年使節と世界帝国)
三浦哲郎「少年讃歌」天正遣欧使節とドラード
村木嵐「マルガリータ」(文藝春秋)千々石ミゲルの小説
青山敦夫
「千々石ミゲル」
「活版印刷人ドラードの生涯」発行所 印刷学会出版部 青山敦夫著
安中 榮子「雪のサンタマリア」
小島幸枝著「長崎代官村山等安 その愛と受難」
マイケル・クーパー著「通辞ロドリゲス−−南蛮の冒険者と大航海時代の日本・中国」
松永伍一
「ペトロ岐部 追放・潜伏・殉教の道」中公新書 1984
「旅びと ペトロ岐部の一生」 偕成社 1984
「まぼろしの天使 」天草四郎 偕成社 1986
「虹いろの馬車 伊東マンショと少年寒吉の物語」 偕成社 1987
「魔法のバテレン 金鍔次兵衛物語」 偕成社, 1989
「遥かなるローマ 少年使節の旅」女子パウロ会 1992
長与善郎「青銅の基督」
飯嶋和一「出星前夜」島原の乱
海老沢 泰久「青い空」
佐藤 早苗「奇跡の村」
吉村昭「アメリカ彦蔵」
今西佑行「浦他の旅人たち」津・野乙女峠
森禮子「神父ド・ロの冒険」これは殉教者と違うかな

このリストも少しずつ改訂していかなければならないと思っている。


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