これも「世界を変えるゲーム」だと思う。
これを韓国で実際に行った日本人がいた。その映像がある。
これはすごいと思う。
さて、これが今の中国でできるかどうか。これやってみようという若者がいるだろうな。
オズボーンのチェックリスト法のやり方
アイデアのテーマや対象を決めて、以下のチェックリストの項目のそれぞれに対してアイデアを出していきます。より詳しく発想していきたい場合は、上記の詳細なリストを見ながら発想を膨らませていきます。
・他に使い道がないか?
・他に似たものをさがしてみたら?
・変えてみたら?
・拡大したら?
・縮小したら?
・置き換えたら?
・配置や並びを換えてみたら?
・逆にしたら?
・組み合わせてみたら?
また、このオズボーンのチェックリスト法をボブ・イバールが改良したSCAMPERという7つの質問リストもあるので、ここで紹介しておきますね。このSCAMPERというのは、それぞれ質問のキーワードの頭文字をまとめたものです。
・Substitute(入れ替えたら?)
・Combine(統合したら?)
・Adapt(応用したら?)
・Modify(修正したら?)
・Put to other uses(使い道を変えたら?)
・Eliminate(取り除いたら?)
・Rearrange/Reverse(並び替えたら?逆にしたら?)
人間、ザビエルの波瀾万丈の生涯。バスク、ローマ、パリ、リスボン、ゴア、マラッカを経て鹿児島へ。16世紀の大航海時代にたった一人で西洋の「心」を東洋へ運んだ男の生涯を描く、渾身の書き下ろし。
「尊敬する友人、イグナチオ・ロヨラに導かれて。僕は『霊操』を行っています。3年前からです。」
「霊操とはなんのこった。耳馴れない言葉だ。」
「スピリチュアル・エクササイズ。霊的練習のことです。ま、祈りの手引き書と言ってもいいと思います。ロヨラは軍人であることをやめたのち、マンレサの村はずれの洞窟でなんと1年も祈りと苦行に徹し、ついに神秘的体験をし、霊操を編み出したのです。」
「具体的に頼む。」
………………………………
「まず、第1週。邪悪な欲望を取り除くため、これから生活の反省をします。第2週、清められた心で貧しいキリストに倣うことを誓います。次に王たるキリストに従う私たち兵士は、第一にこの世の富に対しての、清貧、第2に現世の空しい名誉に対しての軽蔑、第3に傲慢に対して謙遜を武器として団結し、「悪霊の国」と戦う決意をします。そして第3週、キリストが生涯、とくに受難に際して、清貧、軽蔑、謙遜の道をどのように歩み、十字架上で死去なさったのかを黙想します。最後の第4週では、キリストの復活を黙想し、永遠の国をめざして旅立つので、以上であります。」
ミケランジェロは子どものように手を挙げた。
「よく飲み込めませんが、それで、先生はその1か月の修行のあと、キリストの兵士になれたのでしょうか?」
ザビエルはつらそうな表情になって、首をゆるやかに横に振った。
「おやおあ、正直なお坊ちゃんだ」
軽口こそたたいたが、さびしい表情でザビエルを見つめた。
「いずれにせよ、聖書を直い心で読んで、ルカ伝ならルカ伝の第1章を読み終えたら、いろいろと思い巡らすことだと思います。そして、書かれている背後に映る神の愛、寛大さなどを心の目で見る。いいえ、神に見せていただく、これが観想ではないでしょうか。僕はまだ迷える小羊ですから、霊操の神秘性についてはこれ以上のことは申し上げられません。」
「あたいは神様のことなんか教えてもらいたくないね。教えてもらいたいのは、あんたの心だ。いや、体だ。売ってくれるのかい、あんたのからだをあたいに!」
必死になって返事を求めているのが、彼女の息遣いから分かった。沈黙。サビエルはやっと答えた。
「………あのね、僕の君に対する愛情はアガペなんです。」
「アガペ? 何語よ。スペイン語?」
「ギリシャ語です。献身的な藍というか、賛美というか、謙虚というか、無償というか、つまり自分で言うのはおかしいけれど、自分を低くして、君に対してすべてを奉仕しようとする純白の愛情です」
「むずかしくてよく分かんない」
「つまり、あくまで形而上的な愛情なのです」
「要するに抱いてくれないっていうわけね」
「………うん、まあ、そうだと思いますが、………分からない」
それは23歳のうぶな若者の本心だった。
「あんた、あたいのこの気持ち、まるで分かろうとしない。自分のことしか考えていないんだ。こんな煮え切らない男って大嫌い、弱虫!」
マリーは平手打ちをザビエルの頬に何遍もくれた。ザビエルは目をとじた。耐えた。痛みに対してではなく、おのれの優柔不断についてだ。
マリーのすすり泣きが聞こえる。やがてそれも終わった。
実際にあった話
50代とおぼしき妙齢の白人女性が機内で席につくと
彼女は自分の隣が黒人男性であるという事に気がついた
周囲にもわかる程に激怒した彼女はアテンダントを呼んだ
アテンダントが「どうなさいましたか?」と訊くと
「分からないの?」とその白人女性は言った
「隣が黒人なのよ。彼の隣になんか座ってられないわ。席を替えて頂戴」
「お客様。落ち着いていただけますか」とアテンダント
「当便はあいにく満席でございますが
今一度、空席があるかどうか、私調べて参ります」
そう言って去ったアテンダントは、数分後に戻って来てこう言った
「お客様、先ほど申し上げましたように、
こちらのエコノミークラスは満席でございました。
ただ、機長に確認したところ
ファーストクラスには空席があるとのことでございます」
そして、女性客が何か言おうとする前に、アテンダントは次のように続けた
「お察しとは存じますが、
当社ではエコノミークラスからファーストクラスに席を替えるという事は
通常行っておりません
しかしながら、或るお客様が
不愉快なお客様の隣に座って道中を過ごさざるをえない、という事は
当社にとって恥ずべき事となると判断いたしますので
当然事情は変わって参ります」
そして黒人男性に向かってアテンダントはこう言った
「ということで、お客様、もしおさしつかえなければ
お手荷物をまとめていただけませんでしょうか?
ファーストクラスのお席へご案内します」
近くの乗客が、歓声をあげるのを
その白人女性は呆然と眺めるだけであった
スタンディングオベーションを送る者もいた
コメントを日本語に訳されたのは宮本端さんです。
【人種差別に反対の人はシェアしよう】
お互いの人生を豊かにするために知っておくべきこと
●「勇気」をうまく引っ張り出す法
●いい女は「イ」の達人である
●「面白い」は何よりも武器になる
●妻の日常は偉大である
●人に好かれる人、嫌われる人
いくら強い女性でも、男に甘えたいときがある。男勝りでバリバリと仕事をこなしている女性が、いったん惚れてしまうと、その男の前ではすっかりしおらしい女っぽさを見せることがある。男と女は磨き磨かれる関係である。
20代は夢を描き、30代は根を張る
40代には軸をつくり、50代は颯爽と生きる
”幸せ物質”オキシトシンで人生が変わる。
親切をすると脳と体をめぐる不思議な神経物質「オキシトシン」。その働きで………
1.辛いストレスが消える
2.人との絆を感じ、幸せ感が手に入る
3.心臓、血管、消化器の働きがよくなる
「親切」をすると自分が元気になる”まったく新しい健康法”
なぜ昔の人はうつにならなかったのか。
神経学者がうつの正体を捉えた話題作。
人は体を使って努力し、目的を達成することで大きな喜びを感じる。畑仕事や手仕事から解放され、スイッチ一つですむ生活になってから、うつになる人が増大した………。
「すべての音色が調和するとき世界はきっと今より美しい」
「職業を持ちたい、家族を持ちたい、普通のことなのに、遠い夢だった.知的障害がありながら、全国2位に輝いたプロの和太鼓集団の感動の記録」
「ひたむきに太鼓を打つ音が、遠く離れてクラス家族の元にも届いた………」
「普通の日常に大きな感動がある.普通の言葉に涙が止まらない」
「家族と別れた過去も、幸せの願いも、すべての想いをこの新曲に込めて」
「瑞宝太鼓」は知的障がい者職業訓練施設でのクラブ活動として発足。次第に技術を磨き、国内外のイベントに多数参加する中、メンバーからの強い希望で、2001年4月、プロ集団としての道を選ぶ。現在は年間100回以上の国内公演の他、バルセロナやシドニーのパラリンピックでのイベント、ミューよーくkokuren本部など海外でも活躍。その実力は障がい者という枠を越え、2010年に開催された第9回東京国際和太鼓コンテストで、全国から集まったプロ・アマの中で、みごと優秀賞(2位)に輝いた。
米国の作家レベッカ・ソルニットの「災害ユートピア−なぜそのとき特別な共同体がたちあがるのか?」(亜紀書房)によれば、大災害の時「地獄で天国が立ち上がる」現象が世界中で観察されている。何も日本だけがそうなのではない。
社会の指導的地位にあるひとびと、つまり、政治家などのエリートたちが、危機に際して市民がパニックに陥るのではないか、と怖れるあまりに自らがパニックになってしまうことだ。
災害時になぜ人々は無償の行為を行うのか
まぜ混乱の最中に人々は秩序だった動きができるのか
なぜ災害が起こるとエリートはパニックを起こすのか
市民ではなく軍隊や警察官が犯罪行為を起こすのはなぜか
地震のあとニカラグアで革命へと突き進んだのはなぜか
キャベツをちぎる、ピーマンを割る、水なすを裂く、いわしを開く、さきいかをむしる、手で肉だんごをつくる、豆腐を崩す……。これまで包丁を使っていたことを手でやってみると、料理が飛びきりおいしくなることを知っていましたか。手を使って料理する快楽とともにレシピを満載した料理エッセイの決定版。
キャベツは手でちぎる。葉が内側にかたくまるまって、きゅっと結球したひと玉をつかみ、用心深く一枚一枚はがす。べりべりはがすのではない。そおっとゆっくり丁寧にはがすのはそののち訪れる取っておきの快楽のためだ。
はがした葉を水で洗ったら、、いざ、2,3枚束ねて重ね、両手の指でぐわっとつかんで一気にびりっ。キャベツの葉に逆方向の力を加えるや、迷いもなくちぎる。きれいにちぎろうなどとゆめ思ってはならない。力強くいく。ざっくりざっくり、遠慮会釈なくちぎる。さっきことさらに丁寧にはがしてみたのは、この瞬間の快楽に集中したい一心なのだった。
しかし、両手の指に強い抵抗が伝わった次の瞬間、あっけなくちからは行き場所を失って空に放り出される。あとには、右手に右側の、左手に左側の左右に分かれてちぎれたキャベツの破片が残されている。もう一回! ちぎる快感を追いかけて、また数枚重ね、びりびりっ。辛抱たまらん。重ねてはちぎり、重ねてはちぎり……。
はじめてキャベツをちぎった日の興奮を、手が「とても忘れるもんじゃありません」とうちあける。こんなにちぎってどうすんの。ブレーキをかけなくては、とあせるのだが、やめられない。手が喜んで勝手に動く。はっと気づいたら大玉一個。べりべりにくずれ果てていた。
いったいなんなのだ、この快感は。ちぎってちぎってちぎりまくったキャベツの山を呆然とと眺めているうち、ふいに蘇ってきたのは思いがけない記憶であった。
喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、若いカップルが入ってきた。
この二人はコーヒーを注文するなり、男は店に備え付けの新聞、御名は雑誌を読みだした。今はめっきり少なくなったけれど、昔はこういう若いカップルがたくさんいた。学生だというのに妙に所帯臭くて、なにがどうしてそうなったのか年季が入った連れあい感を漂わせている。街場の中華料理屋などで、それぞれ漫画本を読みながらもやし炒め定食と餃子を黙々と食べていたりするのだ。上村一夫の「同棲時代」も一緒に思い出された。なつかしいなあ。
埒もないことを考えながら、再び小説に没入していると、男の声が静寂を破った。
「今日のめし、なんにする」
女が顔をあげ、のんびりとした口調で、しかし瞬時に応じた。
「キャベツと豚肉の炒め物」
すごい。夕飯のメニューをもう決めてあるのか。ほうと感心する。すると、男が引き取った。
「じゃあ、キャベツと豚を味噌汁代わりにして、納豆を食おう」
意味はまるで分らなかったが、満足げな気分だけはよくわかる。だいいち、おいしそうじゃないか。その夜、わたしがキャベツと豚肉の炒めものをつくったのは言うまでもない。
さて、それから2カ月ほどたった日の午後である。同じ喫茶店でいつものように本を読んでいると、ドアベルがちりんちりん、何気なく顔をあげると、おや、この間の二人連れである。今日もTシャツとジーンズ、サンダルで、コーヒーを注文すると、お決まりの流れで傍らのラックから新聞と雑誌を取り出す。
私は期待しました。きっと言うぞ、言うぞ。視線は手元の本におとしてみたものの、耳がそわそわして読書どころではない。待つこと20分。新聞2紙とスポーツ新聞1紙を読み終えた男は、例の一言をついに放った。
「今日のめし、なんにすんの?」
私は小躍りしたい衝動を抑え、固唾をのんで次の展開を待ち受けた。女はまたしてものんびりとしかし、間髪を入れず応じた。
「ミートソース」
すごい。彼女の頭の中にはメニュー表がきっちり組み込まれているのだ。なんでもない料理の名前ひとつなのに、やたら幸福感が押し寄せてくるのも憎い。若くてもやるもんだなあ。さすがの展開はまだあった。
「サラダもちゃんとつけてくれよ」
「了解」
クールに言い放ちながらも全部を受け入れる様は、慈母のようでもある。しかも席を立つとき、当然のように自分の財布から自分のコーヒー代500円を取り出して男に手渡すのだった。男が情けないのではない。女の方が男前なのである。
(毎日新聞2011年7月10日「いまどきの『同棲時代』」)
「高山右近」は著者にとって戦後の沈黙を破る最初の新聞小説であった。大衆文壇の大御所が数百万の読者のまえにどういう題材を出すのか、緊張と期待が大きかった。
当時(昭和23年)の日本の世相を想うとき、高山右近は歴史の睡りから呼び醒ますべき人物であった。
切支丹大名として異端視された右近を見直すときは来ていた。開巻第一、著者は16歳の右近を登場さす。しかも戦国の世では破格の“自由都市“堺において、雄渾な序曲である。
永禄11年、畿内では三好一党の時代はおわり、代わった松永久秀も安定政権ではなかった。前年美濃の斎藤龍興を仆した織田信長が京師にまで勢威を張ってきた。わけて木下籐吉郎は、その尖兵である。
掌をさすような時代描写は圧巻であるが、「高山右近」の執筆動機のひとつは、戦後の乱脈な男女関係にあったようである。右近の若く未熟な心もまた、清純な町娘お由利と爛熟した歌い妓のおもんの間で激しく動揺し、暴走する。
島原の乱といえば天草四郎であり、キリシタン信仰であり、禁教令に反抗した宗教一揆と、その程度の知識でしかなかった。
島原の乱とはなんだったのか?
著者はその根源にさかのぼる。確立の途上にある幕藩体制。その新たな秩序にどうしても耐え切れない地方の生活者。両者の基本的対立の構図が見えてくる。
また蜂起から全滅にいたる攻防の4ヶ月はどのように戦われたのか。反乱というより軍事行動に近いのだが結局は暴走。その壮絶な合戦の全貌が詳細に描かれる。
そしてこの事件にかかわる主要人物たちのそれぞれの生き様に胸を激しく突き上げられる、人間ドラマがある。
ラスト近くには涙がこらえきれなくなっていた。