2009年05月28日

「青銅の基督」(長与善郎著)の描く萩原裕佐という南蛮鋳物師


青銅の基督 私はこの本を今から45年ほど前高校1年だったころの夏休みに読んで読書感想文を書いた。そのためかだいたいのストーリーは覚えていた。

 舞台は長崎。「島原の乱が片づき、つづいて南蛮鎖国令が出てのち、天文18年以来の百余年の長きにわたり、2千人以上の殉教者と3万数千人の被刑者とを出して、なお執ねく余炎をあげていた切支丹騒動なるものは一段落ついたようにみえた」ころである。全国の津々浦々に切支丹禁制のヒノキの高札がいかめしく立てられていた。

 長崎の古川町に萩原裕佐という南蛮鋳物師がいた。彼は以前モニカという女性に恋をしていたが、彼女が切支丹であるがゆえにその恋は実らぬ恋と終わった。
 裕佐はモニカとどこか似た面影をもつ君香という遊女のいる遊郭へと通うようになる。この遊女も元は切支丹だったらしい。
 そんなとき裕佐のもとへ沢野忠庵(背教者フェレイラ)があらわれ、裕佐に切支丹に踏ませるための踏み絵を青銅で作って欲しいと頼まれる。
 裕佐はあいまいな返事をしていた。が、偶然会ったモニカの弟吉三郎にその年のクリスマス(ナタラ)の集いに誘われる。
 裕佐が集いに参加しているときに、沢野忠庵と役人に踏み込まれてしまう。裕佐はキリシタンたちを守ろうとして役人に「おれはこの仲間のかしらだ! 捕まえるならおれを捕まえろ!」と叫んでしまう。
 結局それが引き金となって、裕佐は踏み絵の製作を引き受ける。
 完成した踏み絵があまりに神々しく素晴らしいものであったがゆえに、裕佐が切支丹であるとの嫌疑を受け捕まって奉行に尋問される。
 それまで踏み絵を踏んでいた切支丹も、この青銅のキリスト像は踏むことができなかった。そのなかにあのモニカと君香がいた。更に裕佐も自分の作った青銅のキリストを踏めなかったのである。
 モニカは殺される前に裕佐に「あなたはやはり信心をもっていらしたのですわね」というのだが、それは誤りであった。萩原裕佐は最後まで決して切支丹ではなかったのである! 彼はただ一介の南蛮鋳物師にすぎなかったのである。

 あらすじはこんな感じである。
 実はこの話は、実際にあったことらしい。寛文のころ長崎古川町に萩原という南蛮鋳物師がいたこと、そしてその踏み絵が神々しくできすぎたために信者とあやまられて殺されたことは事実である。
 著者はクリスチャンではない。だが、この「事実」は長与善郎の創作意欲を刺激した。裕佐が青銅のキリスト像を造ることを決意したように、長与はこの短編小説を書こうという気になった。
 高校生のころ書いた感想文でどんなことを書いたのかは覚えていないが。あの時に感じたことといま感じたことはおそらくよく似ているのではないかと思う。あの感想文をぜひもう一度読んでみたくなった。
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2009年02月23日

「混沌の中の光り −信徒が歩んだ「霊操」の道」を出版しました


混沌 このたび「混沌の中の光り −信徒が歩んだ『霊操』の道 『霊操ジャーナル』総集編」という本を出版しました。
 A5判200ページの本で、表紙は私がデザインしました。

 この本は、1989年から2004年の15年間にわたり、合計45号が発行された「霊操ジャーナル」を、編集発行してきた「地の塩CLC」がもう一度みなで読み合わせ、そのなかから67人分の原稿を選んで本にしたものです。
 「霊操ジャーナル」はもともとが信徒の間に「霊操」を普及するという目的のもとに刊行され、おもに「霊操」の体験者の手記を集めた記事を多く掲載してきました。
 そういう書としてはおそらく日本でも初めての出版になるだろうと思います。

 ところで、そもそも「霊操」とはなにか?
 ひとことで言えば、イエズス会を創始したイグナチオ・ロヨラが始めた一ヶ月の黙想のプログラムである。
 体のエクササイズのことを「体操」というように「魂のエクササイズ」が「霊操」なのである。
 この「霊操」は弾圧が激しくなるときのキリシタンたちの間にも広まっていったといわれている。キリシタン版の活版印刷物のひとつに「心霊修行」と当時呼ばれていたイグナチオの「霊操」の本があったのである。

「霊操」についてはそのうちにまたもっと詳しく紹介しようと思っている。

 なおこの本をご希望の方は、私にメールをください。1冊500円+送料160円でお届けします。
 eMail: itaru@m5.dion.ne.jp
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2009年02月20日

マイズナー技法という演技法

 2月2日の朝日新聞"Be onSaturday"のフロントランナーという記事において、演出家・キャスティングディレクターの奈良橋陽子さん(61)が述べていること。

 女優を志した20代の頃、米国で「マイズナー技法」という演技法を学びました。演技は「ふりをする」のではなく、自分の中の「真実」を使う。本能的な感覚を磨き、劇中でも現実と同様に真の衝動に基づき反応するんです。役が感じる痛みや恐れはすべて自分の感情。これができる役者はたいてい海外でも通用します。英語力も必要だが、あとから付いてくる。


 この「マイズナー技法」という言葉で検索したら、多くの書き込みはこの記事に触れたものでした。
「ふりをする演技ではなくてなりきる演技」とでもいったらいいのでしょうかね。それが「自分の中の真実を使う」ということなのでしょう。
 インターネットで検索をしていたらGood News という名前のホームページを発見しました。こちらも大量の Good News を発信し続けています。

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2009年02月19日

スウェンソン著「ノンニとマンニのふしぎな冒険」が十二所においてあった。


ノンニ 十二所の黙想の家にヨーン・スウェンソン著「ノンニとマンニのふしぎな冒険」という絵本がおいてあった。

 この本がなんでここにあるのだろうと不思議に思って、手にとって読んでみた。

 この著者の略歴を見て納得をした。この著者はアイスランドのイエズス会の神父だったからだ。 
 まずアイスランドという国が珍しい。アメリカの金融危機でこの国は破綻に追い込まれたとかいうのでちょっと有名になった国である。
 イエズス会の神父で絵本作家あるいは子どもの読み物作家というのもめずらしい。

 この神父の書いた児童向けのお話しはほとんどが自分が子どもだったときに体験したことが書かれていて、そのなかに自分がなぜ司祭になったのかというようなことも含まれている。この主人公の子どもたちは、迷子になってしてもよく祈る子どもであった。

 著者は日本を訪れたのが、いまから70年前のこと、すっかり日本が気に入って1年近く日本にいたのだそうだ。
 
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2009年02月14日

プチギャラリー「いよさんと刺繍」展開催中

 大和に住んでいる妻の妹さんが、母のいよさんの刺繍をプチギャラリーに展示したいと申し出があったので、承諾しました。
 わたしたちが住んでいるところからちょっと離れているので、友だちに「来て来て」とは頼みにくい所なのですが、ブログ上でなら気軽にお願いできていいですね。

 お近くの方ぜひ行ってみてください。
 ただし2月17日までです。
 場所はこちら。
 このプチギャラリーのしたにあるラーメン屋さんのラーメンがおいしいというので、来られたついでにこちらもどうぞ。わたしたちも食べましたが、なるほどおすすめです。


いよししゅう ところでこのブログに登場する母のいよさんは89歳です。彼女は刺繍が好きでたくさんの作品を作ったのですが、そのほとんどは人にあげてしまい、家にはあまり残っていません。
 ときどき「ここはどこ? 私の家に帰らなくては」と言い出します。いよさんには記憶障害があって「物忘れ名人」なので「今いるところがわからなくなってしまう」のです。
 そんなときに壁に掛かっているいよさんの刺繍をみせて「ここはいよさんのおうちだよ。ほら、壁にいよさんの作った刺繍が掛かっているよ」といいます。
 「そうだねえ。あれはわたしがつくったものだねえ。ここはわたしのいえなのかな」と少し納得をします。しないときもあるけれど……。

 このたび、そのいよさんの刺繍をプチギャラリーに展示したというわけです。
 このプチギャラリーを自分の作ったものを気楽に展示するスペースにしたいといわれて、その意志を祝福したいという気持ちもありました。
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2009年02月06日

Argus Posters のメッセージと画像


アーガス2 20年ほど前、私が学校に勤めだしたころ、よく「アーガスポスター」からのDMが学校にきていて、ときどき学校でも購入していた。今でもそれが残っていて、ときどき学校の掲示板に貼られる。



 

アーガス1 それは左のカタログのような、写真とメッセージの組み合わさったポスターである。そのメッセージはきわめてキリスト教的つまり福音的であり、そのポスターはみずからを inspirational poster と呼んでいる。画像にはイラストもあり、子ども向けのものもある。多くの教会や学校に掲示されていた。
 今、Argus Poster を探しても見つからない。日本でこれを扱っていた会社は今はもうこれを扱っていないようである。


アーガス3 私は昨年末から、家や教会の掲示板に、教会の入門講座の宣伝のために、画像とメッセージのついたポスターを製作して掲示しているが、そのヒントはじつはこの Argus Poster から得たものである。
 自分で製作して気づいたことは、画像とメッセージのマッチングがきわめて難しいということである。画像に合わせてメッセージを考える方がいいものができる感じがする。


アーガス4 それはともかく、このポスターからいくつかの気に入ったメッセージと言葉を紹介しよう。こういうメッセージはなぜか英語のほうがいいと思う。日本語に訳すと当たり前のこととなって言葉に迫力がなくなってしまう。




 いちばん好きなのは、
 Jesus of Nazareth Request the Honor of Your presense at a Dinner to be Given in His Honor.

 でもこれは日本語に訳すとへんてこな文章になってしまう。
 ナザレのイエスが、かれの栄誉のうちに与えられたディナーにあなたが出席する栄誉を求めています。


 This is the only thing the Lord asks of you;
to act justly,
 to love tenderly,
and to walk humbly with your God.(MICAH 6:8)
神があなたに求めていること:
 正しく行い、やさしく愛し、神とともに謙遜に歩むこと(ミカ書6章8節)

 What you are is God's gift to you;
what you become is your gift to God.
 今のあなたは神からの贈り物、
 これからのあなたは神への贈り物。

 Happiness comes from
feeling deeply,
thinking freely,
and enjoying simply.
 幸福は、深く感じ、自由に考え、そして単純に喜ぶことからやってきます。

 If you don't understand my silence,
You don't understand my words.
 もしもあなたが私の沈黙を理解しないなら、私の言葉も理解しないでしょう。


 続きはまたそのうちに。まだまだいい言葉がたくさんあります。



 

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2009年01月30日

「たぶん神はいない」というイギリスのバスの広告


バス1 1月24日の朝日新聞だったかに「神は多分いない…英国で走る『無神論バス』」が載っていた。それによると、このバス広告が生まれた経緯は次のようになるのだそうである。

 この記事は
There's Probably No God.
Now Stop Worrying And Enjoy Your Life.

 つまり「神はたぶんいない。だから心配することをやめて生きることを楽しもう」という内容のバスの車体に書かれている広告である。

 ことの発端は、「キリスト教徒でなければ永遠に地獄で苦しむ」と書かれたキリスト教団体のバスの広告に反発した市民が、資金を募ってのせた広告なのだそうだ。資金は予想以上に集まり、ロンドンの市内のバス800台に載っているとのこと。
 宗教団体は消費者を欺く広告であるとして訴えたとか、信心深い運転手の運転拒否にあったとかなかなかにぎやかである。
 しかし、なかにはこのバス広告のキャンペーンに資金を出したキリスト教団体もあったとか。神の存在を改めて意識させたかららしい。


バス2 イギリスのキリスト教原理主義の人たちの広告に反発したのだろうと思ってネットを探していたら、この運動はスペイン・バルセロナやイタリアのジェノヴァでも出現したという。
 イタリアのは、ジェノヴァの枢機卿がゲイ・パレードを妨害したとかでそれに抗議する意味で始められたとか。
 教皇庁は「対立ではなく対話を」という感じで静観しているとか。

 この無神論キャンペーンは各国に広がり、にぎやかに広告合戦が繰り広げられているとかいう記事もあった。
 そのコピーには国民性が表れているとか。

イギリス「多分、神はいない。心配するのはやめて人生を楽しもう」
ワシントン「なぜ神を信じるのか?善意なる愛のために善良であれ」
オーストラリア「無神論者は日曜日の朝は寝ている」

 私だったら、こう書くかな。
There's Probably God.
Now Stop Worrying And Enjoy Your Life.

 はじめの文章はすこしおかしいかも。
God Probably Exists.
かな。
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2009年01月27日

メーカーズドリーム広告


ドリーム2 今年の1月1日の日経新聞の正月特集のページに、メーカーズドリームという広告集があった。メーカーの夢を52×65ミリのスペースに描いた広告が全部で70社載っていた。読者にどれがよいかというアンケートをさせるという趣旨であったが、私はそのときは見落とした。
 この狭いスペースで夢を描くというのはなかなか難しい課題であるが、でも結構おもしろい広告もあったので、このなかから6点を選んでみた。


ドリーム3 左上は「地球快適化研究所」というコピーと写真の組み合わせがなかなかよいと思った。このコピーでインターネットで検索したが、見つからなかった。会社が立てたスローガンというよりも広告のコピーライターが考えたスローガンだったのであろうか?

 左下の「屋上緑化」の会社の広告は「風」の文字ナナメにひっくり返っているところがいいのだろう。屋上緑化は風対策がいちばんの問題なんだと気づかせてくれた。

 下中の広告は、高吸水性樹脂(紙おむつなどに使われている)の保水力を使って砂漠緑化に取り組んでいるというメッセージが興味深い。それで、高吸水性樹脂、砂漠緑化という二つのキーワードで検索してみたら、確かにそういう記述がたくさんあって、なるほどと思った。ただこのメーカーのホームページではなかった。この詳しい説明があったらよかったのにと思わせる。これは調べてみたらおもしろいだろう。


ドリーム1 下右の広告が、私はいちばんだと思う。この「ナケレバ、ツクレバ。」というコピーがいい。このなかに「クレハ」というメーカー名も隠れているし、この開発精神がこの短い言葉に熱っぽく込められている。さらにこれを検索してみたら、クレハの会社のホームページに行き当たるし、またこのコピーを使った中吊り広告もあるらしい。

 というわけで、これらのアイディアをうまく盗んで私もポスターを作ってみたくなった。
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2008年12月20日

「SWING!」という動く絵本のしかけ


swin7 私は、めったに本を買わないようにしていて、本は図書館で借りる主義なのだが、ついにこの絵本は買ってしまった。「SWING!」という動く絵本である。
 ページをめくると、あ〜ら不思議、スクリーンに映し出される絵が動き出す。


swing4 この本は「A Scanimation Picture Book」という説明がある。
 野球のバッティング、サッカーのキック、自転車乗り、ランニング、逆立ち横転、フィギアスケート、バスケットボールのシュート、バタフライ、そしてチアガールのシルエットがそれぞれ、ページをめくると動き出すのである。


swing3 格子状のスクリーンと下絵の組み合わせで、絵が動き出すというのはわかるのだが、どんな仕掛けになっているのか、絵本をバラして調べてみたくなった。






swing2 写真のようなスクリーンと下絵がある。下絵が細い縦線によって描かれている。ページをめくることによって下絵が引っ張られ、少しずつ移動していくと、動きがあるように見えてくるのである。

 なかなかよくできていると思う。コンピューターを使えば描けそうな気がする。いつか試みてみよう。
 それに何かに応用できそうな気もする。
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2008年10月27日

「福の神になった少年 −仙台四郎の物語」


仙台四郎1 先日仙台に行った。仙台のお店をのぞいたときにお店に不思議な写真が飾られていた。そこには「仙台四郎」と書かれていた。
 そういえば私は以前「福の神になった少年 −仙台四郎の物語」(丘修三著 佼成出版社 1997年刊)を読んだことを思い出した。これがあの小説の主人公だった仙台四郎なのかとあれを読んだときの感動がよみがえってきた。
 帰ってさっそく図書館でこの本を借り出してもう一度読んでみた。

 私は丘修三という人の児童文学が好きで、この人の書いた本を図書館で見つけると借り出して読むことにしているが、その中にあった本である。
 丘修三の書いた児童小説は、どれも障がい者の少年少女を主人公にしている。


四郎2 この本の主人公仙台四郎も知的障害者であった。町の人からは「しろばか」といわれてバカにされ、笑われ、時に子どもたちからいじめを受ける。でも彼はそんなことを苦にすることもなく、バカにされても笑われても一緒になって笑っているそんな少年であった。
 明治初期の仙台に実在した人物をモデルにしている。
 ところが四郎のよる店は繁盛し、四郎を追い払う店は没落していくという事実を見て町の人に商売繁盛をもたらす「福の神」ともてはやされるようになる。
 この物語には、明治初期の五稜郭戦争から自由民権運動、福島事件などなどの影響を受けた仙台におこるさまざまな歴史的事件も織り込まれている。

 また、この小説にはハリストス教会(ロシア正教)のニコライ・カザトキンという司祭が登場する。彼は後に神田のニコライ堂を作った人物として名を残す。この司祭とその仲間たちはいつも四郎の見方であった。

 丘修三の書いた児童文学の中でもっとも好きなのは「僕のお姉さん」という本である。私はこの短編小説を何度か中学生女子の前で朗読したことがあるが、クライマックスの所に来るといつも必ず感動のあまり絶句していまう。
 また「歯型」という小説もなかなかすばらしい物語である。この本を読みながら「良心」をテーマにして考える授業をした。
 ともに障がい者が主人公になっていて、この主人公たちからいつも何か大事なことを与えられるのである。

 11月にもう一度仙台を訪れるので、そのときに地元の人たちから、もっと詳しい話を聞いてみたくなった。
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2008年10月25日

「ド・ロ神父と出津の娘たち」は悲しいことに絶版でした。

 ド・ロ神父を知っていますか?

 その名前は知らなくても、長崎に「ドロそうめん」という特産物があるのはご存知かもしれません。「泥でできたそうめん?」という意外なネーミングは案外記憶に残るからです。このそうめんは地元で「ドロさま」と慕われた明治期のフランス人宣教師が開発したものなのです。


ドロ1 図書館で「ド・ロ神父と出津の娘たち」(岩崎京子 田代三善絵 旺文社刊 1985年)という本を見つけて読みました。なかなかおもしろ本でした。この本をぜひ手に入れたくなって探してみたのですが、悲しいことに 絶版で「入手不可」でした。
 著者の岩崎京子さんという方には「東海道鶴見村 偕成社, 1977」「鶴見十二景 偕成社, 1979」という本もあります。鶴見の方みたいです。

 さてド・ロ神父さんですが、この本に次のような紹介が載っていました。
 明治12年早春。長崎県外海の出津という村にフランス人のド・ロ神父がやってきた。神父は、貧しい村の人びとのために、農業や医療や教育その他さまざまな面で献身的な奉仕活動をし、多くのすぐれた業績を残した。
 この物語は、ド・ロ神父とその協力者、出津の娘たちの愛と人生を描いた歴史小説。


 Wikipedia にはこんな紹介が載っています。
 マルク・マリー・ド・ロ(Marc Marie de Rotz, 1840年 - 1914年)は、現長崎県長崎市西出津町(にししつまち、旧 長崎県西彼杵郡外海町)において、布教活動や貧困に苦しむ人達のための社会福祉活動に尽力したパリ外国宣教会所属のフランス人司祭である。
 彼が行った社会福祉事業に関連する遺跡は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定一覧表へ登録された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の1つとなっている。


 この物語を読んで驚きと感動をもったことがいくつかある。
 まず、ド・ロ神父の多彩な能力である。キリスト教の宣教師としての能力だけでなく、実に多くのことを手がけた。建築、農業、漁業、織物、医療、福祉、工業、教育など、現在でいうならば「町おこし」事業を明治期に行っている「万能人」なのである。
 教会の建築をおこなった。
 印刷機を導入して石版印刷術を広めた。
 パン、マカロニ。ソーメンの製造をはじめた。
 それらの特産物を売り歩く行商隊をつくった。
 機織り機を導入した。
 イワシ網すき工場を造った。
 原野を開墾した。
 水車による製粉工場を造った。
 防波堤を築いた。
 赤痢や腸チフスが流行したときに救護隊を組織し、薬局をつくった。
 県道を改修し、その工事に地元の労働者を雇った。
 共同墓地をつくった。
 お茶の農園をつくった。
 身よりのない子どもたちを集めて保育施設をつくった。
などなど彼のなしたことは枚挙にいとまがないくらいである。

 それらの事業を行うにあたって、村の若者特に娘たちを集め、授産所をつくった。これは「女部屋」と呼ばれ、のちに「お告げのマリア修道女会」となる。この娘たちが農業や機織り、医療、教育に活躍するのである。この本はその娘たちの活躍ぶりを描いた本である。

 これらのド・ロ神父の活動を支えていたものは、その出身地からの援助であった。彼は豊かなフランスの貴族の出身であったのであるが、彼の家はド・ロ神父の活動を支えるのに財産をほとんど使い果たしたといわれる。

 この本にはこんなことも書かれている。
 

ドロ2
 最初は孤児や「捨て子」を育てることからはじまった。赤ん坊はどんどん増えていった。何人か子守をやとって「乳児院」をしようということになったが、設備もないので、赤ん坊は浦上に預けることにして、出津には保育所ができることとなった。「子部屋」である。
 少年組、少女組、それは10歳前後の子でそれ以下は幼年組に分けた。子部屋の方も増えに増え、後には200人にもなってしまった。
 少年組は「コツン組」物覚えの悪いことをこの辺の人は「こつんなか」というがド・ロ神父の耳には「コツン」が印象に残ったのであろう。神父は「コツン組」と名付けた。
 少女組は「ペタ組」ペタは仕事ののろいことで、たぶん少女組の保母は二言目には「ペタ、ペタ」といったに違いない。
 幼年組は「チンポロ組」これは小さいという意味である。すべて神父一流のしゃれであった。
 
 子部屋の時間わりはだいたい決まっていた。朝、親とか兄弟が連れてくるのを受け取る。
 整列
 唱歌
 おはなし
 よみかき そろばん
 戸外の遊び
 そして夕刻帰宅させた。
「おはなし」の時間はド・ロ神父がした。
 いちばん子どもたちが喜ぶ話は。ド・ロ神父の小さいころのことだった。………神父のいたずらばなしはきりがなかった。…………みんなの目の前にはちいさなかわいいマルコが目をりんとはって、がんばっている姿が見えた。
 その後の戸外の遊びにも、ド・ロ神父はひっぱりだこ。それは神父が子どもを楽しませるくふうが上手だったからである。
 ある朝、子どもたちが子部屋に来てみると、庭の大クスノキの張り出した枝にいすの脚のないようなものが綱でさがっていた。ちゃんと背もたれもついていた。
「これ、ブランコ、いいます」
 フランスの学校や幼稚園の庭には必ずあって、体育にとてもいいからとパーテルさまがつけたものだ。
 こどもたちは順番に座って、前後に揺する。ぐーんと空に近づいたり、海が遠くなったりして子どもたちは大喜びであった。
 エッシンヨイサコマヨイサ
 来いときゃ
 クジラば つんでこい
 行くときゃ
 イモばつんでいけ


 ド・ロ神父は実に多面的な技術と知識においてたぐいまれなる能力を持っていたが、それよりももっともみごとだったことは、人を活かすことだったとこの本を読んでいて思う。
 ド・ロ神父に限らず、外国から日本に来た宣教師たちは実に多彩な能力と豊かな個性の持ち主が多い。これらの能力はもともと持っていたというよりも宣教地の必要性が生み出したと私は思うのである。
 「神から与えられたミッションをはたすために、神は必ず必要な能力を授けてくださる」宣教師たちはみなそう信じて派遣されたのであろう。
 POTES QUIA DEBES (You can because you ought) という言葉を思い出す。

 
 

 
 

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2008年09月30日

「た・か・く・ら」嘉門達夫著に笑って泣いて!

 「た・か・く・ら(嘉門達夫著 扶桑社刊)を読みました。5月だったか、NHKFM「トーキングウィズ松尾堂」で紹介されていて読んでみたくなったので、図書館で予約したら14人待ちでした。それがやっと手には入って読んだら、お予想どおりおもしろかったです。

 扶桑社のホームページにでていた「あらすじ」です。

 春めいて来たある朝、突然、幼なじみの高倉から電話があった。「オレ、肺がんであと三ヵ月って医者に言われてん。それにしても四十七やで。ちょっと早すぎると思わへんか?」 すべての物事を判断する基準が「オモロい」か「オモロない」かだった高倉。 とにかくコイツが死ぬまで、オモロくせんとイカンと思った僕は「おえ!高倉、葬式の最後に死んだ本人がビデオで挨拶するってオモロいと思わへんか?」と言うと「おお、オモロいがな!そんなんやってくれんの?やろう! やろう!」と言う事になり・・・・・・。子供の頃の一大イベント「大阪万博」の想い出とともに綴られる、可笑しくも切ない友情物語。


 ガンの宣告を受けて、人が死にゆく過程をこんなにオモロク語った本はないと思います。そして友人たちのバカ騒ぎに囲まれてこんなに幸福に死を迎えられることもないのではないかとも思うのです。
 そういう意味で画期的でちょっとショッキングでした。これが友情というものなのでしょうか。持つべきものはやはり友だちなのでしょうね。

 それはそうと次の予約が5人も入っているので、すぐに図書館に返さなくては。
 こんなに予約が入っている本が横浜市立図書館全部ににたった2冊しかないというのは問題のような気もするけれど……………。
 
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2008年07月07日

「ひめゆり」上映会の柴田監督の話

 「カトリック映画賞」受賞作「ひめゆり」の上映会が7月4日に行われました。
 この映画は沖縄戦の「ひめゆり部隊」の生存者たちの証言をつづったドキュメンタリー映画です。

 私は、映画賞選定のときに見たので2度目になります。でも1度目に見たよりも2度目に見た方が感動がずっと大きかったのです。
 1度目に見たときは、上映時間の2時間10分が長くて、終わりの方では「まだ続くのか」という気持ちを抑えられなかったくらいでした。
 でも2度目はそうではなかったのです。むしろ「もう終わりか」という感じでした。そして感動も2度目の方がずっと大きかったのです。これは、大きなホールでたくさんの人と見たというのがあるかもしれませんが、それだけではないようです。ある人は「私は3度目だけれど、3度目が一番良かった」という人もいたくらいでしたから。

 この映画のあと「ひめゆり」の映画監督の柴田昌平氏の講演がありました。そのなかで印象に残った話を紹介しましょう。

 このドキュメンタリーを撮影編集するに際して、心がけたことが2つあります。
 ひとつは、「ひめゆり」生存者のかたがたに、できるだけ現場に行って語ってもらうことにしたことです。映画にはナレーションも解説もバックグランドミュージックも入りません。語りたいことを語りたいだけ語ってもらい、カメラを止めませんでした。誘導尋問みたいなことはせずに語られたことをそのまま受けとめるようにしました。
 もうひとつは、この証言には「うらみぶし」がないのです。日本軍やアメリカ軍を告発するような証言がなかったということです。恨みや告発よりも、自分が生き残ってしまったことに後ろめたさをかかえていて、それが次の世代に託す想いとなって暗い過去に立ち向かっている姿は、むしろ「人間の尊厳や美しさ」を感じさせます。これは希望の映画なんですね。


 今回の「カトリック映画賞」の候補作は「夕凪の街 桜の国」「日本の青空」「陸に上がった軍艦」「花の夢」でした。いずれも戦争物で、いずれもそれぞれに感動的でいい映画だったと思います。
 でも、この監督の話を聞いて、この「ひめゆり」をカトリック映画賞として選んだのは正しかったと確信を持つようになりました。

 お近くで上映会が開かれたおりには、ぜひご覧ください。この監督の話を聞いて見るとまた感慨も異なってくると思います。 

 


 

 
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2008年06月18日

新構造展に出品した妻の絵「華やかな花たち」


華やかな花たち 友人の絵を紹介したなら妻の絵も紹介しなければなるまい。
 6月12日から22日まで上野の東京都美術館にて開催されている「新構造展」に妻が「華やかな花たち」という油絵を出品した。彼女はこの「新構造」の会員で毎年ここに出品している。

 彼女はこの絵画展の案内状をたくさんの友人たちに送っていた。たった1点の絵のためにはるばる上野まで足を運んでいる友人がどれほどいるものかと、多少懐疑的であったのだが、ある友人夫婦が初日にいくからというので、私たちも初日に行くことにした。
 500点くらいある中から、妻の絵を探すのはなかなか大変なのだが、部屋の隅に展示してある彼女の絵を見たとたんに「恥ずかしい」と言い出す始末。

 確かにその絵は技術的にはまだ未熟なのであるが、しかしこの絵はまわりの絵に比べて飛び抜けて明るい絵なのである。まことにもってその絵のタイトルどおり(実はこの絵のタイトルは私が付けた)の絵なのだ。

 2005年の絵に比べても、あまり代わり映えがせずに進歩がないようにも見えるが、この明るさだけは前よりも輝いて見える。
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2008年05月26日

カトリック映画賞作品「ひめゆり」上映会のお知らせ


ひめゆり 2008年度カトリック映画賞は、柴田昌平監督「ひめゆり」に決まりました。

 この作品は、沖縄戦における「ひめゆり部隊」の生存者たちが、証言として語ったものを丹念に記録したドキュメンタリー映画です。


 
少女たちはなぜ死ななければならなかったのか
 自らだけが生き残ってしまったという
 自責の思いを持つひめゆり学徒の生存者たちが
 遺影の並ぶ暗い展示室で
 若き友に今も語りかけている

 案内のチラシに出ていた言葉です。

「まもなく、私たちは70歳になります。いつまで生きていられるかわかりません。私たちの体験をきちんとした形で映像で記録できないでしょうか。遺言として残したいのです。」
 という生存者たちの願いに応えて、柴田昌平監督が13年間にわたり、22人の証言を撮影して、編集したものです。

授賞式及び上映会は
 7月4日(金)
 なかの ZERO 小ホール
 開場 17時 授賞式及び上映 18時
 上映後監督講演も予定されております。
 チケットは1000円
 前売りは、聖イグナチオ教会売店、サンパウロなどで販売されております。

カトリック映画賞の選定はSIGNIS Japan(日本カトリックメディア協議会)が行っており、私もその選定に参加しました。

 日本人としてどうしても聞いておかなければならない貴重な「証言」だと思います。

 

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2008年05月19日

有さんの水彩画


有さんの絵 私の親友の有さんの絵です。
 なかなかいいできなので、私のブログでも紹介させていただくことになりました。

 丹沢秦野戸川公園でのスケッチだそうです。

 かれは、自分にこんな才能があるんだということを発見してすっかり水彩画にはまっているそうです。
 こういうことってあるんですね。
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2008年04月30日

マスネ「タイスの瞑想曲」の美しい旋律と悲しい結末

 マスネ作曲の「タイスの瞑想曲」という美しい曲がある。メロディを聴けば「ああ、これか」というおなじみの曲であろう。

 国本静三神父の「音楽サロン」(「カトリック生活」誌2008年4月号)にこの曲の解説がでていた。

 作曲者ジュール・エミール・フレデリック・マスネ(1842〜1912)はフランスロマン派の作曲家。パリの音楽院で苦学して学んだあと、ローマに留学。教会音楽やオペラを作曲する。

 この「タイスの瞑想曲」は1894年パリ・オペラ座で1894年に初演されたオペラ「タイス」の第2幕に流れる曲である。
 このオペラ「タイス」は4世紀の聖女タイスと砂漠の修道士がモデルとなっていて、この修道士はのちの聖バフヌティウスまたは聖アタナシウスであるといわれている。

 修道士アタナエルは故郷のアレクサンドリアで幼なじみであった清純な少女タイスが、浮き名を流す遊女となっていといううわさを聞き、深く心を痛めて故郷に赴き、彼女を回心させようとする。タイスは最初は抵抗するが、ついに信仰を受け入れ、砂漠の女子修道院に迎えられたが、修道女になってすぐに神のみもとに召される。
 この曲は、修道士の説得と祈りでタイスが回心へと導かれるクライマックスの場面で流される。

 国本神父の「音楽サロン」にはここまでしか話が紹介されていないのだが、この歌曲では修道士アタナエルは、タイスの死の場面にたちあう。彼はタイスの死が受け入れられずに、悲嘆にうちひしがれ、やがて身を持ち崩して堕落していくという結末になっているらしい。
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2008年04月18日

絵本「神の道化師」トミー・デ・パオラ作を入門講座で読みました。


パオラ2 わたしの手元に、トミー・デ・パオラ作の絵本「神の道化師(The Clown of God)」が2冊ある。英語版と日本語版である。
 昨日の教会での「キリスト教入門講座」でこの本を読んだ。わたしの好きな絵本である。

「神の道化師」トミー・デ・パオラ作 ゆあさ ふみえ訳 ほるぷ出版 1980刊
「The Clown of God」Tomie dePaola Methuen Children's Books, London


パオラ1 この本のブックカバーに載った紹介文です。

 ジョバンニ少年は、一文なしでみなしご。でもステキな得意技を持っていました。ジョバンニは,なんでも空中に投げあげてお手玉のようにまわすことができたのです。ソレントの町の人びとはそのすばらしい芸にびっくり。ある時ジョバンニは旅芸人の一行に加わり、ほどなく、道化の化粧をして上手になんでも手玉にとれる少年として、イタリア中に広く知れ渡るようになりました。
 しかし、年月は流れ去り、ジョバンニは年老いてきました。しだいに芸のうではおとろえ、喜んでみてくれる人も少なくなるばかり。ある日、芸のさいちゅうに玉をとりおとしてしまったジョバンニは、人びとのののしり、あざける声に追われて村を逃げ出しました。芸をすっぱりあきらめてしまったジョバンニは、子どものころのように。よその家の軒下に眠り、パンをめぐんでもらいながら、ふるさとのソレントへ帰っていきました。
 クリスマス・イブの日、とある教会にもぐりこんで、ひとねむりしていたジョバンニが目をさますと、教会の中はおん子イエスにささげものをする信仰あつい人びとの列でいっぱいでした。やがて美しいしらべもたえ、人びとが帰ったあと、ジョバンニは、おずおずと聖母にだかれたイエスさまの像に近づいていきました。自分にできるたったひとつの、ささげものをしようと。そのときおこった奇蹟は、この古くから伝わる伝説を読む人の心に深い感動をさそいます。カルデコット絵本賞受賞作家。トミー・デ・パオラの卓抜な再話と絵によるこの絵本は、芸術作品ともいうべき傑作です。



パオラ3 トミー・デ・パオラは1934年、コネチカット州生まれ。現在はニューハンプシャーの古い農家に住んで、絵本を画きつづける。
 デ・パオラの絵は、「キルトのように、新鮮な日光と大気にみちた余白のある世界へ、私たちを手招いている」。ニューヨーク・タイムズ紙がそう絶賛した。暖かなユーモアと明快で知性的な作風をもつ、アメリカを代表する絵本作家の一人。日本でも人気が高い。

 この絵本のステキさに誘われて、つい「Bible Stories」「The Mother of Mary」などのデパオラの絵本をamazon.com で注文してしまいました。また到着したら紹介しましょう。
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2008年04月09日

「日曜喫茶室」と「トーキング ウィズ 松尾堂」

 わたしはもう20年くらい前から、毎週日曜日NHKFM午後12時15分から午後2時までの「日曜喫茶室」を楽しみに聞いていた。
 といっても、この時間帯は家にいることが少なくて、ほとんどテープに留守録音していて、それを車を運転しながらとか庭木を手入れしながらとかして聞いていた。テープも100巻くらいたまってしまった。この1時間45分を留守録音するには、これまではカセットテープしかなくて、ラジカセが手放せなかったのであるが、ようやくHDDとFMラジオつきの MP3 Player を手に入れたので、MP3で録音したものをiPod で楽しむこともできるようになった。

 司会者のはかま満緒とウェイトレスの小泉裕美子、そして常連の客とゲストとの間に交わされる知的な会話が楽しく、またここで流される音楽のセンスがよくて、わたしの Good News と iPod Player の源泉の一つでもあった。もう30年以上続いている番組でもある。

 昨年くらいから、毎週日曜日の放送が、月一度は「トーキング ウィズ 松尾堂」に変わられ、さらにこの4月からはついに、「日曜喫茶室」は月1度だけになってしまい、あとは「トーキング ウィズ 松尾堂」という番組になってしまった。

「トーキング ウィズ 松尾堂」は店長の松尾貴史と店員の佐藤寛子とゲストとの会話とで構成されるト−ク番組である。主に本の紹介から話が弾んでいく。

 話のセンスから言うと、やはりまだ「日曜喫茶室」のほうがおもしろいかなと思うのであるが、「トーキング ウィズ 松尾堂」にも少しずつなれてきた。

 2月24日に放送した「トーキング ウィズ 松尾堂」のゲストの嘉門達夫の小説「た・か・く・ら」の話がおもしろかった。
 さっそくこの本を借りようと、横浜市立図書館ネットで予約したが、予約待ちがじつに15人もいて、借りられるのがいつになるやら。これを予約した人の何割かは
トーキング ウィズ 松尾堂」の視聴者ではないかと思ったりした。



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2008年02月14日

映画「日本の青空」を見ました

 2月11日に逗子へ「日本の青空」を見に行きました。


日本の青空 この映画は、日本国憲法誕生の真相を映画にしたものです。日本国憲法がGHQの押しつけであるとする主張に反論するために、憲法が作られた当時、鈴木安蔵という民間の憲法学者を中心とする憲法研究会が作った憲法草案の内容をGHQが取り入れたところを丹念に追っていました。

 なかなか感動的でした。

 実はこの映画は2008年度の「カトリック映画賞」の候補作として私がノミネートしたものです。
 昨年9月頃、「9条の会」の人たちが私の隣の家で上映会をしていました。私はこれを見ることができなかったのですが、鶴見で上映会があったときに、妻と教会の人たちにすすめたら、これを見た人たちがみなとてもいい映画だとすすめてくれたので、ノミネートしたものです。このときも私は見ることができませんでした。
 ノミネートした本人が見ていないのも何だしと思って上映会を探したら、11日に逗子で上映会が行われていることを知り、はるばる行ってみたものです。

 加藤剛が演じる高野岩三郎、宍戸開演ずる白州次郎、そして憲法に男女平等の条文を盛り込んだベアテ・シロタなどとても興味ある人物が登場していました。そしてなによりも主人公の鈴木安蔵が魅力的です。

 ただし、GHQと日本政府の憲法の草案をめぐってのやりとりの中で、天皇の位置や婦人参政権、男女平等の規定は問題となるのですが、9条はそう問題にはならなかったというところが意外でした。
 鈴木安蔵の憲法草案では、「空白の条項」として不戦の誓いや戦力を保持しないという9条の規定には触れていなかったのです。
 この9条の規定はGHQ民政局のほうで考え出されたということになります。
 このあたりをもっと踏み込んで描けたらもっとよかったと思うのですが………。

 今年のカトリック映画賞には
広島の原爆症の女性を扱った「夕凪の町、桜の国」、
満豪開拓団から中国残留となった日本人女性の生涯を描いた「夢の花」、
沖縄のひめゆり部隊の生存者のインタビューをもとにした「ひめゆり」
そして「陸に上がった軍艦」
が候補作として上がっています。
 いずれも戦争を正面から取り上げた映画です。
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