そのなかに次のようなことが紹介されていた。
ところで私は人からよく「先生はどうしてそんなにいろいろなことに興味があるのですか?」と聞かれることがあります。
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ところで私は人からよく「先生はどうしてそんなにいろいろなことに興味があるのですか?」と聞かれることがあります。
生きがいとはどうやら他者との相互関係の中にあると考えられる。それを定式化すれば次のようになる。
「生きがい」=「他人からよせられる関心」× 「それに応えているという自覚」
先ず他人からよせられる関心がある。それに応えているという自覚が生じる。そしてその2つの積として生きがいが生じるのである。
他人の関心がないのに自分だけで勝手に自負、ひいては生きがいを保つのは難しい。
視点を変えれば、生きがいとは富とか地位と異なり、無限に創ることができるものであるといえる。私が身近な人の生き方、興味、得意とするものに関心を示すならば、相手はそれによって励まされて、生きがいを感じるのである。多くの人の生き方、存在に関心を持てば多くの生きがいが創られる。
生きがいとは関心によって不断に分配可能なものである。他人への関心がその人の生きがいにつながるものと見れば、私は深い歓びを得る。
同時に周囲の人びとは私のなかにさまざまな関心を見つけ出し、私の自負心をかき立ててくれるだろう。
しかし、無名の多数からよせられている関心は受け手にとって真の関心ではない。それは幻想のなかの関心であり、そこから創られる生きがいは華やかに見えて空虚である。
真の関心は少しでも知り合っている人から向けられた関心である。よく知っている人から「ああ、あなたはこんな生き方をしていたのか、こんな能力があったのか」と関心をむけられた、真実の生きがいを感じ取る。
マス社会の関心から、個別の人間のネットワークのなかで生み出される関心へ、私たちは関心を作りかえる時に来ている。
そうすれば生きている実感は絶えることはなくなるのではないか。私たちは勤勉によって生きがいを所有ないし、独占しようとした時代から「生きがいシェアリングの時代」に映っている。
人口10万人あたりの自殺者数で日本は20.3人となり、世界先進29か国中2位。全体が減り続ける中、日本だけは高止まりしている。1位はハンガリーの22.6人だったが、80年代のピークから半減している。
報告書「09年ファクトブック」にこうある。「自殺率と国の経済水準とは無関係であるが、生活満足度とは関連がある」
確かに、国民の生活満足度の最低はハンガリー、日本はしたから4番目である。
もっと詳しく見ていくと「2位」の輪郭が浮かんでくる。
「昨日感じたこと」の調査で「私は大切にされている」の回答率で日本は最下位。
「誇らしいことをした」もしたから3番目。
逆に「憂鬱」の多さは1位だった。
「この1か月で見知らぬ人を助けた」の回答率が一番低かったのも気になる。
「働きがいを高めてくれるもの」でもっとも答えが多かったのは「給料」でも「雇用の安定」でもなく「役立っていると感じること」だったのだ。
ゴアの修道院に在籍するイエズス会修道士の成績評定。1位、ルイス・フロイス。27歳。生まれついての文才と語学的才能あり。記憶力も豊富であって、あらゆる文筆の仕事に長ず。また、言葉をたくさん知っており、「歩く字引」というあだ名があるくらいなので、将来よい説教家にもなれるだろう。欠点、饒舌すぎること。2位、ガスパル・クェリョ、28歳、正直で大声の持ち主、統率能力あり。
ここは「鏡のなかの国、ヨーロッパとはすべてあべこべの国、こんな奇妙な国にキリストの福音の根付く日がいったいくるのでしょうか。
………ヨーロッパでは手で蠅を殺すのは不潔とされているが、あべこべに日本では公方や殿までがひょいと蠅を捕まえて羽をむしって投げ捨てる…………ヨーロッパ人は鼻が高くて大きいので拇指か人指し指で鼻の穴をきれいにするが、あべこべに日本人はそれを小指で行う…………われわれは女性の名前を聖人からとるが、あべこべに日本では鍋、鶴、亀、筆、茶などとさまざまなものからとる。われわれはわずか22文字で書くが、あべこべに日本人はほとんど無限にある文字を使って書く。…………われわれは便所で座り、あべこべに日本人はしゃがむ。
我等が、巡察師よ。わたしはあえて提案します。適当なキリシタン大名を選び、彼に対してイエズス会とポルトガル艦隊とが全面的に支援してはどうでしょうか。ゴアの兵器敞から大砲、鉄砲、そして火薬を取り寄せて、われわれの支援する大名に提供するのです。彼を実務化に天下人に仕立て上げるのです。もちろん彼に対しては口を酸っぱくして「あなたが天下人になれるとしたら、それはすべてデウス様のおかげですよ」と教え続ける必要がありますが、さもないともうひとり、日本式デウスができてしまいますから。なにとぞ深い洞察をもってこの提案をご検討くださいますように。
提案は却下された。提案書は火にくべられ、ただの灰になった。却下理由。われわれはこの国に冒険をしに来たのではない。戦ごっこをしに来たのではない、キリストの福音を伝えに来たのである。以上。
きみの思想は過激すぎる。…………相手は世界一やせ我慢の強い日本人なのだよ。…………あの「チャ」と称する苦くてまずい飲み物をやせ我慢をはってうまそうにのみ、またあの「セイザ」と称する窮屈きわまりない座り方を半日続けても弱音を吐かない連中を相手に戦って、いったいどこの軍隊がかてるだろうか。
文化団体の多くは文化の中心である首都ロンドンに集中していたが、地方都市に皆無であった訳ではない。中部イングランドのバーミンガムにも、1760年代に「ルナー・ソサイエティ」が誕生した。
直訳すると「満月協会」で、毎月の満月の晩に会員相互の家に集まって、共通の話題について論じ合った。
満月の晩を選んだのは、終わってから各自が家に帰る時に明るくて便利だからだったが、イギリスのようにお天気の悪い土地で、いつも月がこうこうと照り輝くはずはあるまいが、と余計な心配をしたくなってしまう。
冗談はさておき、この協会員は自分たちのことを「ルナティック」つまり「月の影響を受けた人」と呼んでいた。しかし、英語を勉強した人ならすぐ気づくだろうが、ルナティックというと普通「狂人」を意味する。
昔の人は月から地球に流れ込む、ある霊気にふれると精神異常になると信じていたために、そうなってしまったのだ。
「ルナー協会」の会員たちはもちろんこのことを承知の上で、いかにもイギリス風のユーモアを発揮して、この呼び名を自分自身につけたのだ。
さて、この協会員には当時、一流の知識人が顔を揃えていた。ジェイムズ・ワット、ジョサイア・ウェッジウッド、エラズマス・ダーウィン、マシュー・ボールトン…などなど。
「私の英国物語 ジョサイア・ウェッジウッドとその時代」よりThis meeting took place in the house of inventor James Watt (1736-1819). The Lunar Society began in 1765 and was made up of learned men of the time, great thinkers of the Industrial Revolotion who met to debate scientific questions and the application of science to manufacturing, mining, transport, education, and medicine. The society got its name from the practice of meeting when the moon was full so that its light would guide the members home through otherwise unlit streets. Other famous members of the society included chemists James Keir (1735-1820) and Joseph Priestley (1733-1804); physician, poet and grandfather of Charles Darwin, Erasmus Darwin (1731-1802); and ceramics pioneer Josiah Wedgwood (1730-1795).
「いま、ここに人生に絶望した一人の女性がその運命をはかなみ、セーヌ川に身を投じようとしている。君はなんと言って彼女の自殺を思いとどまらせるか?」
これに対する一つの答は、アメリカの「いのちの電話」が持っている。アメリカの電話には数字のほかにアルファベットがふってあって、FRIENDとダイヤルするとこの「いのちの電話」につながる。
ここにつなぐとボランティアの女性が受ける。
「どなた……」
返事がない。彼女はすぐにこう応える。
「いま、どこにいるの? ええ、××橋のたもと、どちら側? 私はペパン、ミセス・ペパンよ。すぐにそこへいくわ。15分位よ。待っててね。」
彼女はそこへいくと、すぐにそれとわかる女性が放心状態でたたずんでいる。
「ねえ、お茶でも飲まない」
二人は近くのレストランへ。
「おなかすいてるでしょう?」
温かいスープが運ばれてくる。おずおずと女がスープを口に運ぶ。
「どうしたの? どんな困ったことがあったの?」
静かにやさしく問いかける。女がスープを飲み終えると、ポツリ。ポツリと身の上話をはじめる。ボランティアは熱心にあいづちをうちながら耳を傾ける。サンドイッチとコーヒーが運ばれてくる。女の口は前より少しばかり軽くなる。そしてそれを食べ終えるころには彼女の顔には生色がさしはじめる。
「元気を出してね。私、何かお仕事の世話をするわ」
こういって別れるころには彼女はもう再起の決心はつけているのである。彼女は、自分の話を聞いてもらったことで悩みの大半は解消したのである。
クレア・ブルームの扮する踊り子が、関節炎を患い絶望してガス自殺を図る。かつて盛名を誇り、今は落ちぶれた老喜劇俳優(チャップリン)が、それを見つけ、自分の部屋に運び込み、いろいろ手当てを加え、気を取り戻したところで、彼女の自殺の動機を親身になって聞いてやる。今や彼女にとって、彼はただひとり頼りになる人間である。何もかも話し終えて彼女の気分はすっかり落ち着く。するとチャップリンはここで彼の哲学を述べる。
「人生は、どんなにつらいことがあっても生きるに値する。そして、人が、この人生を生きていくためには3つのことが必要だ。希望という名の想像力と勇気、そしてサム・マネーだ」
とうのである。希望と勇気という抽象的なものと、サム・マネーのとりあわせにいかにもチャップリンらしい人生哲学がにじみ出ている。
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