前にこの話を紹介してから、amazon.com で本を注文して、さっそく読んでみた。

その書は
「沙也可 義に生きた降倭の将」江宮隆之著 発行元 結書房 発売元桐原書店
である。
おもしろかった。こういう日本人がいたことに驚く。こんなことは日本史では教わらなかった。そもそも秀吉の朝鮮出兵の文禄・慶長の役については、我が家の五月人形に「加藤清正虎退治」の人形が飾られていた英雄豪傑物語くらいにしか思っていなかったのである。
ところが実態は、太閤秀吉の暴挙である侵略戦争そのものであった。
この小説は
1.沙也可は、秀吉の朝鮮侵略の時に青年武将として出陣した
2.釜山に上陸してのちに朝鮮側に帰順した(朝鮮側では、こうした朝鮮側に投降した日本軍将兵を「降倭」と呼んでいた
3.沙也可は、鉄砲の扱いに巧みで朝鮮軍に鉄砲の技術を伝達した
4.日本軍に投稿したあとでも朝鮮に残って、国内の乱や北方女真族
の乱に参戦したこと
5.朝鮮国王から貴族「両班」に列せられ、「金忠善」という名前を賜ったこと
6.日本が朝鮮を「併合」という名前で植民地化したときに、総督府によって「反逆者」「売国奴」として、この歴史的事実を封印してしまったこと
という歴史的事実をもとに、この沙也可なる人物が、雑賀衆の雑賀孫次郎という人物であろうという想定のもとにこの小説を書いている。
雑賀衆は、紀州雑賀庄にすんでいた部族で鉄砲の扱いに長けていたが、主君を持たず、金でその技術を買われる「傭兵」集団であった。信長が一向宗と闘っていたときに、本願寺側についてさんざん信長をてこづらせた。結局、信長のあと秀吉によって責められ、雑賀の庄は暴虐虐殺によって滅ぼされる。
主人公の雑賀孫次郎はこのとき九州の阿蘇に逃れるのであるが、その地の領主となった加藤清正の群に組み込まれて、朝鮮出兵に参加する。清正が朝鮮で行った侵略行為が、雑賀の庄の暴虐をよびおこし、この闘いが「義のための闘いではない」ことに気づき、故国日本を捨てて「降倭」の将となって日本軍と闘うことになるのである。
この小説のクライマックスは、清正軍が撤退するときに、しんがりを命ぜられた孫次郎が、家来たち300人を集めて、「降倭」となることを述べる下りであろう。
「俺は、撤退はせぬ。ここに残る。」
雑賀衆からは、瞬間ざわめきが起きた。
「それだけではない。俺は、今宵よりは日本軍の岡本越後守ではない。ひとりの鈴木孫次郎に戻る。つまり」
ここまで一気に言ってから孫次郎は、言葉を停めた。そして一座を見下ろした。
「つまり降倭の道を選ぶ。おれはただひとりでも降倭となる。」
あっと驚きの声が上がった。その声が徐々に波のようになって孫次郎の頭上に覆い被さってきた。
「ということは、若は朝鮮に寝返るのか」
「日本には戻られぬのか」
「明日よりは、今日までの友軍に向かって鉄砲を撃つのか」
「われらは、若の言葉に従って朝鮮に出兵する兵士になったのだ。自分の意志でこんな場所に来たわけではない。」
「いまさらきれいごとを言っても始まらぬ。われらの手はもう汚れてしまっている」
……………。
この続きは、ぜひこの書を読んでほしいところである。
posted by mrgoodnews at 01:47|
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