2017年08月21日

ユダヤ独立戦争と原始教会

 このレポートは1995年度後期の上智大学神学講座の「原始教会の形成と発展」(講師百瀬文晃神父)のレポートとして提出したものである。いまここに必要とされていると思うので再録したい。
 このテーマと同趣旨の内容をラジオ「心のともしび」の原稿として書いたことがあるのだが、この内容はラジオ「心のともしび」にはふさわしくないとされてボツとなったといういきさつがある。
 私にはこの内容はキリスト教会でもあえて触れられていない内容に思えるのだが、なぜだろうか? 私には謎めいている。
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1995年度後期神学講座 レポート
科目 宗教史「原始教会の形成と発展」 講師 百瀬文晃師
ユダヤ独立戦争と原始教会


1.ユダヤ戦争に新約聖書はなぜ「沈黙」しているのか

 新約聖書のなかで最初に書かれたものはパウロによる「テサロニケ人への第一の手紙」であり、その時期は50年頃であるとされている。そして最後はヨハネ文書で、その時期は100年頃であるという。
 この時期のエルサレムは2度にわたるユダヤ独立戦争にあい、エルサレムは陥落し、廃墟と化した。多くのユダヤ人たちはこの戦争で殺され、奴隷となり、そして離散した。
 しかし、新約聖書はこの戦争についての記述が全くない。それはいったいなぜなのか、この戦争に対してキリスト教徒(まだこの時はキリスト教徒ではなく「ナザレ派のユダヤ教徒」)はどのような態度をとったのか、そしてこの戦争が原始教会の形成と発展にどのような影響を与えたのか、このテーマを考えることは「戦争と平和」にたいするキリスト教徒の態度を考えるためにも、そして「原始教会の形成」と福音書の内容を考えるためにも重要な示唆を与えるのではないかと思う。


エルサレム陥落と原始教会

 50年頃にエルサレムで開かれた使徒会議は、ユダヤ人キリスト教徒と異邦人キリスト教徒対立を示した。律法の遵守を異邦人にも求めようとするユダヤ人キリスト教徒と、割礼や律法からの自由を標榜するパウロやバルナバらの異邦人キリスト教徒との対立は、ペトロの調停で妥協点が見出され、ここでは決定的な分裂はもたらされなかった。
 しかし、エルサレムを拠点としていたユダヤ人キリスト教徒たちは高まるユダヤ独立運動に否応なく巻き込まれ、その求心力は急速に衰えていく。エルサレム教団のリーダーだった「主の兄弟」ヤコブはユダヤ的狂信の犠牲となって殉教し、そして第一次ユダヤ戦争でエルサレムが占領されるとともにエルサレムのユダヤ人教会も解体を余儀なくされる。 教会の中心はシリアのアンティオキアの異邦人キリスト教徒の教会へと移行していく。パウロは地中海沿岸のディアスポラのユダヤ人や異邦人たちを対象とした宣教に力を注ぐ。
 彼の信仰は全く民族意識にとらわれずにキリストの福音の純粋な内的信仰にのみ依拠した世界主義的な脱ユダヤ人のキリスト教へと脱皮していく。

Roberts_Siege_and_Destruction_of_Jerusalem.jpg

3.ユダヤ人キリスト教徒の態度

 第一次ユダヤ独立戦争において、ユダヤ人キリスト教徒はどのような態度をとったのであろうか。
 4世紀に書かれたエウゼビオスの「教会史」ならびに5世紀のエピファニオスの「異端反論」によると、エルサレム教団は「戦いに先立って」ヨルダン川の東にあるペラという町に脱出し、エルサレムの陥落は「すべての」キリスト教徒が立ち去った後におこった、とされている。つまり、戦いには加わらなかったというのである。
 ハンス・キュンクもその著「教会論」のおいてそのような立場をとる。「パレスチナのキリスト教徒は、ローマに対する反乱には参加しなかった。そのため民族の裏切り者とみなされ、迫害されたので、彼らはヨルダン川の東の地域に逃れ、シリアとアラビアの境に当たる地方にキリスト教信仰を広めることになった」(「教会論 上」石脇・里野訳 新教出版社 P178)ただキュンクによればペラへ逃れたのは戦いを避けたのではなく、迫害を避けたからということになる。


4.マタイ福音の立場

 「祖国のために戦わずに、祖国から逃げ出した」ということの非難を一身に受けてそれに反論をしているのはマタイである。マタイは廃墟と化したエルサレムで武器を取って戦わなかったことがイエスの教えに忠実であることを示そうとした。
 マタイの福音書の24章16節に「荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのをみたならば、そのときユダヤにいる人は山に逃げよ」というイエスの言葉がある。その「主の戒めをよく守って、キリスト教徒は嵐の最初の遠鳴を聴いてヨルダン川の向こう岸のペラに逃げてしまった」(「教会史」ロルツ著 P51)という。
 そういわれてみると、マタイ福音書には「平和」と「迫害」に関する記述が多い。
 あのマタイの「山上の垂訓」はルカの平地の説教との間に際だった違いがある。ルカが「貧しい人は幸い」といっているのに対して、マタイは「心の貧しい人」といい、「飢える人は幸い」というルカに対し、マタイは「義に飢え渇く人」という。マタイの方が精神的な「貧しさ」や「飢え」を問題にする。さらに、マタイには「平和をもたらすものは幸い」「迫害を受けるものは幸い」というルカにない句がある。
 また、「汝の敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」(5章44節)や「剣をさやに納めなさい。剣をとるものは皆剣で滅びる」(26章52節)というようなイエスの言葉が目立つ。
 これらのマタイの記述は、ユダヤ教徒からの批判にイエスの言葉に忠実に生きたということをもって応えようとしているように思える。マタイの平和主義はそのようなユダヤ教徒の批判に対してユダヤ人キリスト教徒の精いっぱいの反論であるだろう。


5.ペラ移動説への疑問

 このユダヤ人キリスト教徒の「ペラ移動説」には疑問も多い。「キリスト教史1」(半田元男著 山川出版社)によれば、「これは何とも奇妙な話し」になる。
 第一にユダヤ人が戦いへの激しい決意に燃えていたエルサレムから、ローマ軍の厚い包囲網を突破して脱出することの困難さをあげている。第二になぜペラという土地を選んだのか、この事情も理解できないという。ペラにはエルサレムから脱出したキリスト教徒よりもガリラヤから避難してきたキリスト教徒がいたのではないかと推測している。
 それでは、エルサレム教団はいったいどうなったのか。「キリスト教史1」では一部エジプトへ脱出したものがあるが、大部分はエルサレムに集結し、同胞ユダヤ人たちとともに戦って玉砕したのではないかと述べる。
 その根拠として、「キリスト教側文書の完全な沈黙」をあげる。異邦人対象に書かれたキリスト教文書にエルサレムでユダヤ人キリスト教徒たちが玉砕したということは「まことに扱いにくい厄介な問題」となり、これは「完全な沈黙に消し去らなくてはならなかった」というのである。



6.ユダヤ教との完全な決別

 エウセビオスの「教会史」によると、エルサレム陥落後のユダヤ人キリスト教徒はなおもそこに残存し、「主の兄弟ヤコブ」の後継者として、イエスのいとこに当たるクロパスの子シメオンを選び、以後15人の主教がそこにいたということになっている。確かにペラや近郊に脱出したキリスト教徒のうち一部はパレスチナに戻り、教会を再建したというのは考えられるが、15人の主教がなおもエルサレムにとどまるというのは「後のエルサレム教会をキリスト教の母教会と思う心情が生み出した伝説」(「新約聖書−私のアングル」速水敏彦著 聖公会出版 p268)であり、事実とは違うのではないかと思う。
 一方ユダヤ人たちは、エルサレムを脱出したパリサイ派のヨハナン・ベン・ザッカイに率いられ、ヤムニアに律法学院を作る。この学院が作った「18の祈願」のなかに「裏切り者の滅びの祈願」があり、「ナザレ派キリスト教徒への呪いの言葉」が祈りとして唱えられるようになる。ユダヤ人のキリスト教徒が裏切ったことへの憎しみの強さがかえってユダヤ人キリスト教徒が戦わずに逃げ出したということを物語っているのかもしれない。この「祈願」が採用されるのは85年頃といわれる。
 この「異端者への呪い」は各地のユダヤ教のシナゴーグに伝えられ、これによって完全にキリスト教徒は会堂から追放される。パリサイ派のヤムニアのユダヤ教とキリスト教徒との対立を強く意識したのはヨハネ福音書である。ヨハネ文書にはこの「会堂追放」ということが3カ所現れる。ヨハネはこのヤムニアのユダヤ教への批判に応える形で生み出された弁証の所産であるということは、マタイ福音書と同質の背景をもっていることとして大変興味深い。ただマタイとヨハネの現れ方はかなり異なっている。マタイがユダヤ人ということに固執しているのに対し、ヨハネにはもうユダヤ人への執着は全くないといってもいいだろう。
 ユダヤ教徒の決別にとどめを刺す事件が第二次ユダヤ戦争、いわゆるバル・コクバの反乱である。これが135年に鎮圧されて、エルサレム教会の信徒たちは他のユダヤ人と同様に再びエルサレムには入れなくなり、アンティオキアやヘレニズム世界の諸教会に吸収されていき、エルサレム教団は消滅していく。キリスト教はユダヤ社会と決別し、世界宗教になる。

                              7.終わりに

 このテーマを研究するねらいは、なぜ新約聖書がユダヤ独立戦争に対して「完全な沈黙」を保っていたのかということであった。この疑問は解けなかった、というよりますます膨らんでいる。とくにパウロをはじめとするヘレニストキリスト教徒が何も触れていないことが奇妙である。
 ローマに対する不必要な刺激を避けていたのかもしれないことは容易に推測されることであるが、それにしてもマタイやヨハネの立場とずいぶんと異なっている。
 ペラに脱出したかどうかということはともかく、おそらくエルサレム教団はこの独立戦争に武器を持って戦わなかったのではないかと思う。マタイ福音の平和主義をみても、ユダヤ教徒のキリスト教徒に対する「裏切りの呪い」の強さからみても、そう判断される。
 特にマタイの平和主義の主張はマタイのおかれた歴史的背景の中で読んでいくと、とても興味深いものがある。エルサレム教団がユダヤ独立戦争で武器を取らずにエルサレムを抜け出したことは、イエスの示した平和主義に「忠実に生きた」こととしてもっと積極的に評価していいのではないかと思う。 
  

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2013年11月12日

トランプの絵柄のモデル ♠Kはダビデ王、♦Qはラケル

 橿原キリスト教会のFBで「トランプの絵札にはモデルがいて、そのうちの何人かは聖書に登場する人物である」ということを聞いて興味を持ったので、調べたものを図にしてみました。

 トランプはそもそも15世紀の後半にフランスで今のような4つの♥♦♣♠マークが決められ、16世紀初頭にフランス人が絵札のモデルが決められ、ハート、ダイヤ、スペード、クラブの名前が定まったといわれています。
聖書に関係するのは、♠Kはダビデ王、♦Qはラケル、♥Qはユディットが登場しますが、なぜラケルなのかはその理由がよく分かりません。

TrampEhuda.pdf

 上の図を一生懸命に作りました。どうぞご利用ください。

こちらにもどうぞ

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2013年10月01日

「結び目を解くマリア」の絵の信心

 カトリック教会にはいろいろな信心があります。中には迷信とかいわれそうなものもけっこうありますが、私はこれは嫌いではありません。
たとえば、なくした物をしたときに「アントニオさま」ととなえると、探し物が見つかるとか。

MusubimeMaria

 新教皇フランシスコは「結び目を解くマリア」の信心を勧めていたと「カトリック生活8月号」に紹介されています。それはこういう話です。

 1986年ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ神父(現教皇フランシスコ)が、ドイツの神学校にいるときにこの絵を初めて見て心を打たれ、この絵はがきを作って、母国アルゼンチンに戻ったとき、配り始めたそうです。友人に描いてもらったこの絵を、ブエノスアイレスで働いていたチャペルに掲げると、より多くの人々の目に触れるようになり、この信心は広がっていきました。この絵が描かれた由来は、さらに時代を遡り、16世紀の、結婚生活がもつれたある夫婦のお話になります。
 ドイツの貴族ヴォルフガング・ランゲルマンデル(1568〜1637)は、妻が彼との離婚を望んでいたことに悩み、英知と経験さで尊敬されていたイエズス会のレム神父のもとに相談に行きました。
 当時のドイツでは、結婚式のときに生涯添い遂げることを象徴的に示すため、ウェディング・リボンで新郎・神父のそれぞれ片方の腕をひとつに結ぶ習慣がありました。ヴォルフガングは今はからみあってしまっていた自分たちの結婚式のリボンをレム神父のところに持って行き、レム新譜はその結び目をときながら聖母マリアに熱心に祈りました。するとその願いは聞き入れられ、ヴォルフガングは離婚を避けることができ、生涯幸福な結婚生活を送ることができたのです。
 1700年、新世紀を祝福されるために、ヴォルフガングの孫のヒエロニムス・ランゲルマンテル神父は画家のヨハン・シュミットに依頼して書かれた絵がこの「結び目を解くマリア」の絵です。


 結婚生活の気持ちのもつれの問題をはじめとして問題がもつれた時に、ベルゴリオ神父はこのマリアに祈るということをアルゼンチンはじめラテン・アメリカ全体そして世界中に広めていったのです。
 こういう信心は私も好きです。迷信とか偶像崇拝とか言われても、こういう民間信仰が生まれ流ことがカトリックの特徴なのかもしれません。

こちらにもあります/a>

2013年05月28日

「心のともしび」ウェブ版にわたしの「希望はここにある」が掲載されました。

 「心のともしび」のホームページに、私の書いた「希望はここにある」が掲載されています。いまなら坪井木の実さんの朗読で聴くことができます。ぜひ、聴いてみてください、
 民放ラジオの放送にはちと不似合いな内容だったかなと危惧していますが、坪井さんの朗読はそれを打ち消してしまうほどステキです。
 聴いてあるいは読んでの感想をお聞かせいただければ幸いです。

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2013年02月06日

カタバシスとアナバシス −典礼の二つの方向性

「カトリック生活」の1月号だったか2月号だったかを読んでいたら、典礼についての解説文に、典礼にはカタバシスとアナバシスという二つの流れがあると書かれていた。

カタバシスは、神から人へ、つまり上から下へという方向性のこと。啓示としての聖書を読むというのはこの方向性である。
アナバシスは、これに対して下から上への方向性のこと。賛美や感謝、信仰告白、祈りもこういう方向性を持っている。

このギリシャ語はあまり聞き慣れない言葉だったので、、ネット上で調べてみた。
すると、この言葉はギリシャの歴史学者クセノフォンの歴史書に載っているらしい。ギリシャ軍がペルシャの王子キュロスに味方してトルコ半島を攻め上るのがカタバシス。最後まで戦い抜いて、戦いに敗れてギリシャまで脱出を計るのがアナバシスであるわけです。

それとは別に音楽修辞学のなかにもこの用語があった。音程が上へ上がっていくのがカタバシス、音が下がっていくのがアナバシスであるという。

カトリック教会の典礼においては、確かに方向性は二つある。でもこの二つの交わったところにこそ本来の典礼の姿があるのだとおもう。

こちらにもあります
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2012年10月24日

巡礼中に読んだ「ジパング島発見記」に描かれたルイス・アルメイダ

巡礼中に「ジパング島発見記」を読んだ。なかなか面白かった。


この本は次のような内容である。


戦国時代、西洋人が初めて見た日本の姿とは?
フランシスコ・ザビエル、ルイス・フロイスら、16世紀、海を越え、鉄砲やキリスト教を日本に伝えた7人の西洋人の目を通し、「日本が西洋文化と初めて出会ったとき」を描く短編集。(解説/安倍龍太郎)

種子島に鉄炮を伝えた女難の美男ゼイモト。冒険商人ホラ吹きピント。キリスト教を伝えに来日した耳鳴り持ちのザビエル。日本初の病院を作ったアルメイダ。語学堪能で記録癖のフロイス。東洋人を極端に蔑視するカブラル布教長。天正少年使節団を遣欧したヴァリニャーノ。大航海時代、西洋人7人が発見した最果ての島国―織田信長ら戦国武将の実態、珍妙な文化や風習を描く画期的な戦国歴史小説。


フランシスコ・ザビエルやルイス・アルメイダ、ルイス・フロイス、カブラル、ワリニヤーノなどのイエズス会宣教師について、それぞれの生い立ちや個性を異国日本における宣教師活動と絡めながら描き出している歴史小説である。
著者はクリスチャンではないので、宗教的な過剰の尊敬をこめずにありのままの人物像を描き出している。

私が特に興味を持ったのは、ルイス・アルメイダであった。アルメイダは裕福な商人の子としてリスボンに生まれた。王立の医学校を卒業して、外科医の資格を取得したが、そのまま医者になるのはつまらないと思って、インドに行って商売をすることとなった。商人の父親が貸してくれた元手をもとに、ゴア、マラッカ、モルッカ諸島を行き来して香辛料や木綿の貿易をして莫大な利益を上げた。
お金を手にしてもちっとも満たされなかった彼は、ザビエル神父のいた日本に行くことにした。山口でけがをした子供の手当てをすることになったかれは、医者として人のために働く使命に目覚め、それでイエズス会に入会する。彼の儲けたお金はそのままイエズス会への持参金となった。
イエズス会は本部を戦乱の舞台となった山口から豊後の大友氏の府内に移動する。府内でアルメイダは貧しい人たちのための病院を作った。ここではハンセン病の病者たちの入院設備も拡張され、また日本で初めての外科手術をおこなったり、また悪魔祓いをしたりもした。

この小説では、アルメイダについてはここまでしか記されていない。イエズス会が大分から長崎へと本部を移転するに伴い、アルメイダも長崎へ移動した。そこでかれは病院をつくるとともに「慈悲の組(ミゼリコルディア)」という病院活動を支援するための信徒たちのボランティア組織を育てるのだが、そのくだりはこの小説には描かれていない。
かれは、その後1580年にマカオで司祭に叙階され、再び日本に戻って、医療と宣教活動に従事し、あるいは木綿などの貿易への投資も積極的に行った。1583年10月に天草の河内浦(熊本県天草市)で没した。
冒険商人から無償奉仕の医師へと転身し、病人と乳児、ハンセン病者に尽くした波乱の生涯であった。

大分には、アルメイダを記念したルイス・アルメイダ病院がある。これはキリスト教系の病院ではなく、大分医師会立の病院である。

この本に描かれたルイス・フロイスやワリニヤーノについても紹介したいのだが、それはまた次の機会にしよう。

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2012年10月19日

ワジケルト聖ジョージ修道院@ユダの荒野

今回のイスラエル巡礼で、私にとってもっとも強烈だったのは、ユダの荒野にあるワジケルト聖ジョージ修道院の存在であった。
ユダの荒野は、エルサレムからエリコに向かう途中にある砂漠というよりも岩山というか、木が一本も生えていない岩山の地帯。
アフリカ大陸やアラビア半島の砂漠気候地帯や乾燥地帯の各地にある、流水のない「涸れ川」(かれがわ)、雨季の一時的な豪雨のときのみに水が流れるところを「ワジ」と呼ぶが、ユダの荒野にあるワジの一つがこの地ワジケルトとよばれるところ。ホントに木が一本も生えていない谷底に僅かに緑があるところのがけになんと修道院がある。ギリシャ正教の聖ジョージ修道院である。
考えてみたら、この地はイエスが40日間の修行をして悪魔に試みられたところであり、そのイエスの姿にならって荒野で修行をする修道士たちが現れるのもムリはない。



この修道院がカトリックではなく、ギリシャ正教であるところもまたとてもいいと思う。
ここでどのような修行をするのであろうか?

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2012年07月05日

だからFBをやめられない Good News その2

またまたFB上でながれてきた抱腹絶倒型 Good News.
歴史教材として配信されているものです。「歴史にドキリ」のソングムービーと銘打ってあります。NHKもなかなかやるじゃん。

こちらは平氏バージョン。

こちらは源氏バージョン。

これをみて、私の妻ことケラワラのおきよさんは、あいかわらずケラケラ笑いがとまりませんでした。
そういえば、天正遣欧使節のソングムービーを前に紹介したことがありました。
あれと同じ流れでしょうか。

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2012年05月15日

有馬晴信公没後400年記念祭に行きました。

キリシタン大名のひとり、有馬晴信の没後400年にあたる5月6日、その記念祭が山梨県甲斐大和において行われました。
約80人ほどの人がこのささやかな集いに参加しました。わたしも主催者の千葉さんから誘われて参加したのですが、ビデオ撮影を頼まれたので、SIGNIS のもうひとりとともにビデオ撮影をいたしました。近いうちにその時に撮影した映像を YouTube にでもアップする予定です。

有馬晴信は、大村純忠、大友宗麟とともに九州のキリシタン大名で、特に天正遣欧使節を派遣した大名として歴史にその名を残しています。
しかし、岡本大八事件に巻き込まれ、この地に流讁の身となり、更に処刑されてしまいます。キリシタンであったことで切腹を拒否し、最期は打ち首となってその生涯を閉じます。最期まで信仰を貫いた一人であったといえましょう。
この式典には、有馬家の末裔にあたる有馬家当主の方、妻の菊亭ジュスタのご子孫にあたるかた、さらにこの有馬家最期の地を守られてこられた方や甲州市教育委員会の方も参加していました。
司式はパウロ会の山内神父、このあたりを司牧されている横浜教区の田代神父も参加されていました。

式の開始のころ激しい雨と風が会場を襲いましたが、やがてそれも上がり、なんとか無事に式典を終了しました。
式典の中で、コウロス神父が書いたイエズス会の報告書のなかの、有馬晴信公の最期の様子の場面を描いた部分も朗読されました。

式後に、甲斐大和市の自然教育センターに会場をうつし、そこで懇親会が催されました。懇親会では有馬晴信を偲ぶスピーチがいくつか用意されていました。特に印象に残ったのは「岡本大八事件」について述べられた話しでした。さらに日本キリスト教史の五野井隆史氏の話も面白かったです。

この催しに参加してもっとも感動したのは、この催しを主催した人たちが高輪教会の婦人会有志の方たちであったということでした。高輪教会は江戸の殉教者とくに原主水ゆかりの教会だったということもあるのでしょうが、それにしてもよくぞここまで作りあげられたことに驚嘆しております。

有馬晴信というキリシタン大名はどういう人物だったのか、もうすこし調べてみたくなりましたが、なかなか人柄と信仰を偲ばせるものが残っていないのが残念です。

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2012年04月30日

天正遣欧少年使節の歌の「吃驚仰天」

友人がこんな歌を見つけて紹介してくれました。吃驚仰天です。
中高生はこれをどのくらい知っているのかな?



ザビエルや高山右近やペトロ岐部、金鍔次兵衛の歌もないかな?

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2012年04月07日

秦恒平「親指のマリア」に見るシドッチと新井白石

 最後の潜入宣教師シドッチが所持していた聖母画像「親指のマリア」と「大世界地図」をシンボルに、『西洋紀聞』の背後の闇に光を当てる、著者渾身の長編小説。


 こう解説のある秦恒平著「親指のマリア」(筑摩書房 1990年)を大学図書館で借りて読みました。借りたときから読み終わるまで半年をかけてしまったなかなか読み応えのある本でとても面白かったです。

 この本は次のような構成になっています。
 聖母の章(ヨワン1)ここではシドッチがなぜ迫害うち続く日本に行くことを決意したかといういきさつが書かれています。
 潜入の章(勘解由1)種子島でつかまって、江戸に護送され、キリシタン屋敷で新井勘解由(白石の別名)と出会うところまでが書かれています。
 審問の章(ヨワンU)勘解由との応酬について、書かれています。でもここは世界情勢についての話しが中心。
 福音の章(勘解由Uここでは勘解由とのキリスト教についての説明が始まります。
 洗礼の章(ヨワンV)シドッチの世話をした長助とはるという「兄妹」が牢にいたシドッチから洗礼を受けるまでを書いています。
 殉教の章(勘解由V)長助とはるの洗礼を知った勘解由とシドッチの対面、そしてシドッチが土牢に閉じ込められて死に至り、剥製は「西洋事情」を書き出す。

 やはりこの著のハイライトはシドッチと白石との対話の内容にあると言えましょう。最初は世界情勢や西洋の話を聞き出していたのですが、ついにはキリスト教について説明をはじめます。
 ここを書ききるのは、キリスト教の歴史と聖書に対する深い知識が必要になります。著者は別にクリスチャンではないようですが、驚くほど正確にキリスト教の理解を表現しています。

 私が特に気に入ったのは次のような箇所でした。
 シドッチは、ローマ帝国の賢帝アルクス・アウレリウスの「自省録」を愛読していた。
 そして15世紀カトリック教会の枢機卿で教皇代理を務めたことのあるニコラウス・クザーヌスを尊敬していた。

 
人は−とクザーヌスはといていた。自分の知識を絶対のものと思い込むときとかく他人の立場が理解できず、独善に陥る。そして平気で他人の振る舞いを責め立て断罪し、聖戦という勝手な名分で他人への過酷な攻撃に走る。真のカトリック教徒は、だが、キリスト教の愛にならって他の宗教の人びとを宗教上の立場が違うという理由で迫害も侮辱もしてはならない。異なる習慣や伝統に生きている民族や国家を寛容にキリストの愛へ誘わねばならない。と。
 ローマ教会にしたがう誰もがカトリックのために異端者・異教徒を殺戮し、掃滅する神への奉仕と考えていた時代に、クザーヌスは一人そう唱えていた。「戦争とはこれほど不幸なことか」というつぶやきを、58歳最期の反省として戦陣に死んだマルクス・アウレリウス帝は異教のローマ皇帝の人間像と「健康なカトリック」を心から望んだクザーヌスの御主への愛とは彼シドッチの思いの底でいつとはなく豊かに一つの重ねられていた。


  ルカ伝とマタイ伝とを読んでいたときに、かれの二人の弟子ーヨセフ長助とマリアはるがーもっとも感動したのは、こういう点だった。
 イエズスが、神の子として世に現れるために、またダビデの家系に名を連ねるために、大きな二つの承諾、深い信仰からの承諾が必要だった。
 一つは、マリアが、神と聖霊とにより処女の身でみ子を孕したと天使に告げられた際に「み心のままになりますように」と受け入れていた。
 今ひとつは、神に愛されたアブラハムの子孫、ダビデの子孫のヨゼフが、すでに身籠もった処女マリアを、神の望まれるままに妻として受け入れていた。キリスト教の成るこの二つの承諾はかけがえのない信仰の証しだった。


 この書のタイトルになった「親指のマリア」の絵について、前にも書いたことがある。カルロ・ドルチェの描いたマリアには「悲しみの聖母(マリア)」と「親指のマリア」という二つのよく似た絵が存在する。
 一つは、青いマントから手を出して組んでいる「悲しみの聖母」像で日本には国立西洋美術館の常設展にある。



 もう一つはシドッチが持ってきた「親指のマリア」像で、マントから親指をちょこんと出しているマリアである。こちらは国立博物館にあるが、常設ではないので、なかなか見る機会がないとのことである。この絵にシドッチがどれだけ慰められたことか………。

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2012年03月27日

高山右近列福祈願溝部司教講演10分短縮バージョン

2012年2月5日に大阪玉造教会で行われた『ユスト高山右近列福祈願シンポジウム』から溝部脩司教の基調講演『現代に響く高山右近の霊性』を10分にまとめたものです。
主催企画 大阪教区高山右近列福推進委員会 撮影編集 SNN(SIGNIS GOODNEWS NETWORK)です。



私もこの講演会を取材・撮影しに大阪に行き。実際にビデオで講演を撮影に預かりました。溝部司教さんの話はなかなか内容が豊かで充実した講演でした。
この10分バージョンもなかなかみごとな出来映えです。よくぞコンパクトにまとめてくれました。SNN に感謝です。
個人的に、荒木村重事件の時の右近のとった態度についてお話しされたところがとてもよかったです。
ちょっと心配なのは、あまりにコンパクトにまとめられているので、1時間版を見なくてもいいと思ってしまいそうなことです。もっともっとたくさんいいことを話されているから、ぜひ1時間バージョンも見てほしいのですが、そこまで導かれるかどうか?

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2012年03月01日

「ハビアン ー藍は藍より出でて」を読む

 前に「不干斎ハビアン−神も仏も棄てた宗教者」(釈徹宗著 新潮社刊 2009年1月刊)を紹介した。この人物には興味を持っていたので、大学図書館で見つけた「ハビアン ー藍は藍より出でて」(千草子著 清文堂 1991年刊)を見つけたときはうれしかった。

 『天草版平家物語』の作者である不干ハビアンは、“転びイルマン”の烙印をおされ数奇な運命を辿ったというということは前述のブログを見てほしい。
 この書の物語は、彼が著すキリシタン護教書『妙貞問答』に資料を提供する清原枝賢の娘「雪」を軸に展開する中で彼の人生を解き明かす。
 ただし、この書はハビアンが「妙貞問答」を書き上げるまでで終わっている。つまり彼がキリスト教をすてる場面はここにはない。

 この書の副題「藍は藍より出でて」は「妙貞問答」の「神道之事」に出てくる言葉から取ったものである。普通は「青は藍より出でてて藍より青し」であるのだが、作者は原文のままを使っている。「藍」は「愛」に通じると思ったからであると述べている。
 著者は国語学者。国語学的に「妙貞問答」を研究しているうちにハビアンに引かれて小説を書きたくなったということである。

 ともかく、この書は続きが書かれなければならない本である。ハビアンがなぜキリスト教を捨てたのかというのが私の最大の関心だったのだから………。いつまでもこの本だけだと欲求不満に陥りそうである。

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2012年01月28日

情報化が教会にもたらす危機 Church's Crisis by Information Technology

IC2012の基調講演の中で、ライス神父(パウロ会)は、急速なる情報化の進展についていけない教会の危機を次のように指摘していました。

その「危機(crisis)」とは次のような性質を持っています。

Boiled Frog Problem
「Boiled Frog Problem」とは「カエルは熱湯に入れられるとすぐに死んでしまうが、水から徐々に温めていくといい気持ちになってでもそのまま茹で上がって料理になってしまう」ということを言います。「真綿で首を締める」みたいなことをいうのでしょう。
The far horizon problem
これはまだまだ遠くの世界で起こっていることで自分には関係ないと思っていることでしょう。
The Pace of change Problem
一方でこれは変化が速すぎてとてもついていけない問題ということです。

そもそも最大の危機は
Are we in crisis?
つまり、その危機に気づいていないことにあると言えるでしょう。

その「危機」とは次のように表現していました。

●Sexual abuse Crisis 性的濫用の危機?
  Loss of trust
  Loss of credibility
  Loss of resources bankruptcy 資源の破産状態?
●Vocational Crisis 使命感の危機
  precipitous drop in numbers of priest and religious
  Inability in stuff schools,parishner,hospital
  教会や学校や施設で働く司祭や修道者がこれについていけない
●Catechesical crisis 教えを伝えていく上での危機
  We have largely failed to pass on our faith
  Faith seems irrelevant
  Faith seems shallow
  信仰が浅く、現実離れしていく
●Attrition crisis 衰退の危機
  not became angry but became boring
  怒るのではなく退屈になる
●Leadership crisis リーダーシップの効き
  Shifting roles for bishops,clergy,laity
  司教、司祭、信徒の役割の変化
●Disunity crisis バラバラの危機
  We are no longer one church?
  Who's really Catholic?
  Ideology has replaced mission
  もはや一つの教会とは言い難い。誰がほんもののカトリックなのか?
●Victimology crisis 迫害と殉教の危機
  We are under attack by the media, the liberals, the government
  メディアや自由主義者や政府からの迫害を受けている?
●Resources management crisis 資源管理危機?
  Consolidation,redistribution
  Empty urban churches
  Encumbered by useless facilities
  意味のない道具で足手まといになっている


雰囲気がわかるでしょうか。ライス神父の話はとてもユーモラスで笑に満ちていました。
そのユーモアの意味はなかなかわからずに、疎外感に襲われるのですが、その雰囲気はわかるような気がします。
ただし、この話は次のように終わりました。

Even if true,so what?
Diminishes our responsibility


もしそれが本当だとしても、それがどうなんだ。
そういう問いに答えるかのごとく、かれはこう言って、話を明日につなぎました。

Crisis = danger plus opportunity
Why do we see only danger.


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2012年01月22日

Interactive Connection 2012 に出発します。

今日22日午後7時の飛行機でアメリカに行きます。フロリダ州オーランドで1/22〜26日に開かれる Interactive Connection 2012 という集会に出てきます。Interactive Connection とは「双方向の交わり」とでも訳したらいいでしょうか。
今回のテーマは前にもお知らせしたとおり、"Incarnating Gospel into the Digital World" です。私の関心にぴったりのテーマです。
この集まりのなかでどんな Learning Session があるか、ちょっと紹介しましょう。スミマセン。英語で。

Technology at the Service of Catechesis
Zingers! 7 Free Resources to Catch Your Students Attention
Mobile Technologies In Your Ministry and Church
Teaching Social Justice Interactively Using the Internet

Putting the TECH into CaTECHesis
21st Century Catechists: Sharing the Faith in a Digital World
What Makes a Great Church Website
Discovering Who Your Organization is Online

Digital Storytelling and Marketing Techniques
Parish Websites: Tools of Evangelization
The Parish – A Social Network
Technology in Catechesis: What’s Going On?


4つのセッションが併行して同時に行われます。ということは4つのうちの一つを選ばなければなりません。どれに出席するか、悩んでいます。
向こうに行って余裕があれば、レポートすることにしましょう。

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2011年12月22日

「鎌倉市民クリスマス」に行きました

カトリック雪の下教会の友人に頼まれて、雪の下教会で行われる「市民クリスマス」をビデオ撮影しに行きました。
12月10日(土)午後3時から、鎌倉市内のカトリック教会、聖公会、プロテスタント教会など4つの教会が教派を越えて、市民を対象として行うクリスマス行事でした。
私たちは午後1時くらいから参加しました。少し時間があったので、教会の前をとおる観光客相手に呼び込みを行いました。あまり効果はありませんでしたが……。

まず、子どもたちのキャロルが、道路に面した教会入り口で行われました。ガールスカウトの制服を着た女の子たちが目立ちました。
そのあと、聖堂内で合同の祈祷会。4つの教会の司祭と牧師たちの祈祷の間に、被災地にボランティアとして派遣された青年の報告もありました。ハンドベルの演奏もなかなかよかったです。
それが終わると、外はだんだんくらくなってきて、また再び道路に面した階段でキャンドルサービスとクリスマスキャロルが歌われました。
これには道行く観光客もデジカメで写真を撮ったり、聞いていたりしました。

この鎌倉市民クリスマスも伝統となっているそうです。エキュメニカルなかたちで行われているのもいいですね。八幡様の通りに面した抜群の立地条件をもっている雪の下教会ならではの活動だと思います。

こちらにもあります
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2011年12月12日

ほほえみの使徒職

古い手帳を探していたら、こんなリーフレットが見つかった。
タイトルは「ほほえみの使徒職」。発行は桐生の聖フランシスコ修道院。
何年か前にここを訪問した時にもらったものかもしれない。



ほほえみの使徒職

あなたの唇に浮かぶほほえみが
あなたの心をうきたたせ
明るくし
平安を与え
健康を増し
顔に輝きを与え思いやりのある心を育てます。
いつものまじめくさった、あるいは渋い表情がきえてしまったと思うようになるまで。

自分にほほえみかけましょう。
陽気な顔の輝きで自分の心が温かくなるまで

自分にほほえみかけましょう。
そして
外に出て、あなたのそのほほえみを人々にまき散らすのです。

このほほえみの役割
それは神のために働くことです。
今からあなたは使徒であり、あなたのほほえみは人々の心をとらえる道具となります。
あなたの魂に宿る紙の愛によって、あなたのほほえみは特別な魅力を増したくさんの善を生み出すようになるでしょう。

さみしそうな顔
おどおどした顔
悲しみに沈んだ顔
陰気くさい顔
元気のよい若者の顔
しわの多い年老いた顔
家族や友人のなじみ深い顔に
ほほえみかけましょう。
あなたのその美しい笑顔で人びとを喜ばせ、楽しませましょう。
一日にどれだけの人があなたの笑顔につられてほほえむようになったか、数えてごらんなさい。
その数は、あなたが何回人々の心に満足や喜び、勇気、安心を起こさせたかを示すものです。
こうした心がけは、常に利己的でない、立派な行為を生む源になります。
いつもめざましい成果があらわれるというわけではありませんが、あなたのほほえみの持つ影響力は大きく広がっているのです。

あなたのほほえみは
疲れた人、重荷を負うている人、失意の底にある人、試練に立たされている人、絶望している人びとの心に、新しいいのちと希望と勇気をもたらします。
あなたのほほえみは
人びとの心に希望と信頼を起こさせる助けとなります。
あなたのほほえみは
闇の中で迷っている人々を光のもとに導く助けとなります。
あなたのほほえみは
たくさんの忠実な友人を得ることができます。

神にもほほえみを
自分の人生に何が起ころうとも、それを愛の心からうけいれつつ、神にほほえみかけましょう。
そうすれば、輝くような笑みをたたえたキリストの御顔が、いつの世にもかわらぬ特別な愛のまなざしをあなたにそそいでくださるでしょう。


発想もいいし、その一文一文が述べていることはまったくもって正しく反論の余地などないのですが、ただちょっとくどい文章です。
もう少し短く簡潔に表現できたら申し分ないのにと思いました。
表はだれかさんの素敵なほほえみの写真にして、うらに詩のような祈りのような文章をかけたらいいですね。
他にする人がいなければいよさんの写真と私の言葉で「ほほえみの使徒職」というカードを作ってみましょうか。

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2011年11月28日

アドベント・ボックスと待降節

品川の KALDI で「アドベント・カレンダー ウッドボックスタイプ」なるものを見つけたので買ってしまった。確か1980円であった。ボックスは中国製である。ここにはこう書いてあった。

adventbox

24個の扉がついたアドベントウッドボックス。扉を開けると中にはチョコレートやキャンディが! 中のお菓子を一つずつ食べながら、クリスマスイブまでの24日間を楽しんで!


アドベントカレンダーとは、12月1日から24日まで窓がついているカレンダーで、一日一つの窓を開けるとそこに何か絵が描いてあったり、メッセージが書かれていたりするカレンダーである。
最近は、そこにお菓子やキャンディが隠されているものが目立つ。
クリスマスを待ち望む気持ちをそういうふうに表現していたわけである。
このウッドボックスタイプはお菓子さえ買えれば翌年もまた使えるということでなかなかスグレモノであると思う。

そういえば、教会の暦では昨日11月27日から待降節にはいった。新しい年が始まったことになる。この日からクリスマスまでの4週間を待降節(アドベント)と呼んでいる。
聖アンデレの日である11月30日に最も近い日曜日が待降節第1主日となる。最も早いときで11月27日、もっとも遅い年は12月3日となり、今年は最も早い年にあたる。

アドベントとは、もともとは「到来」を意味するラテン語 adventus からきた言葉である。つまり「突然やって来る、思いもかけないことが目の前で起こる」それがアドベントの本来の意味である。
英語のアドベンチャー(冒険)の語源でもあるが、冒険とは本来、誰も行ったことのない新しい土地へ行くことでも、誰もやったことのない新しいことに挑戦することでもなく、突然目の前に起こった予期せぬことを受け止め、自分自身を変革させること、またその経験を通して新しい人間になるということを意味していた。

そういう意味ではマリアもそして3人の東方の博士たちも、この予期せぬ出来事を受けとめて新しい人間となった本当の意味でのアドベンチャーであったのであろう。

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2011年07月04日

司馬遼太郎「街道を行く−南蛮の道」にみるイグナチオとザビエルと「霊操」

司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの「南蛮の道 1」はバスク地方にフランシスコ・ザビエルの足跡を尋ねる旅を描いた。


1982年、筆者はフランス,スペイン、ポルトガルの旅に出る。「街道」シリーズ初のヨーロッパ行きで、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの人生をたどっていく。学んだパリ大学、イエズス会の血盟を誓ったモンマルトルの丘を訪ね、バスクの地へ。生誕地のザビエル城では自分を「オバケ」と呼ぶ修道士が現れる。濃厚なバスク人の世界へ包まれていく。



この紀行文のハイライトのひとつは、イグナチオ・ロヨラがフランシスコ・ザビエルを口説いて、イエズス会を結成する場面にあるだろう。嫌がるザビエルをイグナチオとその仲間たちがどのように説得したのか、いろいろと興味深く描かれている。

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2011年05月07日

4/11鎌倉追善供養復興祈願祭「海の祝福」

3月31日に4/11鎌倉追善供養復興祈願祭のことをこのブログに書きました。
東日本大震災の1か月後にあたるこの日、鎌倉八幡宮にて、神社と鎌倉仏教会とキリスト教(カトリック雪の下教会・聖公会・日本基督教団雪の下教会)とが合同で祈願するという画期的な祈願祭となりました。

私はその模様をビデオに撮っておりました。
まず八幡宮舞殿にて合同祈願祭があり、ついで若宮通りを海に向かって托鉢しながらあるき、由比ヶ浜海岸にて「海の式典」が行われました。
そのうちの「海の式典」の部分を YouTube にアップしましたので、ご覧ください。



神主さんのお祓い、仏教関係の祈祷につづいて、イエズス会の英隆一朗神父による「海の祝福」が行われています。
英神父の唱えられた祈祷文を全文掲載します。

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