2016年10月17日

東京新聞に「フジキャビン」が紹介されました。

教会の友人から2016年9月17日の夕刊の「フジキャビン」が紹介されている記事をいただきました。
この車は1955年頃に作られた2人乗り屋根付きスクーターで、私の父もその開発に加わっていました。3輪スクーターの上にFRP(繊維強化プラスティック)のボディーを載せた画期的な車でしたが、FRPボディーの強度が足りなかったために100台くらいしか製造されなかったようです。
しかし、この車は日本に3台残っているそうです。ひとつはトヨタ博物館、ひとつは小松にある自動車博物館、あとひとつは個人が所有しているものです。

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高校日本史の教科書にも載ったことがあります。
そしてなんとミニチュアモデルがネット上で販売されています。
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2014年09月05日

わが家が発電所になった日

ついにわが家が発電所になりました。
今日9月4日、東電の方がやってきて、分電盤を50アンペアに切り換えて、ブレイカーを ON にしました。
発電を開始しています。今日はくもりなので、発電量はたいしたことがありません。

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屋上には27枚のパネルが設置され、最大出力は5.4KW/hなのだそうです。

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毎日、このモニターを見るのが楽しみです。
これで大手を振って原発に反対できるという感じです。

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2014年05月22日

愛する妻清子さんの「天に召された日」

こんな歌を清子さんの訃報を知った友人が送ってきた。涙なしには読めない聞けない見られないそんな詩で歌でアニメだった。特に今の私には。
まさに今の私のために作られたんじゃないかと思った。



歌:JULEPS 作詞:秋元康 作曲:井上ヨシマサ

ある朝目覚めたら 神さまが待ってた
命に終りがくると そっと知らされた
どうして僕だけが 旅立つのか?
運命のさざ波に 声は届かない

一番近くの大事な人よ
しあわせだったか? それが気がかり

もしも僕がいなくなったら
最初の夜だけ泣いてくれ
君と僕が過ごした歳月を
思い出しながら見送って…

いつかは誰もみな 迎えが来ると
わかっていたはずなのに 他人事のようで…
夕陽がいつもより美しくて
知らぬ間に溢れ出す 感謝の気持ち

今まで一緒に歩いた人よ
残して行くこと 許して欲しい

君と会えて幸せだった
朝の空見上げ微笑んで
僕はきっと日差しになって
見守っているよ 君のこと

もしも僕がいなくなったら
最初の夜だけ泣いてくれ
君と僕が過ごした歳月を
思い出しながら見送って
思い出しながら見送って…


 愛する妻の清子さんが5月3日急逝した。
 前の日はまったく元気で「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」と「ラララミュージック マスネー『タイスの瞑想曲』」のビデオを見たあと、「もう寝よう」と言ってそれぞれの寝室に別れた。
 翌朝6時40分頃、「朝だよ!」って起こしにいったら清子さんの反応がない! すでに事切れていた。
 まったく「信じられない! 昨日はあんなに元気だったのに、こんなのうそだよ! 清子さん、起きて!」何度も呼べども返事がなかった。
 こんなことってあるのか。神さまが突然清子さんを連れていっちゃった。何の前触れもなく、別れの挨拶もしないうちに。
 「神さま、ひどい! むごい!」泣きながら神さまにくってかかったけれど、清子さんはもう戻ってこなかった。

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 5月6日に、カトリック鶴見教会で、お通夜。7日に葬儀ミサ、告別式。そしてそのまま火葬場へ。
 たくさんの方のご会葬があった。
 通夜の時には英隆一朗神父(イエズス会)告別式では晴佐久昌英神父(東京教区)の弔辞があった。

 あれから20日がすぎて、ようやくこのブログと Facebook で公表することにした。お知らせが遅くなってしまってもうしわけなく思っている。この「像の背中 −旅立つ日」を見て、ようやく発表する気になった。

 ともかく清子さんへの生前のご厚誼、ご厚情、本当にお世話になったこと、私たち夫婦を支えてくれたことに心から感謝を申し上げたい。ありがとう。
 おかげで私は清子さんとの、神さまに祝福された幸福な結婚生活をおくることができ、そして清子さんを神様のもとへお返しすることができた。本当にありがとう。

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2008年09月02日

仏さまが呼び集めてくださった「法事」から


法事 8月30日に伊豆の下田で叔母の1周忌の法事があり、親戚の一同が集まった。

 この法事は叔母の1周忌とともに、祖母の33回忌、祖父の60回忌、曾祖父の50回忌を「同会」して一緒に供養をすることになっていた。

 法事を司った和尚様がこんなことを話してくださった。

 おばさまをはじめ、亡くなったホトケさまたちが、なかなか集まれなくなった親戚一同を呼び集めたのだから、このときを大切にするように。
 この地方では、1周忌を「小祥忌」33回忌を「阿円忌」50回忌を「清浄本然忌」と呼んでいる。どうしてその名が付いたのかはよくわからない。

 そういうわけで、なき叔母や祖母や祖父、曾祖父の思い出話に話が弾んだ。それは同時に自分たちの子どものときのなつかしき思い出を語ることでもあったのだ。
 これもホトケさまの「功徳」であったのだろう。
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2006年06月17日

祖父の「マッカーサー元帥への嘆願状」


嘆願状11 亡き父の「ものもちの良さ」についてはこの前に書いた。
 父の遺品の中からこんなものも出てきた。
 題して「マッカーサー元帥への嘆願状」である。祖父土屋修が和紙に筆で書いたものである。祖父については3冊の著作があることも前に書いた。その祖父である。祖父の人柄と個性がよく表れていて、とても興味深い。

健全なる自作農助成のために農地法の真趣旨の宣示につきての陳情請願の件

   本 籍 静岡県賀茂郡稲梓村椎原××番地
   現住所 神奈川県横浜市鶴見区生麦町××番地
   請願人 土屋修 明治17年8月6日生


嘆願状2日本進駐軍聯合軍司令長官
マッカーサー元帥閣下

 日本国民にデモクラシー思想を涵養せんとして終始懇切に周到に指導監督の労を厭はれることなき閣下に対し、現今、田舎の農地委員らが此の転換期に乗じて、彼の無産階級が有産者層に挑まんとする共産主義的思想を以て横暴を逞しうせんとする実情を陳情し、以て是が是正の途を講ぜられんことを請願する次第である。

 請願人は本籍地に父土屋萬平より譲渡せられたる一町三反歩の田畝を所有し、右萬平(85歳)、妻こう(63歳)及び親戚より預かれる孤児石川智恵子(19歳)の三人の手に叶ふ二段七畝歩を自作し、其の他を小作せしめたり。
 昨年九月帰宅せし三男誼(31歳)に本年一月迎えたる其の嫁ユキ子(23歳)との若き働き手を得たるとそれに伴ふ飯米の需要から、二反五畝内外の小作地回収を得、合計五段歩ほどの自作農家として健全家政を建てたいと希望してゐる。
 然るに該村稲梓村の農地委員らは
 戸主土屋修がたまたま稲梓村に在住せざるを以て農地法の「不在地主」なりとし、此の回収希望が不正なるものと認める。
 といふ裁量の下に今や強制買い上げの断定を下さんとしてゐる。


嘆願状3 惟ふに農地法が(イ)自作農の助成を小作人より作るものとのみ局限した見解に堕して、(ロ)小地主殊に事情のため休耕態度にあった地主が事故止めて自作農に復帰せんとする者の正当なる権利を阻碍するものといふべく、而も(ハ)地主といふ字句の使用せられてあることを××(判読不能)として無産階級に阿附迎合し、以て共産主義乃至は××思想の培養に便ぜんとするものならずや、とも推量される。
 輩らはデモクラシーの本義は、此の種小地主が現有地までも減少せしめて、明年度より自家用米までも不足せしむるが如き無慈悲なる強制買い上げをなす(ニ)事故のため一部休耕態度にあった小地主が、今や其の事故消滅によって自作農に復帰せんとする正当なる権利までも阻碍せんとし、しかも(ホ)「地主」といふ字句の末に拘泥して、家族の在住且つ小規模ながら継続農業を営みつつある実情を無視して「不在地主」といふ法令文句を盾取って、一部の小作人に利益を与へ以て共産主義乃至は××思想に類する反動思想の培養に便ぜんとするものに非ざるなきかとも憂慮せられる次第に御座候。
 茲に全智全能なる神の摂理を代行し給ふ地位と権勢と掌握したまへる貴官は必ずや此の不条理が貴館の監督の下に強行実現せらるるを黙視し給ふものにあらぬことを信じるが故、政務ご多端のところを恐縮ながらもなほ何分の御返信を戴き得るものと信じてその御親情に甘へ申度××仕り候や
 八月二日               土屋 修



嘆願状1.JPG 要するにこの嘆願状は農地改革の時に「不在地主」の土地として強制買い上げされるのが不当であるとしてマッカーサーに直訴したものである。なかなかの達筆名文であろう。この書状は1947年8月2日に提出された。
 この書状に対してGHQのHUBERT G. SCHENCK という Natural Resources Section の Chief からの8月27日付の返書が添付されていた。それによると、この訴えは日本政府の農林省に出しなさいとされている。
 この書状が手元にあったということはこれが農林省には提出されなかったということであろう。別に農林省あてに書き直したかはあきらかではないが、結果的にはこの訴えは認められなかったということである。
 祖父は其の翌年1948年5月に亡くなっている。 

 


 

 



posted by mrgoodnews at 01:26| Comment(1) | TrackBack(0) | 土屋家、青地家の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする