2012年11月23日

「石との対話」が「せせらぎ」のHPに掲載されました。

昨日の「心のともしび」につづいて、「せせらぎ」のホームページにも私の書いた原稿が掲載されました。「石との対話」というテーマです。
こちらは本来匿名ですが、みなさまにも見ていただきたくて、あえてここで名前を明らかにしました。

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2007年10月14日

しめ縄とぬさ(幣)

 同僚が「日本人の宗教」という授業のために「しめ縄」をインターネットで注文して購入したというので見せてもらった。

しめ縄 「しめ縄」とは「神の占める場所」を示すところからこの言葉があるという。
 しめ縄には「ぬさ」という和紙がついている。
 この「ぬさ」は漢字では「幣」(つまり貨幣の幣の字)である。この言葉に興味を持ったので調べてみた。
 まず「広辞苑」によると
1.麻、木綿、帛または紙などで作って、神に祈るときに供え、または祓いに捧げ持つもの
2.おくりもの ささげもの

 次に「字源」で「幣」を調べてみた。
1.神にささげる礼物の帛
2.賓客に送るつかいもの
3.たから
4.ぜに
5.ごへい、ゆふしで

 とあった。「貨幣」の「幣」の字との関連が気になるところである。おそらく、神への捧げものとしてお金が使われるようになった(いわゆる賽銭)ところから「貨幣」にこの字が使われているのではないか。

 このぬさの作り方を紹介しよう。

ぬさ1

ぬさ2
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2006年08月30日

霊山閼伽流山の石仏群と絶壁

 上信越道を上って少しいくと閼伽流山トンネルがある。この閼伽流山が上ってびっくりの霊山である。

あかる2 佐久市香坂というところに明泉寺という天台宗の寺がある。この山はまさに寺の境内という感じで山のつくりそのものが霊山なのである。
 ありがたいことに(ほんとうはあまりありがたくはないのかも)一番奥の観音堂まで車で上れる。私の昭和のパルサーでもかろうじて登れた。



あかる1 登ってびっくり。観音堂の上は30メートルくらいの絶壁である。絶壁の下には百体観音をはじめとする石仏群がある。数はそんなに多くはない。石仏よりもその絶壁に驚くのである。

あかる3 さらにびっくりするのは、カーナビをみると、ここは高速道路の中を示すのである。つまりこの下を上信越道が走っている。
 しかもその絶壁は登れる。仙人が岳の頂上まで登れるが、見晴らしのいいのは御野立所という展望台で、ここに立つと佐久の町がよく見えるし、下を見ると足がすくむ。

あかる4 こんな山があったのだと感動してしまった。今度はゆっくりと登山してみたいと思った。
 さらに佐久には新閼伽流山という山もあるらしい。そちらにも石仏があるとか。今度来るのがまた楽しみになった。
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2006年08月29日

修那羅峠の安宮神社の石仏石神群


石仏1 信州には石仏石神、野仏、地蔵などがとても多い。
 その代表的なものが、修那羅峠の安宮神社の石仏石神群であろう。小県群青木村と東筑摩郡筑北村の境にある修那羅峠付近にある。昨年訪れた時は修那羅峠から20分ほど歩いて登っていったのだが、峠に登ったら車が来ていたので、車で上れる道があることに気づき、今回は車で入ってみた。

石仏2 ここには880体もの石仏、石神群がある。神社なのに多くの石仏もあるところが神仏混淆のあらわれなんだろう。
 1855年、修験者の修那羅大天武という人がこの神社を開いたらしい。この修験者の祈祷が霊験あらたかでそのお礼にと、人びとがこれらの石仏、石神をここに奉納したというのが始まりだという。

石仏3 そういわれると、これらの石仏石神は素人の手によるものであろう。素朴で民衆の気持ちをよく表しているように見える。

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