民放ラジオの放送にはちと不似合いな内容だったかなと危惧していますが、坪井さんの朗読はそれを打ち消してしまうほどステキです。
聴いてあるいは読んでの感想をお聞かせいただければ幸いです。
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一緒にごはんを食べ、お手伝いをして、遊んで、絵本を読んでもらう.時には怒って凹んで泣いたって、同じ布団で練れば同じ朝が来る。
壊れた絆を取り戻そうと懸命に生きる人びとの、平凡だけど大切な日々の暮らし。
「バットとボールがある。あわせて1ドル10セント。バットはボールよりも1ドル高い。ボールはいくらでしょう?」
そのまま折りたたむと、テープの折り返しを作ることもでき、はがすときに便利です。
「幸せの鐘を鳴らそうよ」
一人の少年のために、
一人の少年のあの笑顔を取り戻すために、
私は保護司になりました。
あれは長男がまだ小学一年生の時でした。
私は嫁ぎ先の割烹料理店の切り盛りに慌ただしい
毎日を送っていましたが、
鍵っ子だった自分と同じ寂しさを、
我が子には味わわせたくないと思い、
午後には一時帰宅し、おやつをつくって迎えていました。
せっかくつくるのなら、と息子の友達にも振る舞うようになり、
いつしか我が家は大勢の子供たちの賑やかな遊び場となりました。
私は彼らが心底愛おしく、
うちに来る子はすべて自分の子のつもりで接していました。
その中に一人、
他の子と遊ばずいつも私のそばから離れない少年がいました。
母親が病のため愛情に飢えていたのでした。
母親の温もりを知ってほしいと思い、
とりわけ彼には愛情を注いでいました。
そんなある日、事件が起きました。
少年が息子と一緒に遊びに行った友達の家から、
マスコット人形を盗ったというのです。
友達の弟が大切にしていた人形だったため、
母親まで巻き込んだ騒ぎになり、
私のもとに相談に見えたのです。
私は日頃から子供たちに、
うちの子になるならルールを守ろうねと言い聞かせていました。
嘘をつかない、人に迷惑をかけない等々、
自分が親から言われてきたことばかりです。
「はい!」
と元気に答える彼らの中でも、
とりわけ嬉しそうに頷いていたのがその少年でした。
それだけに、
彼が人のものを盗ったとは信じられませんでした。
しかしなくなった人形を少年の家で見た、
と息子が言うのです。
家庭の事情で玩具も満足に買ってもらえない少年。
盗ったのではなく、きっと欲しかったのだ。
私はそう考え、とにかく一緒に謝ろうと言いました。
ところが彼はいくら言い聞かせても謝ろうとしません。
裏切られた気持ちになった私は、
もううちには二度と来ないで、
と強い口調で言ってしまいました。
二週間くらいたった頃、布団を干していると、
門のあたりに小さな人影がありました。
チャイムを押そうとしてためらい、
行ったり来たりしているのはあの少年でした。
彼がそうして毎日うちに立ち寄っていることを息子から聞き、
私は思わず駆け寄って抱きしめました。
少年が「ごめんね」と繰り返しながら漏らした言葉に、
私は頭をぶたれたようなショックを受けました。
「あれは盗ったんじゃなくて、もらったんだ……」
あの時、なぜもっと事情を聞いてあげなかったのだろう。
大好きな人から謝罪を強要され、
幼い少年の心はどんなに傷ついたことだろう……。
その後、少年は再び我が家に遊びに来るようになりましたが、
家庭のことで心を荒ませ、いつしか顔を見せなくなりました。
中学へ進学してからは、
家の前を通る度に髪の色や服装が奇抜になっていき、
声をかけても返事すらこなくなりました。
そしてとうとう鑑別所に送られる身となったのです。
もちろん直接の原因ではありませんが、
あの時、無垢な彼の心を傷つけた後悔の念は、
私の中に燻り続けていました。
彼に償いがしたい。もう一度彼の笑顔に会いたい
ずっとそう思い続けていたので、
保護司のお話をいただいた時は二つ返事で
お引き受けしたのです。
その時からたくさんの少年たちに出会ってきました。
心が痛むのは、彼らのほとんどが、生まれてこの方、
腹から笑ったことがないという事実です。
みんな幸せが欲しくて、欲しくて、懸命に手を伸ばしているのに、
どこかで歯車が狂ってしまっている。
彼らは自分のことをカスとかゴミだと言いますが、
私は彼らを無条件で好きになります。
「君が大事なんだ。可愛くて、可愛くて仕方ないんだよ」
と言うと、涙をポロポロ流します。
非行を犯して一時的に愉快になっても、
それは真意ではなく、
その後ずっと罪の意識でビクビクしながら過ごすことになる。
人に感謝される行いを積み重ねてこそ、
本当の幸せを手にできるといつも説いています。
あの少年が保護観察になると聞いた時、
私は観察官の方に頼んで彼を担当させてもらいました。
嫌がっていた彼は、私が彼のために保護司になったと告げると、
驚きの表情を浮かべました。
「もう一度君の笑顔を見たいんだよ。一緒に幸せを探そう」
彼は声を上げて泣きました。
いまは寿司職人として独立を目指して頑張っています。
ようやく軍艦が握れるようになった頃、
彼は私をお店に招待してくれました。
カウンター越しに彼の笑顔を見た瞬間、
私は思わず胸がいっぱいになりました。
目頭を押さえながら食べた彼のお寿司は、
世界一の味がしました。
かかわった少年たちのことは、片時も頭から離れません。
観察期間が過ぎても慕ってくる彼らから、
私は与えた以上の喜びを与えられ、
抱えきれないくらいの心の財産をいただいています。
その後、家族がなかったり、家族崩壊の中、
帰る家もなく希望を失った少年を
「お帰り」と迎えてあげる家をつくりたいと考え、
私は立ち直り支援の「少年の家」「ロージーベル」を立ち上げました。
平成二十三年にNPO法人に認定。
現在少年たちが日々笑いの中、生活をともにしています。
人は誰でも心の中に幸せの鐘を持っています。
一人がその鐘を鳴らすと、
周りの鐘も共鳴して幸せ色に変わっていくのです。
その鐘の音が共鳴し合い周りをどんどん幸せ色に変えてゆけるよう、
今日も私は少年たちに、一緒に幸せの鐘を鳴らそうよ、
と呼びかけ続けています。
そう、人は幸せになるために生まれてきたのですから。
『致知』2012年1月号 より
大沼えり子 作家 NPO法人ロージーベル理事長
みんなやさしくなあれ
『致知』最新号の申込はこちらから
http://www.chichi.co.jp/guide.html
息子が学校から帰宅し「今日、国語の授業で読んだ短編は素晴らしかった。感動した」という。教科書に載っていたのだそうだ。そこまで息子が評価する小説を私も読んでみたいと思いネットで探す。アルトゥーロ・ヴィヴァンテ作「灯台」。「昨日のように遠い日」という作品集に入っている。
ある男の子に尋ねました。 ダニエル・ハルムス 増本浩子訳
ある男の子に尋ねました。「ねえ、ヴォーヴァ、どうして肝油が飲めるの? ものすごくまずいのに」
「肝油を一口飲むと、ママが10コペイカくれるんだよ」とヴォーヴァが言いました。
「10コペイカ玉をもらったら、どうするの?」とヴォーヴァに尋ねました。
「貯金箱に入れるよ」とヴォーヴァは答えました。
「それから?」と尋ねました。
「貯金が2ルーブルになったらね」とヴォーヴァは言いました。「ママがお金を貯金箱から取り出して、ぼくに肝油をひとびん買ってくれるんだ」
少年小説にあっては(そして少女小説にあってもおおむね同様に)「われわれは常井、少年に見えている世界にと、いずれ彼に見えるであろう世界からなる、二重写しの世界を見ている」のであり、その二つの世界の間の緊張から独特のユーモアと切実さが生じる」
ほとんどの物語が少年か少女を主人公としているのだけれど、少年や少女である時間の特別さというのは、それが大人たちの日々とおなじ時空間に存在するために、ある意味で閉じられ、そこにおもしろいひずみが生れる。この本のなかには、そのひずみが、たくさん、さまざまな形で存在している。いま確かにここにある、けれどいつか失(な)くなってしまうひずみ。どの作家も、それを全く感傷的なふうには扱っていない。小説にとって、ひずみは勿論おもしろいものなのだ。個々の人間にとっては、記憶が感傷をひきおこすかもしれないとしても。