2012年07月10日

だからFBをやめられない その3 Power by Peter, Paul and Mary

先ずはこの詩を。なかなかいい詩だと思う。

Just give me the warm power of the sun         私に太陽の力を
Give me the steady flow of a waterfall        私に確かな水力を
Give me the spirit of living things as they return to clay.  土に
Just give me the restless power of the wind        私に風の力を
Give me the comforting glow of a wood fire        焚火の輝きを
But please take all of your atomic poison power away.
                      毒の原子力は捨ててしまおう
Everybody needs some power I’m told         電力は必要だろう
To shield them from the darkness and the cold        生きるには
Some may see a way to take control when it’s bought and sold.
                    電力の売買を調整する方法がある
I know that lives are at stake          生命が危なくなっている
Yours and mine and our descendants in time.           子孫の
There’s so much to gain, so much to lose       多くを得多くを失う
Everyone of us has to choose.             私達は選ばなくては

(chorus)

We are only now beginning to see            やっと気づいた
How delicate the balance of nature can be       自然の微妙さに

The limits of her ways have been defined       自然には限界が
And we’ve crossed that line.           私たちは一線を越えた

Some don’t even care or know that we’ll pay       代償は大きい
But we have seen the face of death in our day.       死の顔が
There’s so little time to change our ways       もう時間がない
If only we together can say           みんなで声をあげれれば

(chorus)

All of your atomic poison power              毒の原子力
All of your atomic poison power              毒の原子力
Away.                           さようなら

映像はここにあります。



Facebook で流れてきた。ここのところ私のブログはFacebook だよりになってしまった。これはいかんとは思うのだが………。
それにしても行末をそろえるのがむずかしい。

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こちらにもあります
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2012年07月05日

だからFBをやめられない Good News その2

またまたFB上でながれてきた抱腹絶倒型 Good News.
歴史教材として配信されているものです。「歴史にドキリ」のソングムービーと銘打ってあります。NHKもなかなかやるじゃん。

こちらは平氏バージョン。

こちらは源氏バージョン。

これをみて、私の妻ことケラワラのおきよさんは、あいかわらずケラケラ笑いがとまりませんでした。
そういえば、天正遣欧使節のソングムービーを前に紹介したことがありました。
あれと同じ流れでしょうか。

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2012年07月04日

だからFBをやめられない Good News その1

またまたFacebookをとおして友だちがシェアしてくれました。
だからFBをやめられない。



日本でもこういうことをどこかでやらないかな。
反原発デモのまんなかでとか。

そういえば思い出した。以前ハレルヤコーラスを突然フードコートの中で歌い出したという YouTube 映像をこのブログでも紹介したっけ
あれにも flash mob と書いてあったから、同じ流れのものかな。

こちらもご覧ください。同じものですが


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2012年07月03日

ユーモア2件、こういうのいいですね。シェアしたくなります。

Facebook 上で回ってきた二つの写真です。シェアします。



意味分かりますよね。この答えに先生は○をつけるかどうか? 
Sr.渡辺和子さんの本を読んでいると何度も出てくる「雪が溶けるとなんになる」という答えに「春になる」と答えた生徒がいたというあの答えと同じです。

もう一つは


翻訳しなくても大丈夫でしょうが、念のために訳してみます。これは英語が分からないと意味不明です。

 もしもストレスを感じたときは、チョコレートやアイスクリームやスイーツを食べましょう。どうしてかって? ストレスを感じている(stressed)という英語のスペルを後ろから読むとデザート(desserts)になるからです。


誰かがこれを発見したんですね。発見した人はえらい!

こちらもご覧ください。同じものですが
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2012年07月02日

ゲッセマネのイエスの祈り

清泉女子大の「宗教科教育法」の授業で、「受難と十字架上の死」を取り上げました。歓呼とともに迎えられたエルサレム入場から、ピラトに「十字架につけよ」とさけぶ民衆の心変わりの過程をつぶさに読んでいきました。

やはり圧巻は「ゲッセマネのイエス」だと思います。
ここを読む場合、4つの福音書をいつものように読み比べていきます。福音記者によって微妙に表現が違います。
イエスが祈るときの姿勢は、マルコは「ひれ伏し」、マタイは「うつぶせになり」、ルカは「跪いて」祈ります。
「アッバ父よ」と呼びかけるのはマルコだけです。
そして「血の汗を流し」「天使がイエスを力づけた」のはルカだけです。

中3の生徒とここを読んだときに質問が上がりました。「弟子たちもみんな眠っていて、イエスがひとりで祈っていたところを誰も見ていないのに、どうしてイエスの祈りのスタイルを分かったのですか?」これには虚を突かれました。そうですよね。復活したあとにイエスが語ったとも読めないことはないでしょうが………。

このゲッセマネのイエスの祈りをみごとに描いたのは「ジーザス・クライスト・スーパースター」だと思います。



この曲はスゴイです。
もっとYouTubeを探していくとマイケル・クロフォードのゲッセマネをみつけました。こちらもなかなかスゴイです。字幕がついているところもいい。



イエスのゲッセマネの祈りは「きっとかくやあらん」と思わせる迫力でした。
同じ歌を日本の劇団四季が歌っているのもありますが、こちらはやはり迫力不足です。きっとゲッセマネのイエスを分かっていないんだろうと思ってしまいました。

でも中学3年生とこれを見ても、彼女たちはは私ほど感動しないだろうな。

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2012年06月27日

Finding God Video Contest というのを見つけました。

SIGNIS の友人が教えてくれました。さすが、キリスト教国アメリカです。
Loyola Press というイエズス会系の出版社が企画したビデオコンテストのようです。



英語で何を言っているのかわからないけれど、アメリカの「宗教」の授業がどういう雰囲気なのかがわかります。
日本でもこういうビデオコンテストをやれたらいいねと SIGNIS の仲間たちと話しています。
このサイトは他にも興味あることがいろいろとのっています。
私が気に入ったのは Ignatian Spirituality というブログの写真でした。
写真で「神を見出す」という面白い試みです。
ほかにも面白いページを探し当てたら教えてください。

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2012年06月25日

サーバント・リーダーシップ

「ビジネスリーダーのためのファシリテーション入門 (DO BOOKS) 」という本を本屋で立ち読みしていたら、「サーバント・リーダーシップ」なる言葉が目に飛び込んできた。


『リーダーである人は、「まず相手に奉仕し、その後相手を導くものである」という実践哲学をサーバント・リーダーシップといいます。サーバント・リーダーは、相手に対し奉仕する人です。相手への奉仕を通じて、相手を導きたいという気持ちになり、その後リーダーとして相手を導く役割を受け入れる人なのです。』


ということらしい。リーダーシップというと、昨今大阪の市長になった人のような「強いリーダーシップ」が望まれている風潮が強いが、そういう時だからこそじつは「サーバント・リーダーシップ」が望まれているのだろう。
「リーダーは部下が仕事がしやすいように貢献尽力する(サービスする)」というわけである。「リーダーにカリスマはいらない」とも述べている。
実は、このモデルは福音書の、最後の晩餐の前に弟子たちの足を洗ったイエスなのである。イエスはこの後弟子たちに向かって「互いに使えるものとなりなさい」と述べた。

「サーバント・リーダーシップ」の教えを広めている「グリーン・リーフセンター」アメリカ本部の所長であるラリー・スピアーズ氏はサーバント・リーダーシップの「属性」として、以下の10項目をあげている。

 (1)傾聴(Listening)
相手が望んでいることを聞き出すために、
まずは話をしっかり聞き、どうすれば役に立てるかを考える。

(2)共感(Empathy)
相手の立場に立って相手の気持ちを理解する。
人は不完全であることの前提に立ち相手をどんな時も受け入れる。

(3)癒し(Healing)
相手の心を無傷の状態にして、本来の力を取り戻させる。
組織や集団においては、欠けている力を補い合えるようにする。
一緒にいると元気になる。安心できる。

(4)気づき(Awareness)
鋭敏な知覚により、物事をありのままに見る。
自分に対しても相手に対しても気づき得ることができる。
相手に気づきを与えることができる。

(5)説得(Persuasion)
相手とコンセンサスを得ながら納得を促すことができる。
権限に依らず、服従を強要しない。

(6)概念化(Conceptualization)
大きな夢やビジョナリーなコンセプトを持ち、それを相手に伝えることができる。
思いの深さ、志の高さ。

(7)先見力、予見力(Foresight)
現在の出来事を過去の出来事と照らし合わせ、そこから直感的に将来の出来事を予想できる。

(8)執事役(Stewardship)
自分の利益よりも相手の利益を考えて行動できる。
一歩引く事を心得ている。謙譲の美徳。

(9)人々の成長への関与(The growth of people)
仲間の成長を促すことに深くコミットしている。
一人ひとりが秘めている力や価値に気づいている。

(10)コミュニティづくり
愛情と癒しで満ちていて、人々が大きく成長できるコミュニティを創り出す。


 もう20年ほど前に、CLC(Christian Life Community) がエド・ネメッシュ神父と共に「霊的リーダーシップ(Spiritual leadership) について皆でアイディアを出し合ったことがある。この時に出し合ったものと酷似しているということを思い出した。
「イエス弟子たちの足を洗う」という場面から「お互いに仕えあう」ということの重要さを出し合ったことをしみじみと思い出した。

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2012年06月24日

チャドクガのコロニーは気味悪いけれどユーモラス

わがやは3方を生け垣で囲まれていますので、その木を切るのがとても大変でなかなか木の生長に追いつかない状態です。
その生け垣はサザンカ、レッドロビン、マサキ、アジサイ、ゲッケイジュ、トベラ、アオキ、カエデ、ボケ、アオギリ、カポック、ムクノキ、キョウチクトウ、ツルバラと実に種種雑多でその他にも名前の分からない木もあります。
ササも茂っていますし、ヒガンバナも咲き出します。それにあの、ノアサガオが巻き付いてきて、さながら小さなジャングルのようです。

この時期にいやなのは、サザンカやツバキの木のチャドクガの発生です。これはケムシでもあるいは蛾になっても体を覆う小さな毛にふれると皮膚がかぶれるという毒性をもっています。
それで、見つけると殺虫剤でシューシューして駆除します。吹き付けると面白いようにコロコロと葉っぱから落ちていきます。大量虐殺者の気分です。



見つけるのがけっこうたいへんですが、密集してきれいにならんで体を寄せ合って生きているので、なれるとすぐに見つけられます。でも体を寄せ合って生きている姿がちょっとユーモラスというか、かわいいというか、気味が悪いというか、駆除するのにちょっと気が弾けるのですが、そこは心を鬼にして殺虫剤を振りかけます。

もう一つイラガの仲間がいます。これは密集してはいないのですが、皮膚に触れると激痛が走ります。まもなく出てくるので、みつけたらまた紹介しましょう。

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2012年06月21日

教会の庭のカラシダネが満開です。

17日の主日の福音はマルコ4章の「カラシダネ」のたとえでした。
「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それはカラシダネのようなものである。土に蒔くときには地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

私の教会(カトリック鶴見教会)の庭には「カラシダネ」が黄色の花をつけています。




聖書の「カラシダネ」は「カラシナ」の仲間の「クロガラシ」だという説もある。
しかし、ここではなす科 、たばこ属の一種である「カラシダネ」とする。種子は大変細かく、クロガラシの100分の1より、まだ小さい。しかしこれは元来南アメリカ原産のもので、イスラエルに古くからあったものではない。しかし、あまりにも細かい種子であるので、今日ではこれがそのからし種だと言い伝えられている。黄色い筒形の小花をたくさんつけ、観賞価値もある。これは灌木状になり 、3〜4メートルに生長する。

タネが収穫されたら、またその小ささぶりを紹介することにしよう。

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2012年06月20日

アジサイについてのウンチク

アジサイについてのウンチク。





アジサイは日本原産の樹木である。それが中国を経由してヨーロッパに渡り、さまざまな品種が生まれた。西洋アジサイと呼ばれるのは、人びとの長い丹精のたまものだ。
アジサイにはいろいろの名前がつけられてきた。日本名は、小さな青い花を集めるという意味だろう、「集真藍(あづさい)」が転じたようだ。
漢字では「紫陽花」名付け親は玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇を歌った「長恨歌」などで知られる東大の詩人白楽天である。
赴任先の杭州の寺に咲く花の名を誰も知らなかった。紫の色を愛でて、自ら命名した。ただ、実際にはアジサイではなくライラックだったという説もある。
江戸時代、オランダ東インド会社の医師として来日したシーボルトもアジサイに関心を寄せたひとりである。
帰国後、出版した植物死の本でアジサイに「ハイドランジア・オタクサ」名前をつけた。
この「オタクサ」の意味が分からなかったが、長い研究の末、大正時代に判明して驚かされた。
シーボルトが滞日中の恋人が、長崎丸山の遊女「お滝さん」。花の名に仮託することで彼女を偲んだか。
そうした縁もあって、長崎市の市の花にはアジサイが選ばれている。




本当に風情のある花である。

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2012年06月13日

プロポーズ動画という感動

Facebook で紹介されたものをシェアします。
あちらの国ではこういうプロポーズ動画が結構人気を博しているそうです。いかにもアメリカ的というか………。



そういえば日本にもこういう動画がありました。でもこれは「恋をしましょう」という動画だから少し違うか。でもこのシリーズもなかなかいいと思います。



こういう動画がどんどん流れていて、それをFacebook でシェアするところが、いかにも YouTube であり、Facebook なのかもしれません。

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2012年06月12日

防災パックJC-AID はなかなかいい発想から生まれたと思う

友人の友人の藤沢市議に紹介してもらったと、その友人は私に教えてくれた。
「全く新しい防災システムJC-AID」「自分だけでなくまだ見ぬ全国の被災地も助ける」というシステムである。

先ずこれを見てほしい。



その特徴として次のようなことを上げている。
パッケージに一揃えの支援部室を盛り込むので仕分けが不要。また配りやすく、家族人数ごとに対応可能。
有事の際にすぐ使える、すぐに送れる。
外箱のサイズが均一なので積み込みや取り出しが簡単。保管時のデッドスペースもなくせる。
全国にネットワークがあるJCのスケールメリットをフルに活用できる。

つまり自分のところが被災地になったときはそれを使えばいいし、他の地域が被災した場合には被災地へ支援部室としてすぐに送れるというわけである。

中味は


学校などでの備蓄品として、これはな感か合理的であると思う。すぐに被災地へ送れるというのがいい。
JC(青年会議所)もなかなかやるもんだと思った。
そんなこと学校ではとうの昔にやっているのかもしれないが………。

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2012年06月01日

念力は存在するか、実験をしてみました。

 今、聖心女子大学にいって「キリスト教学」の講義を担当している。正規の講師の先生が産休をとっていて、その代用として5回の講義を担当することになった。
 正規の「キリスト教学」では、「宗教と音楽」というテーマでグレゴリアンやバッハからテゼーの音楽までを聞かせながら講義をするというスタイルであったのだが、私にはそれはできないので「宗教音楽」とは切っても切れない関係にある「祈りとミサ」というテーマで行うことにした。

 1回目の講義(5月18日)は、日本人の祈りを考えながら「祈りとは何か」ということを考えた。
 「日本人はどういうときに祈るか?」という問いに始まり、「日本人は何を祈るのか」「祈りのスタイルとツール」を受講している学生たちに次々に応えを出してもらった。
 そして最後に「祈りの方法と種類」をあげて終わった。

 2回目の講義(5月25日)では、「祈りの実習」と称して、いくつかの祈りのエクササイズをした。
 その1として行ったのが、これから紹介する「念力サイコロのエクササイズ」である。
 その2も「念力パワーのエクササイズ」
 その3は「1分間エクササイズ」
 その4は「瞑想とawareness exercise」
 学生たちはけっこう楽しんでいたようである。

 さてその「念力サイコロのエクササイズ」である。
 この授業のために先ずサイコロを人数分そろえた。受講生は70人だからその数のサイコロをそろえた。幸い100円ショップで4個入ったものが見つかったが、それでも数をそろえられなかったので、いくつかの100円ショップを探し回った。
 それから記入用紙を作った。
 その記入用紙とサイコロを配って、こう説明した。
「1が出るように念じながらサイコロを100回ふって出た目を記入用紙に記入してください。その記入用紙は回収して統計を取ります。はたして念力パワーは存在するのか、これは実験です」

 さて、その結果は次の通りになった。この実験に参加した人は全部で64人だったので、サイコロを振った合計は6400回ということになる。
   1のでた回数(%) 1140(17.81%)
   2のでた回数(%) 1070(16.72%)
   3のでた回数(%) 1058(16.53%)
   4のでた回数(%) 1016(15.88%)
   5のでた回数(%) 1028(16.06%)
   6のでた回数(%) 1075(16.8%)
 う〜ん、微妙な結果になった。たしかに1のでる率は他のものに比べると高い。けれどこれは有意差をもっているのかどうか、微妙である。
 もっと回数を多くして精度を高める必要があろう。

 もっとも出現率が高かった生徒は、100回のうち26回を出した学生がいた。「あなたはひょっとすると念力パワーを持っているかもしれないから、もっとサイコロを振って試してご覧。1万回ぐらいやって有意差がはっきりと表れたら、確実だから」といっておいた。さてその学生は実際に試したかどうか?

 私は、この念力実験の結果がどうあれ、「1がでるように」と念じるこころが「祈り」に通じるものがあるのではないかという解説を加えておきました。

 明日の講義で、この結果を発表する。学生たちはなんと判断するだろうか。
 私の友人のつくば大学教授(哲学、倫理学)に話したら、「それがほんとのサイコロジーだ」としゃれていた。

 この実験は、高校の化学の先生がこんなことを言っていたことから、いつか試してみたいものだと思っていたことで、やっと実現した。
「君たち、念力の存在を信じるかね。サイコロをある数がでるように念じながらふるとどうなるか。100回や1000回ではだめだな、少なくても1万回以上ふってみると、結果が表れるよ。ウソだと思ったら自分で試してみるといい。」
 あの学校のことだから、実際に試してやってみた生徒がいたはずだと思うけれど、その結果は聞かなかったことがいまさらのように悔やまれる。


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2012年05月30日

凹凸という漢字の書き順がわかりますか?

東洋鍼灸学校の講師控え室にこんなものがはってありました。
凹凸の感じの書き順です。正しく書けますか?
辞書によって書き順が違うということに気づいた人もいます。

問1 そもそもこれは漢字なのでしょうか?
当用漢字ではありませんが、漢和辞典には載っています。
問2 漢和辞典のなんの部首のところにありますか?
「はこがまえ」というのかな? 「凶」や「函」のしたのつくりです。
問3 何画でしょうか?
「もと3画」で「4画」とも「5画」ともかいてありました。
問4 「凹凸」というのは「おうとつ」と読みますが、では「凸凹」は?
「でこぼこ」なのだそうです。
問5 「でこ」と「ぼこ」とではどちらが出っ張っていて、どちらがへっこんでいるのでしょうか? 「おう」と「とつ」はレンズのおかげでわかりますが………。

「でこ」がでっぱっていて、「ぼこ」がへこんでいるようですね。

答えは「問」の次の行をドラグしてみると出てきます。「白」い字で書いたもので………。

調べていくと「だくぼく」という読み方もあったらしいことを発見します。今はまったく聞かれなくなったが、「あせだくだく」という表現にのこっているらしいです。

こういうものが何気なくはってあるこの学校がなかなか気に入っています。
おかげで一つおりこうになりました。

こちらにもあります
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2012年05月18日

「ソトコト」5月号特集「ソーシャルな子育て」

ふだんはできるだけ本は買わずに図書館から借りて読むのですが、この雑誌「ソトコト」2012年5月号だけはどうしても読みたくて買ってしまいました。
その特集は「ソーシャルな子育て」。この雑誌は「ソーシャル&エコ・マガジン」を銘打っているだけに「ソーシャル」がとてもお好きなようです。
そういえば、SNS(ソーシャル・ネットワーク)をかわきりに「ソーシャル」がはやっているみたいです。この前聞きにいった東大の講演は「ソーシャル・ラーニング」をテーマにしていました。その他にソーシャル・リーディング、ソーシャルな生き方、などなど。
この雑誌の特集には「ソーシャルな働き方」「ソーシャルな買い物」「ソーシャルレストラン」という記事が出ていました。
ところで「ソーシャル」とはどういうことなのでしょうか?

この特集にはこんな説明がありました。
「社会みんなで子どもを育てる!」
「子どもは親を見て育つ」と言いますが、いやいや、親どころではありません。
ちっちゃな体とファンタジーいっぱいの頭をフル稼働させて、
じーっくりとながめているのは、きっと「しゃかい」。
家族、友人、地域。あなたの暮らすコミュニティが、子どもを育てます。
ソーシャルな子育てってどんなもの? 答えはこの特集の中に!


そしてこんな記事がありました。

「バリアが子どもを強くする。きょうは里山へ。」
10年前から里山保育に取り組む、千葉県木更津市の「木更津者会館保育園」。
5歳児のクラスは、保育日数の6分の1にあたる50日近くを、里山の分園で過ごしている。
里山に行けば、子どもたちはなんでも全力投球だ。
力いっぱい走って、転んで、笑って、泣いて。ケンカするのだって楽しい。
そんな不思議な力をもった里山へ、そろそろ出発の時間。今日はどんな1日になるのでしょう。


この里山保育のオキテがあるそうです。

1.本人がやる気になる「縊死する力」を養う。
2.「汚い、臭い、危ない」を排除しない。
3.葛藤体験をして自分の人生を生き抜く強さをもつ。
4.背伸びしないとできない課題をこなす体験をする。
5.ケンカはとことんやって、中途半端に感情をためない。
6.日本には豊かな生態系の里山がある。


こんなページもありました。見出しだけ拾ってみます。

コンピューターにはできない能力を育てる。
読み聞かせは毎日する。
人を感動させられるのも、ステキな感性です。
早期教育では賢い子は育たない。
自らはじめたいと思ったときが、教育のスタート。
「横並びがいい」が子どもの個性の目をつぶす。
コミュニケーション力は「聞く」「共感する」「考える」「励ます」
「お利口さん以外の言葉でほめる。
上手にできたら、何通りもの方法で誉めてあげる。
「問題児」の部分こそ伸ばしてあげる。


と、まあ、こんな魅力的なキャッチフレーズが満載でした。
私が一番気に入った言葉は、

里山は障害だらけ。「バリアフリー」の反対。「バリアフル」だ。
そうした場面で葛藤する体験こそが「自分の人生を生き抜く強さ」を育てる。


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2012年05月17日

いよさんと「手紙−親愛なるこどもたちへ」のポスター

そういえば、もう3年くらい前に次のようなポスターを作って、家の前に掲示しておいたことがあります。この「手紙」の詩は、いよさんの気持ちをよく代弁していると思ったからです。



このポスターを家の前に掲示しておいたら、あのポスターをぜひくださいとご近所の方から申し出がありました。
教会の掲示板にも掲示してくださいと主任司祭に頼んだのですが、あんなに文字がたくさんあるのは誰も読まないよということで未だ実現していません。
でも、読む人もいるのですよね。

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2012年05月15日

有馬晴信公没後400年記念祭に行きました。

キリシタン大名のひとり、有馬晴信の没後400年にあたる5月6日、その記念祭が山梨県甲斐大和において行われました。
約80人ほどの人がこのささやかな集いに参加しました。わたしも主催者の千葉さんから誘われて参加したのですが、ビデオ撮影を頼まれたので、SIGNIS のもうひとりとともにビデオ撮影をいたしました。近いうちにその時に撮影した映像を YouTube にでもアップする予定です。

有馬晴信は、大村純忠、大友宗麟とともに九州のキリシタン大名で、特に天正遣欧使節を派遣した大名として歴史にその名を残しています。
しかし、岡本大八事件に巻き込まれ、この地に流讁の身となり、更に処刑されてしまいます。キリシタンであったことで切腹を拒否し、最期は打ち首となってその生涯を閉じます。最期まで信仰を貫いた一人であったといえましょう。
この式典には、有馬家の末裔にあたる有馬家当主の方、妻の菊亭ジュスタのご子孫にあたるかた、さらにこの有馬家最期の地を守られてこられた方や甲州市教育委員会の方も参加していました。
司式はパウロ会の山内神父、このあたりを司牧されている横浜教区の田代神父も参加されていました。

式の開始のころ激しい雨と風が会場を襲いましたが、やがてそれも上がり、なんとか無事に式典を終了しました。
式典の中で、コウロス神父が書いたイエズス会の報告書のなかの、有馬晴信公の最期の様子の場面を描いた部分も朗読されました。

式後に、甲斐大和市の自然教育センターに会場をうつし、そこで懇親会が催されました。懇親会では有馬晴信を偲ぶスピーチがいくつか用意されていました。特に印象に残ったのは「岡本大八事件」について述べられた話しでした。さらに日本キリスト教史の五野井隆史氏の話も面白かったです。

この催しに参加してもっとも感動したのは、この催しを主催した人たちが高輪教会の婦人会有志の方たちであったということでした。高輪教会は江戸の殉教者とくに原主水ゆかりの教会だったということもあるのでしょうが、それにしてもよくぞここまで作りあげられたことに驚嘆しております。

有馬晴信というキリシタン大名はどういう人物だったのか、もうすこし調べてみたくなりましたが、なかなか人柄と信仰を偲ばせるものが残っていないのが残念です。

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2012年05月02日

「増上慢」と「卑下慢」そして「我慢」

「ゾウジョウマン」と「ヒゲマン」という言葉を聞きました。ちょっと面白い言葉だったので調べてみました。
「マン」は英語の『人』だとばかり思っていたのですが、違いました。「慢」という字です。あの「高慢ちき」の「慢」でした。

もともとは仏教用語です。ここにはこんな風に説明がありました。

仏教で説く煩悩の最大の根元とは三毒という名を持つ『貪瞋痴(とんじんち)』貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)です。この煩悩を詳しく示せば、貪瞋痴慢疑悪見です。1.貪(とん)2.瞋(じん)3.痴(ち)4.慢(まん)5.疑(ぎ)6.悪見(あくけん)とは1,(むさぼり)2.(いかり)3.(おろかさ)4.(のぼせ・おもいあがり)5.(うたがい)6.(あやまった見方)です。
この、4番目の「慢」をさらに分類すると
 1.高慢(自分の方が上だと思う)
 2.過慢(同上とほぼ同義)
 3.慢過慢(相手が上であっても同等だと思う)
 4.我慢(自分の考えは正しいという思いあがり)
 5.増上慢(悟った、極意を得たという思い上がり)
 6.卑下慢(劣等感に落ち込む)
 7.邪慢(自分には徳があると思いこむ)  
の七種です。


 この説によれば、「我慢」というのは「おごりたかぶること・自分を偉いと思い他人をばかにする」という意味がありますから、我慢しているというのは自分の思いを素直に表現できずに自分の心を偽っていることになり、イライラや怒りを溜め膨らませる要因になるということなのですね。
 「卑下慢」というのも「慢」つまり「おもいあがり」というのも興味深いところです。つまり「慢」というのはありのままの自分を認めようとしないことなのでしょう。
 この「慢」の反対になる言葉はなんでしょうか? 「謙遜」の「謙」の字か、「遜」の字でしょうか? ところで「遜」という字は何て読むのかな。「へりくだる」でしょうか。「へりくだる」で漢字変換すると」「謙る」も「遜る」もでてきます。

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2012年04月30日

天正遣欧少年使節の歌の「吃驚仰天」

友人がこんな歌を見つけて紹介してくれました。吃驚仰天です。
中高生はこれをどのくらい知っているのかな?



ザビエルや高山右近やペトロ岐部、金鍔次兵衛の歌もないかな?

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2012年04月29日

富士霊園のサクラはそれはそれはみごとでした

4月21日に富士霊園に母の納骨のために行ってきました。
サクラが満開でそれはそれはみごとでした。
正面の丘の展望台に登るとそのみごとさを堪能できます。この映像は展望台にて撮影して、その後階段を下りながら撮影したものです。


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2012年04月28日

清泉のソフトボールグランドを見下ろすカリンの木

 今日4月28日、大船の清泉女学院中学高等学校の文化祭に行ってきました。私は毎年ここの文化祭には行っています。去年もその前の年も車いすで母と一緒だったのですが、今年はひとりでした。
 一番の目的はソフトボール部の招待試合を見に行くことです。今年は湘南白百合学園が相手校でした。私はソフトボール部顧問だった時代にこことは20度くらい試合をしてきましたが、勝ったのはわずか3度しかない強敵です。それが今日の試合では12対2で圧勝したのです。投手力、攻撃力、守備力すべてにおいて清泉の方が勝っていました。私の知る限り、最強のチームと言うことができるでしょう。とにかくすごかったのです。久しぶりに県大会にも出場するそうです。
 清泉にいくもう一つの目的があります。それは私が退職する時にひそかに植樹したカリンの木とカラタネオガタマの木が無事に育っているかを確かめに行くことです。誰にもことわらずに密かに植えたので心配なのです。ソフトボールグランドを見下ろすところと裏門から学校に入るところに1本ずつ計4本を植えました。
 それが悲しいことに、ソフトボールグランドを見下ろすところに植えたカリンの木以外はもうありませんでした。裏門から入るところに植えた2本は跡形なくきれいに刈り込まれていました。それがカリンやカラタネオガタマというとてもいい香りを発する木だということを知らずに切ってしまったものと思われます。残念でした。
 最後に残されたカリンの木はすくすくと育っていました。このぶんだと花をつけ実もつけるだろうと思います。そのときにそれがカリンの実でとても良い香りのする木だということを誰か気がついてくれるでしょうか?

 今年の高3は、私が顧問をした時に中1だった学年です。彼女たちが卒業すると私の知らない部員たちになります。その時は部員たちも少なかったのですが、今では中学高校あわせて紅白戦ができるくらいの部員がいます。とても頼もしい限りです。また来年も来ようと思いました。

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2012年04月26日

真鶴教会「春のチャリティコンサート」に行きました

4月22日に真鶴教会のチャリティコンサートに行きました。
3月以来、湯河原で月1回行っている「湯河原よきおとずれCLC」の集まりに出席するときに真鶴教会のミサに出ることにしたので、このチャリティコンサートで訪問するのは3回目です。

ここの教会は湯河原教会の巡回で月2回日曜日にミサがあります。この4月にそれまで小田原教会の主任だった岡村神父さんから高野神父さんに異動がありました。
日曜日には15人くらいの信者さんたちがミサに参加しているこじんまりした教会です。でもそこがいいんですね。



その小さな教会が「春のチャリティコンサート」を開いたんです。教会の聖堂に超満員のお客さんが来ました。といっても100人くらいです。

今回のコンサートの出演者は、ハープの瀬川真未さんとフルートの yumi さん。行きのあったステキなコンビで、とてもアットホームな雰囲気のコンサートでした。
グノーの「ヴェマリア」やマスネの「タイスの瞑想曲」滝廉太郎の「花」ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」などの小曲の他にニーノロータの「ソナタ」が演奏されました。ニーノロータって「ロミオとジュリエット」や「ゴッドファーザー」などの映画音楽の人なんだけれど、ハーブとフルートのためのソナタも作曲していたんですって。

このチャリティコンサートでは参加費は無料でしたが、東日本大震災復興支援のための献金箱が設けられていました。そしてコンサートの終わりにはなんと演奏者のお二人が献金箱をもって呼びかけておられたことにもビックリでした。

ともかくもこの小さな教会のメンバーが総出で行っているということが感じられてとてもうれしくなりました。この教会の希望と未来がわたしたちを力づけてくれたそんな印象でした。

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2012年04月25日

ポプラの木でできた俎(まないた)の不思議

3月に釜石に行ったときの帰り、遠野道の駅「風の丘」によったときに、ポプラの俎(まないた)があったので思わず大枚1900円で買ってしまいました。



このまないたの木目を見ているととてもふしぎな感じがしたからです。
木目の部分がなぜか立体的に見えるのに、手で触ってみるとまったく平らなのです。
ポプラの木は幹を切ると、こういう木目なのでしょうか。

この俎の製造者は遠野市の菊地光典様と書かれていました。
とても不思議な感じのする俎を作っていただいてありがとうございます。

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2012年04月15日

ベルリンの壁の前で弾いたマエストロ

「カトリック生活」2月号の「カトリック・サプリ」に竹内節子さんがこんな話しも紹介していた。

 1989年の11月の初め、長い間難攻不落かに見えていたベルリンの壁が崩れた。東西の長い冷戦に雪解けが訪れ、分断されていた人たちが互いに『あちら側』に殺到したのだ。パリでそのニュースを知らされたチェロの巨匠ロストロポーヴィチは、居ても立ってもいられなくなって、その二日後に現場に駆け付けた。パトロンでもあった会社経営者に電話して自家用ジェット機を飛ばしてもらったのだ。
 ロストロポーヴィチは、反体制作家のソルジェニーツィンを支援したことでソ連国籍を剥奪されて15年間も国外追放されていた。その間も「自由」のためにあらゆる方法でアピールを続けていた。ベルリンの壁の崩壊は、二つに裂かれていた自分の心が一つになることだったのだ。
 そのときに彼の心に浮かんだのは、チェロをもって倒れた壁の前に行き、神に感謝の祈りを捧げたいということだ。誰かのために演奏するというのではなかった。
 演奏するのはバッハの無伴奏チェロ組曲、バッハの音楽は彼にとって神につながる「言葉」だったからだ。男二人とチェロ1台は、飛行機から降りてタクシーに乗り、壁のチェックポイントを立て、すでに若くない巨匠は、すぐにバッハを弾き出した。
 私たちはこのときの様子も今、ウェブ上で見ることができる。彼のすぐそばに小さな人垣ができたものの、後ろの壁に何かを書き続けている人もいれば、すぐそばを通り過ぎていく人もいる。おおぜいの人がてんでバラバラに自由と平和の訪れに歓喜し、興奮しているのだ。ワシントンの通勤時間と違って、そこにあるのは非日常であり、歓喜の昂揚だった。
 雑踏の路上の演奏は、音響や完成度の点ではそれなりのものでしかなかった。けれども彼が誰だか知らないでまわりにいた人たちと彼は確かに何かを分かち合っていた。一人の若者が、サラバンドを聞いて泣いていた。


この映像を YouTube で見つけた。



これを見て何を感じ、何を考えたであろうか?
竹下さんはこんなふうに述べていた。

 聞こえていても聞いていない、きいていてもわからない、わかっても共感しない、そんなことはたくさんある。「耳をすまして分かち合う」というのは、意志によって起こすアクションだ。耳をすまして分かち合おうと一度決意すれば、わたしたちは静寂を聞くこともできる。
………………………………
 口を閉ざして傾聴することは、豊かな静寂の大洋の中深く潜り込むことでもあるし、静寂が自分の中に満ちてくるままにすることでもある。そうすることでしか聞こえてこない聖霊の声があるのだ。
 「傾聴」とは、祈りのひとつのかたちにほかならない。


この最後の分が気に入っている。祈りに対する神の応えは「傾聴」しなければ聞こえてこない。だから聖堂で祈ることや黙想会で祈ることが必要なのであろう。

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2012年04月12日

ワシントンのメトロで弾いたマエストロ

「カトリック生活」2月号の竹下節子著「カトリック・サプリ」に紹介されていました。
私はこの竹下さんの文章がとても好きです。



2007年の1月にワシントン・ポスト紙が企画したちょっとした実験。
金曜日朝の7辞51分、メトロの駅の構内で野球帽をかぶり、長袖のTシャツを着た男が、キオスクの近くでバイオリン・ケースから楽器を取りだして弾きはじめた。ケースには小銭が入れてある。物乞いのミュージッシャンのようだ。
通勤のために足早に通りかかるひとは彼に目を止めないし、音色も聞こえていない。45分間で1000人以上の人が通過した。全部で7人が少しの間だけ男を遠巻きにして耳を傾けた。たったひとりだけがかれの演奏を聴いたことがある、すばらしかったと話した。
男は名演奏家のジョシュア・ベル、2日前にボストンのシンフォニーホールを満席にしたばかりで、楽器は1710年のストラディバリウスだった。駅で弾いたのはバッハのジャコンヌやシューベルトのアヴェ・マリアだ。


竹下さんは続けてこう述べている。

通り過ぎた1000人以上の人の中には、音楽好きの人もいたはずだ。かれらの耳に少しでも音楽が届いていたら、、決して無反応ではいられなかったろう。残念ながら、かれらの耳には何も聞こえていなかったのだ。いや、誰の耳にも聞こえていなかった。高い料金を払って何ヶ月も前から予約して、おしゃれをしてワクワクしながら会場に行き、舞台でライトを当てられたマエストロの弓が振り上げられるのを見れば、誰でもおおいに感激しただろうに。


この「カトリック・サプリ」のテーマは「私たちは何を傾聴するのか」であった。
彼女はその分の最後を「『傾聴』とは、祈りの一つの形にほかならない」と結んでいる。
神さまの呼びかけも一生懸命に聞こうとしないとその美しさは分からないというのであろう。
この話は「いのり」と「聴く」というテーマの入門講座や授業で使えそうである。

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2012年04月11日

虹はなんで虫ヘンなのか?

東洋鍼灸専門学校での授業の時、いつもの「あ、虹だ、虹が出ている」というGood News の話をして、「ところで虹ってなぜ虫ヘンなのか?」ときいたら、さすがに東洋医学を学んでいる学生です。
「昔中国では動くものはみんな「ムシ」と呼んでいたのだそうです。人間も『ハダカムシ』と呼ばれていたんですよ。虹は空を上るにじいろの龍と考えていたのですね。」と答えてくれた学生がいました。
帰ってきて、さっそく「ハダカムシ」で調べてみたら、「1 羽や毛のない虫。また、特に、人間のこと。」とありました。
それで感動してしまいました。すごい!

ところで、虫ヘンの漢字読めますか?

蜥蜴  蚯蚓  蝙蝠   牡蠣  浅蜊  栄螺  蜆   蛤    蛞蝓
とかげ みみず こうもり かき  あさり さざえ しじみ はまぐり なめくじ

蛙   蠍   蜘蛛   蛸   蝮   蝦   蛆   蛭    蝸牛
かえる さそり くも   たこ  まむし えび  うじ  ひる   かたつむり

答えは漢字の下をドラグしてみてください。白色で答えのふりがなが書かれているのでドラグすると答えが出てきます。

昆虫でないのに虫偏という漢字は結構ありますね。

また疑問にぶつかった。
「風」や「嵐」はなぜ虫なのでしょうか? ほんとに不思議ですね。これも何かいわれがありそうです。風は虱(しらみ)の仲間なのかも。

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2012年04月10日

「いわお179号(イースター号)」発行しました

カトリック鶴見教会の教会誌「いわお」のイースター号を発行しました。
これは私も加わった編集委員会が編集していて、年3回(クリスマス、イースター、聖母被昇天)に発行されます。
今回は、鶴見教会の年間テーマ「私たちの教会」というテーマのもとに原稿を募集して、B5判縦書き16ページに出来上がりました。いつもに加えるとちょっとうすい感じですが、今回は表紙をカラー印刷にしたためにすこし見栄えがよくなりました。その分内容が薄くなってしまったのが悔やまれます。



全部をカラー印刷ではなく、表紙の1と4をネット上で印刷を依頼できる印刷屋に外注し、表紙の裏(2と3)と本文は教会の印刷機で印刷しました。300部つくって6700円ほどかかりましたが、みんな喜んでもらえたのでよかったと思っています。

この「いわお」は次の3つを編集指針として発行しています。
1.教会員相互の交わりを深める
2.教会員の信仰の成長のためになる
3.教会の行事や教会学校などの活動の記録となる

この教会報は実は私が青年会時代に発行を開始したものです。いまから40年以上前のことです。
あの頃は月刊でした。100号くらいまで私が編集にたずさわってきました。「いわお」という名前をつけたのも私でした。
時代の流れの影響を受けていろいろとありました。
今こういう形で編集を継続できていることに特別な感慨を抱きながら、毎回発行しています。
次回発行は夏の聖母被昇天のころです。

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2012年04月07日

秦恒平「親指のマリア」に見るシドッチと新井白石

 最後の潜入宣教師シドッチが所持していた聖母画像「親指のマリア」と「大世界地図」をシンボルに、『西洋紀聞』の背後の闇に光を当てる、著者渾身の長編小説。


 こう解説のある秦恒平著「親指のマリア」(筑摩書房 1990年)を大学図書館で借りて読みました。借りたときから読み終わるまで半年をかけてしまったなかなか読み応えのある本でとても面白かったです。

 この本は次のような構成になっています。
 聖母の章(ヨワン1)ここではシドッチがなぜ迫害うち続く日本に行くことを決意したかといういきさつが書かれています。
 潜入の章(勘解由1)種子島でつかまって、江戸に護送され、キリシタン屋敷で新井勘解由(白石の別名)と出会うところまでが書かれています。
 審問の章(ヨワンU)勘解由との応酬について、書かれています。でもここは世界情勢についての話しが中心。
 福音の章(勘解由Uここでは勘解由とのキリスト教についての説明が始まります。
 洗礼の章(ヨワンV)シドッチの世話をした長助とはるという「兄妹」が牢にいたシドッチから洗礼を受けるまでを書いています。
 殉教の章(勘解由V)長助とはるの洗礼を知った勘解由とシドッチの対面、そしてシドッチが土牢に閉じ込められて死に至り、剥製は「西洋事情」を書き出す。

 やはりこの著のハイライトはシドッチと白石との対話の内容にあると言えましょう。最初は世界情勢や西洋の話を聞き出していたのですが、ついにはキリスト教について説明をはじめます。
 ここを書ききるのは、キリスト教の歴史と聖書に対する深い知識が必要になります。著者は別にクリスチャンではないようですが、驚くほど正確にキリスト教の理解を表現しています。

 私が特に気に入ったのは次のような箇所でした。
 シドッチは、ローマ帝国の賢帝アルクス・アウレリウスの「自省録」を愛読していた。
 そして15世紀カトリック教会の枢機卿で教皇代理を務めたことのあるニコラウス・クザーヌスを尊敬していた。

 
人は−とクザーヌスはといていた。自分の知識を絶対のものと思い込むときとかく他人の立場が理解できず、独善に陥る。そして平気で他人の振る舞いを責め立て断罪し、聖戦という勝手な名分で他人への過酷な攻撃に走る。真のカトリック教徒は、だが、キリスト教の愛にならって他の宗教の人びとを宗教上の立場が違うという理由で迫害も侮辱もしてはならない。異なる習慣や伝統に生きている民族や国家を寛容にキリストの愛へ誘わねばならない。と。
 ローマ教会にしたがう誰もがカトリックのために異端者・異教徒を殺戮し、掃滅する神への奉仕と考えていた時代に、クザーヌスは一人そう唱えていた。「戦争とはこれほど不幸なことか」というつぶやきを、58歳最期の反省として戦陣に死んだマルクス・アウレリウス帝は異教のローマ皇帝の人間像と「健康なカトリック」を心から望んだクザーヌスの御主への愛とは彼シドッチの思いの底でいつとはなく豊かに一つの重ねられていた。


  ルカ伝とマタイ伝とを読んでいたときに、かれの二人の弟子ーヨセフ長助とマリアはるがーもっとも感動したのは、こういう点だった。
 イエズスが、神の子として世に現れるために、またダビデの家系に名を連ねるために、大きな二つの承諾、深い信仰からの承諾が必要だった。
 一つは、マリアが、神と聖霊とにより処女の身でみ子を孕したと天使に告げられた際に「み心のままになりますように」と受け入れていた。
 今ひとつは、神に愛されたアブラハムの子孫、ダビデの子孫のヨゼフが、すでに身籠もった処女マリアを、神の望まれるままに妻として受け入れていた。キリスト教の成るこの二つの承諾はかけがえのない信仰の証しだった。


 この書のタイトルになった「親指のマリア」の絵について、前にも書いたことがある。カルロ・ドルチェの描いたマリアには「悲しみの聖母(マリア)」と「親指のマリア」という二つのよく似た絵が存在する。
 一つは、青いマントから手を出して組んでいる「悲しみの聖母」像で日本には国立西洋美術館の常設展にある。



 もう一つはシドッチが持ってきた「親指のマリア」像で、マントから親指をちょこんと出しているマリアである。こちらは国立博物館にあるが、常設ではないので、なかなか見る機会がないとのことである。この絵にシドッチがどれだけ慰められたことか………。

こちらにもどうぞ




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2012年04月04日

「それ、TBSがやります」をハッタリにしてはならない。

それ、TBSがやります.
みなさんが望む「それ、」を「ユメ」で終らせない。そんなテレビ局をめざしてゆきます。
ずっと観たいと思っていた「それ、」。
どうしても知りたかった「それ、」。
想像するだけでワクワクしてくる「それ、」。
心から感動できる「それ、」。
視聴者のみなさんが望む「それ、」を「ユメ」で終わらせたくないから。
めざすは、そうそう「それ、」をまってたんだ!と、うなずいてもらえる、
かゆいところにサッと手が届くようなモノ創り。
「それ、」TBSがやります。


3月31日の朝日と毎日の朝刊にこんな全面広告があった。
こういうのを「潜在的ニーズに応える」というのかな。
TBS はほんとうに「それ、」を分かっているのか?
そして分かっていたとしても本当に「それ。」に応えられるのか?
先ずはお手並み拝見と行きたいところだが、「誇大広告」にならないことを願っている。
よい「広告」であればあるほど、それが商品からかけ離れて「誇大広告」になってしまうという広告の宿命から、解放されるのかどうか?

こちらにも Good News がいっぱい



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「60歳のラブレター」落選作品

三井住友信託銀行が主催する「60歳のラブレター」に密かに応募していました。
が、先日「落選」の通知が来ました。
私としてはかなりの自信作だったのですが、やはりダメでした。



これには前にも応募したこともあったのですが、やはりだめでした。
そのときは「夫から妻にあてたラブレター」でしたが、今回は「91歳の母から65歳の子へ」という設定です。
いかがでしょうか? やはりこれじゃダメかな?
でも、これに懲りずまたチャレンジしてみます。

こちらにもあります
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