2012年01月22日

Interactive Connection 2012 に出発します。

今日22日午後7時の飛行機でアメリカに行きます。フロリダ州オーランドで1/22〜26日に開かれる Interactive Connection 2012 という集会に出てきます。Interactive Connection とは「双方向の交わり」とでも訳したらいいでしょうか。
今回のテーマは前にもお知らせしたとおり、"Incarnating Gospel into the Digital World" です。私の関心にぴったりのテーマです。
この集まりのなかでどんな Learning Session があるか、ちょっと紹介しましょう。スミマセン。英語で。

Technology at the Service of Catechesis
Zingers! 7 Free Resources to Catch Your Students Attention
Mobile Technologies In Your Ministry and Church
Teaching Social Justice Interactively Using the Internet

Putting the TECH into CaTECHesis
21st Century Catechists: Sharing the Faith in a Digital World
What Makes a Great Church Website
Discovering Who Your Organization is Online

Digital Storytelling and Marketing Techniques
Parish Websites: Tools of Evangelization
The Parish – A Social Network
Technology in Catechesis: What’s Going On?


4つのセッションが併行して同時に行われます。ということは4つのうちの一つを選ばなければなりません。どれに出席するか、悩んでいます。
向こうに行って余裕があれば、レポートすることにしましょう。

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2012年01月20日

日経元旦トップ「C世代駆ける」

 元旦の新聞はとてもお得な買い物だといつも思う。広告もいっぱいあるけれどその広告にも見るべきものがたくさんあるし、各社が記者の総力をあげてよみがいのあるメッセージや記事や特集で満載だからである。
 ふだんあまり日経は読まないのだが、それだけに日経の正月版もなかなか読み甲斐がある。
 今回は1面トップ記事となっていた「C世代駆ける」という特集シリーズ記事の第一回目が目に入った。
 見出しである。

 
開かれる知 つながる力
 動き出す「チーム・グローバル」
 社会の課題次々と挑戦




 記事の内容は、電気自動車のテスラ・モーターズの工場の取材から始まる。そして「電気のないアフリカの村に安全で便利な暮らしを届けるために、太陽電池で動くランプ兼懐中電灯をつくれないか」というような問いを出して世界中からアイディアを集め、それを製品化しようとする動きを紹介する。

「仮設住宅にふれあいの場がほしい」という呼びかけに応じて、実際に南三陸町の仮説建設プランとして採用されたのは、アメリカのハーバード大学やMITの学生たちのプランだった。プロもアマも日本も外国もない。復興の最前線で「チーム・グローバル」が20年後の街の姿に目をこらす。
 共鳴する世界は国を超え、若い世代を巻き込む。同じ価値観や使命感を抱く人びとが自由につながる.押しつけでない分、秘めるパワーは大きい。新世代が次代のルールで動く。古い秩序って窮屈じゃないですか。

 コンピューター(Computer)を傍らに育ち、
 ネット上で知人とつながり(Connected)
 コミュニティ(Community)を重視する。
 変化(Change)をいとわず、
 自分流を編み出す(Create)
 ジェネレーションC、未来を駆ける


 この記事を読んで、私もまぎれもなく「ジェネレーションC」であると思った。

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2012年01月19日

Virtual Choir(バーチャル聖歌隊)を見つけました

1月23日から26日までの Interactive Connection 2012 に参加するので、アメリカのカトリックSNS の Digital Catechesis をみていたら、Virtual Choir(バーチャル聖歌隊)なるものが YouTube 上にあることが紹介されていたので、さっそく見てみた。



 12カ国から135人が参加して243トラックを使用して作られたという。指揮者兼コンポーザーは、Eric Whitacre なるかたである。
 こういうものができることを想像するのは簡単だが、実際にするとなると大変であろう。
こういうことの可能性を探るのも今回の参加の目的である。

 ちなみに今回のIC2012 のテーマは Incarnating the Gospel in the Digital World! である。日本語にすると「ディジタル世界に福音を受肉する」というようになる。 Incarnation というとキリスト教用語では「託身」とか「受肉」とか訳し「神が人となってこの世界に生まれる」ということを意味する言葉である。

 さてどんな出会いと発見が待っているか、ワクワクしながら22日に成田を発つ。

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2012年01月18日

「みずくさい」という言葉の関西と関東

先日、関東と関西の文化の比較の話しをしていたら、関西出身で今はこちらで生活している神父さんがこんな話しをしてくれました。

「みずくさい」という言葉があるけれど、関西では「味が薄い」とか「だしがきいていない」とか「みずっぽい」とかいう意味で使われる言葉なのだけれど、関東では「他人行儀だ」とか「よそよそしい」とかいう意味で使われているんだね。関西では「他人行儀」とかの意味ではほとんど使われないし、関東では「味が薄い」という意味ではほとんど使わないよね。


すかさず、わたしがこう付け加えました。

 なるほどね。関東風の意味だと「おれとおまえはもっと関わりの濃い関係だったのではないか、そんな関係じゃなかったはずだ」というような言い方となり、関わりの薄さを嘆くという意味ではやはり「みずくさい」ということになるんだ。
 これは「大発見」のブログものだな。


というわけで、このブログに登場しました。
この「関西と関東」という文化の違いに関するテーマは、いつもなかなか盛り上がります。とくに両方の人がいるとよけい盛り上がります。
このときは、他に「うどんとそば」「なっとうととうふ」「かきごおりのよびかた」「アイスコーヒーとレイコー」などの話が出ました。

関西では「きつね」はうどん、「たぬき」はそばなのに、関東ではそば屋のメニューに「きつね」のしたに「そば・うどん」とかかれ、たぬきの下に「そば・うどん」と書かれてどちらの組み合わせもありなんですね。きつねそば、たぬきうどんは関西にはなかったのです。


という話なのですが、関西のかたいかがでしょうか? 今でもそうですか?

こちらにもあります


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2012年01月17日

与えるとき人は「絆」の中に立つ

 私は曽野綾子という作家は保守的すぎてどうも好きになれないのだが、正月の産経新聞の記事に書かれたことには、大いに賛同する。彼女もなかなかいいことを言うと思うようになったのは、私も年取って考え方が保守的になったということかもしれないが………。
 その記事は、昨年大震災を機に「絆(きずな)」という言葉がもてはやされるようになった状況に苦言を呈している記事である。抜粋してみよう。

 (むかしは)あらためて絆などと言わなくても、生きると言うことは濃厚な絆のただ中にいることだった。地震や津波を体験したから、その大切さに気づいたというのでは遅すぎる。
 絆の第一歩は、年老いた親や親戚縁者や友人を、災害の時には引き受けるということだろう。そもそも絆の基本は、親と同居することだ。自分にとって頼りがいのある人との関係を持つことが絆というのだと考える人がいるとしたら、それは功利以外の何ものでもない。
 ………………………………
 人間にとって故郷とその絆は、懐かしくもあり、うっとうしくもあり、悲しくもあり、胸うずくものでもある。日本人だけではない。どの民族も同じような矛盾を感じている。絆はなくなってみると悲しく、結ばれている間は辛いときがある。その双方の思いを受け入れるのが絆なのだが、最近の絆への思いは「ご都合主義」の匂いがしないでもない。
 絆はそれによって得をするものではない。相手のすべての属性を受け入れるということである。
 ………………………………
 絆は、むしろ苦しむ相手を励まし、労働によって相手を助け、親切に語り、当然金銭的な援助さえするものである。受けるだけの関係など絆ではない。むしろ本当の絆の姿は、与えることなのである。自分が与える側に廻ることを覚悟するとき、人は初めて絆の中に立つ。
 ほんものの絆は、相手のために傷つき、血を流し、時には相手のために死ぬことだと私は習った。………………絆は自分の利益のために求めるものではない。むしろ自分の安全や利益などを捨てたときに、人間は絆の深さを示して輝くのである。
 私たちはいつのまにか、ごく普通にコンピューターの画面の中だけで世界や人間を知ったつもりになっていたが、これからは生身の人びとのまっただ中に自分を置き、そこから学ぶという姿勢を知るべきなのだ。それは多くの場合、決してきれいごとでは済まない。摩擦、対立、相克、忌避、誤解、裏切り、などあらゆる魂の暗黒を見せつけられるが、その苦悩の結果として、深い連帯感という幸福の配当も受けるものである。
 私にとっては、物心ついてから今まで、濃厚な対人関係こそすべての歓びと苦悩の種だった。私の廻りは常に絆だらけで、私はそれが。良くも悪くもある人生そのものだと考えて生きてきた。テレビの画面でヴァーチャル(現実に対して架空)な、従って薄っぺらな人生だけしか見てこなかった人たちの意識を、悲惨な地震と津波が濃密な現世に引き戻したとしたら、それは我々の人間性復活のための大きな贈り物と考えたい。


 引用が長くなったが、こういう論調である。いかにも産経や読売好みの保守的な論調であるが、でも「絆は与える側に廻ることを覚悟するとき、人は初めて絆の中に立つ」ということは真理だと思う。
 前に曽野綾子を引用したら、厳しいコメントを寄せたかれが再び厳しいコメントを書き込むかもしれないが…………………。

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2012年01月15日

今求められるジョブズのような「ビジョナリー」

2012年1月4日の朝日新聞に「指導者交代の年 国際社会の構想を競え」という社説が掲載されていた。
今年はアメリカ、ロシア、中国、韓国などかなりの国で指導者の交代があるかもしれない年である。その新しい指導者に求められる資質として、こんなことが書かれていた。



 世界が必要としているのは、沸騰する国民感情に迎合する甘言ではない。歴史の転機にふさわしい共存の論理であるはずだ。
 ………
 新しい秩序は、力だけでは生まれない。あるべき世界の姿を描く論理が不可欠なことを歴史は示している。
 昨年亡くなったアップルの創始者スティーブ・ジョブズは「ビジョナリー」と呼ばれた。
 未来を予見し、構築する人という意味である。魅力的なアイディアを新しい商品に具現化し、人びとの心をつかんだ。
 領域は違うが、世界の指導者に求められるのも、同じ資質ではないだろうか。
 地球上のどこに住もうとも、人びとが求めるものがある。
 人間らしい最低限の生活、言論の自由、人種や宗教で差別されないこと、戦争や暴力で命を奪われないこと。
 どの国の人びとも、自分たちの力だけではそういう目標が達成されないこと、世界の運命が分かちがたく結びついていることを知っている。
 人びとのこうした願いをたばねて、新しい国際社会の構想を示す必要がある。
………
 欠けているのは、こうした目標に向かって進むべきことを、魅力的な言葉とわかりやすい論理で説明し、国民を説得する指導者の力なのである。
 それが政治で求められるビジョナリーではないか。
 今年、世界の選挙や指導者の交代で、そういう構想を競い合ってほしい。


この「ビジョナリー」という言葉を初めて知った。ネットで調べてみるとこんな説明に出会った。

 ビジネス分野におけるビジョナリーとは、先進的・独創的なビジョンを現実化し、社会に大きな影響(貢献)をした経営者のことである。つまり、現存する市場や商品、サービス、技術を駆使して経営するのみでなく、新たな市場や商品、サービス、技術といったものを模索〜具現化することで成功し、更にそれが社会的にも影響力を与え、尊敬される経営者である。


 こういう企業をビジョナリーカンパニーとも言われている。スティーブ・ジョブズはまさにこういう人物であった。
 私もこういう人物にはずっとあこがれてきた。そして私自身がそうなりたいと思ってきたわけであるが、これがなかなか。

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2012年01月12日

「退室前の魔法の言葉」が通じるのは病院だけではない

1月11日の毎日新聞の記事にもう一つの「魔法の言葉」を紹介していた。「診察室のワルツ−16−」というシリーズの医療コミュニケーション研究者の岡本佐和子さんの記事である。

今回は、新年からでもすぐにでも病院で試していただきたい「魔法の言葉」を紹介したいと思います。掃除や事務の担当者から病院長まで、病院の誰でもが病室での用事が終わって退室するとき「他に私ができることはありますか?」と、患者に声をかけてみてください。
「メガネが遠くて手が届かないけれど、そんなことでナースコールはできない」「布団の裾を直してほしい」「点滴の針がちょっと痛い」小さなことですが、言わないで我慢する患者には、大きなストレスになります。フラストレーションがたまると、攻撃的な言動にもつながります。
 ………
治療とは別に、医療者からのあいさつや日常的な声かけは、病気と、それに抱えた生活に大きな不安をもつ患者には、このうえない助けや安心につながります。医療者に話しかけにくいと感じている患者に「話すこと」を期待するより、医療者から「何かお手伝いできますか?」と言葉をかけることで患者も話しやすくなります。
 米国のある病院では、医師や看護師をはじめ、職員全体が「他に何か今できることは?」と退室前に声をかけるようになってから、患者の転落・転倒やナースコールの数が激減したと言います。また、職員から声をかけるようになって、患者が気持ちをため込むことが少なくなったようで、感情むきだしの苦情も減ったそうです。


 なるほど「他に私が今できることはありますか?」が病室の「魔法の言葉」なのですね。とても納得します。こういわれると、確かにちょっと頼みにくいことも気軽に頼みやすくなります。これってとても大切なことなのですね。遠慮してなにもいわないことで、ストレスをためたり、知らず知らずのうちにいらだちを強めたり、何もしてくれないという気持ちを募らせたりしやすいものです。

 ところで、これって、病院以外で、たとえば教育現場でも、けっこうつかえる「魔法の言葉」なんだと思います。何か困っていそうな状態にある人、問題を抱えている人、自分に重荷となっていることを抱えている人にとって、とくにとても頼みにくいような場合には、この言葉はやはり「魔法の言葉」でしょう。
 日本語で「何かしてほしいことがありますか?」「何かしてもらいたいことがありますか?」こういう表現だとちょっと恩着せがましくなったり「上から目線」になってしまうけれど「何か私にできることがありますか?」というと同じ目線にあります。
 そういえば、英語ではこういう表現はよく使いますね。
 What can I be of assistance to you?
What can I do for you now?

この魔法の言葉、これからもちょっと意識していろいろな場で使ってみようと思います。

こちらにもあります

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2012年01月11日

「え〜!?」です、これは。大発見、もうひとつの「世界一間違えやすい計算」

毎日新聞の今日(1月11日)の「水説」(潮田道夫氏担当:この人の「水説」はいつも楽しみにして読んでいる)にこんなことが紹介されていた。
ともかく、これはすごい! 正月一の発見である。カーネマンさん、そして潮田さん、ありがとう。

「バットとボールがある。あわせて1ドル10セント。バットはボールよりも1ドル高い。ボールはいくらでしょう?」

実際に考えてほしい。さあ、答えはいくらだろう?






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2012年01月10日

あなたがたの神を拝ませてください

イエズス会十二所日本殉教者修道院の Facebook にこんな話が載っていました。

―あなたがたの神様を拝ませてください―ご公現の日によせて

イエスの誕生を訪ねて遠い国から旅をしてきた3人の博士は、もちろんユダヤ教ではありませんでした。旧約聖書でいうならば、「異教の神」を拝む人々です。昨夏、被災地で聞いた本当の話をわかち合います。

大船渡の津波の被害は、それは大変なものでした。しかし、震災翌日から、続々と日本だけでなく海外からも重装備の救援部隊が駆け付けてきたのだそうです。

カトリック大船渡教会のある信徒は、朝、そんな部隊を運んできた大型バスに遭遇しました。すでに隊員は働きに出かけていて運転手さん一人だったのですが、少し話してわかったことは、彼らにはカップめんがひとりひとつだけしか残っていない、という厳しい食糧事情でした。彼女は急いで自宅に戻ると、あるだけのお米を炊いて、おにぎりを作り、それをバスまで持って行きました。

夕方になって、ひとりの重装備の大男の兵隊さんが大船渡教会を訪れました。
彼は、朝のバスの部隊の隊長さんだったのだそうです。
そして、神父様に今日の差し入れのお礼を言ってから、こう言ったのだそうです。

「あなたがたの神様を拝ませてください」

彼は重装備だったため、聖堂の中には入らず(大船渡教会は畳敷きのこじんまりとした聖堂です)、聖堂の入口で手を合わせると、ぶるぶると肩を震わせすすり泣き始めました…
いかつい、大男が、(彼にとっては)異教の神の前で。
…朝から過酷な任務を通して彼が何を見て、なにを感じたのか、知る由はありません。
彼はしばらく祈ってから、帰っていきました。

その部隊は、台湾から来た人たちのようだった、ということでした。


これはすぐに英文に訳されました。

"Please let me worship your God"-- In remembrance of Epiphany

The three magi who traveled from the East to witness the birth of Jesus were surely not Jews. In the terms of the Old Testament, they were the people who worshipped pagan gods.
Let me share with you the true story that I heard when I visited the tsunami stricken area last summer.

The damage caused by the tsunami in Ofunato was beyond description. However, starting from the day after the disaster, heavily-equipped relief forces kept coming in to the area, not only from within Japan, but also from overseas.
One morning, a member of Ofunato Catholic Church ran into a bus which was carrying a relief force. The troop had gone to work, and
only the driver was there. As she talked with the driver, she found out that their food supply was running out: they had only one cup
of instant noodles for all of them to share. So she hurried back home, and cooked all the rice she had, prepared rice balls, and
brought them back to the bus.

Later that day, a soldier visited Ofunato Catholic Church. He was the captain of the troop she met that morning.
He thanked the priest for the food, and then he said,

"Please let me worship your God."

Because he was donning heavy equipment, he did not go into the sanctuary (Ofunato church was a small church with tatami-mat floor). He

just stood at the entrance. As he put his hands together, he started sobbing, his shoulders trembling.

A big, stern man, sobbing in front of the pagan god (for him)....

Who would know what this soldier might have seen and felt, as he worked hard all day in such a terrible disaster stricken area.

He prayed for a while, and left.

I heard that the troop was probably from Taiwan.

(Translated by Sachi Nakamura)


1月8日は教会では、3人の博士たちがベトレヘムで誕生したイエスをたずねたことを記念する「ご公現」の日です。教会ではこの日にクリスマスの飾りを片付けます。
「ご公現」というのはこういうことだったのでしょうね。

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2012年01月07日

「ウォール街を占拠せよ!」の仕掛け人インタビュー記事

正月の新聞記事や広告の中から、面白いものを紹介しよう。その第1弾。

 1月1日の朝日新聞の「壊れる民主主義」という特集記事のなかの「カオスの深淵」という記事で、昨年、アメリカのウォール街占拠事件の仕掛け人となったカレ・ラースンという人物のインタビュー記事が載っている。
 この人は、エストニア生まれ、東京で会社経営のあと、カナダへ移住。80年雑誌「アドバスターズ」創刊。この雑誌は商業広告を退治しようと呼びかける隔月月刊誌である。「ノーバイデイ」(今日1日は何も買わないで済ませようという1日)や、「デジタル解毒デイ」(デジタルに魂を抜かれないように今日一日はデジタル製品に触れない日としよう)を呼びかけている。



−占拠参加者たちの求める直接民主主義とは?
 それはウォール街占拠よりも前にスペインの若者がすでにやってきた。どこの国でも若者は政治に幻滅している。かれらは代議制民主主義がどこの国でも失敗したのだから、ぼくらは直接民主主義で行く。リーダーを擁しない。統一目標や綱領も作らない。そのかわり、参加者全員が平等の発言権を有する。時間がかかっても話し合いで物事を決める。

−キャッチコピーの「私たちは99%だ」は誰が考えだしたのですか?
 ニューヨーク在住のある大学教員が考えました。ウォール街占拠の立ち上げに加わった男性です。1%の大金持ちが富を独占していることを鋭くついた言葉で、世界中の人びとが格差感を端的に表現してくれました。社会運動史に残る名作だと思います。



−今後選挙運動はどこへ?
 春になったら、また新しい仕掛けをしていきます。まず「ロビン・フッド税」の実現が目標です。お金を右から左へ動かすだけの投機的な国際取引に対する課税で、それには投機的な取引の総本山である米国を巻き込まないと行けません。押収には賛成するリーダーが多いのですが、かたくなに反対しているのは、米国と英国。


 これも昨年チュニジアに始まった若者の運動と同じように、Facebook を通じて呼びかけられたアメリカの運動である。
 これまでのベトナム反戦運動やアースデイを巡る運動、反核運動などの若者の運動とも異なった、しかしどこか共通点がある運動である。
 この運動が、アメリカの大統領選挙にどういう影響を与えるのか、注目されている。

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このままだと、ずっとこのままかもしれない

このままだと、ずっとこのままかもしれない

電車の車内広告で見つけたコピーです。
さてこのコピーはなんの広告でしょうか?
いつかはしなければならないと思いながらもなかなかできないことです。

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2012年01月03日

スヌーピーの小さな幸せ探し展 Happiness is ......

横浜そごうで「スヌーピーの小さな幸せ探し展 Happiness is SNOOPY」なる展示会を行っていたので、いってみた。けっこう親子連れで賑わっていた。
そこには「 Happiness is ......」という「小さな幸せ」の数々がスヌーピーのイラストと共に紹介されていた。
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案内のチラシにはその趣旨についてこう書かれている。

本展は、チャールズ・M・シュルツさんの世界的ベストセラー「Happiness is a warm puppy」を五感で味わっていただけるように造り上げたものです。ユーモアを含んだ真実の言葉と、生き生きとした絵の組あわせでつくられたカラフルな絵本の森を迷子になりながら探検すると、知らず知らずのうちに、かれらの仲間になっていることに気づかれるでしょう。どうぞ、会場で小さな幸せをたくさん見つけてお持ち帰りください。
      監修:大月ヒロ子(ミュージアム・エデュケーション・プランナー)


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「Happiness is ...... 」つまり「幸せとは…………………」についての答えのいくつかがパネルとして紹介されている。
たとえば
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Happiness is a thumb and blanket.
Happiness is a warm puppy.
Happiness is gathering witrh your friends over a great meal.
Happiness is sailing with your friends.
Happiness is getting a little dress-up.
Happiness is having a favorite song with your loved one.
Happiness is a stack of books.
Happiness is a fuzzy sweater.
Happiness is having someone to watch your favorite TV show with.
Happiness is your first kiss in the rain.
Happiness is an umbrella and a new raincoat.
Happiness is getting together with your friends.


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私はこれを見ながら考えた。
私だったら、どの「幸せ》がもっともステキであるかの参加者の人気投票をする。
「Happiness is .....」についての来場者の答えを書いてもらう。けっこういい定義が生まれるのではないか。できたらイラストも添えられたらいいし、それも来場者の人気投票に加えたらいい。
この展示会の本当の狙いは、ひとりひとりが自分の身の回りに「小さな幸せ」をつくりだしてほしいという願いにあると思うとしたら、ただ見るだけの受け身の参加ではなく、能動的に幸せを見つけ出し、つくりだすところにこそあるのではないか。

ところで、私が「幸福とは…………」を考えるとしたら、次のようなことが思いついた。



幸福とは、助けを求めているひとに助けを与えられて感謝されたとき
幸福とは、決してひとりだけでは味わえないもの
幸福とは、まわりに不幸な人がいるときに、それを共に悲しむこと
幸福とは、冷蔵庫に残っているものだけを使っておいしい料理ができたとき
幸福とは、自分が心配している人の笑顔を見たとき
幸福とは、自分に与えられた喜びをできるだけ多くの人と分かち合えるとき
幸福とは、どうしようもない深みにはまってぬけられなかったときに手を差し伸べて助けられたとき
幸福とは、どうしようもない深みにはまって抜けられなかった人に手を差し伸べて助けられたとき
幸福とは、自分よりもっと恵まれない境遇にあるひとから、励まされたとき
幸福とは、自分の大好きな人から好きですと打ち明けられたとき
幸福とは、自分の嫌いな人から好きですと打ち明けられたとき
幸福とは、笑顔がステキと言われること
幸福とは、悲しむ顔もステキと言われること
幸福とは、自分の軽蔑している人から誉められ感謝されたとき
幸福とは、自分を軽蔑している人から誉められ感謝されたとき
………(まだまだでてきそう)


みなさんも皆さんの「幸福とは………」の答えを探してほしい。きっと幸福で満ち足りた気分をあじわうにちがいない。
これを考えていたら橘曙覧の「独楽吟」を思い出した。

たのしみはまれに魚煮て子ら皆がうましうましといひてくふとき
たのしみはそぞろ読みゆく書(ふみ)の中に我とひとしき人を見しとき
たのしみは心をおかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよるとき
たのしみはとぼしきままに人集め酒飲め物を食へといふとき
たのしみは小豆の飯の冷えたるを茶漬けてふ物になしてくふとき


こちらにもあります




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2012年01月02日

元旦初詣巡礼 教会→総持寺→熊野神社

昨日の元旦は、朝9時頃教会に行き、教会のまわりを清掃して、10時からのミサにあずかりました。ミサの後の教会賀詞交換会に出てから、ひとりで総持寺に初詣に行き、JR鶴見駅で元日の新聞を買い込んでから近くの熊野神社へ巡礼をしました。
これは毎年恒例です。

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総持寺に行って楽しみにしていることは、総持寺白字会発行のちらしをただでもらえることです。昨年もらったものは部屋に張っておいたら、ほとんど毎日のようにいよさんが読んでいました。
今年は「利行」と題するものでした。
なかなかいいメッセージだと思います。私も今年は特に心がけたいと思うようになりました。
それで、初詣にならんで入った仏殿の中には、こんな祈祷項目が貼ってありました。毎年思うのですが、この祈祷項目には「世界平和」がないのですね。せめて「震災復興」というのはあってもいいと思いますが、祈祷料を払ってまでしてそういう祈願をする人がいないということなのでしょうか? そんなはずないと思うけれどな。

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「利行」というなら、祈りも先ず自分のためよりも人のために祈ることが先ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
総持寺の正門入り口のところの看板は、こういうのが出ていました。こちらの方は難しくて意味がよく分からないのですが、解説を書いた紙が用意されていて、それには次のように書かれていました。

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あの困難に際して、各地で他のために敢然ときわめて厳しい状況に立ち向かった人びとが無数に多く現れました。我が身を省みずに他を救わんとして命を落とした方も和限りありません。
残された私たちは多くのことに気づかされ、多くのことを教えられました。ろうそくの芯は自らが燃えて、熱い思いをしながら光を放ちます。このたびの震災で、命がけで他の命を救おうとした方々の行為によって、日本国中の人びとの心がどれだけあかるくてらされたことでしょうか。
表題の言葉は、螢山禅師のお言葉です。お釈迦様の尊い教えが絶えることなく、受け継がれてきたありさまを示されております。………だからこそ、あの震災の危機的状況の中で自分だけが救われることを望まず、先ず他人をお救いしたいという自未得度先度他の仏の行いが実践されたのです。


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2012年01月01日

喪中ですが Happy New Year!

昨年母が帰天したので、今年の正月は喪中で「おめでとう」をいえずにおります。
いつもは900枚出していた年賀状も、今年は出さずに喪中の挨拶状を出しました。
さびしいです。

ですが、このブログではやはり Happy New Year! と叫びたいです。
昨年どんなに不幸な災害があっても、いやだからこそ新しい年をめでたいのです。

そこで、年賀状のかわりにこんな YouTube 動画をお送りしましょう。



なかなかステキな画像と歌です。
ユニセフがつくったと書かれています。
これは英語版ですが、日本語版もありますよ。

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2011年12月23日

オムソーリ(分かち合い)の経済学

「分かち合い」の経済学(神野直彦 岩波新書)という新書本を例の如く横浜市立図書館ネットワークをとおして借りた、
まずこの本の紹介から

 深刻な経済危機が世界を覆っている。不況にあえぐ日本でも失業者が増大し、貧困や格差が広がるばかり。この「危機の時代」を克服するには「痛み」や「幸福」を社会全体でわかちあう、新しい経済システムの構築が急務だ。日本の産業構造や社会保障のあり方を検証し、誰もが人間らしく働き、生活できる社会を具体的に提案する。


まず冒頭に「オムソーリ」という言葉が紹介される。スウェーデン語である。

スウェーデン語に「オムソーリ」という素敵な言葉がある。「オムソーリ」とは「社会サービス」を意味するけれど、その原義は「悲しみの分かち合い」である。「オムソーリ」は「悲しみを分かち合い」「優しさを分かち合い」ながら生きている、スウェーデン社会の秘密を解き明かす言葉だといっても言い過ぎではない。


たしかになかなかステキな言葉である。ことばだけでなく、この言葉が示す実態もなかなかステキである。いかにも北欧らしい経済学であろう。

 幸福は分かち合うべきものである。現在の危機は分かち合うべき幸福を奪い合うとされていることから生じている。能動的希望としての分かち合い
もう一つの言葉の「ラーゴム」は「ほどほど」というような意味である。極端に貧しいことも極端に豊かなことも嫌悪するスウェーデン人が追求する重要な価値である。つまり、超過も不足も悪徳(カキア)する「中庸の徳」という倫理を評している。


「奪い合えば足りず、分かち合えば余る」たしか相田みつおさんのことばである。この基本的な理念のもとに「分かち合いの経済学」がさらに具体的に実践的に展開されることを期待したい。

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2011年12月22日

「鎌倉市民クリスマス」に行きました

カトリック雪の下教会の友人に頼まれて、雪の下教会で行われる「市民クリスマス」をビデオ撮影しに行きました。
12月10日(土)午後3時から、鎌倉市内のカトリック教会、聖公会、プロテスタント教会など4つの教会が教派を越えて、市民を対象として行うクリスマス行事でした。
私たちは午後1時くらいから参加しました。少し時間があったので、教会の前をとおる観光客相手に呼び込みを行いました。あまり効果はありませんでしたが……。

まず、子どもたちのキャロルが、道路に面した教会入り口で行われました。ガールスカウトの制服を着た女の子たちが目立ちました。
そのあと、聖堂内で合同の祈祷会。4つの教会の司祭と牧師たちの祈祷の間に、被災地にボランティアとして派遣された青年の報告もありました。ハンドベルの演奏もなかなかよかったです。
それが終わると、外はだんだんくらくなってきて、また再び道路に面した階段でキャンドルサービスとクリスマスキャロルが歌われました。
これには道行く観光客もデジカメで写真を撮ったり、聞いていたりしました。

この鎌倉市民クリスマスも伝統となっているそうです。エキュメニカルなかたちで行われているのもいいですね。八幡様の通りに面した抜群の立地条件をもっている雪の下教会ならではの活動だと思います。

こちらにもあります
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2011年12月20日

森岡正博著「33個目の石」にみる哲学と倫理と宗教

「33個目の石 傷ついた現代のための哲学」(森岡正博著 春秋社)を図書館で借りて読んだ。面白かった。著者の誠実な思索にとても好感を持った。

それはたしかに短い期間の出来事であったけれども、その事実を知った多くの人のこころをうち、社会の片隅で大きな声を上げることのできない傷ついた人々をそっと力づけた。敵と見方の対立を無効化し、「やられたらやり返す」という報復の連鎖を超越していく物語であるとも言える。


この本の紹介にはこうあった。
この本のタイトルは次のような出来事に由来している。

2007年4月16日に米国のバージニア州工科大学で、学生による銃の乱射事件が起き、33人の学生。教職員が殺された。乱射した学生は自殺した。
バージニア工科大学事件の次の週に、被害者の追悼集会がキャンバス内で行なわれた。キャンバスには、死亡した学生の数と同じ33個の石がおかれ、花が添えられていた。実は犯人によって殺されたのは32人である。「33個目の石」とは事件直後に自殺した犯人のために置かれたのである。
殺害した犯人も、その家族も、この狂乱した現代社会の被害者であるという考え方に、わたしは大きな救いを感じる。
日本で同じような事件が起きた時に、われわれは「33個目の石」を果たして置くことができるだろうか。この小さな希望の石を、我々の社会は許容するであろうか。


これに関連して、思い出すのはやはりアメリカの学校での銃乱射事件で子どもたちが殺されたときに、子どもを殺されたアーミッシュの家族はその銃撃犯をゆるすと述べたことを思い出す。この本ではこれにも言及している。
また、日本の例も紹介されている。JR福知山線の列車事故の合同慰霊祭に事故で死亡したJRの電車の運転手は排除されているという日本人の狭量さを嘆いているのである。

このような「思考の誠実さ」をもって、著者は次のようなテーマを扱っている。

赦すということ
自殺について
子どものいのち
ナショナリズム
監視カメラ
中絶
おしゃれと化粧
加害と被害
哲学
認知症のわたしに生きる価値があるのか


いずれも現代的であり、かつ問題を含む実例を挙げ、これをどう考えたらいいのかを丁寧に率直に教えてくれる。
その彼が、最後の方で「哲学」について、こう述べている。

今日における哲学の意義とは、唯一の真理を押し付けてくる宗教からは徹底的に距離を取りつつも「唯一の真理なんてないのさ」という成熟社会の相対主義に何度も疑問を投げかけ、どうすれば唯一の真理に近づけるのかというプロセスを素手で模索するところにのみあるのだと、私は考えている。


う〜ん。私も同感である。

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2011年12月19日

社会起業(アントレプレナー)という生き方

「社会起業」という生き方に注目している。
そこで「社会起業家 −社会責任ビジネスの新しい潮流」(斎藤槙著 岩波新書900)という新書を図書館で借りてきて読んだ。先ずこの本の紹介から。

単に収入を得る手段としてだけでなく、自己実現のために、そして環境・人権などの課題に使命感をもつ__このような価値観をもって働く社会起業家がいま注目されている。社会責任投資の高まり、企業とNPOのパートナーシップといった新しい動向を明らかにしながら、アメリカ、日本の社会起業家の生き方を紹介し、その意義を考える。


「社会起業」という店で注目しているのは、たとえばこういうことである。
 一つは「BigIssue(ビッグイシュー)」という雑誌を発行してホームレスの人びとを支援している活動である。ホームレスを支援するというのを彼らに仕事をつくりだすことを通じて企業化した。ボランティア活動としてではなく、企業として行うことがすごいのである。
 もう一つはアメリカの「TFA(Teach For America」という社会起業は貧困家庭の子どもたちに教師を派遣して教育を支援するという活動だが、これがアメリカの大学生の就職先として一位なのだそうである。この背景についてはまたあらためて調べてみたい。
 他にもあのユヌス氏がはじめたグラミン銀行もこの代表であるだろう。
 こういうことを企業活動として行っていき、そしてそれを受け継ごうとする若者が多数存在することに大いなる希望を抱くのである。

ここで働く人の意識の特徴をこの書は次のように述べている。
 
 
第一に働くことを自己実現の場であると考えていること。自分に与えられている人生を価値あるものにしたいと考えている人たちである。「人生の意義」を土台に据えて、その上にさまざまな価値観を築き上げ、その実現に向けて、積極的で主体的な生き方をして行こうとする。少し大げさにいうと、「いったいなんのために生きているのか」と自分の存在を見つめ直し、その問いに対する答えとして事業を起こしているのだ。
 二つ目は、社会や環境や人権など地球規模の課題や地域社会が抱える課題に対して使命感を持って挑み、事業を行っている点だ。事業の形態は、営利企業のこともあれば、NPOのこともある。しかし、いずれにしても、社会起業家は「社会をよくする」という目標に忠実に行動する。




社会起業家の特徴
1.地域コミュニティや世界のニーズに応える社会的使命感を根底に抱きながらも、事業を実践する過程では、巧みにビジネス・テクニックを応用する。
2.資本力は弱いながらも、時代を鋭く捉えたアイディアや創造性に溢れた組織をつくる。
3.パートナーシップを重視する。縦割り型組織ではなく、同じ価値観を共有する組織と有機的に結びつき、相乗効果を考えながら、目的を達成するためのネットワークを実現していく。
4.労働を収入の手段としてだけではなく、自己実現の手段でもあると考える。
5.事業の所在地の地元住民から遠く離れた発展途上国の国民までを、利害関係者(ステークホルダー)と見なし、彼らの価値観に根ざした商品やサービスを提供する。
6.長期的な効果を重要視する。たとえ短期的な利益を犠牲にすることがあっても、長期的な恩恵を選ぶことで最終的にはステークホルダーの満足が得られると確信している。


さらに、この書の終わりにこんなことも書かれていた。


社会起業家から教わった生き方、働き方の極意
1.自分の好きなこと、楽しいことに夢中になろう
2.いろいろな人と喜びや悩みやゆめを分かち合おう
3.効率を優先させない。何が大切かを見極める
4.かわいいこには旅をさせろ。かわいい子だけではなく自分がかわいいと思う大人も旅に出よう。きっと名案が浮かぶだろう。
5.おかげさまの気持ちを忘れずにいよう
6.諦めるから失敗する。成功するまでがんばろう。
7.人と競争するのではなく協奏しよう。
8.人生に無駄はない。一見マイナスなことでもそこから何かが見えてくる。
9.人がどう思うかではなく、自分がどう思うかを大切にしよう。
10.たまには自分を褒めよう。


たしかにひとつの「ステキな生き方」であると思う。

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2011年12月14日

思考→言葉→行動→習慣→性格

斎藤槙著 「社会起業家 −社会責任ビジネスの新しい潮流」(岩波新書900)という新書の冒頭に次のような言葉が紹介されていた。

Thoughts

Watch your thoughts; they become words.
Watch your words; they become actions.
Watch your actions; they become habits.
Watch your habits; they become character.
Watch your character; for it become your dusting.

Unknown

思考

思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

不詳


前のマザーテレサの名刺の言葉と比較すると面白い。マザーテレサはやはり信仰者なのだと思わせるものである。
もちろんこちらの方が常識的ではあるが………。
この言葉は前にどこかでみたことがあるが、どこだったかは忘れた。
案外このブログで紹介しているかもしれない………。

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2011年12月12日

ほほえみの使徒職

古い手帳を探していたら、こんなリーフレットが見つかった。
タイトルは「ほほえみの使徒職」。発行は桐生の聖フランシスコ修道院。
何年か前にここを訪問した時にもらったものかもしれない。



ほほえみの使徒職

あなたの唇に浮かぶほほえみが
あなたの心をうきたたせ
明るくし
平安を与え
健康を増し
顔に輝きを与え思いやりのある心を育てます。
いつものまじめくさった、あるいは渋い表情がきえてしまったと思うようになるまで。

自分にほほえみかけましょう。
陽気な顔の輝きで自分の心が温かくなるまで

自分にほほえみかけましょう。
そして
外に出て、あなたのそのほほえみを人々にまき散らすのです。

このほほえみの役割
それは神のために働くことです。
今からあなたは使徒であり、あなたのほほえみは人々の心をとらえる道具となります。
あなたの魂に宿る紙の愛によって、あなたのほほえみは特別な魅力を増したくさんの善を生み出すようになるでしょう。

さみしそうな顔
おどおどした顔
悲しみに沈んだ顔
陰気くさい顔
元気のよい若者の顔
しわの多い年老いた顔
家族や友人のなじみ深い顔に
ほほえみかけましょう。
あなたのその美しい笑顔で人びとを喜ばせ、楽しませましょう。
一日にどれだけの人があなたの笑顔につられてほほえむようになったか、数えてごらんなさい。
その数は、あなたが何回人々の心に満足や喜び、勇気、安心を起こさせたかを示すものです。
こうした心がけは、常に利己的でない、立派な行為を生む源になります。
いつもめざましい成果があらわれるというわけではありませんが、あなたのほほえみの持つ影響力は大きく広がっているのです。

あなたのほほえみは
疲れた人、重荷を負うている人、失意の底にある人、試練に立たされている人、絶望している人びとの心に、新しいいのちと希望と勇気をもたらします。
あなたのほほえみは
人びとの心に希望と信頼を起こさせる助けとなります。
あなたのほほえみは
闇の中で迷っている人々を光のもとに導く助けとなります。
あなたのほほえみは
たくさんの忠実な友人を得ることができます。

神にもほほえみを
自分の人生に何が起ころうとも、それを愛の心からうけいれつつ、神にほほえみかけましょう。
そうすれば、輝くような笑みをたたえたキリストの御顔が、いつの世にもかわらぬ特別な愛のまなざしをあなたにそそいでくださるでしょう。


発想もいいし、その一文一文が述べていることはまったくもって正しく反論の余地などないのですが、ただちょっとくどい文章です。
もう少し短く簡潔に表現できたら申し分ないのにと思いました。
表はだれかさんの素敵なほほえみの写真にして、うらに詩のような祈りのような文章をかけたらいいですね。
他にする人がいなければいよさんの写真と私の言葉で「ほほえみの使徒職」というカードを作ってみましょうか。

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2011年12月07日

祈り→信仰→愛→奉仕→平和  マザーテレサの名刺のことば

母の葬儀をお願いしたのは、愛光式典という「福音宣教」誌の編集長「りゅうちゃん」のいとなむ葬儀屋さんでした。7年前の父の時もお願いしました。
父の時もそして今回も病院からの搬出を深夜にお願いしなくてはならなかったのですが、いずれも快く対応していただき、とてもありがたく思っています。
おかげで会葬されたかたがたからとてもいい葬儀でしたと感謝されました。

ところで、会葬礼状もりゅうちゃんに頼んだのですが、会葬礼状の冒頭のことば(普通は聖書のことばをいれる)にあえて「マザーテレサの名刺のことば」を入れてもらいました。
次のようなことばです。

沈黙の実りは祈り
 祈りの実りは信仰
  信仰の実りは愛
   愛の実りは奉仕
    奉仕の実りは平和


このことばはつい最近読んだ「カトリック生活」誌2011年12月号に「いのり・ひかり・みのり」の連載第1回の記事の中に見つけたものです。著者は中井俊已氏。

このことばのすごいところは「沈黙→祈り→信仰→愛→奉仕→平和」という「実り」の順序です。この配列にさすがマザーテレサだと感じるのです。
とくに「沈黙」が一番先で「平和」がもっともあとなのですね。普通だと「平和」は一番先に来るかあるいは「沈黙」の次に来るかです。ところがこれが違うのです。
この順序はよくかみしめてみると大きな意味を持っていると思います。
よくかみしめてみてください。

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2011年12月03日

いよさん「笑顔とほほえみの使徒」の92年の生を閉じる

2011年11月30日午後11時55分平和病院にて、母のいよさんは神のもとに召されました。最期まで明るく楽しく愛と思いやりに満ちた生涯を生き抜いた感じの母でした。いよさんの永遠の安息のためにお祈りください。

前にも記したとおり、いよさんは10月29日に胃潰瘍で入院しました。胃潰瘍は快方に向かっていて、あと少しで退院というところまでこぎ着けていたのですが、敗血症によって突然の急変となりついに帰らぬ人となりました。
12月3日カトリック鶴見教会において、葬儀ミサならびに告別式が行われ、多くの会葬者に見送られながら、おわかれをしました。

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写真をご覧いただければおわかりと思いますが、いよさんはとびきり上等の笑顔をもっていました。
デイサービスに行くとき、ときどき行きたくないと言い出すときもあるのですが、そういうときは「いよさんのえがおはまわりにいる人を幸せにできるんだから、行って笑顔を振りまいていらっしゃい」というと「そんならいってこ」といいながらヘルパーさんにニコニコしながらついて行きます。
いよさんは「笑顔とほほえみの使徒」なのです。笑顔とほほえみで福音を告げる使徒だったのです。
わたしは、いよさんの笑顔ができるだけおおくのひとを幸せにできるようにするのが自分のミッション(使命)だと思うようになりました。
だから、いよさんをあちこちに連れ出しました。6月に会津若松のおじさんを訪問したときも10月に札幌の弟の家族を訪ねたときも、あるいは夏に浜松で開かれたCLCの全国大会に参加したときもいよさんと一緒でした。

電車の中や町を車いすのいよさんと一緒にいると、見知らぬ人が車いすのいよさんにむかって声をかけるのです。「親孝行の息子さんをもって幸せですね」と。
中国系と見られる男の方が私に向かって「あなたのおかあさんですか? 輝いていますね」と言われたこともありました。
いよさんのもつほほえみは人を引きつけて病まないものがあるようです。
母の笑顔とほほえみをおおくのひとに見せびらかして自慢したかったのです。

いよさんは「喜ばれることが喜び」でした。7年前になくなった父の登にもそういうところがありましたが、人に喜んでもらうということが一番の自分の喜びだったのです。丹精込めてつくった刺繍の作品をおしげなく人にあげて喜ばれていました。

いよさんは「聞き上手」でした。あまりおしゃべりではないのですが、いよさんの前に行くとなんでも話したくなってしまう、そういう雰囲気を持っていました。刺繍教室でも人の話を聞きながら刺繍をさしていたようです。

さいごにいよさんの生を支えてくださった多くの方に心よりの感謝のことばを述べさせてください。
特に、手厚い医療と看護を施してくださった新平和病院のドクターや看護士さんたち、ほとんど毎日通っていた平和病院のデイサービス、1月に1週間のショートステイを受け入れてくださったやまゆりホーム、食事介助をしてくださった「あしほ」のヘルパーさんたち、いよさんはこのような多くの人のサポートによって充実した毎日をすごしていました。
そしてその他多くの方にお世話になりました。本当にありがとうございました。

こちらにもあります
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2011年11月29日

いよさんの好物リスト

入院中の母いよさんの好物リストを病院の栄養士さんにわたした。いよさんはまだおもゆ程度の流動食しか食べられないのだが、近いうちにすり下ろし食、刻み食へと少しずつ回復する際に参考にしてもらえたらと思って、このリストを作った。

タクワンはだめ。こういうしねくねしたのはかみきれないし、のみこめない。
入れ歯の関係でカタイせんべいみたいなものはダメです。りんごも丸かじりは駄ダメです。
べったらづけや奈良漬けは薄く切ってあれば食べられる。
おもゆは好きでない。
ほうれん草のゴマ和えやおかか和えは食べる。
味噌汁のみは、ほうれんそう、おふ、ジャガイモが好き。でもあまり実は多くない方がいい。
みそ味のたまごおじやはすき。
あん団子、みたらし団子は大好き。息子の分まで食べちゃう。
カステラ、桃山、すあま、きりざんしょ、ぎゅうひ、くずもち、ういろう、ようかん、はぶたえもちには目がない。
あんぱん、いちごぱん、くりーむぱんはすき。
サツマイモの甘露煮、にんじんグラッセ、里芋の煮物、肉じゃが、
ウナギの蒲焼き大好き。
魚は大好きではないが、食べる。
いちごのつぶしたのにミルクと砂糖をかけて食べるの好き。
どんなにおなかいっぱいでも食欲がないときでもアイスクリームなら食べる。
のりいもまめこさんと呼ばれていたくらい、このおかずがあったらじゅうぶん。
まめやのりやしょうが昆布の佃煮も好きです。
いなり、太巻き鉄火巻きのおすしも好き。にぎりずしはそれほどでもない。
おでんのたまごとめだまやき、たまごやきもすき。
めだまやきはお醤油をかけて食べます。
ソース味の焼きうどん、コロッケ、カツ丼も好きです。


これでみるとおり、グルメではないのですが、けっこう食いしん坊で、甘い物好きです。
好き嫌いがなくてなんでも食べます。
おなかがへると、お菓子を探し回って、お菓子が見つからないと砂糖をなめているところを見つけられてしまいました。

まだまだあるのですが、思い出せません。

こちらにもあります
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2011年11月28日

アドベント・ボックスと待降節

品川の KALDI で「アドベント・カレンダー ウッドボックスタイプ」なるものを見つけたので買ってしまった。確か1980円であった。ボックスは中国製である。ここにはこう書いてあった。

adventbox

24個の扉がついたアドベントウッドボックス。扉を開けると中にはチョコレートやキャンディが! 中のお菓子を一つずつ食べながら、クリスマスイブまでの24日間を楽しんで!


アドベントカレンダーとは、12月1日から24日まで窓がついているカレンダーで、一日一つの窓を開けるとそこに何か絵が描いてあったり、メッセージが書かれていたりするカレンダーである。
最近は、そこにお菓子やキャンディが隠されているものが目立つ。
クリスマスを待ち望む気持ちをそういうふうに表現していたわけである。
このウッドボックスタイプはお菓子さえ買えれば翌年もまた使えるということでなかなかスグレモノであると思う。

そういえば、教会の暦では昨日11月27日から待降節にはいった。新しい年が始まったことになる。この日からクリスマスまでの4週間を待降節(アドベント)と呼んでいる。
聖アンデレの日である11月30日に最も近い日曜日が待降節第1主日となる。最も早いときで11月27日、もっとも遅い年は12月3日となり、今年は最も早い年にあたる。

アドベントとは、もともとは「到来」を意味するラテン語 adventus からきた言葉である。つまり「突然やって来る、思いもかけないことが目の前で起こる」それがアドベントの本来の意味である。
英語のアドベンチャー(冒険)の語源でもあるが、冒険とは本来、誰も行ったことのない新しい土地へ行くことでも、誰もやったことのない新しいことに挑戦することでもなく、突然目の前に起こった予期せぬことを受け止め、自分自身を変革させること、またその経験を通して新しい人間になるということを意味していた。

そういう意味ではマリアもそして3人の東方の博士たちも、この予期せぬ出来事を受けとめて新しい人間となった本当の意味でのアドベンチャーであったのであろう。

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2011年11月22日

「いのちが大切」よりも「あなたが大切」

AC 公共広告機構なるところのTVCM や新聞広告がめだっている。
ちょっとうさんくさいところもあるが、このTVCM のメッセージは秀逸であると思う。




いのちはたいせつだ
いのちをたいせつに
そんなことを何千何万いわれるより
あなたがたいせつだ
だれかがこういってくれたら
それだけでいきていける

明日のために今はじめよう公共広告機構です


このメッセージは自殺防止のキャンペーンのためにつくられたものであるらしいのですが、どうでしょうか。それに有効な力を持つメッセージなのでしょうか?

ところで「いのちが大切」「あなたが大切」という言葉で検索してさがしていたら、こんな映像に出くわしました。「野原ひろしの名言集」という YouTube 映像です。映像と言っても文字だけですが………。

このなかの

いいか、しんのすけ。
正義の反対は悪なんかじゃないんだ。
正義の反対は「また別の正義」なんだよ。


このメッセージはどこかで聞いたことがあるが、誰の言葉だったかを忘れた。
このメッセージも聞いたことがあるが、どこで聞いたかを忘れた。

一日だけ幸せでいたいならば、床屋にいけ。
一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え。
一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚をしろ。
一年だけ幸せでいたいなら、家を買え。
一生幸せでいたいなら、正直でいることだ。


いずれも「くれよんしんちゃん」のおとうさんが言ったことなのだろうか?

こちらも映像付きです
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2011年11月21日

アルジネード・ウォーター

母のいよさんは胃潰瘍を患って入院中である。
まだ栄養は点滴で摂取中で食事もできないので、くいしんぼうのいよさんがかわいそうである。
ただ飲むものは一部許されている。いよさんが飲んでいるものはアイソカル・アルジネード・ウォーターなるものであった。私も初めて見るものである。

「スポーツドリンク風味、栄養機能食品(亜鉛・銅)」と書かれてあった。これを製造販売しているのはネスレ日本であった。日本ではインスタントコーヒーとクリープが有名であるが、世界的にはもっともおおきな食品会社である。

亜鉛は味覚を正常に保つのに必要であるとともに、皮膚や粘膜の健康維持を助けるとともに、たんぱく質・核酸の代謝に関与して、健康の維持に役立つ栄養素である。
銅は、赤血球の形成を助けるとともに、多くの体内酵素の正常な働きと骨の形成を助ける栄養素です。

1パック中の栄養成分
熱量:100kcal、たんぱく質:2.5g、脂質:0g、炭水化物:22.5g、亜鉛:10mg、銅:1.0mg、リン:225mg
アルギニン:2.5g、水分:107g


アルジネード・ウォーターを検索してみると、

ベッドで同じ姿勢でいることの多い方が、手軽にアルギニを補給できる。
アルギニンは、からだの中でたんぱく質を作る重要なアミノ酸の一種で、寝たきりの栄養管理に大切な栄養素です。肉類、ナッツ類、大豆、玄米、干しぶどう、牛乳、かになどに多く含まれていますが、たくさんの量を摂るには工夫が必要です。


というようなことが書かれていた。
こういう飲料もあるんだと知った次第である。ちょっと飲んでみたらけっこうおいしい味がしていた。いよさんも「おいしい」と言って飲んでいる。

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2011年11月20日

凍裂(とおれつ)北の森でおこる強烈さ

札幌にいる義妹からこう聞かれた。
「お義兄さん、凍裂って知っていますか?」
「知らない、なにそれ?」
「北海道の人しか知らない森の現象です。森の木の中の水分が凍って幹が縦方向に弾けるように避けるんです。その時の音が強烈で森中に響きます。その音は聞いたことがありませんが、−25度以下で起きるのすが、森のあちこちからその悲鳴のような音が聞こえるのだそうです。」

touretsu2

「それで、その木は枯れてしまうのですか?」 
「そこがすごいところです。枯れずに木が自ら裂けた部分を修復していくんですね。痛々しくあとは残るので、その木が凍裂のあった木であることは見る人が見れば分かります。」
「どういう木に起こるの?」
「トドマツとかスギとかが有名ですが、ナラ、ニレ、ドロノキ、ヤチダモ、ヤナギ等の広葉樹にも発生することが報告されています。富士山の麓の樹林帯でもシラビソとかオオシラビソの木で見られるみたいです。東北では日本海側よりも太平洋側に多く見られるとか。」
「へえ〜、知らなかったな。」
「他にも北海道でしか見られないいろいろな現象があるんですよ。ダイヤモンドダストとかサンピラーとか、けあらしとか。それを実際にこの目で見てこの耳で聞いてみたいと思っているんですが。
 実は、凍裂をテーマに人形を作りました。どうですか?」

Tooretsu

「いや、これは痛々しいな。」
「そうなんです。これを展示しておくと見る人が後ろ向きにしてしまうんです。あまりに痛々しいからでしょうか。」

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2011年11月13日

いよさんのお勉強の時間

この1週間は大変だった。
いよさんが札幌から帰ってきたあとの10月29日に「胃潰瘍」で入院した。札幌行きが響いたのかもしれない。
そしてさらに入院中の先週の水曜日に吐血した。かなり大量の血を吐血したので、出血多量による「事態の急変」を心配するほどであった。
さいわい、出血は止まり、そのご順調に快方に向かっているようなのでひとまず安心している。
2晩病院に付き添いで泊まり込んだが、いよさんの意識はしっかりしていたのが救いだった。

入院して付き添っているときのベッドに横になっているいよさんとの対話。
「いよさん、退屈だね。何かして遊ぼうか?」
「遊ぶ? 動けないからむりだよ」
「じゃあ、お勉強しよう、あたまはつかえるよね。」
「うん、いいよ。なにするの?」
「じゃあ、最初は算数ね。足し算をしてください」
「簡単なのならいいよ。」
「じゃあね。14+9は?」
「23」
「いいねえ、よくできるね。じゃあ、23+12は?」
「え〜と、35.」
「ぴんぽーん。35+17は?」
「53」
「ぶーっ。35+17だよ。」
「52」
「ぴんぽーん。52+28は?」
「52+28? 70かな。」
「ぶーっ。 じゃあ、28+52は?」
「80」
「ピンポーン」

ともかく頭を使うことを厭わないところがえらい。
「じゃあ、次は国語のお勉強ね。」
「この漢字読める?」といって、100円ショップで買ってきた「今こそ恥じない漢字の読み方1」という本に書かれている漢字熟語を読ませた。
「男気 理解 外来 体裁 礼儀 行脚 素質 図書 工事 修行 気配 解毒 外科 行使 体得 礼賛 素性 図面 工面」
このうちいよさんが読めなかったのは
「行脚 図書 解毒 礼賛」である。いよさんはけっこう漢字の読みには強い。漢字を書くのはたいへんだが。

「じゃあ、次は英語の時間。1から100まで英語で数えてご覧」
 だいたいいえる。
「67は?」「sixty seven」とこの位ならちょっと考えるだけでいえるのである。

「次は社会科の時間。日本の首都は東京。アメリカの首都は?」
「わかんな〜い」
「じゃあ、神奈川県の県庁所在地は横浜。静岡県の県庁所在地は?」
「県庁所在地って何? わかんな〜い」
「日本で一番高い山は?」
「富士山」
「ピンポーン」
社会科は難しいようである。分かるのは日本で一番高い山くらい。

「じゃあ、音楽の時間ね。一緒にお歌を歌いましょう。」
「ずいずいずっころばし。ごまみそずい。つづけて一緒に歌おう」
「ちゃつぼにおわれてとっぴんしゃん。ぬけたらどんどこしょ」
この歌はすらすらと最後までだいたい歌える。
「じゃあ、次はこの歌歌える? 夏も近づく八十八夜♪」
「のにもやまにもわかばがしげる♪」
「あ、うたえるうたえる、すごーい。おぼえているんだ」
「あれにみえるはちゃつみじゃないか♪ あかねだすきにすげのかさ♪」
「あかねだすきってなに? すげのかさってどんなかさ?」
「わからな〜い」
「じゃあ、このうたは? はしらのきずはおととしの♪ なんのうただ?」
「5月5日のせいくらべ♪ せいくらべの歌だ。」
「5月5日の端午の節句の歌だよね。続いて歌ってご覧」
「ちまきたべたべにいさんが はかってくれたせいのたけ♪
きのうくらべりゃ なんのこと やっとはおりの ひものたけ♪」
「うたえるね。」
「じゃあ、今ごろの秋の歌。あきのゆうひに♪」
「てるやまもみじ こいもうすいも かずあるなかに………♪」
5分前の記憶を完全に失ってしまう記憶障害とはとても思えないくらいによく覚えている。
その他にいよさんが1番の歌詞をそらんじていて歌える歌は次の歌であった。
「もういくつねるとお正月」
「年の初めのためしとて」
「ゆーきやこんこん」
「さぎりきゆるみなとえの(冬景色)」
「あかりをつけましょぼんぼりに」
「はーるのおがわは」
「はるがきた」
「どんぐりころころ」
「いらかのなみとくものなみ」
「うのはなのにおうかきねに」
「なのはなばたけにいりひうすれ」
「あめがふります」
「うみはひろいなおおきいな」
「むらのちんじゅのかみさまのきょうはめでたいむらまつり」
「しずかなしずかなさとのあき」
「みかんのはながさいている」
「はこねのやまはてんかのけん」(これがけっこう歌えるのには驚いた」
「しょうしょうしょうじょうじ」
「とおりゃんせ」
まだあるだろう、歌える歌を発見していくのは楽しい。
いよさんが「しらな〜い」といって歌えなかった歌
「あんたがたどこさ」
「いちかけにかけでさんかけて」
「どこかではるが」
「なかよしこみちはなんのみち」
「あのこはた〜れ」
つぎに、いよさんの青春時代、昭和10年代にはやった歌をiPad で見ながらきいてみた。
「青春日記」「高原の旅愁」「青春パラダイス」「新雪」「純情の丘」
これらは全滅。いよさんは「しらな〜い。きいたことな〜い。」
戦後の「りんごの歌」「青い山脈」のほうがまだよく歌える。

それほど歌好きではなかったし、自分で口ずさんでいるのはほとんど聞いたことはないのだが、「ずいずいずっころばし」をうたっているいよさんはたまらなくかわいい。今度ビデオに撮っておこう。
テレビの歌番組は好きでよく聞いていたが、この頃の歌は何も覚えていない。

こちらにもあります


 





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2011年11月07日

安土往還記にみる信長とキリシタン宣教師たち

aduchioukanki

辻邦生の「安土往還記」という短編小説がある。
この文庫本の裏表紙には次のような紹介があった。

争乱渦巻く戦国時代、宣教師を送りとどけるために渡来した外国の船員を語り手とし、争乱のさ中にあって、純粋にこの世の道理を求め、自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする“尾張の大殿(シニョーレ)”織田信長の心と行動を描く。ゆたかな想像力と抑制のきいたストイックな文体で信長一代の栄華を鮮やかに定着させ、生の高貴さを追究した長編。文部省芸術選奨新人賞を受けた力作である。


この小説に信長がなぜキリシタン宣教師たちに好意を寄せていたのかという心情がみごとに描かれているところがあった。

大殿(シニョーレ)はこうした現実の問題を処理する立場の人間として、tらえず「事が成る」ための力を必要としていた。事を成就せしめぬような知識はがらくたに過ぎなかった。彼は目を光らせ、渇いた人のように、事を成就させる知識を求めたが、同時にそうした知識を造り出す態度の厳しさに関心を持ったのだ。
「キリシタンの僧たちが大海に乗り出すように、その同じ勇気をもって、仕事に当たれ」
大殿は近習たちと雑談の折、そんな言葉を漏らしたと伝えられている。確かにオルガンチノをつかまえて、大殿は「あなたはなぜこのような遠くの国まで、危険な大海を渡って航海してくるのか、それが知りたい」とよく言っていた。彼は布教のためであれ、その他の目的であれ、生死のぎりぎりの地点にたち「事が成る」というただそのことに力を集中して生きるその厳しさ、緊張、生命の燃焼に強い共感を持っていたのだ。
大殿は「事が成る」ために目的のすべてを−自分の思惑、感情、惰性、習慣、威信、自尊心までを犠牲にした。そしてそうした態度をあえて他の武将、将軍、大名にも要求した。このことに関しては大殿は徹底的な献身を要求した。「事が成る」ために誰もが自分を殺し、自分を乗り越え、「理にかなう」方法を遂行しなければならなかった。


なるほど。信長は「事が成る」ための不屈な精神とおなじものを宣教師たちの中に認めていたわけである。秀吉はそれを怖れていたのだが………。

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2011年11月04日

札幌のヤマボウシの実と紅葉

私が札幌の弟の家に母を連れて訪問したのは、10月24日から27日までだった。紅葉はもうすこし早いほうがよかったようだが、それでも私の住んでいるところとは違う紅葉のあざやかさあでやかさには心うたれる思いであった。「晴れていたらもっと輝いているんですよ」とは義妹のひとこと。

Yamaboshi2
「そういえば家の玄関のところに実をつけているのはヤマボウシですか。なかなかみごとですね。あれって実は甘いんですよね。ジャムにするとか果実酒にするとかしてみましたか?」
「おにいさん、あれがヤマボウシってよくご存知で。実が売れるとあのまま地面におちてべちゃってなるんで始末が悪くて。たしかに甘い味はするけれど、種やら皮やらがざらざらして食感があまりよくない。」
「インターネットで調べたらきっとジャムの作り方がのっていますよ。ちょっとチャレンジしてみたら」

Ymaboushi

で、さっそく調べて見たらいくつか見つかったそうです。でも私がいる間にジャムづくりははじめませんでした。

弟の家の近くに西野緑道という散歩道があります。なかなかいい散歩道で、特にこの紅葉の季節はいいです。植えてある木が特にこの紅葉の季節を意識して選ばれているようで、彩りがなかなかみごとなのです。
近くに琴似発寒川が流れています。

Koyo4

対岸の急斜面の紅葉もみごとです。

Koyo5

普通の家の庭も紅葉を意識して木が植えられています。

Koyo3

こちらは写真付きです
posted by mrgoodnews at 09:19| Comment(0) | こんなところに行きました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする