2011年11月03日

札幌市資料館の正門

遠友夜学校記念室のあった札幌市資料館はなかなか興味ある資料館だった。

まず、正面玄関。ここの車寄せ上部のひさし部分に書かれてある「札幌控訴院」の文字。独特の書体である。ここはもと「控訴院」という名の裁判所跡だった。
その左右には、公平を表す秤と正義を表す剣を組み合わせた文様が刻まれていて、上部中央にはギリシャ神話の目かくしをした女神がおかれている。
さらに奥壁の左右には真実を照らす鏡も彫り込まれていて、いかにも裁判所らしい「法の権威と公正の原則」がいかめしく表現されている。

ところで、この「目かくしされた女神」はなぜ目かくしをしているのかが、話題になったので調べてみたら、これは法の女神テミスで、目かくしは予断を排除して公正な裁きができるように目かくしをしているらしい。この法と正義の女神はイケメンの男に弱かったにちがいないと思わせる『目かくし』である。
こんな解釈もあった。

目隠しについて長尾龍一は正義の実力的側面に着目し、「正義の女神は娼婦であり、戦いの結果が明らかになった段階で勝者の胸に抱かれる。また闘争が起こり勝者が入れ替わると新たな勝者の胸に抱かれる。正義の女神は腕づくで押さえこまねばならない」点の寓意したものと解釈する[3]。


この長尾龍一先生は、そういえば私が所属していた弁論部の顧問だった。こんなところでお目にかかるとは。

ところで、この札幌市資料館には、遠友夜学校記念室とともに「おおば比呂司記念室」も常設されていて、そこも見学した。独特の味わいのあるイラストを描いている画家で、そういえばこの人の絵を広告やパッケージデザインでけっこう見ているのに気がついた。

そとにでたら大通公園の紅葉がとても美しかった。この日は曇っていたのだが、晴れていたらもっと輝いて色鮮やかに見えたであろう。

こちらは画像付きです

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2011年11月02日

遠友夜学校と新渡戸稲造

札幌に行ったついでにぜひ訪れてみたかった遠友夜学校記念室にいった。札幌市資料館にこの10月に新しく設けられたという。

この遠友夜学校は、明治24年に母校札幌農学校(今の北大農学部)の教授として札幌に戻った新渡戸稲造が、その2年後に創設した私立の夜学校である。
妻の萬里子夫人(メリー・P.エルキントン)にアメリカの実家から1000ドルの遺産が届いた。この遺産で稲造の夢であった、学校に行こうとしても行けなかった子どもたちのための夜学校が実現した。

校名の由来は論語の「友あり、遠方より来たる。また楽しからずや」で、遠い国から届いた遺産を役立てたことの喜びが表現されている。
この学校のモットーは「学問より実行」であり、また「何人にも悪意を抱かず、すべての人に慈愛の心を持って(Wth malice toward none, With charity for all)」というリンカーンの言葉であった。

この学校の教員たちは、北大の学生たちがボランティアで無償であたっていた。
また1909年から1914年には有島武郎が代表を務めていたこともあった。この学校の校歌は有島武郎の作詞である。気概のこもった校歌である。

遠友夜学校校歌
作詞 有島武郎

沢なすこの世の楽しみの
楽しき極みは何なるぞ
 北斗支ふる富を得て
 黄金を数へん其時か
  オー 否 否 否
  楽しき極みはなほあらん

剣はきらめき弾はとび
かばねは山なし血は流る
 戦のちまたのいさほしを
 我身に集めし其時か
  オー 否 否 否
  楽しき極みはなほあらん

黄金をちりばめ玉をしく
高どのうてなはまばゆきに
 のぼりて貴き位やま
 世にうらやまれん其時か
  オー 否 否 否
  楽しき極みはなほあらん

楽しき極みはくれはとり
あやめもたへなる衣手か
 やしほ味よきうま酒か
 柱ふとしき家くらか
  オー 否 否 否
  楽しき極みはなほあらん

正義と善とに身をささげ
慾をば捨てて一筋に
 行くべき路を勇ましく 
 真心のままに進みなば
  アー 是れ 是れ 是れ
  是こそしき極みなれ

日毎に業にいそしみて
心にさそふる雲もなく
 昔の聖今の大人
 友とぞなしていそしまば
  アー 是れ 是れ 是れ
  是こそ楽しき極みなれ

楽しからずや天の原
そら照る星のさやけきに
 月の光の貴きに
 心をさらすその時の
  アー 是れ 是れ 是れ
  是こそ楽しき極みなれ

そしらばそしれつづれせし
衣をきるともゆがみせし
 家に住むとも心根の
 天にも地にも恥ぢざれば
  アー 是れ 是れ 是れ
  是こそ楽しき極みなれ

衣はやがて破るべし
えひぬる程もつかの間よ
 朽ちせて止まじ家倉も
 唯我心かはらめや
  アー 是れ 是れ 是れ
  是こそ楽しき極みなれ


遠友夜学校は昭和19年に閉校したが、その後遠友塾という自主夜間中学校として今もその精神を受け継いで存続している。

こちらは動画付き

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2011年10月26日

ベンジャミンの実について

今札幌の弟の家に母のいよさんと一緒に来ている。
札幌の今頃は紅葉が鮮やかでとても美しい。東京や横浜の紅葉とは比べ物にならないくらいである。

ところで、弟の家のベンジャミンの木にうすい赤色の実がついていたのに気がついた。そういえば毎月行く湯河原商工会館にあるベンジャミンにも実がついいていたっけ。
ベンジャミンはどんな花をつけたの?ときくと、どうも花はつけなかったらしい。よく見ると若い枝の先に次の年に実となる緑色の小さな実がついていて、これがそのまま大きくなるらしい。

それで「ベンジャミンの実」について調べてみた。
ベンジャミンはクワ科イチジク属で花は雌雄同株でこの属特有の隠頭花序を持っています。
隠頭花序とは袋状の花托の内側にきわめて小さな花が実の中に無数に咲くので外観からは分からないです。
漢字でイチジクのことを無花果と書きますよね。
イチジクは花は咲いても普通の花弁のような花ではなく実がそのまま付いたように見えるので昔の人は花と気づかなかったため無花果と書いたのかもしれません。
ゴムノキやガジュマルも同属ですので同じように隠頭花序が出来ます。
隠頭花序は株が充実しているときに出来ますのでyurari-yurarikoさんのベンジャミンは株が成熟して子孫を残せる処まで充実していることの証拠ですのでとても良いことですよね。
可愛がって上げて下さい。


ベンジャミンがイチジクの仲間だというのは意外な感じがする。
このベンジャミンは結婚してすぐに買ったものだから、32年経つという。実をつけるほどに十分に成熟した株であるということか。

こちらは写真つきです


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2011年10月20日

Getting Way of Life, Sharing Way of Life, Giving Way of Life

生き方には2通りあると思う。
Getting Way of Life つまり何かをゲットすることを喜びとする生き方。お金、名誉、権力、社会的地位…………。
Giving Way pf Life つまり与える喜びを求める生き方。
私は、Giving Way of Life を生き方としたいと思っている。与える喜び(Joy of Giving)を最大限に追求したいと願っている。
が、これはかなり難しい。

最近、この二つの他に、上記の中間(というよりは少しgiving 寄りだと思うが)に、Sharing Way of Life という生き方があることを教えてくれたのは、Big Issue Japan 172号(2011.8.1発行)の「SHARING 所有の文化から共有の文化へ」という記事であった。

英国、生活のすみずみまでに広がるシェアリングの楽しみ
スマートフォンやGPS(全地球測位システム)ソーシャル・ネットワークなどの新しいテクノロジーが、今までにない方法と規模で、あらゆる種類の富を共有交換することを可能にしつつある。英国で始まっている斬新なアイディアやビジネスを紹介する。

たとえばカーシェアリング。英国の家庭の5軒に2軒は年間5千マイル(約8千キロメートル)も走らない車を所有しており、その維持に年間5500ポンド(約72万円)を費やしている。「ウィップカー」がユニークなのはこうした稼働率が低い個人の車を近所の人に貸す、ピアツーピア(仲間同士)のカーシェアリング組織であることだ。
自転車シェアリングは、カーシェアリングよりもはるかに進んでおり、今世界で急成長している。利用者がA地点で自転車を借り、用が済めばB地点で乗り捨てることができるのがセールスポイントである。
農地や住居、公共的な施設の共同利用も盛んである。ランドシェアリングである。人々はネットを通じて、例えば裏庭に空いた土地を持っているジョーンズ氏を野菜を作りたいスミス夫人に紹介する。
旅に出る人のためのルームシェアリングもピアツーピアに行われている。
コミュニティ内の遊休スペースを若者が利用できるようにするサービスもある。
リサイクルやリユースも者や商品のシェアリングである。
家庭菜園でできた野菜を近隣の人にシェアするシステムもある。
最後に、ピアツーピア・レンディング。ネット空間につくられた貸し手と借り手の出会いの場である。これもピアツーピアの関係だからこそできることであろう。


日本でもシャッター通りに化した商店街の空き店舗を利用できるのは、こういうピアツーピアのシェアリングのシステムであろう。
ともかくシェアリングできるものは、だいたんにシェアしていく生き方も一つの新しい生き方に違いない。
考えてみたら、わたしのこのブログ"Good News Collection" も Good News(福音)をシェアする大胆な試みであるつもりである。

この記事の最後に「シェア―からビジネスを生み出す新戦略」(レイチェル・ボッツマン、ルー・ロジャース著日本放送出版協会刊)という本が紹介されていた。早速読まねば…………。
この本を紹介しているサイトをみると「『シェア』をシェアする」つまりこの本の読書をシェアしようという呼びかけがなされているところが面白い。そうしたら本が売れないのではないかという心配は杞憂なのだろうか?

こちらにもあります
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2011年10月19日

人生。Powered by Citi

東京駅のホームの CitiBank の広告にこういうコピーが出てきた。スライドショウふうに次から次へ変わる画面のCMである。電車の中の音のでないテレビ画面と同じであれであろうか。

人生。
28歳の野心。
33歳の決意。
40歳の意欲。
53歳の余裕。
58歳の挑戦。
65歳の未来。
powered by Citi.

ここにもあった。けっこう注目する人があるようである。

特に「58歳の挑戦。65歳の未来。」というのがいい。いかにも銀行のCMなのかもしれないが………。
そして、選んだ写真も意味を持っている。この人は33歳で結婚したのか。

これをつくったコピーライターは、こういう人生を送りたいという自らの願望を込めてつくったのだろうか。それとも自分の人生を振り返ったらこうだったという感慨を込めてつくったのか、気になるところである。
そして自分だったら、何歳の時にどういう言葉を選び、どういう写真を掲載するだろうか、ちょっと考えてみたくなった。

こちらは写真付き
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2011年10月18日

鎌倉のイチョウの木は今年はきいろくならない?

鎌倉の駅前(表駅)のイチョウの木が、いますでにこんなふうになっている。ある方向を向いた面がこんなふうに枯れているのである。

別な方向から見るとこうなっている。
ある人がこの前の台風の大風のせいだという。大量に塩分を含んだ潮風だったかららしい。
でも海側の面ではない方がやられているのはなぜか?

よく見るとほかの落葉樹もけっこう枯れたようになっていて、今年の黄葉はあまりきれいになりそうにない。

写真付きはこちらへどうぞ
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2011年10月17日

十二所イエズス会修道院の崖にノアサガオ

私の家のノアサガオについては、以前何度も紹介しています。
今年の家のアサガオは若い枝の先の方にしか花をつけていないにもかかわらず、蔓と枝は伸び放題、さながらアサガオジャングルと化しております。隣の家にまで蔓がはっていってしまって苦情が出そうな状態です。
今年の冬には根元から枝を切って、思い切って枝と蔓の更新をしようと思っています。

落葉期の剪定を毎年繰り返していくと、切り口が年々上に移動し、枝はだんだん弱ってきます。そこで、3〜5年に一度、さらに思い切った剪定をし、枝の更新をしましょう。


と園芸のホームページに書かれていました。

ところで、この春から、我が家のノアサガオを鎌倉十二所のイエズス会修道院の裏の崖に、許可を得て移植を行いました。
それがこのようにみごとに花開いています。これも6月中頃から花をつけ、未だもって(10月15日)このくらいの花をつけています。

つづきはこちらへ
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2011年10月14日

「私は何のために生まれたのか」ランベルト・ノーマン

「カトリック生活」2011年11月号を読んでいたら、美しい写真とともに次のような詩がのっていた。
ただ写真は美しいのだが、この詩の背景としてはどうなのかなと思ったが、この詩はとてもいいと思う。
クリスマスの詩だから、星が輝く夜空のもとの馬小屋の写真とかをそえて、12月号に出せばいいのに、クリスマスまで待てなかったのだろうか?
かくいう私も、クリスマスの時に紹介したらいいのかもしれないのだけれど、それまで待てないので今紹介しよう。

私は何のために生まれたのか

神は言われる。
わたしは裸で生まれた
  あなたが自我を脱ぎ捨てるために。
わたしは貧者に生まれた
  あなたがわたしを唯一の富と見なすために
わたしは馬小屋で生まれた
  あなたがどんな場所をも聖とするために

神は言われる
わたしは弱者に生まれた
  あなたがわたしを怖がらないように
わたしは愛のために生まれた
  あなたがわたしの愛を疑わないように
わたしは夜中に生まれた
  わたしがどんな現実でも照らせることを
  あなたに知ってもらうために

神は言われる
わたしは人間として生まれた
  あなたが神の子となるために
わたしは被害者に生まれた
  あなたが困難を受け入れるために
わたしは質素な者に生まれた
  あなたが装飾を捨てるために
わたしはあなたの中に生まれた
  あなたをとおしあなたと共に
  すべての人を父の家に連れていくために。


この詩がいつ頃どういう背景のもとに書かれて、この作者ランベルト・ノーベンとはどういう人物なのか、ちょっと調べてみたのだが、見つからなかった。
この詩はもともと「心は心に語る」(ドンボスコ社 石川康輔編)に掲載されているらしいので、早速その本を図書館に予約した。

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2011年10月11日

赤と黒の借金と財産のゲームはおもしろそうである。

岩波科学の本の「数は生きている」銀林浩・榊忠男著を読んでいたら、もうひとつやってみたくなるおもしろい話がのっていた。

「赤と黒のゲーム」と題したトランプのゲームである。
1〜5までのトランプのカード全部とジョーカー1枚で合計21枚のカードをそろえる。
3人に7枚ずつ配る。
赤のカード(ハートとダイヤ)は財産、黒のカードは借金である。その金額はそれぞれのカードに万円をつけたものである。
たとえばハートの2は2万円の財産、クラブの3は3万円の借金である。ジョーカーは借金でも財産でもない、つまり0である。
ゲームは場場抜きと同じ要領で、まず親のカードから1枚、次のものが抜く。そのつぎのものがそこからまた1枚ぬく。
そして初めの一まわりが終わった以降ならば、カードが抜かれた瞬間だけ、その抜かれたものがストップをかけることができる。
ストップをかけられたら、自分のカードを合計して、誰が一番金持ちかを決める。
ただしストップをかけたものより金持ちがいたら、ストップをかけたものが自分のカードと最下位の者のカードと交換しなければならない。
それから逆に自分が一番貧乏だと思った時も、やはりストップをかけてよい。
そしてたしかにそうだったら、全員のカードの貸借を全部反対にする。
つまり、財産は借金に、借金は財産にするのだ。


これをやってみると、結構このゲームが、世の中の実際の取引を敷きうつしているのだそうである。
実際にやってみた所で「これは面白い」と紹介したらいいのに、やらずに「おもしろそう」というだけではずるいのかもしれないが…………。

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2011年10月10日

簡単だけど解けていない数の問題

岩波科学の本の「数は生きている」銀林浩・榊忠男著を読んでいたら、こんな話がのっていた。

まず最初に勝手な自然数を取ってきて、それが偶数なら2で割り、奇数なら3をかけて1を足す。
そうして得られた数が偶数なら2で割り、奇数なら3をかけて1を足す。
こうした手続きを繰り返していくと、必ずいつかは1に行きつくというのだ。

3の場合
3 → 10 → 5 → 16 → 8 → 4 → 2 → 1
7の場合
7 → 22 → 11 → 34 → 17 → 52 → 26 → 13 → 40 → 20 → 10 → …………

いまだ、こうならない自然数は未だ一つも見つかっていない。かといって必ずそうなることが証明されているわけでもない。



こんな簡単な問題が解けていないというのが、ちょっと驚きである。
コンピューターでやらせてみたら、直ぐにできそうな気がするけれど、それがそうでないらしい。
きっとコンピューターは延々とその数を探し続けるのであろう。
こんど暇を見つけたら、プログラムを作ってやってみようという気になるけれど、そういう暇がいつになったら見つかるかどうかの問題だと思う。

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2011年10月05日

「同心円エクササイズ」で「分かち合い(シェアリング)」を体験する

私は清泉女子大学で、週1回「宗教科教育法」という授業を担当している。受講者は14人くらいの小じんまりした授業である。
これは「宗教科」の教員免許を取得するための「教科教育法」のひとつである。
9月30日はその後期最初の授業であった。そこで「同心円エクササイズ」というのを行ってみた。これが意外に好評であったので報告したくなった。

2重の同心円状に椅子を並べ、内側と外側の人が向かいあうようにしてすわる。
司会者があるテーマをいうので、それについて3分間話をする。
最初は外側の人から話すようにする。二人で3分間である。
司会者はタイマーで3分間たったら合図をする。
外側の人がたちあがって一つ横にずれて、ペアを変える。
司会者は次の質問を言い、また3分間話をする。今度は内側の人が先に言う。
3分間話したら、今度は内側の人が一つずれて、また別の人とペアになる。


こういうことを繰り返していく。
この授業では場所が狭く、人数も少なかったので、椅子を向き合うように並べて、一つずつ右回りにずれるようにした。いちばん左はじの人は、向かい合う席に回り込むようにして向き合って座った。同心円よりはこちらの方が合理的だと思う。

質問は次のような内容であった。

1.最近感動したこと
2.最近がっかりしたこと
3.「やったー!」と達成感を感じたこと
4.この夏休みで最も悔いを残したこと
5.最近むしょうに腹が立ったこと
6.この夏とても愉快だったこと
7.つらかったこと、苦しかったこと
8.ラッキーと思ったこと
9.不運な星のもとに生まれて来たと思ったこと
10.1週間で一番生き生きしている時
11.1週間で一番自分らしさを失っている時、しおれているとき
12.いま、夢中になっていること、熱中していること、ハマっていること


という質問だった。
自分の席に戻って、今度はこの感想を言ってもらった。

●笑顔が大切だと思った
●初めて話す人が多かったけれど、すぐに打ち解けて話せた
●みんなの夏休みに触れられてよかった
●私は人見知りなので、初めての人と話すのは苦手なのだが、でも楽しかった。
●同じ学年、同じ学科でも普段話すことのなかった人と話せてなんだか嬉しかった
●初めは何を話そうと不安だったが、意外に時間が早くて時間が足りなかった。


学生たちにきいた。
「このエクササイズはとても良くできていて、ほんとに盛り上がることが多いのだけれど、どうしてこうなるのか考えてほしい。
ここにはいくつかの仕掛けがあるんだけれど、それに気づかないかな?」
学生たちの答えである。


●自分に起きたこと、体験したjことを話している。
●誰にでもあること、直ぐに思いだせること、そして共感できることを話している
●あまり深く考えずに心の浮かんだことを素直に表現している。
●他の人が私の言うことをどう考えるかというようなことを気にする暇がない
●簡単に話せる。
●フィーリング、気持から入る問いかけである。考えや意見を言うというのではない。
●ネガティブなフィーリングとポジティブなフィーリングとを交互にきいている。
●隣の人の話に妨げられないように身を乗り出して聞いている。つまり積極的に聞こうとしている。


こういう話をすることを「シェアリング(わかちあい)」という。ここでしていることはそのシェアリング(わかちあい)である。
これを身につけておくと、心を開いて話すという時にとても役に立つ。学校で教員同士で、あるいは生徒や保護者と面談の時、この技法をもって向き合えばいい。
「わかちあい」には4つの原則がある。

第1原則 分かち合うべきことはフィーリングであり、気持である。考えとか意見とかではない。
第2原則 主語は常に私である。主語を「あなた」にすると説教になったり、批判になっり、攻撃になりやすい。 主語を第三者にするとそれは噂話である。
第3原則 相手の話はよく聴き、受け止める。相手の話を批判したり、説教をしたり、分析したり、解説を加えたりすることはわかちあいの妨げとなる。
第4原則 そこで分かち合われたことは、その場限りのこととして口外しないこと。


ただし、この原則を先に示して、「さあ、この原則に従って分かち合ってください」といっても、まず無理であろう。
まず自然に分かち合いを体験して、「これが分かち合いです」というのがいい。
私の経験で言うと、分かち合いのもっともよい問いかけは

「最近心を大きく動かしたことについて報告してください」


だと思う。
心を動かしたことのなかには、感動したことはもとより、うれしかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、怒りを感じたことなどなどいろいろある。
この問いかけは分かち合いを引き出す良い問いかけである。

私たちはそれと意識していないで、分かち合いをしている時がある。
その一つは、盆や正月に故郷に帰省して、親や兄弟たちと話している時
もうひとつは、小学校の同窓会で幼馴染とひさしぶりに会う時
まだ、そのほかにもあると思う。

分かち合いが難しい時もある。
年中顔を突き合わせてている夫婦や家族の間
利害関係や上下関係があるとき

分かち合いのへたくそな人たちがいる。
司祭、警察官、そして教員である。
人を裁いたり、説教したり、点数をつけたりすることを仕事にしている人たちである。

「私の話を聞いてください」という詩を読んで終わるといい。

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2011年10月04日

愛すべき3人の鶴見人

私が住んでいる鶴見には、愛すべき芸能人が3人いました。

そのひとりは淀川長治さん。
むかしまだ自動改札ではなかったころ、駅の改札口を通っていたら、後ろで切符きりの駅員に賑やかに挨拶している人がいました。後ろを見たら、淀川さんでした。
バスにのっていて、賑やかに隣の人と話している人がいました。どこかで聴いたことのある声と話し方です。淀川さんでした。
たまたま隣り合った人と誰でもきがねなく談笑する人だったのですね。
家の近くを散歩すると、近くの友人があそこが淀川長治さんの家だよって教えてくれました。

もうひとりは、緒方拳さんです。私はあったことがありませんが、鶴見の人は会ったことがある人が多いようです。気さくで飾らない人という印象をみんなが持っています。
家は小学校の前にあって、外壁に能面などいろいろなお面がはられているのですぐに分かります。表札にも緒方拳と出ていました。
近くに息子の緒形直人さんの家もあるのですが、ここは表札も出ていないし、近所の人以外には誰もそこが直人さんの家であることを分からないでしょうね。

前ふたりは、故人ですが、もうひとりこの方は現役です。
鶴見で朝散歩していたら、ジョギングしている人とすれ違いました。
どこかで見たことのある人だなと思ってみたら、すれ違いざまに「おう!」と声をかけてくれました。
その声で思い出しました。ショーケンです。60年代グループサウンズのアイドルだった萩原健一でした。
この人鶴見の地元のお菓子屋さんの宣伝の看板によく出ていました。
鶴見に縁のある方であったようです。

いずれもきさくさ、かざらなさが共通の鶴見人です。

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広告につられて読みたくなった本4冊

今日の毎日新聞の出版広告の中に読みたくなった本が4冊も目についた。これは珍しいことである。

その1は川北義則の著「男を磨く女 女を磨く男」(PHP研究所刊)である。そのコピーにはこうある。

お互いの人生を豊かにするために知っておくべきこと
●「勇気」をうまく引っ張り出す法
●いい女は「イ」の達人である
●「面白い」は何よりも武器になる
●妻の日常は偉大である
●人に好かれる人、嫌われる人
いくら強い女性でも、男に甘えたいときがある。男勝りでバリバリと仕事をこなしている女性が、いったん惚れてしまうと、その男の前ではすっかりしおらしい女っぽさを見せることがある。男と女は磨き磨かれる関係である。


もう一つは同じ著者出版社の「男の生き方 −誇り高く信念を持て」
この本のコピーもいい。

20代は夢を描き、30代は根を張る
40代には軸をつくり、50代は颯爽と生きる


さて60代はというのを聴きたくなるのだが、著者はそこまで年をくっていないのか。
多分こういう本を読んでも、当たり前のことばかり書かれていて、そう面白くないことが多い。しかし、この広告コピーはよくできていると思う。きっとその内容よりもコピーの方が傑作というおそれがある。羊頭狗肉でないことを願う。

次は「『親切』は驚くほど体にいい!」(デイビッド・ハミルトン著 有田秀穂訳 飛鳥新社刊)。そのコピーにこうある。

”幸せ物質”オキシトシンで人生が変わる。
親切をすると脳と体をめぐる不思議な神経物質「オキシトシン」。その働きで………
1.辛いストレスが消える
2.人との絆を感じ、幸せ感が手に入る
3.心臓、血管、消化器の働きがよくなる
「親切」をすると自分が元気になる”まったく新しい健康法”


私はこういう逆説が好きである。
自分のためにではなく、人のために何かをしたいという奉仕の欲求が人間のもっとも高次な欲求であると思っているからである。
あるいは「自分の重荷を軽くするもっともいい方法は他人の重荷を背負うことである」という逆説を信じているからである。
それを裏付ける情報は私にとって貴重である。

第4に同じ出版社の本「うつは手仕事で治る!」(ケリー・ランパート著 木村博江訳 飛鳥新社刊)。その広告コピー。

なぜ昔の人はうつにならなかったのか。
神経学者がうつの正体を捉えた話題作。
人は体を使って努力し、目的を達成することで大きな喜びを感じる。畑仕事や手仕事から解放され、スイッチ一つですむ生活になってから、うつになる人が増大した………。


新聞広告でこういう読みたい本を見つけると、
1.図書館のネットで探す。ところが図書館の蔵書には新刊書はほとんどない。あっても何十人待ちであることが多い。
2.本屋で立ち読みをする。たいていはぱらぱらとめくるだけで、自分で買うことはない。図書館に入ってくるのを待てばいいだけである。
3.図書館でこの著者の別な本を探してこちらを予約する。
4.この書の紹介の中にあるキーワードを調べてみる。この広告では「オキシトシン」であることはいうまでもない。これについてはまたあらためて記述する予定である。

私は新刊書は極力買わないことにしているのだが、それでも買いたくなり、買ってしまう本がある。今回の4つの本がその中に入るかどうか。

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2011年10月01日

創発する民主主義へ

2011年9月3日の朝日新聞に「創発する民主主義へ −現場からの発信で新たな政治を想像 ネットが後押し」というタイトルの記事が載っていて、とても興味深く読んだ。これは MIT メディアラボ所長の伊藤穣一さんという方へのインタビュー記事である。

この内容については、ここに掲載されているのでそれを参照してほしい。



内容をかいつまんで紹介すると

草の根から現場から生まれてくる直接民主主義に近い政治的な秩序

討論型世論調査 無作為に抽出したごく普通の人を一箇所に集め、税制とか年金とかのややこしい問題を数日間議論してもらう。するとひとりひとりのレベルを超えた深い意見が出るようになり、全体としての判断もより適切な方向に変化していく

今中東で起きていることはまさにこの創発型民主主義


このインタビュー記事では「創発」をこう説明している。

「例えばアリは一匹一匹に高い知性はありませんが、群れとしてはとても複雑な共同作業をします。巣をつくり、ごみ捨て場や、死んだ仲間の墓地もつくる。個々の単純な動きが相互に作用し、いわばボトムアップで思いがけない高度な秩序が生まれていく。そういう現象を創発と呼びます。例えば大都市でも、トップダウンの都市計画より住民の相互作用から生み出された街並みの方がうまくいく。これも創発です」


私は以前この「創発」という概念のおもしろさについて、紹介した。
私はそこでこんなふうに説明した。

「人工生命」を研究する専門的な立場からの「創発」とは「総体を構成する各部分間の相互作用により,上位レベルの特質や振舞いが現出する現象」あるいは,「上位レベルが現出すると同時に逆にその上位レベルが下位レベルを制御して新たな秩序を生む現象」というのがひとつの定義である。
 つまりは個体がそれぞれに起こしたアクションが個体間の相互作用の繰り返しによってあるグループ、つまりは社会におけるひとつのアクションを引き起こす現象、またはその逆の現象などを創発とよぶ.
 「単純なものが相互作用しあって複雑な挙動を示す(発する)」現象である。「複雑系」と呼ばれる分野の解き口の重大なひとつとされている。


この「創発型民主主義」のアイディアの進化と伊藤穣一さんに注目していこうと思っている。

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2011年09月27日

ヒマラヤスギの球果と雄花

十二所の修道院には、たくさんのヒマラヤスギが植えてある。先週の台風15号の強風のためにヒマラヤスギが根っこから倒れてしまい、よく見るとそこに大きな球果ができていた。さらによくみると、別な木にはそのミニチュア版のような形の蕾があった。この蕾と球果とそして薔薇の花のような形をした松ぼっくりとの関係はどうなっているのか、興味があったので調べてみた。

ヒマラヤスギは、ヒマラヤ原産で日本では栽培種。マツ科ヒマラヤスギ属の常緑針葉樹です。名前に「スギ」とつきますし、別名は「ヒマラヤシーダー」ですけど、スギではなくマツの仲間です。

明治初期に日本へ導入され、庭園木、街路樹などに利用されています。原産地では、材として建築・土木・家具に広く使われているそうです。成長すると、高さ20〜30メートルの高木になります。

樹形はキレイな円錐形です。世界三大庭園樹の一つと言われます。
ところでこの世界三大庭園樹とはなにか? ヒマラヤスギ、コウヤマキ、そして南洋杉(アローカリア)だそうです。南洋杉は日本では見られない木ですが、コウヤマキは日本固有の木です。大木になる割には成長が遅い木で手がかからないところが庭園樹として好まれているとか。

ヒマラヤスギは、成長すると高さ20-30mの高木になります。樹形は円錐形。根は比較的浅く、樹が大きくなると台風などで倒れ易いです。球果(松ぼっくり)は大きく、縦10cm、横8cmほどの大きさになります。

雌雄同株、雌雄異花。
花は10〜11月に開花します。雄花は円錐形で、長さは約3cm、初めは淡緑色、後に熟すと茶色くキツネの尾のようになります。花の後は大量に樹下に落ち目立ちます。花粉を大量にばらまく風媒花であり、秋の花粉症の原因にもなります。

ヒマラヤスギの雌花。日本中に数多くあるヒマラヤスギですが、雌花は小さくて高いところに上向きにつくので観察が困難とされています。

球果は直立し、翌年の10〜11月に熟します。長さは6〜13cm。
マツの仲間(スギではない)の球果の成熟期間は、
・春〜秋の半年で熟すもの(モミ、シラビソ)
・秋〜秋の1年〜数年で熟すもの(ヒマラヤスギ)
・春〜翌年の秋の1年半で熟すもの(アカマツ、クロマツ)
などがあります。
いずれも松ぼっくりになるまでに、半年から1年半をかけているわけです。

球果が1年ほどかけて熟すと、コーン状になっていき、上の方が脱落して、さらに鱗片もはがれおちます。
樹上にはコーンの中心にあった軸だけが残ります。
脱落した上の方の部分は、“木彫りのバラ”、「シダーローズ」という名前で、ドライフラワーとして販売されています。

なるほどなるほど、これでようやく相互の関係が分かりました。
調べてみるといろいろな発見がありますね。

こちらは画像付きです。
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2011年09月26日

「海鳴りの底から」にみる島原の乱の「パライソとインヘルノ」

この小説は堀田善衛が60年安保のころに「朝日ジャーナル」に書き下ろしたものである。
この本の表紙に書かれているこの小説の紹介である。

生きるか死ぬか、死ぬのが吉利支丹じゃろうか?幕府のキリシタン弾圧と藩の圧政に3万7千人の老若男女は島原の小さな城に立て篭もった。時に寛永14年11月。それに対して幕府連合軍は総勢12万5千。城の内と外で繰り広げられるハライソ=天国とインヘルノ=地獄。


島原の乱を舞台とする小説には「出星前夜」(飯嶋和一著 小学館刊)がある。この小説にも描かれていたが、「海鳴りの底から」にも同じようなテーマが浮かび上がる。つまり「地獄の中に天国がたちあがる」である。このテーマは、「災害ユートピア」で紹介した。

この小説の中で私が興味を持ったのはいくつかあるのですが、その中の一つは農民たちがなぜこの反乱をおこしたのかということを語るところです。

二ノ丸指揮者である山善右衛門は、まことにじっとしていられないふうで、しばしば軍奉行のかねての命に反して二の丸の持ち場持ち場へ出張っていき
「ほい、敵は大日本じゃ。おいたちはここにかとりかのれぷぶりかをおしたてるじゃぞぉ」
かとりかのれぷぶりかとはなんのことじゃ、ととわれれば、
「かとりかと申すは、世間は広いという意味で、れぷぶりかと申すは、国ということじゃ。国と言うてもな、天地同根、万物一体、一切衆生貴賎を撰ばずちゅう国柄のことじゃ。」ときれいさっぱり、応えていた。

申し分があるなら言えということであるから申し上げるが、今回、われわれが下々として一揆に立ち上がったのは、なにも国郡などを望んでのことではない。われらの宗門について自由が許されるならば、そのほかに存念とてはないのである。


次に興味を持ったのは、原城の陣中旗のことである。これを描いたのはこの小説の主人公の一人である絵師山田右衛門作である。かれはリーダーでありながら、敵がたに内通し、原城の戦いで唯一生き残ったリーダーであった。
この小説の初めの方に山田右衛門作がこの陣中旗を描くシーンがある。

一揆衆の中心になるものは何か、十字架の立つ聖餅と聖体秘蹟盃、つまりはぜずす・きりしとそのものを授かるという聖体の秘蹟、この二つ以外はありえない。それが羅馬公教会の中信思想である。聖杯には淡黄色をほどこし、銅板画の手法を用いて滑筆による陰影をつけた。この聖盃に侍して拝する二天使は、蘆筆を用いて飛翔の力感がでるように素描のあとをあらわにのこし、暗部は綾描によった。彩具は膠画用のものを使った。
描き終わって、上部に LOUVAD SELAO SANTISSIM SACRAMENT(いととうとき聖体の秘蹟は賛美せられさせたまえ」とのポルトガル語の賛をいれた。


この時代、司祭はいないのでミサは上げられない。だから聖体の秘跡には預かれないのである。なぜこのような絵になったのか、とても唐突な感じがするのだが、このしょうせつではそこはときあかされない。

もうひとつある。それはこの小説の中にしばしば「こんてむつすむん地」が読まれる場面が出てくる。

「こんてむつすむん地というのは、むずかしく言えば、すべて世俗の虚栄を蔑視する、ということじゃ。むんぢというのは、この世の中ということ、世界ということじゃから、地の字をしまいにあてた。その本は知ってのようにぜずす・きりしとにならうためのもの。初めから読んでみてくれ。」
和作は、火にこの木活字による、ほとんどが平仮名ばかりの活字本をあらためてかざした。
「御あるじのたまはく、われをしたふものはやみ(闇)をゆかず、ただ命のひかりをもつべしと……。」
右衛門作は、和作が読み下していく文章を耳にききながら、旨に誇らしい気持ちが湧いてくるのをおさえかねた。七面倒な漢文などではなくて、平仮名で見事な国語が連ねられている。慶長8年に長崎で印行されたものであった。その平俗な日本語にこめられている情と熱の深さに高さにはいつ耳にしても右衛門作はうたれた。仏教経典のあのわけのわからなさにくらべれば、よくもこんなにやさしくて耳に入りやすく、しかも美しい日本語に外国の経文がなったものだ、と感心した。
それは第1章、De Imitatione Christi et Comtemptu Omnium Vanitatum Mundi  という章名を「世界の実もなきことをいとひ、ぜずすきりしとを学び奉ること」と、素直に訳していた。この素直で情け深い国語の書き手として、細川ガラシャおたまの方、あるいはガラシャ夫人周辺の人々を彼は空想裡に描いている。西海の果てから伝わって来た経文が、美しい日本語を生む機縁になったということが、右衛門作にはえもいわず面白く感じられた。それはおのれ自身の画業にも通じてくる何ものかをもっているはずである。


この「こんてむつすむん地」はトマス・ア・ケンピス著の「イミタチオ・クリステ(キリストにならいて)」という書で私も昔読んだ本である。
そんなに美しい日本語なのか、あらためて読んでみなければならないなと思われた。

こちらは画像付きです


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2011年09月24日

Draw a Stickman のシンプルなおもしろさ

私が10年以上前に高校「情報」の教科書の編集にかかわったことがあるのですが、その時の教科書出版社は日本文教出版社でした。
いま教科「情報」とは無関係になりましたが、そこからおくられてくるメールマガジンはとてもおもしろくて、月2回刊の発行を楽しみにしています。とくに編集後記がおもしろいのです。

今回のメルマガに「Draw a Stickman」というウェブ上のソフトが報告されていました。その紹介文をここで掲載します。

○Draw a Stickman
http://www.drawastickman.com/
息抜きをどうぞ。主人公を描くとそれが動き出し物語がはじまります。
話が進むにつれて自分で描いた主人公からさまざまな道具を描くことを
要求されますので,それも描いてあげてください。人間の形をしていな
い絵でもそれっぽく動いて愛着が湧くから不思議です。
このインタラクティブな作品はJavaScriptとHTML5を組み合わせて実現
しているということですが,そもそも「HTML5」がどういうものなのか
を一言で説明するのが難しいです。いずれどこかでまとめたいところで
すが,とりあえずはウェブ上にまとめられている以下のようなリファレ
ンスをご確認いただければと。


実際に試みてください。なんということはないのですが、ワクワクしたり、考えさせられたり、もう一度やってみようという気にさせられたりします。
これは何がおもしろいのだろうかというのを考察していくと、自分が描いた絵が動き出して、それがあるストーリーをつくりだしていき、それに応答することを求められる。そこがとても creative な感じにさせるということでしょうか。

何はともあれ、1回試みて、考えたこと、感じたことをお聞かせ願えたら幸いです。
ここには何か大きな可能性が開かれているような気がするのです。

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2011年09月21日

ナギ(梛)の並木を横浜で見つけました

横浜駅北西口を出て、神奈川県県民センターの方に川沿いに歩く通りに植えられていた並木は、ナギの木であった。
しかもその並木は、青白色の葉とよく似た色の実をつけていた。
街路樹としてこの木が使われているのは珍しいかもしれない。
この木はよく神社に植えられるご神木であるようだ。ときどき神社に植えられているのを見る。

この木が最も特徴のあるのは、この木の葉を見ると広葉樹風なのであるが、じつはれっきとした裸子植物(針葉樹)なのである。
マツ目、マキ科、ナギ属、なぎが正式な学名である。

若枝も緑色であるところもこの木の特徴であろう。
さらにこの葉は縦に裂くことはできるが、横にちぎることはできないことから、男女の縁が切れないようにと葉を鏡の裏に入れたり、守り袋に入れて魔よけにしていたそうである。
 

写真付きページです/a>

2011年09月17日

ドキュメンタリー映画「幸せの太鼓を響かせて −INCLUSION」をみました

教会の友人に誘われて「幸せの太鼓を響かせて」を伊勢佐木町のテアトル横浜に見に行きました。その友人は 「able の会」という障害者支援団体にかかわっていて、そこが作る映画の第3弾ということである。それまでは自主上演活動によって行ってきたが、今回からは劇場公開することにしたのだそうである。
私は前2作も見た。

ひとことで感想を言うならば、太鼓の響きを聴くことによってささやかな幸せをもらったということかな。。
カトリック映画賞に推薦しようかと考えています。

この映画の紹介です。チラシにあったコピーを紹介しましょう。

「すべての音色が調和するとき世界はきっと今より美しい」
「職業を持ちたい、家族を持ちたい、普通のことなのに、遠い夢だった.知的障害がありながら、全国2位に輝いたプロの和太鼓集団の感動の記録」
「ひたむきに太鼓を打つ音が、遠く離れてクラス家族の元にも届いた………」
「普通の日常に大きな感動がある.普通の言葉に涙が止まらない」
「家族と別れた過去も、幸せの願いも、すべての想いをこの新曲に込めて」


瑞宝太鼓」は知的障がい者職業訓練施設でのクラブ活動として発足。次第に技術を磨き、国内外のイベントに多数参加する中、メンバーからの強い希望で、2001年4月、プロ集団としての道を選ぶ。現在は年間100回以上の国内公演の他、バルセロナやシドニーのパラリンピックでのイベント、ミューよーくkokuren本部など海外でも活躍。その実力は障がい者という枠を越え、2010年に開催された第9回東京国際和太鼓コンテストで、全国から集まったプロ・アマの中で、みごと優秀賞(2位)に輝いた。


この映画を見ていて、この和太鼓集団が知的障がい者であるということをしばしば忘れさせてくれる。特に太鼓を演奏する場面ではそうである。中に入ってくるナレーションや出場者の会話、あるいは日常生活を映すことによって、「ああ、ソーだったんだ」と思い出すのである。
知的ハンディを持って練習することがどんなに大変なのかをあまり強調していない。そこがいいという人ともっと協調したらよかったと思う人と両方いるにちがいない。
う〜ん。私はどちらかというと後者かな。

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2011年09月15日

どうか私が話さないでいることを聴いてくれ

教会で行っているキリスト教入門講座で、「聴くこと」というテーマの日につぎのような詩を読む。
グリフィン神父のテキストにあった詩で原作者は不明であるが、 「内なる子どもを癒す−アダルトチルドレンの発見と回復 」(チャールズ・L. ウィットフィールド (著), Charles L. Whitfield (原著), 斎藤 学 (翻訳), 鈴木 美保子 (翻訳) )という本にも引用されていた。以下の訳はこちらの書によるものである。



「どうかわたしが言っていないことを聞いて」

 私に騙されないで。
 私がつくろう顔に騙されないで。
 私は仮面を、千の仮面を被っているから、それを外すのは怖くて、
 どれひとつとして私じゃない。
 うわべを飾るのは、第二の習性となった技巧、
 でも騙されないで、
 お願いだから騙されないで。
 あなたに、私は大丈夫という印象を与える、
 すべては順調で、私の内も外も静かに落ち着いているという、
 自信が私の名前で、クールなのが払のゲームといった、
 水面は穏やかで、私は指揮権を握っているといった、

 私は誰も必要としないといった。 でも私を信じないで。
 表面は穏やかに見えても、表面は私の仮面、
 つねに変化し、つねに姿を隠す仮面。
 その下に安心の字はない。
 その下には混乱と恐れと孤独が居座っている。
 でも私はそれを隠す。誰にも知られたくない。
 
 私の弱みや恐れがむき出しにされると考えるだけで、私はうろたえる。
 だから私は血迷ったように隠れ蓑を付ける、
 何気ないふうな、洗練された見せかけの仮面を、
 うわべを飾る手助けをしてくれる、
 見抜いているといった眼差しから私を守ってくれる仮面を。
 でも、そんな眼差しこそが私の救済。
 私の知る唯一の希望。
 つまり、もしその後に私が受け入れられるのであれぱ、
 もしその後に愛があるのであれば。
 
 それは、私を私自身から解放してくれる唯一のもの、
 私の自分で築き上げた牢獄の壁から、
 私があんなにも丹精込めて作った砦から。
 それこそが、私が自分自身に確証できないものを、
 確証してくれる唯一のもの、
 私にもじつのところ何らかの価値があるのだと。
 でも私は、このことをあなたに言わない。
 あえて言わない。怖いから。
 私はあなたの眼差しの後に受け入れが、
 その後に愛が伴わないのではと恐れる。
 あなたが私を劣っていると思うのでは、あなたが笑うのではと恐れる、
 あなたの嘲笑は私を殺すのだから。
 私は、結局のところ何者でもなく、ただ駄目な人間であることを恐れる、
 あなたがそれに気づいて、私を拒否することを恐れる。

 だから私は私のゲームをプレイする、命がけの、扮装ゲーム、
 表に確信のうわべをつくろい、
 内なる子どもは震えている。
 そうしてきらびやかな、けれど空虚な仮面のパレードが始まる、
 私の人生は前線となる。
 私は無為に、ロあたりのよいうわべだけのおしゃべりをする。
 本当のところどうでもいいことは、全部あなたに話す。
 本当に大切なこと、私のなかで泣いているものについては、
 何ひとつ話さない。
 だから私が私の決まりきった私を演ずるとき、
 私の言っていることに騙されないで。
 どうか注意深く聞いて、私が言っていないことを聞いて、
 私が言ってみたいことを、生き延びるために言わなくちゃならないのに、
 私が言えないでいることを聞いて。私は隠れたくない。
 うわべだけのいんちきゲームはしたくない。
 そんなゲームはやめてしまいたい。
 私は本物で、自然で、私でありたい、

 でもあなたが助けてくれなくちゃ。
 あなたの手を差し伸べてくれなくちゃ、
 たとえそれが、私が一番嫌うことのように見えても、
 私の目から生ける屍のうつろな凝視を拭えるのは
 あなただけ。
 私を生に呼び戻せるのは、あなただけ。
 あなたが親切で寛容で励ましてくれる時いつも、
 あなたが本当の気遣いから理解しようとしてくれる時いつも、
 私のこころに翼が生え始める、
 とっても小さな翼、
 とってもかよわい翼、
 でもそれは翼
 私の感情にふれるあなたのパワーで、
 あなたは私に命を吹き込める。
 あなたにそのことを知って欲しい。

 あなたが私にとってどんなに大切か、知って欲しい、
 あなたは私という人間の創造者、
 そう、真面目な話、創造者になりうることを、
 もしあなたがそうしたいのならぱ。
 あなただけが、私がその後ろで震えている壁を取り崩せる、
 あなただけが、私の仮面を取り払える、
 あなただけが、うろたえと半信半疑の私の影の世界から、
 私の孤独な牢獄から、私を解放できる、
 もしあなたがそうしたいのならば。
 どうかそうして。私をやり過ごさないで。
 あなたにとってやさしいことではないはず。

 自分は役立たすとの久しい確信は、強大な壁を築く。
 あなたが私に近づくほど私はより盲目的にはね返すかもしれない。
 それは不合理なこと、だけど本に書かれている人間とは違って、
 しばしば私は不合理。
 私は欲しくてたまらないまさにそのものに対して闘いを挑む。
 でも愛は強大な壁よりも強いと人は言う、
 そしてそこに私の希望はある。
 どうかその壁を打ち壊して、
 堅固な手で、
 でも優しい手で、
 子どもはとても敏感だから。

 私は誰、とあなたはいぶかるかもしれない?
 私はあなたがよく知っている人。
 私はあなたが出会うあらゆる男だち、
 あなたが出会うすべての女たちなのだから。 


この詩を読んで何を感じるであろうか?
くどくど続くグチにつきあわされるような感じで読んでいる人もいるかもしれない。そういう「暗さ」がついている詩であるが、言っていることは実はとても深いのではないだろうか。

私はいくつもの仮面をかぶっている。でもその下にある本当の私をみてほしい。その声を聴いてほしい。
私は本当に言いたいことを言っていない。でもあなたにはその裏に隠れている本当の自分の声を聴いてほしいんだ。

私はこの詩を読んで「そういうことってけっこうあるのではないだろうか。「聴く」ということはそういうことなのだろう」と思うようになった。これを意識すると人の話の聞き方が大きく変わって来るようになったと思う。

ちなみにグリフィン神父訳はこちらにある。
読み比べてほしい。

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2011年09月13日

よたよた、よろよろ、ふらふら、ひょろひょろ、よぼよぼ、とぼとぼ

92歳の母いよさんの言葉の感覚のおもしろさは前にも書いた。私がいつも面白がるので、彼女もとてもよくしゃべるようになる。

最近足元がおぼつかなくて、××××と歩く。この「××××」に入ることばいつも違っていることにきがついた。
「よろよろ」
「よたよた」
「ふらふら」
「ひょろひょろ」
だいたいこの4つであろうか。

そこで、いよさんは使わない「よぼよぼ」「とぼとぼ」もくわえていよさんにきいてみた。
「よろいよさん、よたいよさん、ふらいよさん、ひょろいよさん、よぼいよさん、とぼいよさんのどれがいい。」
「なにそれ?」
「いよさんが歩くときのことばだよ。よろよろ歩いたり、よたよた歩いたり、ふらふら歩いたり、ひょろひょろあるいたり、よぼよぼ歩いたり、とぼとぼあるいたりしているじゃん」
「そんな〜。よぼよぼなんか歩いたりしないよ。まだそんなにとしよりではありません。」
「でも歩いているときに、あしもとがおぼつかないよ。ね〜。よろいよさん、よたいよさん、ふらいよさん、ひょろいよさん、よぼいよさん、とぼいよさんのどれがいい?」
「そうね〜。よたいよさんがいちばんいいね。」
「ああ、そう〜。じゃいよさんがあるくときはよたいよさんだね。」

とまあ。こんな会話がときどき繰り返される。いよさんの好みはだいたいが「よたいよさん」である。

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2011年09月09日

キリシタンをまつった神社 枯松神社

長崎市外海町に枯松神社というキリシタンをまつった神社がある。今年の夏にそこに行った。
この神社は、バスチアンの師であったサン・ジワンというキリシタン・バテレンをまつった神社である。当時のキリシタンたちが神社にカモフラージュして祈りを捧げた場所ということになる。

毎年ここで旧信者(カクレキリシタンの末裔)・カトリック教会・そして仏教の3教派が合同で祈祷集会を開くという。
仏教が参加するのは、この地の寺であった天福寺が、キリシタンであることを知りながら、キリシタンを守ったということから参加しているという。

その近くに大きな岩があった。この岩の下キリシタンたちがオラショをとなえていたといわれている。

前にやはり迫害で殺されたキリシタンの霊を弔うためにつくられた名古屋の栄国寺を紹介した。こんどは神社である。
これらは例外であるにせよ、こういう寺や神社があることは日本人の宗教の寛容性や奥深さを示しているのかもしれない。

写真付きはこちら
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2011年09月06日

被災者を励ますつもりが傷つけていることば

被災地にボランティアで行っていた友人がこんなことを紹介してくれました。

被災者たちを励ますつもりでいったことばが、実は傷つけていたという言葉集です。



●がんばれ
●あなたが元気にならないと亡くなった人も浮かばれないですよ。
●泣いていると亡くなった人が悲しみますよ。(悲しいときには泣いてもいい、元気をうしなっていいという原則が守られていない。「喪失」がきちんと扱えていない。よくいわれることばだがたくさんの問題が含まれている)
●命があったんだからよかったとおもって
●まだ、家族もいるし、幸せな方じゃないですか。
●このことはなかったこととしてやりなおしましょう。
●こんなことがあったのだから将来はきっといいことがありますよ
●思ったより元気そうですね
●わたしならこんな状況は耐えられません。私なら生きていられないと思います。
(しっかりしているとほめているつもりでいわれていることが多いのだが、おめおめと生きている自分を非難されたと感じる人が多い)



これをみてどう思いますか?
とくに「がんばれ!」という言葉がやはり問題です。みんな充分にがんばっているのに、これ以上がんばれというのかよ、っておもわれるのだそうです。

どこかに、この言葉を言われたときがもっとも励まされたという言葉集がないものでしょうか?
そちらの方が集めるのが難しそうですね。

前に紹介した「復興の狼煙」ポスターは、被災地の人たちから私たちが受けた最大の励ましと希望のメッセージのような気がします。
たとえば
「此処でなきゃ駄目なんだ」
「これからを取り戻す旅」
「余計な言葉は無くていい」
「あの日と闘い続けていく」
「忘れたいけど覚えておく」
いずれも瓦礫の街を背景にして人びとが笑顔で立っている写真のポスターに、ひとことのメッセージが書かれています。

その後も続いて第2集、第3集と刊行されています。
そういえばこの前浜松に行ったときに、このポスターが店の前に貼られているのを見て感動しました。

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2011年09月05日

心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らん

私の尊敬するもと朝日新聞の記者である菅原伸郎氏は、私の主宰する「宗教倫理教育担当者ワークショップ」にも取材に来られ、その内容を朝日新聞夕刊の「心のページ」の「心のレッスン」というシリーズで紹介してくれました。
その菅原さんが、朝日の記者を辞めて、大学で「宗教」の授業を担当されています。その授業のことを書いた「宗教の教科書12週」(菅原伸郎著 トランスビュー刊)に次のようなことが「祈る」という章に書かれていました。

平安時代の菅原道真(845〜903)も
心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らん
と詠んだとつたえられています。勉強にしろ、仕事にしろ、誠心誠意の努力をするならば、祈らなくても、神は守ってくださる、という意味です。といって、神の存在や祈りを否定したのではないでしょう。いまさら祈らなくても、神は見守ってくださる、という絶対の信頼があってこその歌です。道真は死後に「天神さま」として祀られて合格祈願の神として有名になりますが、当人は「努力さえしておけばとくに祈らなくてもいいよ」といっていたのですから、皮肉なものです。


この歌をどう考えたらいいでしょうか?
「誠の道にかなって」生きようとすること自体が祈りであるような
そういう生き方のことをいっているのかなとも思います。

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2011年09月01日

フィボナッチ数列のトキメキ

「フィボナッチ 自然のなかに隠れた数を見つけた人」(ジョゼフ・ダグニーズ 文 ジョン・オブライエン 絵 渋谷弘子 訳)という絵本を読んだ。確かこの本は今年の「夏休み読書課題図書」に入っていたので知った絵本である。

中世のイタリアで子ども時代を過ごしたレオナルド・フィボナッチ(1170〜1240)は、あけてもくれても数のことばかり考えていました。そのため、他には能がない「のうなし」と呼ばれていたほどでした。
成長して世界中を旅したレオナルドは、諸国で使われていた数字、
とくにアフリカでであったインド・アラビア数字に魅せられやがて自然界にある多くのものが、ある決まった数でできていることに気づきます。かつて「のうなし」とからかわれていた少年が、フィボナッチ数列と呼ばれることになる数列を発見した瞬間です。
うさぎの繁殖に関する簡単な文章問題で現在その名を知られるフィボナッチは、今では史上もっとも優れた西洋の数学者の一人に数えられています。本書はけっして「のうなし」ではなかった一人の人物の物語です。

フィボナッチ数列とはこういう数列である。
1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、89、144、233、377……………
つまり前の二つの数の合計が次の数になるような数列のことです。

この数列の面白さを教えてくれたのは、いまから40年まえに、わたしの家で3組の夫婦があつまってビールを飲みながら薀蓄を披瀝しあう「考現学セミナー」をおこなっていたときに、大学の数学科を卒業したメンバーの一人であった。
この数列が黄金比と関係するということを難しい数式をもちいて説明してくれた。その数式はわからなかったが、この数列の面白さは十分に理解できた。

この絵本ではフィボナッチが出題した問題を紹介している。


赤ちゃんうさぎを2羽、野原にはなした男がいる。
うさぎが成長して、あかちゃんうさぎを産めるようになるには一カ月かかる。そのうさぎがオスとメス1組の赤ちゃんうさぎを産むにはさらに1カ月かかる。
毎月1組の大人のうさぎがあらたに産む赤ちゃんうさぎは1組とする。
1年後にこのおとこはうさぎを何組手にしているでしょうか?

まず1回目にいるうさぎは、赤ちゃんうさぎが1組。
1カ月後には、赤ちゃんうさぎを産めるほどに成長したうさぎが1匹。
2カ月後に、大人のうさぎが1組と赤ちゃんうさぎが1組。あわせて2組。
3カ月後に、大人のうさぎが2組と赤ちゃんうさぎが1組。あわせて3組。
4カ月後に、大人のうさぎが3組と赤ちゃんうさぎが2組。 あわせて5組。
5カ月後に、大人のうさぎが4組と赤ちゃんうさぎが3組。 あわせて7組。


つまりこの数列は、生命の成長や繁殖に関係するというわけです。だから巻き貝の成長や植物の花びらの数にこの数列が隠されている、いわば生物が秩序と調和をたもって生長するための設計図のようなものと言えましょう.
そしてその数列が黄金比と関係するというところもとても面白いことです。

こちらには画像もあります。
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2011年08月31日

地獄の中に天国が立ち上がる A paradise built in hell

「A paradise built in hell ーThe Extraordinary Communities That Arise in Disaster」
「災害ユートピア −なぜそのとき特別な共同体がたちあがるのか?」(レベッカ・ソルニット 高月園子訳 亜紀書房 2010年12月)という本が評判になっているようだ。

この本を知ったのは、毎日新聞2011年7月6日「水説 潮田道夫」による。

米国の作家レベッカ・ソルニットの「災害ユートピア−なぜそのとき特別な共同体がたちあがるのか?」(亜紀書房)によれば、大災害の時「地獄で天国が立ち上がる」現象が世界中で観察されている。何も日本だけがそうなのではない。


さらにこの論説では「エリート・パニック」についても述べられている。これもこの本に取り上げられていることである。

社会の指導的地位にあるひとびと、つまり、政治家などのエリートたちが、危機に際して市民がパニックに陥るのではないか、と怖れるあまりに自らがパニックになってしまうことだ。


実は私はまだこの本を読んでいない。私はこれを知ってさっそく横浜市の図書館ネットにて予約したら、200人待ちの状態だった。
この本はいいよと薦めた友人がさっそく本を求めた。かれの家をたずねたら、その本が置いてあったというわけである。かれの行動の速さに敬服した。

この本の帯には「5つのなぜ?」について紹介されていた。

災害時になぜ人々は無償の行為を行うのか
まぜ混乱の最中に人々は秩序だった動きができるのか
なぜ災害が起こるとエリートはパニックを起こすのか
市民ではなく軍隊や警察官が犯罪行為を起こすのはなぜか
地震のあとニカラグアで革命へと突き進んだのはなぜか


この本は昨年の12月に刊行されている。つまり今回の震災の前に書かれたものである。

私はキリシタン時代の「鈴田の牢」のことを思い出した。迫害拷問にさらされたあの地獄のなかの牢屋に「信仰と祈りの共同体」が表れた話である。

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2011年08月29日

いよさんの「いってこ」と「もうちょいねる」

母のいよさん、92歳。私は母のベッドの横に布団を引いて寝ている。
その母がいつも4時~7時ころにトイレに起きる。おおいときは2回起きる。
私もほとんど目がさめる。
「トイレはどこ? あっち?」
「そうだよ、あっちのほう。電気がついている廊下の先の方」と指をさす。
いよさんは自分の家のトイレもわからないことがある。
「大、だしてくんですよ」
「だいはでな〜い。おっしっこだけです。じゃ、トイレにいってこ」とよたよたとトイレにむかう。
「いってらっしゃ〜い」
「いってきま〜す」
家のトイレは自分だけでいける。
トイレから帰ってくる。
「寝るとこはどこ?」
「こっちのベッドですよ。私の布団でもいいですよ」と布団を持ち上げていう。
「いいよう。せまいもん。ベッドにねま〜す。今、何時? 何時に起きるの?」
「今、6時半。おきるのは7時だからあと30分寝られるよ。それともちょっと早いけれど起きる?」
「いいよ、もうチョイねる」
「いいね〜。その『もうチョイねる』ていうの。『もうチョイねるのおいよ』だね。また新しい名前ができたよ」
「いいよ〜。いい名前じゃないよう。やだよ〜。」
「いいよ〜。やだよ〜。いったいどっちなの。」
「やだよ〜。」
「あまり『やだ。やだ』っていうと、『つちやいよ』さんじゃなくて『つちややだよ』さんにしちゃうよ。」
「やだよ〜。では、もうちょいねるか」
とまあ、こんなぐあいの朝のいよさんとの会話である。
いよさんの言葉のやりとりをいつも楽しんでいる。「いってこ」とか「もうちょいねる」とかのことばの感覚がとても楽しいのである。

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2011年08月17日

「手で割る」時の音 平松洋子著「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」より

毎日新聞の日曜版に連載されている平松洋子さんのエッセイにつられて、彼女の著書を横浜市立図書館ネットで検索注文したら、「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」という本を読むチャンスに恵まれた。

この本の裏表紙にある解説にはこうある。



キャベツをちぎる、ピーマンを割る、水なすを裂く、いわしを開く、さきいかをむしる、手で肉だんごをつくる、豆腐を崩す……。これまで包丁を使っていたことを手でやってみると、料理が飛びきりおいしくなることを知っていましたか。手を使って料理する快楽とともにレシピを満載した料理エッセイの決定版。

一番最初の「手でちぎる」という所にこんな表現がある。
キャベツは手でちぎる。葉が内側にかたくまるまって、きゅっと結球したひと玉をつかみ、用心深く一枚一枚はがす。べりべりはがすのではない。そおっとゆっくり丁寧にはがすのはそののち訪れる取っておきの快楽のためだ。
はがした葉を水で洗ったら、、いざ、2,3枚束ねて重ね、両手の指でぐわっとつかんで一気にびりっ。キャベツの葉に逆方向の力を加えるや、迷いもなくちぎる。きれいにちぎろうなどとゆめ思ってはならない。力強くいく。ざっくりざっくり、遠慮会釈なくちぎる。さっきことさらに丁寧にはがしてみたのは、この瞬間の快楽に集中したい一心なのだった。
しかし、両手の指に強い抵抗が伝わった次の瞬間、あっけなくちからは行き場所を失って空に放り出される。あとには、右手に右側の、左手に左側の左右に分かれてちぎれたキャベツの破片が残されている。もう一回! ちぎる快感を追いかけて、また数枚重ね、びりびりっ。辛抱たまらん。重ねてはちぎり、重ねてはちぎり……。
はじめてキャベツをちぎった日の興奮を、手が「とても忘れるもんじゃありません」とうちあける。こんなにちぎってどうすんの。ブレーキをかけなくては、とあせるのだが、やめられない。手が喜んで勝手に動く。はっと気づいたら大玉一個。べりべりにくずれ果てていた。
いったいなんなのだ、この快感は。ちぎってちぎってちぎりまくったキャベツの山を呆然とと眺めているうち、ふいに蘇ってきたのは思いがけない記憶であった。


どうだろう。この表現は。私もすっかり「キャベツべりべり」に魅了されてしまった。
こういう表現があちこちにあるのだ。この本は、いやこの著者はすごい、と改めて再認識した次第である。

日本語の料理を食べた時のおいしさを表現する言葉はとても貧困だと思うが、料理に関することとの表現はとても豊かだと思う。この本はまさにそういう本である。料理をする楽しさをこれほど見事に表現した本はないだろう。

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2011年08月12日

伝道師バスチアンの典礼暦と予言

外海地区の巡礼で「バスチアン屋敷跡」を訪れた。雷が鳴って雨が降ってきそうだったので、ゆっくり見学するまもなくあわてて引き返してきた。
そこにおいてあった印刷物をもとに、伝道師バスチアンの生涯を紹介しよう。

禁教令により外海地方の神父がすべて追放されたあとに、日本人で洗礼名がバスチアンという伝道者が、この地方のキリシタンたちを指導した。バスチアンは追っ手を逃れるために隠れ家を転々とした。ここはその隠れ家の一つである。

1610年ジョワン神父がこの地方で布教を開始。バスチアンはこのジョワン神父から、1634年ころ教えを受け、とくに典礼暦の見方を教わった。キリシタンの守るべき祝日(特にイースター)がいつなのかを記したこの暦は潜伏したキリシタンたちに言い伝えられた。
1657年大村で「郡崩れ」といわれる迫害がおこった。600人余のキリシタンたちが捕らわれ殺された。行きながらむしろに包まれて大村湾に投げ込まれたが、その供養をしたのがバスチアンであった。
しかしバスチアン自身もついに密告によって捕らわれ、長崎の監獄に3年3か月、囚人として78回の拷問をうけたが屈せず、最期は首を切られて天に召される。
バスチアンは死ぬ前に4つのことを言い渡した。これが「バスチアンの予言」と呼ばれるもので、潜伏したキリシタンたちの希望となった言い伝えである。
1.汝らは7代までは、わが子と見なすがそれ以後は救霊が難しくなる。
2.コンエソーロ(聴罪司祭)が大きな黒船に乗ってくる。毎週でもコンヒサン(ゆるしの秘蹟)が申される。
3.どこでもキリシタンの教えを広めることができる。
4.途中で異教徒に出会っても、こちらから道を譲らぬ前に先から避けるであろう。

この予言どおりに約200年後に黒船に乗って宣教師たちがアメリカからやってくることになるのである。

こちらは写真付き
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2011年08月11日

「次兵衛岩」に再びいきました。

8月2〜5日の長崎での「宗教倫理教育ワークショップ」のあとオプションツアーで外海地区を巡礼しました。5日に黒崎教会、枯松神社、遠藤周作記念館、ドロ神父墓地、バスチアン屋敷あと、出津救護院あと、大野教会などをまわりました。そして6日の日は「次兵衛岩」です。

長崎市外海町から車で20分ほどいったところに、「次兵衛岩入り口」の看板がありました。そこから10分ほど下って、神浦川ぞいにいくこと約1時間。川沿いにマリア像が見-えてきました。
そこから急坂を10分ほどよじ登ったところに「次兵衛岩」がありました。

ここは1630年頃、キリシタン・伴天連の金鍔次兵衛神父が潜んでいたといわれる洞窟です。
金鍔次兵衛神父は「魔法使いの伴天連」といわれていたほどに神出鬼没で、あるときは長崎奉行所の馬丁となって、牢につながれていた宣教師や切支丹信徒たちを励まし、あると-きは江戸に行って家光将軍の小姓たちに洗礼を授けるということをします。
何度も山狩りをしてもつかまらずに奉行所の役人を悔しがらせるのですが、ついに密告によってつかまってしまいます。すさまじい拷問にも屈せずについに殉教死します。163-7年、次兵衛神父37歳の時でした。

川沿いに登っていくときにマムシに会いました。この時期はここはマムシがおってねという言葉に一瞬ひるんだ私たちですが、ガイドの方がマムシ退治をしてくれてなんとかこの-巡礼を成し遂げました。

私はここを訪れること2度目ですが、もう一度いってみたいと思わせる不思議な聖地です。ここに来るとなぜか大きな力をもらえるような気がするのです。

映像を見る
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